第20話 模擬戦
倉庫前の中庭は、訓練場として解放されているらしい。
広さはちょっとした運動場くらいあって、一度に二、三十人程度は利用できるだろう。
そのうえ、いまはお昼時ということもあってか、貸しきり状態だった。
誰に気兼ねすることなく模擬戦を始められそうだな。
普通の模擬戦では、倉庫にある訓練用の木剣などを使用するのだが、今回はイリス教官の発案で各自が装備する本物の真剣を使用する。
僕は危険すぎると一度は反対したのだが、木剣であっても怪我をするときはするし、なにより実際の装備でどれだけ動けるのか知ることも大切だと説得されてしまった。
確かに一理あるけど……。
キーラもそれを聞いて納得していたが、二人とも怖くないのだろうか?
一応回復薬はいくつか用意したし、本気で殺しあうわけでもないのだが……心配だ。
二人は軽く準備運動を行ったあと、剣を構えて向き合った。
「用意はいいか?」
「はい、いつでも大丈夫です」
イリス教官の問いかけに、キーラが答える。
二人は剣を交差させ――
「始め!」
イリス教官が開始を告げると同時に、キーラが踏み込んだ。
おお!
両手に握った長剣を、上段から振り下ろす。
重い一振りなのは観戦している僕のところまで聞こえた風切り音で理解できた。
しかしそれをイリス教官はこともなく回避する。
キーラの攻撃が決して遅かったわけではない。
僕ならその一撃で勝負は決まっていたと、確信できる速度だった。
あれをかわすのか……。
動揺しているのは僕だけらしく、キーラは流れるような動作で次の攻撃に移っていた。
重心は低めで、体の軸がぶれることなく繰り出される剣筋は、一撃一撃が必殺の鋭さを持っていることは明白だ。
キーラが自信はあると言っていただけのことはある。
素人目に見ても、剣術の才能はあるといえるだけの動きを見せていた。
だけど。
それでも。
余裕のある表情でキーラの動きを観察するイリス教官は、その後も無駄のない必要最小限の動きで攻撃を回避し、受け流していく。
天才――
ファナさんから聞かされた話が思い浮かんだ。
才能ある人間が、努力によって到達した境地。
上級冒険者。
イリス教官の実力。
攻撃をかわしながらも壁際に追い込まれたように見えるイリス教官に、ここぞとばかりにキーラは追撃の手を加える。
しかしそれすらも完全に捌ききったイリス教官は突如として反撃に転じた。
上下左右それぞれから繰り出される変幻自在の速攻。
軽やかな足取りで舞踏でも踊っているのかと思うような足捌き。
意表をつく搦め手。
キーラは一気に防戦一方になった。
イリス教官の攻撃が速すぎる。
なにがなんだかわからない。
姿勢が崩れたのかと思えば、予想外の場所から剣が飛び出してきて、キーラが防いだ次の瞬間には、また別の場所から斬りつけられている。
次第に防御が間に合わなくなっていき、キーラが捨て身の攻撃に出たところで、イリス教官はキーラの剣を弾き飛ばした。
「こんなところだな」
「……参りました」
息を荒くしたキーラが、なんとかそれだけを言葉にした。
対してイリス教官は汗一つかいていない。
強すぎないか?
まさかこれほどとは……。
しかしキーラは健闘していたと思うし、相性の問題もあったのではないだろうか。
キーラの装備は鉄兜に胸甲、篭手、脛当など、金属製の防具に、幅広の長剣という中々の重装だ。
騎士に憧れていたキーラらしいといえばらしいが、こういった重装は本来馬への騎乗が前提なのではないだろうか。
騎乗していれば視界や機動力の低下をさほど気にしなくても良いはずだしな。
それに対して、イリス教官は金属製の防具や兜の類いを身に付けていないうえ、剣もどちらかというと細身で、速度や回避を重視しているように見える。
だからといってイリス教官の防御力が低いのかといえば必ずしもそうではない。
魔技による〈魔纏〉があるのだ。
弱点はあるのだろうか?
