第17話 買い物
目を覚ますと、桃源郷だった。
キーラの柔らかな胸に顔をうずめるようにして、眠っていたらしい。
すべすべとした肌。
なんともいえない女の子特有の甘い匂いがする。
石鹸なんて使ってなかったはずだけど……女性の神秘だ。
それにしても心地よい。
お互い一糸纏わぬ裸のままで、抱き合うような格好をしているので、全身のどこに触れても相手の体温を感じられる。
寝台が狭いからしょうがないのだけれど、広かったとしてもくっついていたことだろう。
「んっ」
しばらくそのままで夢心地の気分を堪能していると、キーラが微かな吐息を漏らした。
艶かしさを含んだその声に、昨夜の記憶が一気に戻る。
キーラを抱き寄せ、僕のほうからくちづけし――そのまま最後までやってしまった。
だけどあの状況で、全裸のキーラを目の前にして、我慢できる男なんているだろうか。
いや、言い訳しても意味はないか。
責任は……取らなきゃいけない。
僕はいずれ元の世界に帰るつもりだったんだけど、どうしようか。
いっそのこと、この世界に永住を考えるのもひとつの手ではあるが。
木窓の隙間から差し込む太陽の光を受けて、キーラの髪は金色に輝いて見える。
閉じた目蓋の裏側には空を切り取ったような、青い瞳が隠されている。
鼻梁の通った綺麗な鼻。
昨夜くちづけた桃色の唇。
どれをとっても美しく、元の世界なら一生縁はなかっただろう美人だった。
もちろん顔だけじゃない。
その生真面目で、ともすると頑固ともいえる性格には戸惑わされることもあるけれど、一生懸命で決して悪いわけではなく、むしろ眩しいくらいだ。
常識や知識の差による、擦れ違いもあるのかもしれないが、あんな風に慕われてしまうと、無碍にもできない。
主人と奴隷という、その一点を除けば完璧なんだけどな。
あー。
ぐちぐち悩むのはやっぱ性に合わないな。
そもそもまだ帰れる見込みがあるわけでもないのだし、考えるだけ無駄だ。
頭をすっきりさせるためにも、体を起し、木窓を開けた。
太陽はすでに地平からだいぶ昇っている。
昨夜は遅くまで起きてたからな。
しょうがない。
キーラは日の光を浴びると、肌の白さが際立つ。
目を覚ましたらしいキーラは、もぞもぞと身動きすると体を起し、しばらくの間、ぼーっとしていた。
「おはよう、キーラ」
「へ? ふぁい。おはようございます」
朝は弱いのだろうか?
ふにゃふにゃにふやけきった表情のキーラは年齢以上に幼いというか、あどけない感じがした。
昼は生真面目できりっとした女騎士っぽいし、夜は艶っぽくて、あれはあれですごかったのだが、どのキーラも可愛らしい。
完全に絆されているな。
男女の関係を持ってしまったせいでもあるのだろうが、守ってあげたいと、そう思ってしまう。
実際は逆で、僕が守ってもらう側なんだけど。
このままじゃ駄目か。
キーラを見習って、すこしは僕も身体を鍛えようかな。
見習うべきそのキーラの身体は、起きたときに毛布が落ちたことで、丸見えになっていた。
太陽の光の下ではっきりと、隅々まで露になると、絵画に描かれる一場面のようだ。
特に巨乳の迫力がすごい。
やばい――
朝からなんて、いや朝だからこその生理現象なのかもしれないけど。
昨日まで童貞だった僕には刺激が強すぎる。
まあキーラも初めてだったようで、僕の身体の一部(・・)の変化を、愛の女神が与えた変化の兆だとか、なんとか言って興味深々だったのだが。
もし双方のどちらにも知識がなかったら、どうなっていただろうか。
動物的本能だけでせいこうするのだろうか?
