第16話 もう一人の文様所持者

 ガチャガチャと軍装を鳴らす音を立てながら、イザナル傭兵団が徒歩で進んでいく。

 そのよく統制された動きは、歩いていながら疾駆しているように見えるほど早かった。


 そしてそれはショウエルたちのいる建物の階段を駆け上がり、イ・サとエルリックと真っ向から対峙した。


 エルリックが佩剣に手をかけ、イ・サは銃を傭兵団に向けて構え直す。

 イザナル以外の傭兵団員も自らの武器に手をかけた。


「やめろ。交戦する気はない。ただこちらは姫の身柄を安全な場所に置きたいだけだ」


「安全?貴様ら傭兵どもの中にいて安全なんかあるとでも?」


「姫を利用しようとする連中よりは安全だ。我々は、姫を守りたい」


「ショウエル様の文様は目覚めてしまいました。それでも?」


「対の文様なら俺の手にある」


 イザナルが革手袋を外す。

 その手の甲の複雑な文様は淡い燐光を発していて、それに応えるようにショウエルの文様はさらに強く光った。


「____おまえが、王___?!」


 無意識に後ずさるエルリックに対し、イザナルは高らかに宣言した。


「そうだ。俺はヴィーゲル王家正式第一位王位継承者、イザナル・イ・リ・ナルリア……改め、イザナル・イ・リ・ヴィーゲルだ」


「ちょっと待った王子様。

 先王の寵姫、エイメ・イ・リ・ナルリア様はお子様ごと病没されたはずだ。その御嫡子がなんでこんな薄汚い傭兵団に?俺にはにわかには信じかねるな。

 なにしろ俺はあのフレンジーヌの傍にいたんだ。

 言葉なんてものがどれだけ脆いかはよく知ってる」


 イ・サは相変わらず銃の照準を外さないまま、イザナルに問いかける。

 険しい表情だった。

 もしもイザナルの言うことが本当ならば、現王室は崩壊すると言っても過言ではないからだ。


「さすがは父殺しのイ・サ伯。貴族でなければ俺の傭兵団に欲しいくらいだ。

 けれどおまえも父殺しならわかるだろう?人を殺すのにためらいを必要としない人間が存在することを。

 たとえばあのカームラのような」


 う、とイ・サが言葉に詰まる。

 それが真実だとわかっていたからだ。


「カームラは王になりたかった。

 だからおふくろと俺を殺した。長子が死ねば次子が王となれると思ったんだろう。王の役目も何も知らずに。

 そしてそのあとすぐに先王と先妃も殺した。そうすればあいつの即位に異を唱える者はこの国からいなくなる。この国はあいつの物だ。

 どうだ?国1つが手に入るというのは、あいつにとっては人を四人殺すのに十分な理由じゃないか?」


「じゃあなぜおまえは生きてる?」


「おふくろに同情した何人かの貴族が骨を折ってくれたんだよ。

 それで、王家との縁を断ち切り、傭兵として地を這いまわる生活をするなら生かしてやると。

 俺は喜んで応じた。

 生きていればいつか、あいつの首を掻っ切ってやることができるからな。

 それにあいつは___この文様を知らない。俺の対が現れれば、俺こそがこの国の正当な王だと認める者もいるだろう」


「ハ、そういうことかよ。じゃあ俺の親父も……」


「ユーエル伯姫から聞いて知っていたんじゃないか?ハリティアス伯家の家格は大貴族だからな。おまえはすこし、父親を殺すのが早すぎた」


「だからフレンジーヌも知っていたのか……」


「ああ。逝去された前ハイレッジ公は本当に優しい方で、俺のいく末を心から心配されていたからな。

 王室での権力の奪い合いなんかに興味を示さないあの方が、はじめてカームラに進言したくらいだ」


 ふ、と息をついてイ・サが銃を降ろす。


「……俺はまるで道化だな。なんにも知らねえで、ジョーカーなんて……馬鹿らしい」


「馬鹿らしくはない。おまえの地位と名前、それに兵力は十分に使える。俺たちの側につくにしても、あくまでフレンジーヌに尽くすとしても。

