第21話 公衆浴場

 イリス教官に案内された公衆浴場は中央地区にある、帝都最大級の大浴場だった。

 ウルクスは入浴文化が盛んで、帝都にはいくつもの浴場があるのだが、なかでもここは群を抜いている。

 遠くからは空にたなびく黒煙が見えるだけだが、近づいていくと城壁のような白壁に囲まれているのが分かり、老若男女さまざまな人々が列を成していた。

 おそらく百人はいる。

 中にいる人も合わせれば数百から千人くらい入れる大きさだろう。


 デカい……。


 こんな規模の浴場に来たのは初めてだ。

 なにかおかしなことをやらかさないように気をつけないとな。

 列に並んでいる間、イリス教官に話を聞いておく。


 入場は一人一ドール。

 わずか銅貨一枚らしい。

 ただし、着替えなどの荷物預かりや、入浴、石鹸代などさまざまなものに追加料金が必要になるとのこと。

 そういえば石鹸はまだ買ってなかったな。

 まあ、中で買えばいいか。

 キーラに着替えとその他諸々の代金として金貨一枚渡しておいた。


「こんなによろしいのですか?」

「これから先もいろいろと入用になるだろうからね。余ったら今度の買い物で欲しいものでも買えばいいよ。僕の気が回らなくて、キーラに不便な思いはさせたくないし」

「ありがとうございます」


 キーラの顔がぱあっと華やいだ。

 かわいい。

 じゃなくて喜んでもらえてよかった。

 男と女じゃ、必要なものも違うけど、残念ながら僕にはそれがわからないからな。

 キーラが自分で欲しいものを選んだほうがいいだろう。

 それに公衆浴場も金さえ払えば、奴隷であっても問題なく入浴できるみたいだし、ある程度所持金があったほうがなにかと便利なはずだ。



 列はすぐに捌けたので、銅貨を一枚支払う。

 身分の確認は冒険者の認識票をちらりと見せただけで終わってしまった。

 人が多すぎていちいち詳細まで確認していられないのだろうな。


 入り口を通り抜けると、いきなり浴場が広がっていた。


 おおー。

 広いな。


 列柱に囲まれた広間の中心に巨大な水泳場プールが設けられたような感じだ。

 実際にお湯ではなく、ただの水が張ってある水浴場とでもいうべき場所なので、印象としてはそう間違っていないだろう。

 さすがに泳いでいる人はいなかったが、男女関係なく水浴びしながらおしゃべりしている。

 男性は腰布を巻き、女性は腰布と胸を隠す水着のようなものを着用していた。

 これが異世界の公衆浴場か。


 って男女一緒なの!?


 まさかの混浴だとは。

 一応腰布なんかで局部は隠されてるけど、いろいろと大丈夫なのだろうか。



 広間の奥には受付のようなものがあったので、イリス教官と一緒に向かう。

 ここで入用な物を買ったり、脱衣場の利用や荷物の預かりを受け付けているらしい。


 僕とキーラは脱衣場、荷物預かり、入浴料金のほか、石鹸と腰布などを追加で支払う。

 全部で銀貨八枚もした。

 主に石鹸と腰布が高かったせいだ。

 まあその二つは何度も使えるので、一回の入浴料金自体は庶民的な価格だったのだが。


 キーラは温浴室で必要な木靴も買っていたので渡したお金をすべて使い切ってしまったようだ。

 僕は革のサンダルがあるので必要なかったけど、キーラにはまたあとでお金を渡しておくか。


「それじゃあ、ここでいったん別れようか」

「……ご主人様のお側を離れていいのでしょうか?」


 脱衣場は男女で分かれているので、別行動にならざるを得ないのだが、キーラが心配そうな表情をする。


「大丈夫だって」


 たぶん。

 なんか不安になってきたな。

 さっと入ってさっと出よう。

 キーラのことはイリス教官に任せて、脱衣場に向かった。


 腰布一枚になると、なんとも心細い。

 着替えの入った魔法鞄を盗まれでもしたら明日からどうなることやら。

 宿のお風呂のほうが寛げそうな気がするな。

 いまさら言ってもしょうがないけど。


 受付できちんと荷物を預かってもらい、紐がついた木札を受け取る。

 温浴室を利用したり、荷物を返してもらうのに必要なものだ。

 無くさないように紐を手首に巻いて、キーラたちを待つ。


 なんかドキドキしてきた。


 キーラに関しては全裸の姿を見たし、それ以上のこともしたのだが、こういう場所ではまた別というか――


「お待たせしました」


 キーラの声に振り向くと、すごいことになっていた。

 木靴をカラコロと響かせながら、小走りでやってくるキーラの胸が、薄い布に押さえられつつも、押さえきれていないというか。

 もうすこしでこぼれ出しそうになっていた。


「キーラ! 走ると危ないよ」

「? あっ! 床が濡れていて滑りやすそうですね。ご心配お掛けして申し訳ありません」


 最初は頭に疑問符が浮かんでいる顔をしていたが、僕とは違う意味で危険に気がつき走るのをやめた。

 確かにそっちも危険だけど……。

 まあ、いいか。

 そんなことより、薄い布で必要最小限しか隠されていないので、逆に扇情的な格好になってる気がする。

 目のやり場に困るな。


 ん?