強いて言うなら魔力が尽きれば防御力は落ちるだろうが、元々回避型だし、魔力量が少ないわけでもなさそうだ。
第一女性は男性と比べると筋力など肉体的な面では劣る傾向があるが、精神――つまり魔力の扱いなどの面では優れた傾向を示すらしい。
であるならイリス教官ほどにもなれば魔力管理もお手のものだろう。
無敵だな。
キーラも魔技がすこし使えると聞いたが、〈魔纏〉は使えないのだろうか?
まあ、使えるならこんな装備はしないか……。
激しい戦闘をしながら〈魔纏〉を維持するのは、簡単じゃないのだろう。
その点イリス教官はさすがというしかないな。
素直に賞賛するしかない。
「二人ともお疲れ様。怪我はない?」
「無論だ。本気で斬りつけるわけないだろ」
イリス教官がムッとした表情で言う。
つまりあれでも手加減はしていたということか。
計り知れないな。
本気を出せばどうなってしまうんだろう。
「私も大丈夫です。それよりも自信があると言っておきながらこの始末、面目ありません」
鉄兜を脱いだキーラが、剣を拾って僕のもとへやって来るなり、目の前で跪いた。
いやいや十分強かったって。
首筋を流れる玉の汗が、全力を尽くしたことを物語っている。
本気で挑んで負けたなら、責めたりなんてするわけないんだけど、生真面目なキーラは申し訳なさそうな顔をしていた。
「今回は相手が強すぎただけで、キーラの実力は予想以上だったよ」
「しかし……」
実戦経験がほとんどないらしいキーラには、この敗北は結構効いているようだ。
対戦相手を間違えただろうか?
キーラが自信喪失しそうになっている。
実際に戦ったイリス教官の評価を聞いてみるか。
「イリス教官から見て、キーラの実力はどう思いますか?」
「そうだな……筋は悪くない。むしろその歳で、それだけ動けるなら才能はあるだろう。ただ攻め方が素直すぎるな。戦場や魔物相手なら十分だろうが、決闘向きではないといったところか」
ふむ、やはり戦闘能力が高いのは間違いないわけだ。
問題は攻め方か。
「つまり戦闘中の駆け引きができるようになれば、さらによくなるということですか?」
「簡単に言えばな。だがいまの段階でも中級冒険者の多くと、渡り合える程度の実力はあるだろう」
へ~。
ならあのときの強盗冒険者とも正面から戦って勝てるのかな?
すくなくとも護衛としては十分な戦力だと考えてよさそうだ。
「そういうことだから、キーラは自信を持っていいよ。僕も安心して命を預けられるし」
「ありがとうございます」
イリス教官から評価されたことで、キーラもすこし自信を取り戻したようだった。
あとは日々鍛錬を欠かさなければ、もっと能力は伸びていくだろう。
しかし鍛錬ってどんなことをすればいいんだ?
イリス教官に教えを乞える機会は、次はいつになるかわからないし、聞けるうちに聞いてみようかな。
「ちなみに駆け引きって、どうすれば身につくものなんですか?」
「対人戦闘の経験を積むのが一番だろうな。ふむ、時間もまだあるし、丁度いいか。これからみっちり
そういってイリス教官がキーラに向かって剣を構える。
え――
これから?
