第13話 『真実』

「はーいーそーこーまーでー」

 

 ゴリッと固いものを背中に押し当てられ、エルリックの言葉が途中で止まる。


「クソ、イ・サ伯か!」


「その通り。なんでここがわかったかってって聞きたい?

 お前をフレンジーヌに世話したのは俺だろ。そのときに徹底的にお前のことを調べ上げておいたんだよ。悪党を雇うんだから当たり前だろ」

「ほかの一族の者には___」

「手を出してない。俺は平凡な小悪党なもんでね。生き物を殺そうとすると手が震えるのさ。

 だが、おまえは別だ、エルリック。

 裏切り者を殺すときには手は震えない」


「フレンジーヌの狗め!」


「それはナンセ。俺は違う。狗ならとっくにお前を撃ち殺してる」


「じゃあ、なぜ!」


「嬢ちゃんには『真実』なんてものを教えるな。このまま逃がせ」

「おまえも知っているのか?!」

「いや、なーんにも。俺が知ってるのは、お前が人間に擬態できる忌み嫌われる生き物の一人で、フレンジーヌの甘言に乗って雇われたものの、嬢ちゃん可愛さに何もできなくなった馬鹿だってだけ」


 キリキリとエルリックが歯噛みする。

 計画の瓦解、一族への侮辱、ショウエルへの想い、それらすべてが背後の優男が口にしているのだと思うと、悔しさはさらに募った。


「『真実』なんて、知ってしまえばきっと戻れなくなるようなものなんだろう?

かわいそうに。あそこのお嬢ちゃんは震えながらそれでもまっすぐおまえを見てるじゃないか。

 おまえが化物だってわかっても、お前を信じてる」


「ならばおまえはどうするつもりだ、イ・サ伯!」


「どうもこうも。嬢ちゃんに違う名前と身分を与えてを海の向こうに逃がす。伝手があるんでな。

 かわいそうなショウエル姫は悪党にさらわれ殺されて、髪一筋戻ってこない。それでいい。貴族の姫君にはよくあることだ」


「おまえはなにもわかってない!」


「わからない方がいい時もある。俺は大人になるまでに知りたくないことを山ほど知ってこのザマだ。どうせこれもフレンジーヌが糸を引いてるんならろくなことじゃねえ。嬢ちゃんがどれだけ嫌がってもあいつは嬢ちゃんをカームラの妃にするだろう。何しろあいつは自分の命だって平気で賭金にするような女だからな。

 まあ、それはフレンジーヌの勝手だが……俺は、てめえの誇りやお嬢ちゃんの未来までは賭けたくねえ」


「こうすればフレンジーヌが自分のものになると思ってるのか?!」


「は?これだから人外はいやだねえ」


 イ・サがにやりと笑って肩をすくめた。


「あの女が誰かの物になるなんて思ったことはねえよ。もちろん、俺の物にも、ナンセにも。ただ俺は、一番か二番に近い他人ってだけだ。まあ内輪の話はいい。とにかくショウエルは逃がす」


「逃がしては駄目なんだ!」

「何故?」

 

 背に銃口を突き付けられながらも必死で叫ぶエルリックの顔を、イ・サは楽しそうに覗き込んだ。


「何故駄目なんだ?化物」


「それこそがおまえの拒否する『真実』だ。言っていいのか?」

「ほお。それは死にたくなさについた嘘じゃないだろうな?」

「ショウエル様を助けたいのは私も同じだ!」


「利用しようとしたくせに?」

 問いながら、今度はショウエルの顔にイ・サの視線が移る。

 目を細めたそれは、獲物を見つけた狼に似ていた。


「……確かに、我ら一族の復権に手を貸していただきたいという思いはあった。けれど……あのまま城にいてカームラの妃になるよりはずいぶんとましだ!ずっとずっとましだ!」


 イ・サが眉をすがめる。

 エルリックの言葉をどこまで信じるか、逡巡しているのがはっきりとわかる顔だった。


「いったい、おまえはどこまで知ってるんだ?」


「きっと私はフレンジーヌの計画の半分も知りやしない。でもその半分でもわかる。あの女こそ化物だ。このお優しい方を鬼姫に仕立て上げたんだぞ!」


 そうだな、とこればかりはイ・サも同意した。

 そして芝居がかった仕草で首を振る。


「だが失敗した。嬢ちゃんはいい子のままだった」


「そうだ。だからあの女は焦っている。それで___今しかないと思った」


「裏切るのが?」


「裏切るも何も、もとから忠誠なんか誓っちゃいない。互いに必要なものを与える者同士、それだけだ」


「だから逆にフレンジーヌはおまえを少しは信じたんだな。感情より契約、契約より利害。あいつはそんな女だ」


 イ・サがふっと笑った。そして、ショウエルへとまた目を向ける。


「ごめんな。おまえのおふくろの悪口ばかり言って。

 でも、それでもあいつは最高にいい女なんだぜ。俺は悪いあいつにべた惚れだ」


 戸惑いがショウエルの顔をよぎる。


 何もかもわからないことだらけのまま、目の前では長い間寄り添っていた従僕が信じられないようなことを口にし、軽薄で底の浅い女好きだと思っていた男は、見たこともないような真摯な目でこちらを見ている。


 そして、自分が手本にしていたあの優雅な母は『悪い女』と言われていた。


「ああ、そういえば一度も聞いてなかったな。

 お嬢ちゃんはどうしたい?俺たちで人一人の運命を勝手に決めちゃあいけねえよな。自分のことは自分で決めな」


「わたしは___」


 ショウエルが困ったように目を伏せた。


 そういえば、これまでの人生で、自分で決めたことなど一つでもあっただろうか?

 

 いつも、母の言うとおりに生きてきた。

 

 もしかしたら、これが、最初で最後の自分で決められる『なにか』かもしれない。


 そう思えば、簡単に答えてはいけない気がした。


「わたしは?」


 急かすようにイ・サが繰り返す。


「わたしは___」


 そのとき、ショウエルの左腕がふわりとした光に包まれた。


「え、なに、これは……!」


 驚くショウエルの手の甲に光る複雑な模様が現れる。 

 それはこの世のどのような言語にも似ておらず、淡い青い光をまとっていた。


「神聖文様!はは!フレンジーヌ!おまえの負けだ!」


 エルリックが嬉しそうに哄笑する。


「なんだ、あれは、答えろ化物!」


「おまえが知りたがっていた『真実』だよ!

 目覚めてしまった!もう止められない!」


 簡素な部屋の中、エルリックの笑い声だけが高らかに響いていた。

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