 周囲からも注目されているような。

 うちのキーラをじろじろ見るんじゃない。

 僕の体で壁になるように移動すると、キーラの後ろからイリス教官がやってくるのが見えた。

 相変わらず離れていても目を引くような体型スタイルで、歩を進めるたびに薄布の下で揺れる胸は、キーラにも負けず劣らず大きい。

 こちらも周囲の視線を集めているが、気にした様子もなく、悠然と歩いてくる。


「待たせたか?」

「いえ、大丈夫です。それよりもここじゃ落ち着けないし、奥の浴場へ行きましょう」


 二人と一緒に歩いていると、恨みがましい視線が向けられた。

 気まずい……。


 足早に温浴場に通じる回廊を進むと、そこにはモザイク画や大理石の彫像などが飾られ、外に目を向ければ広大な敷地に庭園が広がっているのがよく見えた。

 入浴するでもなく、散歩したり、おしゃべりに夢中になっている人も多くいる。

 公衆浴場は一種の社交場でもあるのだな。

 もしかしたら不純な動機から来ている者もいるのかもしれないが。


 ようやく辿り着いた温浴室の扉を開くと、むわっとした蒸気が吹き付けてきた。

 そこは列柱に囲まれた最初の水浴場に似ていたが、お湯はなく、ただただ巨大な空間が広がっている。

 床から天井まで、さまざまな装飾に彩られ、色付き硝子ステンドグラスの窓からは色取り取りの光が降り注ぐ。

 これが風呂?

 どこかの教会か神殿にでも迷い込んだわけじゃないよな?

 中を覗くと大勢の人々が木の長椅子ベンチに座って汗を流している。

 蒸風呂か。

 僕はお湯に浸かるほうが好きなんだけど。

 大量のお湯を沸かすのは大変だし、ここではこちらが主流なのかな。


「ここって浴槽はないんですか?」

「もうひとつ先の扉を抜けたところだ」

「なるほど、僕はそっちに行ってみます」

「私もここはあまり好きではないな」


 そういってイリス教官も浴槽の方へ歩き出した。


「キーラはどうする?」

「ご主人様がそちらへ向かうというのであれば、私もご同行致します」

「……キーラの好みとかはないの?」

「好みですか?」


 キーラはすこし悩む素振りを見せた。

 僕になにもかも合わせる必要はないし、できるだけ好きなようにさせてあげたいんだけど……。

 そうはいってもキーラは真面目だからな。


「キーラの出身はバルキアだろう? それなら蒸風呂のほうが好みなのではないか?」


 先を歩いていたイリス教官が口を出した。


「バルキア?」


 どこだろう。

 というかなんでイリス教官が知ってるんだ?


「知らないのか?」

「えっと、まあ」

「…………」


 イリス教官がなんともいえない呆れた目をした。

 あれ?

 常識的な知識なんだろうか。

 それともキーラの出身情報も知らずに身受けしたことだろうか。


「あー立ち話もなんだし、とりあえずお風呂に行きましょう」


 露骨な話の切り上げに不審の目を向けられたが、これ以上変なことを言ってボロを出さないようにするほうがいいはずだ。

 あとで〈森羅万象〉を使って調べとこう。



 そそくさと向かった浴槽のある部屋は中々の広さがあったが、人はあまり多くなかった。

 ここは別途入浴料金が必要になるからだろうか。

 室内装飾も豪華だし、贅沢な浴場だな。


 彫像が抱えている水瓶から、絶えずお湯が流れ込む浴槽がいくつかあり、そのどれもが十人以上入れるほどの大きさがある。

 そのうちのひとつが空いていたので、そこを使うことにした。


 体を洗い流してから浴槽に浸かるのはここでも基本のようなので、まずは貸し出されている手桶でお湯を被る。

 ふう、湯加減も悪くない。

 石鹸を泡立てると、オリーブの香りがする。

 オリーブ油石鹸か。

 高かっただけあって、いいもののようだ。

 さっそく体を洗おうとすると、キーラに石鹸を奪われた。


「ご主人様のお体は私が洗います」

「え? いや、いいって」

「昨日も断られましたが、もしかして私に触れられるのがお嫌なのでしょうか」


 キーラがしゅんとした顔になる。

 いやいや――


「そんなわけないけど」

「でしたら是非!」


 う……。

 キラキラとした眼差しが眩しい。


「体くらい洗ってもらえばいいだろう。キーラもさっさと洗ってやれ」


 イリス教官が平然と言い放った。

 そんなこといわれても、いまここでキーラに触られたらいろいろまずいことになりそうなんだって。

 抗議しようとイリス教官に向き直ると、いつのまにかすっぽんぽんだった。

 いや、腰布はしてるが、胸を覆う布は外して、それに石鹸を擦りつけている。


 形の良い胸が露になり、泡を立てるために腕を動かすたび、ぷるぷると揺れて――


 すぐに視線を逸らしたが、もう下手に身動きできない状態になっていた。

 そこに追い討ちをかけるようにキーラが泡でぬるぬるとした手を使って優しく背中を洗い始める。


 な!?