 ……知らないことは恥じゃない。知ればいいだけだ」


「あーあ。王子様に諭されちゃあ俺も形無しだ。『はい、陛下』としか言うしかねえじゃねえか」


「そういう名称は好まない。イザナルでいい」


「じゃあイザナル『様』

 俺はまだどちらにつくかは決めちゃあいない。

 なんだかんだ言って俺はまだ、あの悪魔みたいなフレンジーヌにべた惚れだ。

 あんたが王政の舵を取った方がこの国にとっては良くても、俺はフレンジーヌが笑ってくれる未来を選ぶかもしれない。たとえこの国がカームラの代で滅びてもな。

 俺に取っちゃ、国家より地位より、あの毒蛇が愛おしいんだ」


「いいさ。人間はそういうものだ。その時は正々堂々と戦おう、イ・サ伯」


「俺にそれを言うかねー。

 なにしろ俺の二つ名は『父殺しのイ・サ』だぜ?影で貴族どもが何と言ってるかもちゃあんと知ってる」


「母の復讐を遂げるために父を殺すのは、王位のために父を殺すよりはずっとまともだ。

 まあ……殺さずに、位を剥奪して父を幽閉した方がよかったがな。それは仕方ない。

 人間の感情は時としてどうにも御せなくなる」


「さっすが王子様はいいことをおっしゃる。俺は自分を外道だと思ってたが、多少はまともな人間のように思えてきたよ。

 確かにあんたの方が王向きだ」


 ふっとイザナルが笑った。


「俺は王に向いてるとは自分では思っていない。

 ただ、この国を守りたいだけだ。

 おふくろが話した悪夢のようなお伽噺を、それよりたくさん話してくれた、めでたしめでたしでおわるお伽噺に変えたいだけだ」


「それこそが王様の思想だよ。

 あー、やんなっちまうなあ。なんでも思い通りになる家に生まれたのに、肝心のことはさっぱりときてやがる」


「でもこれでおまえはこの国に隠されたほとんどのことを知った。

 物事を始めるのに遅すぎることはない」


「いまさら慈善活動家にでもなれと?

 ムリムリムリ。

 俺は俺にしかなれねえ」


「正直だな」


「嫌味か?」


「いいや、本音だ」


「食えねえやつだよ、あんたは。

 ____わかった。嬢ちゃんはあんたに警護してもらう。

 だが、あくまで警護だ。利用するな。

 もちろん警護を任せたからには、毛一筋傷つけたら許さねえ。

 フレンジーヌとは違う意味で、俺はこのお嬢ちゃんが大好きなんだ」


「保証する」


「ならいい。___まあ俺は、道化兼ジョーカーとして必死で踊って見せるわ」


 ぽん、とイザナルの肩を叩いてイ・サが出ていく。


 場にはエルリックとショウエルだけが残された。


「おまえもそれで異存はないか?」


 問われ、エルリックは渋々頷いた。


 本当はショウエルを政争などに巻き込ませたくなかった。あの城から連れ出したかった。

 自分たち一族の復権に手を貸してもらえれば、その後はイ・サのように、違う名前を与えて国外に逃がす手筈も整っていた。

 

 だが城を出ればショウエルの神聖文様は目覚めてしまう。


 長らくそのことを悩み続けた末の城からの脱出だというのに、目の前にはショウエルを最も危険な世界へ、再び連れて行こうとする男がいる。


 先程までなら、空間転移でまた逃げただろう。


 だがこの男の手にも文様がある。

 しかも王の文様はショウエルより強い。

 どこへ逃げてもきっとまた見つけ出されてしまう。


 しばらく逡巡した後、エルリックは頷いた。


「イ・サ伯と同じ条件ならば」


「わかった」


 そう返事を返したイザナルは、怯えた顔のままのショウエルの枕元まで行ってひざまずき、この場ではじめて微笑んだ。


「姫、お迎えに上がりました」

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