第16話 初夜

 夕食までの空いた時間を利用して、キーラと話をすることにした。

 とはいっても、なにをどう話そう。

 取っ掛かりとしては、やはり護衛に関してだろうか。


 食堂の空いた席に(いまは誰もいない貸しきり状態なのだが)、キーラと向かい合うように座る。

 うん、やっぱ顔が見えるほうがいいな。

 それもキーラのような美人ならなおのこと。


「キーラは剣術と魔技がすこし使えると聞いたけど、戦闘経験は豊富なの?」

「いえ、ほとんどありません」

「え!? そうなの?」


 てっきりある程度は経験あるのかと思ってたんだけど……。

 予想外だ。

 そういえばあくまで冒険者志望であって、冒険者だったりしたわけじゃないのか。

 帰りの道中、もしも襲撃されてたら危なかったかもな。

 まあ、警戒はしていたし、人通りの多い道を選んだから可能性は低かっただろうけど。

 今後の予定も修正すべきか?

 悩んでいると、キーラがなんだかうずうずして僕を見ている。

 なんだろう?


「どうしたの? 遠慮せず言ってくれ」

「私はたしかに実戦の経験こそありませんが、自信はあります」


 キーラはそう言って、胸の前で拳を握った。

 なぜだかすごいやる気のようだ。

 さすがは冒険者志望か。

 根拠がある自信なのかが問題ではあるが、戦闘に尻込みされるよりはずっといい。


「期待してるよ」

「お任せください、ご主人様」

「ところでどうして冒険者になりたいと思っていたのか、聞いてもいい?」


 ほんとはどうして奴隷になんてなってしまったのか、聞きたいところだったけど、それを聞いていいのか分からない。

 もうすこし信頼関係を築いてからだな。

 奴隷と主人という関係上それは無理なのかもしれないが。


 返答を待っていると、キーラは少し俯いた。

 あれ?

 こっちも聞かないほうがよかったか?


「ああ、嫌なら答えなくていい」

「いえ、嫌というほどのことでもないのですが、その……騎士を目指していたのです」

「ん? 騎士? 冒険者じゃなくて?」


 どういうことだ?

 混乱して頭を捻っていると、キーラが慌てて説明した。


「一般的にウルクスでは騎士への道が女性には開かれていないのです。しかしいくつか例外があり、そのうちの一つが竜殺しなのです」


 |竜殺し(ドラゴンスレイヤー)か。

 なるほど、なんとなくそれらしいな。


「つまり竜殺しを成し遂げるために、冒険者になったということか」

「そのとおりです」

「ってことは迷宮内には竜がいるのか?」

「そう伝えられていますし、実際に迷宮で竜殺しを成し遂げ、騎士に叙勲された方もいるのです」


 ほう。

 それはすごいな。

 というかなんか聞いたことがあるような?

 たしかイリス教官の講習で、騎士に叙された男が団長を務める血盟団があるとかいってたはずだ。

 名前は――


「〈黄金の楯〉だったか」

「ご存知でしたか。さすがです」


 名前くらいしか知らないけどね。

 しかしキーラから尊敬するような眼差しを向けられると、面映いな。

 女の子からこんな視線を受けることは初めてな気がする。

 ついつい見栄を張ってしまう人の気持ちがすこし分かった。


「自由の身にになったら〈黄金の楯〉にでも入るつもりだったりするの?」

「え? いえ、私にはおこがましいことです。いまはご主人様に仕えることしか考えておりません」


 あー、聞き方が悪かったかな。

 なんかすごいことを言わせてしまった。


「僕に仕えるとはいっても、おそらく一時的なものになる」

「そうなのですか?」

「いまは護衛が必要だけど、いずれ状況が落ちつけば、キーラのことは解放しようと思ってる」

「そうなのですか……」


 あれ?