 イリス教官から視線を逸らすときに俯いたのを、肯定の頷きと理解したようだ。

 そうじゃないんだが………………。


 もうどうにでもなれ。


 これ以上余計な時間をかけるより、さっさと終わらせたほうがいい。

 ただし前だけは自分で洗っておこう。


 背中側ではキーラの細く滑らかな指が、体を這い回るように動く。


「気持ちいいですか? 上手く洗えているといいのですが」

「うん……」


 気持ちいいのは確かなんだけれど、他の利用客が気になって仕方がない。

 幸いここは空いている浴槽のそばなので近くには誰もいないし、湯気で煙っていることもあってよくは見えないはずだ。


 しかしこのままでは立ち上がれないままだな。

 なにか他のことを考えよう。

 そう思ったとき、今度は柔らかな胸がむにむにと触れる感覚に思考が持っていかれた。


 それは反則だぞ。


 意識がそちらに集中してしまう。

 くそう。

 このままじゃ、ほんとにまずいことになりそうだ。

 キーラの全身はどこも滑らかで、張り艶があって触れているだけで気持ちがいい。


 普通に布を使ってくれればこんなことには――って、ん?


 そういえば、キーラの体には傷の類いは全然ないよな。

 実戦経験がなくとも、剣術の訓練などで傷ついたり、手のひらに剣だこのひとつやふたつあってもおかしくないはずなのに。

 キーラの体を改めて観察してみる。


「どうかしましたか?」

「ああ、うん。キーラって怪我したことないのかなって」

「怪我ですか? 何度もありますよ」

「それにしては綺麗な体だけど」

「傷跡が残っていないのは、私が魔技をすこし使えるからですね」


 魔技?

 そうか、魔技は攻撃や防御だけじゃなくて、身体能力や治癒能力も高める技があるんだっけ?

 なるほど。


「ほう、その歳で〈治癒〉が使えるのか」


 イリス教官が感心するように言った。

 やはり女性のほうが魔力を扱う才能は秀でているということなのかな。

 イリス教官をちらと見てみると、泡で所々隠れているが傷跡は見当たらない、肌艶も良くて綺麗だ。

 おそらく魔技による効果も関係しているのだろう。

 魔技と魔術の可能性は尽きないな。

 やはりできるだけ早期に研究してみよう。



 思考が上手い具合に逸れたことで、なんとか天国と地獄の狭間のような状況を抜け出すと、体の泡を洗い流し、浴槽に浸かった。


 ふう。

 なんとか無事に乗り切った。

 にしてもこれだけ大きいと温泉気分で最高だな。


 極楽極楽。


 キーラも自分の体を洗った後に、いそいそと浴槽に足を踏み入れ、僕の隣に腰を下ろす。

 そしてイリス教官はなぜか僕たちの前に居座る格好で浴槽に浸かっていた。


 目のやり場に困るんだけど……。

 というか浮いてる?

 ぷかぷかと二つの半球がお湯の上でたゆたっていた。

 しかも生で。


 やばい。

 また反応・・してしまう。

 目を瞑ってやり過ごそうとしていると、イリス教官が話しかけてきた。


「おまえたちはなんというか変わった主従だな」

「そうですか?」


 目を開き、イリス教官の表情を窺うと、どことなく楽しげな顔をしていた。

 まあ、僕だって普通とは違うんだろうと理解はしているけれど。


「それで結局のところキーラの出身はバルキアなのか?」


 あーその話ね。

 キーラに視線を向ける。


「はい。ただ私の故郷は帝国領にあります」

「ならあまり北側ではないのか」


 イリス教官が訳知り顔で呟いた。

 話についていけない……。

 しょうがないので、〈森羅万象〉で調べてみる。

 意識を目の前の光景から逸らす必要があったことだし、丁度いいさ。

 多少の頭痛もいまは歓迎しよう。

 目を瞑り、魔法を発動する。


 ふむ。

 バルキアはウルクス帝国の北にある地方のことらしい。

 意味としてはバルキス人の土地ってところだ。

 国名というわけではないのか。

 大きく分けると帝国に臣従した部族が暮らす南側の帝国領と、北方蛮族と呼ばれる者たちが暮らす北方領の二つがあり、キーラの出身は前者のようだ。


 ちなみにそのバルキス人の特徴は色素の薄さや、体格の良さに現れる。

 つまりキーラの肌の白さや金髪を見ればバルキス人の血を引いていることは一目でわかるわけか。


 なるほど。


 ウルクスでは常識なんだろう。

 あのときの呆れた目はそういうことだ。


 あと風呂の文化も北方は蒸風呂が中心だというのも結構知られたことらしい。


 イリス教官とキーラはその後も話しに花を咲かせていたが、さすがにすべてを調べるのは面倒だし、だからといって知ったかぶりしたり、無知を晒して呆れられるのも嫌なので、目を瞑ったままお風呂を堪能した。


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迷宮都市の歩き方 ~奴隷と始める異世界生活~ 綿貫瑞人 @watanuki_mizuhito

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