しないと人間という種は途絶えてるはずだし、するのだろう。
不思議だ。
生命の神秘に思いを馳せることによって、なんとか理性が本能に打ち勝った。
裸のキーラを視界に入れないようにしながら服を着る。
残念ながら、昨日着ていた外出用の古着だ。
洗濯済みなら喜んで着るのだが、夜間の間に乾かなかった場合、外に出る服がない、なんてことになってしまう。
そうなったらキーラと一日中部屋の中で――――いやいやそんな爛れた生活は駄目だろう。
よし。
今日は着替えを買いに行こう。
キーラも僕も文字通りに一張羅しかないのだ。
正確には部屋着もあるのだが、外で着るわけにはいかないし。
そういえば、昨夜の事後に聞いた話だが、キーラが寝る前に服を脱いだのは、なにもその行為のためではなかったらしい。
そもそもよくわかってなかったくらいだしな。
ともかく、ウルクスでは、就寝時に裸になるのが普通らしいのだ。
寝間着なんてものは知らないと言っていた。
個人や地域ごとに、もちろん違いはあるのだろうけど、キーラの家だけではないのは確かのようだ。
考えてみれば古着でさえも金貨数枚するのに、就寝用の服なんて仕立てる人はそうはいないだろう。
つまり昨日のことはなにからなにまで、常識の違いによって引き起こされた出来事だったといえるかもしれない。
キーラは単純に隷属者として、主人から寵愛(行為を伴う性愛とは限らない)を受ける価値があるのか、愛の女神に伺うつもりで、僕に迫ってきたらしい。
愛。
ウルクスではさまざまな愛の形がある。
恋愛、家族愛、友愛、情愛といったものから、異性愛、同性愛、少年愛。
結婚の形式も一夫一妻だけじゃなくて、一夫多妻、一妻多夫とさまざまだ。
都市には合法の娼館があり、娼婦だけでなく男娼もいる。
異世界の文化は奥が深く、僕の異文化理解は浅すぎた、ということだな。
自分の常識だけで判断するのは危険を伴う。
もしこの世界で一生を送るつもりなら、より真剣に向き合うことも必要そうだ。
決意を新たに、身支度を終わると、キーラとともに一階の食堂で朝食をたいらげた。
その際、アイリさんには意味深な視線を向けられ、エイラからは遠巻きにチラチラと観察された。
もしかしなくても昨夜なにをしていたのか、バレてる?
部屋は軽く掃除して、痕跡は残していないはずだが……。
この宿の壁は、たいして厚くないし、防音仕様なわけないよな。
護衛といいつつ、肝心の夜間になにをしていたのかなんて言えるわけない。
危機意識はどうしたって話になる。
いくら〈森羅万象〉で調べられるとはいっても、調べるまではわからないし、そもそも知らないことは調べようがないというか、調べることすら思いつかないだろう。
うーん。
いままでは衣食住――つまりそのためのお金と身分証などを優先していたけど、ここらで魔法について、一から体系的に勉強しようかな?
〈森羅万象〉も、まだ完璧に使いこなせてるわけじゃないし。
キーラの戦闘能力も確かめておく必要がある。
買い物のあとは組合によってみるか。
外出する頃にはキーラは昨日と同じ格好で、意識もシャキッとしていた。
「すみません。朝はすこし弱いのですが、今後は気をつけます」
「いや、昨夜はちょっと遅かったし、キーラも疲れたろうから仕方ないよ」
つまり僕のせいでもあるのだ。
初めてのキーラに無理はさせないように、できるだけ気をつけはした。
破瓜にしても回復薬を使ったので、大丈夫なはずだ。
「今日はこれから買い物に行く。そのあと冒険者組合に寄ってみようと思ってるんだけど、なにか質問はある?」
「無論ありません」
目的まで知らなくても気にならないらしい。
鉄兜越しでも、キリッとしたドヤ顔がありありと想像できた。
「よし、それじゃあ行こうか。護衛は頼んだよ」
「お任せください」
力強い返事を聞いて、出発した。
宿屋通りを抜けて、南の大通り――通称迷宮通りにでると大勢の人が行きかっている。
本当は神殿へ通じる聖なる道という名前らしいが、いまは迷宮へ向かう人のほうが多いのかもしれない。
信仰か……。
魔法なんてものがある世界ならほんとに神様も実在するのだろうか?