 もっと喜ぶと思ったんだけど。


「うれしくないの?」

「私はまだなにもしていないのに、それではあまりにも不義理ではありませんか」

「そんなことはないと思うけど……」

「いえ、そんなことはあるのです。私は奴隷に身を落とした日、最悪の状況も考えました。それでも、もし救いがあるのなら、その方に一生お仕えする覚悟と誓いをしたのです」

「…………」


 最悪の状況。

 僕には想像もできないし、したくもない。

 そんなことを考えていたのか。

 そしてそんな決意をしていたなんて。


「だけど……そうだとしても、奴隷の身であり続ける必要はないだろ?」

「そうかもしれません」

「だったら――」

「それでも、あのときの〈服従〉の誓約は神に誓ったのです。そう容易く覆すことはできません」


 意志の強い瞳。

 嘘や冗談ではない言葉。

 まったくなんて頑固なんだろう。

 あのときは、僕のことをなにも知らなかったはずなのに。


「わかったよ。それについては、またいつか話し合おう。すくなくとも、もうしばらくは嫌でも僕に仕えることになるんだから」

「かしこまりました。ご主人様」


 うれしそうにいう言葉じゃないだろうに。

 キラキラと目を輝かせたその顔は、まるで僕のことを説得できたとでも思っているようで、思わず口元が引きつるのを感じた。


 常識が違う。

 人生観も、生き方そのものも。

 これが異世界か。


「奴隷――不自由民の身分は生き辛いと思うんだけど、その辺はどう考えてるの?」

「それほど気にしてません」

「どうして?」

「私は騎士を目指しているとお話しましたが、実は騎士といってもさまざまで、なかには不自由身分の騎士というものも存在するのです」


 へえ、それは初耳だ。


「家士や従士など国によって呼び名は微妙に異なりますが、主君に隷属する身分という点ではどれも同じようなものです。もちろん奴隷と同列に語れる存在ではないのですが」

「つまり自由か不自由かよりも、どんな人物に仕えるのか、ということのほうが大切と言いたいわけか」

「はい。ですからご主人様に仕えている限りは、私の身分に関しては問題になりません」


 そう言い切られると、僕に重圧のようなものが掛かるのだが、わかって言ってるのだろうか?

 キーラが僕になにを期待しているのか皆目見当がつかないな。



 話し合いが一区切りついたところで、夕食の準備ができたらしい。

 エイラが食事を二人前運んできた。


 そういえば、奴隷の身分であっても金さえ払うのであれば、客として普通に接してくれるのは、なんだか意外と言うか、悪いほうへ考えすぎだったのかな。

 第一、パッと見ただけでは奴隷かそうでないのか区別がつかない。

 首から下げた奴隷の認識票だって、僕なんかは冒険者のものと見間違えそうになるくらいだ。

 もしかしたら、気づかずに街の中で奴隷とすれ違っていたのかもしれない。


 まあそんなことはともかくとして――


 今日の献立は以前とだいたい同じだったが、胡椒などの香辛料が使われており、一段と風味が引き立っていた。

 僕がお土産に贈ったものを、さっそく役立ててくれたらしい。

 うむ。

 料理がおいしくなるのであれば今後も食材や調味料のお土産でも買ってこようかな。

 となればやっぱ肉醤油。

 あれだな。

 実は結構な高級品らしいのだけど、僕にとってはそれだけの価値は十二分にある。

 迷宮内で食べたあの味はやみつきになりそうだ。

 もちろん、この宿の食事も、ほっとするような家庭的な味で大好きだけど。


 そうだ、キーラの好きな食べ物はなんだろう?

