第14話 『真実』のもたらすもの

「痛っ」


 侍女を従えて廊下を歩いていたフレンジーヌが、顔を抑えてうずくまる。

 慌てて駆け寄る侍女を制し、フレンジーヌは「ナンセを呼んで」といつも通りの優美な声で告げた。


「けれど、フレンジーヌ様、侍医殿を呼ばれた方が……」

「いいのよ。ナンセを呼んで頂戴」


 痛みに歪んだ表情が侍女に見えないように、フレンジーヌは顔を覆ったまま繰り返す。


「ナンセ以外は部屋に入れては駄目よ。カームラ陛下への贈り物の相談なのだから」

「は、はい」


 それが不自然な言い訳なのは侍女にもわかった。

 けれどこの城で絶対なのは女主人であるフレンジーヌだ。

 侍女は静かに引き返し、長い廊下をナンセを呼びに行くため小走りに戻っていった。


 侍女の気配が完全に消えてから、フレンジーヌがゆっくりと立ち上がる。


「忌々しい。……あんな文様がなぜ消せないの。作ることはできたというのに……」


 顔を覆っていた両手を外し、露わになったフレンジーヌの顔。

 それはいつも通り美しかった。


 ただ、その右目だけが禍々しく赤く輝いていた。




                ※※※





「『彼女』が目覚めた」


 イザナルが、革手袋の上からでも発光しているのがわかる右手に目をやる。


「ショウエル姫のことですか?」


 副官に問われ、イザナルは無言でうなずく。


 それから、「これで姫のいる場所がわかった」とひとりごちた。


「副官、まずは東へ5リーグ。急げ。あの化物といるのだとしたら、姫は利用される」


 そして、イザナルは満足げな笑みを見せる。


「ハハ、今頃はあのフレンジーヌも苦しんでいるだろう。無理に作り出した文様は移植しても体に適応しない」


「その光や文様とやらのことを聞いてもよろしいですか?」


「ああ。これは神聖文様と呼ばれるものだ。『王の血』を持つ者と、それを補佐することを義務付けられた対の者の手に浮かび上がる。今頃、姫の手にも浮かんでいるはずだ。

 俺はずっとこの文様をもつ対を探していた。これは魔術よりも上位の力を持ち、二つ揃うことで本来の力が発動する。

 だが、あの城に張られた結界と、ブロォゾ一族の力で姫の力は隠され___姫が城を抜け出すまで探し出せなかった。

 いまここで俺の文様が光ったのは、姫の文様も力を得たからだ。そうなれば姫の居場所を探すことなど造作もない」


「ではやはり、道々聞いたことは……」


「そうだ。姫はハイレッジ家の本物の娘ではない。フレンジーヌの野望のために取り揃えられた駒の一つだ。

 フレンジーヌは自分の体に文様を与えようとし、失敗した。だから文様を持つ姫をハイレッジ家の娘として扱い、カームラに嫁がせることに作戦を切り替えた」


「なぜ、そのような力のある姫をカームラの妻に?」


「この国を乗っ取るためだ」


 こともなげにイザナルは言い放つ。


「対ではない不完全な文様でも、カームラの洗脳くらいは簡単だ。そして、呆けたカームラの代わりに知略に優れた鬼姫が___実際は、フレンジーヌが___摂政となり、この国を自分の物にするという算段よ」


「そこですべてが終わったら……」


「姫は殺される。そして、この国のどこかにいる本物のショウエル姫が母后フレンジーヌとともにこの国に君臨する」

 

 う、と副官が顔を歪めた。

 死刑執行官という忌み嫌われる血筋とはいえ、温かい家庭で育った副官には理解しがたい話だった。


「フレンジーヌの誤算は俺を甘く見たことだな。

 俺はガキの頃から王の務めをおふくろから叩きこまれてきた。この文様の意味も知っていた。

 俺を王宮から追放したカームラに従ったのも、まだ時が来ていないと思っただけのことだ」


「その対の文様が揃ったとき、何が起きるんです?」


「さあな。それはまだ言わないでおく。お前たちを疑うわけじゃないが……ここにフレンジーヌの狗がいないという保証はない」


 イザナルのその言葉は、最後は消え入りそうに小さく、苦かった。

 歴戦の中、信頼を重ねてきたものたちにそのような感情をもつことは、それだけでも罪なように思えたのだ。


「かまいませんよ。敵はあのフレンジーヌだ。どれだけ用心してもしすぎるということはありません。最後の勝利のその日まで、真実は隊長の胸に置かれておいでになればよろしいでしょう」


「悪いな」

「いえ」


 副官が微笑みながら頭を下げる。


「私はいつも隊長の勝利のために最良の策を考える手伝いをさせていただくのみです」




                    ※※※




「フレンジーヌ様!何が!」


 いつもの静かさが嘘のように部屋に飛び込んできたナンセへ、フレンジーヌはゆっくりと振り返った。


「見なさい……わかったでしょう?」


 赤い右目と緑の左目。

 そして、赤く染まった眼球の中には、細い線で複雑な模様が光りながら浮かび上がっていた。


「文様よ。

 作成に失敗し、ほとんど力がないうえに痛みばかりもたらす呪わしい文様!

 これが浮かんだということは、文様を持つショウエルの力が目覚めたということよ。忌々しい!」


「さぞお痛みでしょう。私ごときになにができるか……」


「おまえにできることなぞないわ。だからさっさとあれを探しなさい。文様を身に刻まれた娘、偽物のショウエルをね。そして、私のかわいい子、本物のショウエルを王都の近くに呼び戻して頂戴。

 ここまで計画が崩れた今では……あの子が手元にいないのは心配だわ……」


 目を伏せたフレンジーヌが、一瞬だけ母の顔になる。

 そしてまた毒蛇の顔に戻り、ナンセに命じた。


「いいこと。けしてイザナルとあの娘を会わせてはいけないわ。どれだけ計画が瓦解しても、それさえ貫ければ、あの娘が先に私たちの手に入れれば、こちらの勝ちよ。

 あんな廃嫡子ごときにわたしの計画を邪魔させたりはさせないわ」


「は」

 ナンセが胸の前で腕を折り、フレンジーヌに一礼する。


「ご命令の件、すべて早急にお片付けいたします」


「頼んだわよ、ナンセ。

 ___ああ、もうこの目の痛み……いつまで続くのかしら……」

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