第10話 愛と修羅

 フレンジーヌの命令を受けナンセはすぐに行動を起こした。

 まずは城から出て、ショウエルを捕えること。


「ナンセ」


 そのとき、人目につかないよう城の裏口から出たナンセは、背後から急に声をかけられて立ち止まる。

 それでもなんの動揺も表には出さないのはさすがというものだろう。


「これは、イ・サ伯」

 

 ナンセに声をかけたのは、以前にフレンジーヌの私室にいた伊達男___イ・サだった。

 見た目の年齢は同じくらいだが、どこにいても華やかな雰囲気を纏うイ・サと、黙っていればそこにいることさえ気づかれないようなナンセが並び立つと、夏と冬がともに訪れたような奇妙な違和感があった。

 

「おまえが動くってことはなんかあったな?フレンジーヌの命令か?」


「さあ。私はフレンジーヌ様の幼き頃よりの私的な護衛。

 ですから、すべての命令はフレンジーヌ様から下されますので、ご質問の意味がよくわかりません」


「食えねえ男だ。さすがガキの頃からあの女の側近を長く務めてやがるだけある」


「フレンジーヌ様への口はおつつしみ下さい」


「いいんだよ。俺にだけはその権利があるんだ。____おまえごとき召使にはわかりゃあしねえだろうがな。

 いいから召使は黙ってフレンジーヌの言うことをはいはい聞いてろよ」


 ギリ、とナンセが歯噛みした。それでも表情は変えない。

 フレンジーヌの傍にいるというのはそういうことなのだ。


「だがな、ショウエルを」


 イ・サが空を見上げる。

 ここまでのナンセとのいさかいが嘘だったかのように良く晴れた空だった。


「嬢ちゃんを傷つけるのだけは許さねえ。どうせフレンジーヌにとっちゃ嬢ちゃんだって駒だろう。

 でも、俺の中では違う。この狂った世界の中でマトモなのはアイツだけだった。俺が馬鹿なことを言うたびに、あいつは本気でいさめてくるんだよ。

 何が鬼姫だ。ただの可愛らしい小娘じゃねえか。おまえらはそんな小娘を最悪の不幸に巻き込もうとしてやがる」


 ギ、とイ・サに見据えられ、何かを言おうとしてナンセはやめた。

 イ・サのいう狂気よりもっと大きな狂気があることを口にしても、ここでは詮のないことだと思ったからだ。


「知ってるだろう。俺のおふくろは金で買われたことを恥じて、俺を抱いたまま自分を刺して死んだよ。だから俺は親父も殺してやった。でも、それに罪を感じたことはねえ。『父殺しのイ・サ』と影で呼ばれてるのを知っててもな。

 俺はただ、親父のせいでおふくろが死んだから、親父を殺し返してやっただけだ。

 フレンジーヌも____」


「知って___おられるのですか」


「知ってるさ。俺たちはみんな狂った世界の住人だ。おまえもそうだろ?

 利害のためなら親父も殺す、おふくろとも寝る。俺もフレンジーヌもみんなそうだ。だから俺はそんなイカれたフレンジーヌに惚れた。

 ただ____ガキの頃ならフレンジーヌをまともに戻す道もあった。でもおまえはそれをしなかった。諾々とフレンジーヌに従った。だからアイツは、ガキと大人が同居した毒蛇みたいな女になった。

 ったく、狂ったガキは手に負えねえよ。理屈も道理も通らないと来てやがる。その上金と権力と……」


「私を責めておいでですか」


「いいや。俺はあいつが殺せるくらい惚れてて、おまえはそれもできないくらい惚れてるってだけだろ。仕方ねえよ。

 どうだ。狂ったもんどうしお茶会でも開くか?」


 にやりとイ・サに笑われて、ナンセはそれを無視しその場を離れようとする。


「イザナルが動いたな」


 だが、イ・サのその言葉でぴたりと止まる。


「何かが起こる。俺にだってわかる。フレンジーヌがイザナルを恐れてるのもな。

 話してみろよ。お前らの言うところの『真実』を。惚れた女が困ってるんだ。俺んちの総力をあげて助けてやるぜ?」


「フレンジーヌ様のご命令がない限り、私は何とも申し上げられません」


「フレンジーヌが素直に話すような女だと思うか?だからおまえに聞いてるんだ。同じ狂った女に惚れたもんどうし……共闘しようぜ」


 ナンセがはじめてためらいを見せる。

 それにつけこむように、イ・サはナンセに向かって踏み込んだ。


「おまえだってショウエルは可愛いだろう?

 フレンジーヌの影でしかないおまえに、あんなに優しく接したのは嬢ちゃんだけだぞ」


 ナンセが顔をそむける。

 そこに浮かんでいるのは紛れもない、苦悩だった。

 

「嬢ちゃんだけは助けてやろうぜ。この狂った世界から。

 俺だってハイレッジ家ほどじゃねえが力は持ってる。

 嬢ちゃんに別の名前と身分を与えてほかの国に逃すこともできる。

 あの子は___あの子は___俺たちに巻き込んでいいような子じゃねえ。あのカームラの妃になれるような子でもねえ」


「……申し訳ございません、イ・サ伯。すべてはフレンジーヌ様のご命令です」


「それがおまえの答えか」


 吐き捨てながら、イ・サは足元の小石を蹴る。


「惚れた女とは争いたくねえ。特にあんなおっかねえ女なら特にな。だが___。

 それでも俺はまだ、決めかねてる」


 それは、イ・サがショウエルとフレンジーヌ、どちらかを選ぶかということなのだろうか。


 イ・サはそれから無言だった。


「御用がなければ失礼させていただきます」


 ナンセがイ・サの肩を押しのけた。

 ハ、とイ・サが笑う。


「御用なら大ありだ。

 だがまあいい。俺は俺の好きなようにやる。

 ここにジョーカーがいることをフレンジーヌに伝えてくれ。

 ああ、あと、変わらず愛してるってこともな!」


 遠ざかるナンセの背中にイ・サは呼びかけた。

 それが振り向くことなどないと、そう、知りながら。


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