 いまのところは出てきたものをどれも満足そうに食べているけど、どんな人でも好き嫌いのひとつやふたつはあると思うんだが。

 じっと食べる様子を眺めていると、それに気づいたキーラがおたおたする。

 顔になにかついていると思ったのか、頬を赤らめ、手でさり気なく口元を隠した。


 なんだろう。

 この可愛い生き物は。

 ずっと見てられるな。


 しかしひやりとする視線を感じ、厨房のほうを横目で窺うと、エイラがあのジト目でこちらを見ていた。

 うん、食事は早く終わらせて、風呂でも入るか。


 夕食時には食事客が何人か来ていたが、彼らが帰ると、アイリさんが食堂にある暖炉前の一角を毛布で囲むようにして隠した。

 どうやらここが浴室になるようだ。

、そこへ今度は敷き布シーツを張った大きな木桶を持ってくる。

 大きさは普通の湯船くらいだろうか。

 あとは暖炉の火に掛けられていたお湯を水差しに汲み、温度を調整しながらお湯を張れば、準備は完了だ。


「キーラが先に入る?」

「ご主人様を差し置いて先に入るなど、ありえません」

「だけど、僕が入った後お湯を変えるのは手間っていうか、お湯が足りなくなるかもしれないよ」

「ならば、尚のこと、ご主人様が先に入るべきです」


 そこまで言われちゃしょうがない。

 僕はキーラの入った後でも気にはならないというか、むしろ後でもいいのだけれど。

 いや、もちろん不埒なことは考えてないが。


「それじゃあ、あがったら呼びに行くから部屋で待っててくれるか?」

「いえ、護衛としては無防備な湯浴み中に離れるわけには参りません。というよりもご主人様のお世話をさせていただくつもりです」

「え? お世話ってなにするつもりだ?」

「もちろん体を洗うお手伝いです」

「そんなことしなくていいから」

「しかし――」

「しかしもなにもいいったら」


 ほんとキーラの言動には驚かされるな。

 恥じらいとかないのだろうか。

 別に女性には恥じらいがなくてはならないだなんてこと、言うつもりはないけれど、こうも堂々とされると、どう対応すればいいのかわからなくなる。


 しばしの問答の末、目隠し布のすぐ外で、護衛として待機するということで決着がついた。

 布一枚隔てたところに人がいるなかで風呂に入るのは、なんとも変な気分だが、それでも全身がお湯に浸かってしまうと、たちまち極楽気分に一変する。


 はあ~。


 やっぱお風呂はいいな。

 お湯で濡らした手拭いで体を拭くのとは全然違う。

 今回唯一残念なのは石鹸がないことくらいか。

 それでも頭も沈めて全身を丁寧に揉み洗いすると、さっぱりとした。


 あんまり長湯をしても、キーラや後片付けをするアイリさんたちに悪いので、ほどほどであがり、留守中に洗濯を頼んでいた着替えに袖を通す。

 うむ、着心地はこっちのほうが断然圧勝だな。

 履き物は革のサンダルなのも楽でいい。


 キーラと交代するとき、僕の服を興味深そうに見ていたが、特になにかを言うこともなかった。

 外で着ても大丈夫だろうか?

 まあ、部屋着にするのが無難だろうけど。


 キーラのお風呂を待って、お湯捨てを手伝い(反対されはしたが)、歯磨きも済ませると、就寝の時間が来た。

 つまりキーラと同じ部屋で寝るわけだが、室内に入った段階ですでに緊張してきた。

 ただ寝るだけだ。

 そのはずなのに全く眠れそうもない。


 気まずい。


 キーラは平気なんだろうか。

 横目で様子を窺う。

 現在のキーラは商館で着ていた、簡素な貫頭衣を一枚着ているだけで、無防備な肌を外気に晒している。

 湯上りで火照った肌が、部屋の灯火で薄紅色に色づいて、色っぽいことこの上ない。

 いやそうじゃなくて、その表情は……さすがのキーラも若干緊張しているように見える。

 でもそれが余計に色気を醸し出しているような気がして、直視できなくなった。


 しばらく僕もキーラも無言のまま寝台に並んで座っていた。

 お互いの心音が聞こえてきそうな静けさの中、代わりに聞こえてきたのは、宿の外からかすかに響いてきた神殿の鐘の音だった。


「リムの鐘ですね」


 キーラが呟いた。


「……リムってなんだっけ?」

「知らないのですか? 愛の女神リムはウルクスだけでなく、四方領域で広く信仰されているはずですが」

「えっと、遠くから来たんだ。ずっとずっと遠くの方から」

「そうなのですか」

「うん」


 会話が続かない。

 相手の顔を直視できないから、鉄兜を被ってたときと同じだ。

 いや、あのとき以上か。


「愛の女神リムは――」


 沈黙を埋めるようにキーラは言った。


「愛を司る女神として、人間に愛を授けたそうです」

「……」

「それ以来、人は愛する人に出会うと、きざしが現れるようになったといわれています」

「どんな兆なの?」

「寝所をともにすれば、おのずから理解できるそうです」


 それって――そういうことなのか?

