第3話 天使の背には黒い羽
「なるほど、貴様が噂の鬼姫ショウエルか。美しい。本当に美しい」
舞踏会の人ごみの中をまっすぐに歩いてきたカームラ残酷王は、ショウエルの顎先に手をかけ、くい、と上向かせた。
それでもショウエルは表情一つ変えない。
冷厳な目で、自分よりずっと大柄で武骨な王の顔をじっと見据えていた。
「近づいてみるとさらに美しいな。その酷薄な目の輝き。そしてこの薄い唇。容赦のない言葉が実に似合うだろう」
そして、王の手がショウエルの髪を梳く。
「そのくせ天使のようなブロンドだ。私は天使が悪魔の言葉を吐くのが好きなのだ」
「言いたいことはそれだけですの?」
そこではじめて、ショウエルが嫣然と微笑んだ。
周りを囲んでいた貴族たちの人垣がわずかにざわつく。
残酷王カームラにそんな反駁をする人間などこれまで見たことがなかったからだ。
……処刑される前に悪態をつく人間くらいしか。
そのうえ、いくらあれは鬼姫だと言われていても、微笑うショウエルの顔の上にはそんなものはかけらも見えなかった。ましてや残酷王カームラと渉り合えるような女にも見えなかった。
そこにいたのは、ただ、息をのむほど美しい嫋やかな少女。
「わたしは自分の価値くらい知っておりますわ。貴族としてふさわしい振る舞いを心得ていることも。
___それよりもわたくしの席に案内してくださるかしら?立っているなんて下々の者のようなことは嫌いですわ」
「おお!その通りだ。私は気が利かなかった。貴様のような素晴らしい娘に不快な思いをさせるとはな。しかし___」
「なんですの?」
「貴様のような貴族の娘がいるとはな。やつらはみな、階級という物に庇護されて、きれいごとを言うばかりだと思っていた」
「わたくしは正直な生まれですのよ」
ふふ、とショウエルがまた微笑う。
「欲しければ奪え、気に入らなければ殺せ、敵には容赦するな。
それがわたくしたち貴族の在り様であると。
カームラ陛下もそのようにお考えだと伺っていて、お会いするのを楽しみにしておりましたけれど」
無言のままのカームラ王の態度に、ショウエルが退屈そうに首をかしげる。
「予想は外れましたかしら。でしたら残念ですわ」
そのつまらなそうな様子にカームラ王は慌ててショウエルの手を取った。
「いや、すべて貴様の言うとおりだ。貴様は正しい。私と同じ考えだ。ただ、正しすぎて驚きのあまり言葉が出なかったのだ。
あの地位しか取り柄がなかったハイレッジと、ハイレッジの命を仰がなければ何もできなかった愚かな妻の間にこのような奇跡が起きるとはな」
「ではこれからはあまり驚かないでくださいまし。わたくし、退屈も嫌いですの」
「わかった。気を付けよう。
さあ、貴様の席へと案内しよう。この舞踏会で決まった席があるのは私と貴様だけだぞ」
「ええ、存じ上げております。でなければ来ませんでしたわ。立って踊るだけなんてうんざり」
「ハハ、うまいことを言う。ならば今日から貴様を未来の妃として扱おう。
王の隣に座るということはそういうことだ。異存はないな?」
ショウエルが浮かべていた笑みが、ほんの少し、誰にもわからない程度に固くなる。
『嫌だ』と逃げたらどうなるのだろうか。
周囲で畏怖と好奇の目で見ている貴族たちは、王とショウエルが並ぶ姿を見て満足げな母のフレンジーヌはどんな顔をするだろうか。
「異存も何も。陛下が終生わたくしを満足させてくださるなら」
ドレスの裾をつまみ、ショウエルがふわりと一礼した。
そしてにっこりとカームラ王を見て笑う。
ショウエルはわかっていた。
母がいる限り、自分は逃げられない。
そんなこと、考えるだけ無駄なことだ。
「終生ときたか!よかろう。貴様を血と憎悪の中に常に置き、すべての争いに勝つことを約束しよう。
そしてその勝利は必ず分かち合うことも約束しよう。寵姫なども置かぬ。貴様のような女はどこにもいないだろうからな」
「誓ってくださるかしら。王家の名に懸けて」
「私の言葉を信じないのか?」
カームラ王がさすがに眉をひそめる。貴族たちもざわつく。とうとうあの美しい首が胴体から離れるのかと……。
それでもショウエルは優雅な笑みを崩さなかった。
「ええ。___陛下、誰かを信じたらもう鬼姫ではいられませんことよ」
「なるほど。私は貴様を見くびっていたようだ。いくら鬼姫、我が国の至上の悪女と称されても、所詮は甘やかされた貴族の女であると。
だが貴様はそんな生き物ではないのだな。私の探し求めた女だったのだな」
カームラ王が声高く笑った
「酒をもて!そしてこの地獄の女王陛下をお席へと案内しろ!
女王のご機嫌を少しでも損ねた者は首をはねるぞ!」
そして、その上機嫌なカームラ王とは正反対に、ショウエルは心の中で涙を流していた。
こんな人間の妃にこれから自分はなるのか、と。
血、憎悪、争い。
みな心優しいショウエルの嫌いな言葉ばかりだった。
そんなものを至高の幸福とする男の妃になり、これからはそればかりの世界に身を置くのだと思うと、どうにも止めようのないため息がショウエルの唇からひっそりと漏れた。
今はただ、絶望と悲しみだけがショウエルの心を支配していた。
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