〈森羅万象〉では観測できなかったが、それなら同じように観測できてない元の世界や、迷宮、未来などに関しても、実在しないのかといえば、そうではないわけで。
うーん、まだまだわからないことだらけだな。
いまはまだ考えても答えは出ないだろうし、それより考え事に夢中で周囲の警戒を忘れないようにしないと。
今朝は起きるのが遅かったこともあって、大通り沿いにある商店はどこも開店済みだった。
そしていまの僕は懐が暖かく、護衛もいるので、ゆっくりと観光気分で見てまわることができるわけで。
しかも女の子と二人で買い物に行くっていう状況だけ見れば、これはデートといってもいいんじゃないだろうか。
なんだか楽しくなってきた。
まあキーラは護衛として、鉄兜を被っているので色気もなにもないのだが……。
それはともかく。
南地区は人が多いし、街も路地を一本入れば迷路みたいな有り様だが、店の数と種類だけは豊富だ。
ただし質はピンからキリまであって目利きできないと、ぼったくられることになる。
値札もないし、相手に合わせて値段を吹っかけてくるのだ。
しかしなんでだろう?
僕が商品を眺めていると、やたらと売り込んでくる。
それもかなりのぼったくり価格で。
〈森羅万象〉のある僕には、その手は通用しないのだが、傍から見ればそんなにチョロそうに、見えるのだろうか?
うーむ。
「キーラから見て、僕ってどんな人に見える?」
「私からですか?」
キョトンとした顔のキーラも可愛いな。
なんというか擦(す)れてないない感じがする。
「そうですね……初対面のときは魔導士様ではないかと思っていたのですが……違うのでしょうか?」
魔導士?
魔法使いのことじゃないよな。
よく知らないけど、たぶん違う。
だが確信が持てないので、〈森羅万象〉を使って調べてみる。
情報を限定したおかげか、一瞬だった。
ふむ。
魔導士はウルクスでは貴族階級の一つか。
騎士の魔術師版といったところだ。
ただし領地を持たない、法服貴族や官位貴族のような特殊な爵位らしい。
魔法や魔術が使えても叙爵されていなければ、それを名乗ることはできない。
ならやっぱり違うな。
「うん、僕は魔導士ではないよ。でもどうしてそう思ったの?」
「格好と、その若さで奴隷を買うお金を持っている点、労働を感じさせない体つき、言葉遣いなどです。奴隷商館の商会長セリウスも魔導士の家系に連なるものと考えていたようです」
え……ほんとに?
そんなに勘違いさせる要因があったのか。
ちょっと整理してみよう。
格好は……発掘品の外套を羽織ってるけど、これは古代の魔導士のものだったのは確かだ。
だけど、見た目はただの真っ黒な外套で、むしろ地味というか目立たないだろうと思ってたんだけど、分かる人には判る物なのか?
着用しないほうがいいのかもしれないが、そうすると魔法鞄が剥きだしになって、余計危ないし……。
あと外套の下に着ている服も古着とはいえ、元は貴族のものだったな。
着心地なんかは僕が許容できるものはこれくらいだったし、正直変えるつもりはない。
元の世界の服を着て出歩くのも悪目立ちするだけだろう。
お金については発掘品のおかげだし、それについてはキーラにもすでに説明したので、誤解は解けているはず。
まあ説明を受ける前は、金持ちのボンボンとでも思われていたようだけど。
体つきや言葉遣いは、変えられるところは変えるべきだろうか。
できるか分からないけど、今後はすこし気をつけてみよう。
しかしセリウス商会長もそんな風に思っていたから、予算を超えていても十分に支払えると確信して、あの取引を持ちかけたのだろうか?
うーん。
「参考になったよ。ありがとう、キーラ」
「いえ、それほどでもありません。しかし魔導士でないのなら、ご主人様は一体何者なのでしょうか?」
え!?
それを聞いちゃうの?
どうしよう、なんて答えればいい?
なにもかも明かすことはできないけど、嘘を吐きたくもない。
「えーと、そうだな。いまはただの冒険者……かな」
「そうなのですか」
完璧に納得はしていないだろうが、キーラは素直に頷いた。
うん、それくらいしか言えないんだ。
ごめん、キーラ。
信頼してないわけじゃない。
むしろ、命を預けられる唯一の存在なんだけど、僕の正体を含めいろんな知識や情報を打ち明けるのは、この世界の人々にどんな影響を与えるか心配なんだよね。
真実は元の世界か墓の中まで内に秘めておくのがいいだろう。
結局、南地区ではその後も吹っかけられたり、客引きが鬱陶しかったので、高級品を扱うまともな店で肉醤油や蜂蜜など、宿へのお土産になりそうな物をいくつか買っただけだった。
古着屋の質もあまり良くなかったので、中央地区に程近い、以前買いに行った店を訪ねてみる。
「いらっしゃいませ。おや、また来ていただけるとは」
店主は僕の顔を覚えていたらしく、人好きのする笑顔を見せた。
たった一度来ただけなのによく憶えてるもんだな。
値引き交渉しない金払いがいい客は、そんなに珍しいのだろうか?
