第15話 契約の文様

そして時は少し遡る。


 複雑な文様が光るショウエルの手の甲、それをみて咄嗟に「あれはなんだ?!」と聞いたイ・サにはエルリックは嘲笑を返しただけだった。


 けれど、その光を呆然と見ていたショウエルに、「あなたはこれがなんだか知っているのね?教えて」とすがるような目で問われ、エルリックは笑うのをやめた。


「それは古くから神聖文様と呼ばれるものです。祝福も、悪意も、戦う力も、すべてを何十倍にもする、この国の王と対になる者の聖なる文様です」


「カームラ陛下と対に?」

 ショウエルがおぞましいもののように手を自分から離した。

 そして、そこから目をそらして唇を噛む。


「いいえ」


 エルリックのきっぱりとした否定の言葉にショウエルだけでなく、イ・サも目を見開いた。


「ならば誰だ?」


 イ・サがさらにきつく銃口をエルリックの背中に食い込ませながら聞く。


「さあ?」


「馬鹿にするな!答えろ!」


「私も知らないのです。ただ……フレンジーヌが恐れていたものと言えば……予想はつくのではありませんか?」


「……イザナル傭兵団か!」


「おそらくは。

 もっとも、フレンジーヌはけして誰がショウエル様の対になる者かは口に出しませんでしたし、私も聞きませんでしたが。

 フレンジーヌに余計なことを聞けばどうなるか、わからないあなたでもないでしょう」


 そう逆に問い返されて、はっとイ・サが息を吐いた。

 エルリックの言い分が、ほかはどうであれ、そこだけは絶対に正しいことがわかっていたからだ。


「我々は過去、人間と敵対するものでした。

 だから神聖文様のことも知っているし、その封じ方も知っている。人間がとっくに忘れ、王室内でのみ伝えられるそれを」


「じゃあフレンジーヌがおまえたちの中から悪党を見つけて来てと俺に頼んだのは、ただおまえたちブロォゾ一族が人間を恨んでいるからだけじゃなく……」


「この文様を知り、それを封じることができるからです」


「じゃ、じゃあ、エルリック、あなたならこの変な模様を消せるの?

 ___お願い、消して!私は力なんていらないの!

 普通に!普通に生きていきたいの!」


「申し訳ございません、ショウエル様」


 突きつけられたイ・サの銃口のせいで、それまでは身じろぎ一つしなかったエルリックが頭を下げる。

 撃たれてもいい、そう思っているような潔い動きだった。


「目覚めてしまってからでは消せないのです。

 昔は……多くの人間の手にそれがあり、その力で我々と戦っていたらしいころにはその方法もあったようなのですが……世界が人間の手に渡り、我らが一族の姿を捨てることを選んで暮らすことを決めた今では……もう……」


「消せないの?」


「はい」


 悲しげな、でも、きっぱりとしたエルリックの肯定。


 ショウエルが天井を見上げる。

 そしてこぼれる涙をこらえるような仕草をした。


「どうして……どうしてわたしなの……」


 消え入りそうなショウエルの声。


 イ・サも戸惑っていた。


 イ・サはただ、ショウエルを逃がしたエルリックをショウエルごと捕え、いつものようにフレンジーヌの本心かも定かでない礼を聞きたかっただけだったのだ。

 だからまさか、自分も十数年ずっと、フレンジーヌのただの駒であったなどとは考えもしていなかった。

 確かにフレンジーヌは自分の価値観にしか従わない外道だが、外道は外道どうし、すこしは通じ合えたと思っていた。


 それが目の前の化物___ブロォゾ一族の数少ない末裔___よりも、真実に遠いところにいたとは。

 ただの従僕のエルリックよりフレンジーヌに遠いところにいたとは。


「はは、やっぱりフレンジーヌはイカれてるな。心底惚れてる俺にまで本心を明かさないときてやがる」


 イ・サが銃口を下げる。


「もういい。好きなようにしろ」


「イ・サ伯……?」


「ほら、俺の気が変わらないうちにさっさとしろよ。

 エルリック、おまえは近距離なら空間転移なんてお手の物だろ」


「それはそうですが……。

 よろしいのですか?千載一遇の機会ですよ。今ならば私もショウエル様も簡単に討ち取れる」


「いいって言ってんだろ。

 おまえらを油断させるための策でもねえよ。本当に俺はそう思ってる」


 イ・サが床に目を落とす。


「惚れた女に頼られねえほど情けねえものはねえな……あいつがそんな女だってことはわかってたはずなのに、それでも、少しは……」


「あなたは自分が思われるよりずっと人間らしいのです。フレンジーヌと比べてはいけません。あの女こそ本物の……」


「はは、化物に慰められてりゃ世話ぁねえや。

……これから、俺はどうするかな……」


「今まで通り、フレンジーヌと偽りの睦言をささやき合えばいい」


「自分で偽りだってわかってるうちはいい。だが……他人にそれを見せつけられちゃあな。

 あーあ、俺も厄介な女に惚れたもんだ」


 ぐーっとイ・サが伸びをして、それからようやくいつもの軽薄な表情を取り戻した。


「ナンセにも言ったが俺はジョーカーになる。

 フレンジーヌが望みの頂点に上り詰めたとき、そこで待ち伏せして叩き落とすかもしれねえ。

 逆にお嬢ちゃんたちに仇なすかもしれねえ。

 まあ、決まったら報告に来るさ」


「イ・サ伯」


「ん?なんだ?嬢ちゃん」


「伯は……どうしてそんなにお母様が……」


「わかってれば苦労しねえよ。毒蛇に惚れた自分を呪うのみ、だ」


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