 なぜこの状況でそれを言ったんだ。


「というわけで寝ましょう」

「え?」


 キーラがおもむろに立ち上がったかと思うと、いきなり服を脱いだ。


「うわっ!? なにしてんの?」

「なにと言われても、寝るために服を脱いだだけですが。どうかしましたか」


 なぜか平然とした顔で言ってのけた。

 さっきまでも緊張はどこにいったんだ。

 なにより寝るために脱ぐ。

 まさか、そういう行為をするつもりなのか?


 すぐに背を向けたが、一瞬とはいえ見てしまった光景が脳裏を過ぎる。

 女性の全裸。

 鍛えている体らしく、腰回りはきゅっと引き締まってくびれができていたが、そのうえがもっとすごかった。

 だぼっとした貫頭衣のせいでいままで気がつかなかったが、胸がかなり大きかったのだ。

 綺麗な丸みがふるりと揺れたのをたしかに見た。

 見てしまった。


 キーラは女の子として魅力的で、そういう相手として嫌なわけじゃない。

 だけど、奴隷という身分で、そういった関係になるのは、いかがなものか。

 もっと別な形で出会いたかった。


 僕の葛藤もなんのその、キーラが寝台に上がってくる。


「キーラは、その、理解しているのか?」

「理解とは?」

「だからこれからなにをするのか」

「――も、もちろんです。お任せください」


 なんだろう、いまの間と答えは。

 緊張や恥じらいからって感じではないような気がした。

 そういえば、いままでだってなんかずれてたよな。

 風呂でも特に恥らう様子がなかったし。

 もしかしてなにか認識の、もしくは常識の違いがあるのか?

 悶々としていると、キーラが背中に抱きついてきた。

 むにゅりと柔らかく、それでいて張りと弾力のあるモノが押し付けられる。


 なっ、なにをする気だ。


 ガチガチに固まったまま動けないでいると、今度は前に回りこんできた。

 いま背中に押し当てられていたものが、目の前ではっきりと露になる。

 桜色の先端部まで見えてしまった。


 意識がそちらに集中し、反応が遅れ、気がついたときにはキーラの柔らかな唇が僕の口に優しく触れていた。


「私が乳母から聞いた話ではこうすれば、愛が確認できるそうです」


 へ?


 一糸纏わぬキーラが、頬を染めながら僕を見つめる。


 乳母?

 聞いた話?


 そうか、ようやく違和感の正体がわかった。


 知識だ。

 すべてはそれだったのだ。


 この異世界――厳密にはウルクス帝国の話だが、識字率は高くない。

 都市部に限ればそれなりといったところだ。

 書物も羊皮紙や、書字板は使用されてはいたが、印刷物は存在しない。

 国民全員が高等教育を受けているわけじゃない。

 なら、知らなくても不思議じゃない。

 例えば性に関する正しい知識を。


 キーラの様子だと性教育は、せいぜい神話を交えた寓話で語られ、あとは自然の成り行きに任せるような状態だったのだろう。

 だったらこの有り様も納得がいく。


 いや、正確にはそれだけじゃないか。

 神話。

 それも多神教。

 特徴は良く言えば大らかさであり、悪く言えば無節操さであるともいえるだろう。

 つまり性的に寛容というか、厳格さや貞淑さというものがそもそも求められていないのかもしれない。

 そう考えると、キーラのどこかずれたような言動も理解できる気がする。

 固まったままの僕を見て、キーラが不安げな表情になった。


「あの、すみません。なにか間違っていたでしょうか?」


 間違っていると言えば最初から全部だけど、この世界ではそれは僕のほうなのだろうか。

 なにより、正直に言って、ここまでされて僕も我慢の限界だった。

 このままなにもせずに一夜明かすなんて、不可能に決まってる。


 キーラを抱き寄せ、今度は僕からくちづけをした。

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