「南の古着屋も寄ってみたんですが、品揃えがね……」
「そうでしたか。おそらく仕入先が異なるからでしょうな」
「なるほど。以前と同じくらい品質の良いものが欲しいんですけど、ありますか?」
「ええ、そう多くはございませんが、ご用意できますよ」
やはりこちらの店のほうが良質な品が揃っているな。
「キーラの着替えも何着か買っておこうか」
「い、いえ私にはお気遣いなく――」
「毎日同じ服を着るなんて、衛生的じゃないし、キーラだって本当は欲しいでしょ?」
「あの、その……ありがとうございます」
キーラは最初断ろうとしたようだが、案外素直に受け入れた。
女の子なんだし、本心ではおしゃれくらいしたいと思っていても不思議じゃない。
それに店に入ったとき女性用の服が置いてある一角を気にしていたのはわかっていた。
「気に入るのが見つかるといいね」
キーラと一緒に服を選んでいると、ほんとにデートみたいな気分になってくる。
「キーラ、店の中は安全だから、兜は脱いだら?」
鉄兜を被っていると、どの服が似合ってるかもよくわからない。
キーラはここでも店中を見回し、安全を確認してから兜を脱いだ。
うーむ、やっぱり可愛い。
その手のことは、いままで特に考えたことがなかったけれど、こうして見るといいな。
キリッとした表情をしているけど、目はきょろきょろと服を探している。
おっ!
なにか見つけたようだ。
キーラの視線が一点に集中する。
しかし手に取って広げてみたりはしないようだ。
遠慮しているのか?
キーラが奴隷だということは、首から下げた認識票で店主もわかっているはずだが、特になにかを言ってきたりはしていない。
ウルクスでは基本的にお金を払うなら誰であっても客として扱われるみたいなので、その辺りを気にしているわけではないと思うけど。
ん?
そういえば南地区で吹っかけられまくったとき、声を掛けられたのが僕ばかりだったのは、キーラが奴隷だからか。
奴隷の主人ともなれば、お金を持ってるだろうと。
だからあんなに客引きされたのか。
おそらく当たりだだろう。
うーん、もはや服装ぐらいではどうしようもないな。
今回は地味目のものを買おうかと思っていたんだけど……。
着心地を放棄して、安っぽいのを着ても効果が薄いんじゃなぁ。
他人の目を気にするよりも、自分がやりたいようにするのが一番か。
店主に許可を貰い、キーラが見ていたものを手に取る。
綺麗な青に染められた長衣。
キーラは青色が好きなのかな?
「あの、ご主人様……」
「ふむふむ」
遠慮するキーラの前で広げてみる。
うん。
似合ってる。
鎧が隠れると、清楚なお嬢様っぽく見えるな。
生地や仕立ても悪くはない。
キーラは見ただけでわかったのだろうか。
結構育ちも良さそうだしな。
元は良家の子女だったりするのかもしれない。
過去については、どの程度踏み込んでいいのかわからないから、まだなにも聞けてないんだよな。
まあ、無理に聞く話でもないか。
「キーラに似合ってて……可愛いよ。一着はこれにする?」
「はい、ありがとうございます」
照れているのか、耳のさきが赤くなっていた。
いいつつ僕の顔も熱くなってきた。
なんか気恥ずかしいな。
顔を背けると、すこし離れたところにいる店主と目が合った。
………………。
なにも言わず、そっと暖かい目で見守られていたらしい。
これはかなり恥ずかしい。
いったん別行動することにして、キーラがほかの衣類(下着など)を選んでいる間に、僕も自分の着替えを手早く選んだ。
種類は元々少なかったので、前に買ったのと似たようなものだったけど、よしとする。
ここでは毎日清潔な服を着られることだけでも贅沢なことなのだ。
キーラの服とまとめて約六十レオル。
残金は金貨三十枚を切った。
やっぱり服は高い。
使いすぎた気もするが、キーラが喜んでくれてるし、なんだかんだで楽しかった。
「ありがとうございました。またのご利用お待ちしております」
店主の言葉に頷いて、古着屋を後にする。
さて次は冒険者組合だ。
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