キーラを見ると、やる気に満ちた顔で頷いた。
やりたいならやらせてみるか。
頷き返すと、キーラも剣を構えてイリス教官に挑んでいった。
最初のうちは言葉を交えつつ、視線誘導の仕方や、牽制、受け流しの技術などを教えていたが、次第に白熱してきたのか、本気の剣で打ち込む、実戦形式になっていった。
キーラがすこしでも大振りになったり、派手な技を使おうものなら、イリス教官が即座に剣の平でパシンと叩いて叱る。
文字通り、体に叩き込んでいるようだ。
厳しいな。
意外とスパルタなようだ。
僕も体を鍛えようかとは思っているけど、最初はもっと優しいのじゃなきゃ続かないだろうな。
しかしキーラがそれに喰らいついているあたり、剣術の訓練とはこのくらい厳しいのが普通なのかもしれない。
二人の集中力はものすごく、本来の依頼時間を過ぎても、飽きることなく打ち合っていた。
いつまでやるつもりなんだろ?
昼食を取り損ねたせいで、お腹も空いたし、そろそろ帰りたいんだけど……。
キーラたちの生き生きとした表情を見ていると、止めに入れない。
ああ、腹減ったな。
結局十五時を告げる、マール神の鐘が鳴ったころ、ようやくイリス教官は切り上げた。
「もうこんな時間か。これくらいで終わりとしよう」
「イリス様、ありがとうございました」
キーラがいつのまに尊敬の眼差しでイリス教官を見つめるようになっていた。
全身汗だくでへとへとになりながらも、礼儀正しくお辞儀すると頬を赤らめてぼうっとしている。
大丈夫だろうか。
さすがのイリス教官も汗をかき、息がすこし荒くなっている。
はあ、はあ、と息をしながら見つめ合う二人は傍から見ると、なんともいえないあやしい雰囲気を醸し出しているようにみえた。
キーラの様子が昨夜の情事を思い起こさせたせいであって、二人は別になにもおかしなことはしていないのだけれど……。
「キーラ、おまえほどの者をただの護衛にしておくのは実に勿体ないな」
イリス教官が惜しむような表情で呟いた。
え?
まさか引き抜きとかしないよな?
というかできないはず……だが、キーラはどう思っているのだろう。
横目で窺うと、キーラは嬉しいような困惑するような顔をしていた。
「そのような評価ありがたい限りですが、いまの私にはご主人様に仕える以外の生き方はありえません」
「そうか。ならばソラ――」
キラの言葉を聞いたイリス教官が僕を見る。
「おまえの生き方次第というわけだな」
イリス教官は意味深な笑みをみせた。
人の奴隷なので、余計な口出しはしないが、どうやらキーラの才能を無駄使いするなといいたいらしい。
わかってる。
ずっとこのままにするつもりはない。
「イリス教官はキーラの戦闘能力は魔物相手には十分といってましたが、迷宮探索に連れて行っても大丈夫だと思いますか?」
「ああ、浅層では十分すぎるほどの戦力だろう」
やっぱりそうか。
僕より強くて頼りがいがあるんだもんな。
奴隷は冒険者組合に加入することはできないが、主人である僕がいれば転移門を使用するのに問題もないようだし、今度一緒に行ってみようかな。
「私もご一緒してよろしいのですか?」
キーラが期待の眼差しを向けてくる。
元冒険者志望だったから、迷宮探索に憧れがあるのだろう。
目が輝いている。
「うん、キーラには前衛を任せようかと思っているんだけど、どうする?」
「お任せください」
すっかり自信を取り戻したキーラは力強い返事をした。
よし決まりだ。
「なら探索に必要な道具や装備を揃えないとね」
「いまはもう店じまいの時間だし、今日のところはゆっくり休むといい。それともこれから一緒に公衆浴場でも行くか?」
そうだ。
マール神の鐘が鳴ったってことは、もうだいたいの店が閉じられるんだったな。
閉店が早すぎるのが不便だけど、こればかりは仕方ないか。
キーラも汗だくだし、着替えも手元にある。
イリス教官の言うとおりお風呂にしよう。
「キーラも汗を流したいよね? せっかくだし行ってみようか」
「畏まりました」
キーラも異論はなさそうなので、イリス教官とご一緒することになった。
異世界の公衆浴場か……どんなところなんだろう。
ちょっとだけワクワクするな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます