第15話 過去

「ソラよ。わしの力が必要になったら、いつでも来るといい。それではまたな」


 契約を結んだ後、商館が閉まる時間が来ていたので、キーラを連れて館を出た。

 セリウス商会長はわざわざ門のところまで、見送りにきてくれたが、おそらくまたはないだろう。

 曖昧に笑って、その場を辞した。


 キーラは商館で一緒に買い取った装備を身に付け、護衛するため半歩後ろからぴったりとついて来る。

 鎧は思ったよりしっかりしたもので騎士のような風格があった。

 頭は鉄兜、胴は青い長衣ロングチュニックと胸甲を身に付けている。

 手には篭手を、足には膝丈の革靴と鉄の脛当を装備して、腰に巻いた剣帯には長剣がさげられていた。

 そしてこれらの上に白い外套マントを羽織っているのだ。

 結構かっこいい。

 ただ鉄兜の面頬バイザーが下ろされているせいで、顔が隠れているのはすこし残念な気もする。

 いや、頭は大事だけどさ。

 護衛として戦闘する可能性があるのであればなおさらに。

 だけど視界は大丈夫なんだろうか。

 あと単純に表情が読めないのが問題だな。

 元々、人付き合いがそんなに得意でもないのに、表情が見えないと、余計にどう接すればいいのかわからなくなる。

 しかも主従関係だなんて。

 なんというか勢いに流されて身受けしてしまったのだが、僕は人に命令するような立場にはなかったし、したいとも思わなかった。


 うーん、どうしたものか。


 まあ普通の人と同じような感じでもいいか。

 他人にどう思われようとも、気にするだけ無駄だしな。


「キーラ」

「はい」


 呼びかけると、すぐに返事が返ってきた。


「僕はこのあたりの常識には疎いところがあるし、なにかおかしなことを仕出かすこともあるかもしれないけど、そのときには立場とか気にせずどんどん言ってほしい」

「かしこまりました。ご主人様」


 ご主人様!?

 なんともむずがゆい。

 というか気恥ずかしい。


「えっと、そのご主人様ってのはなしで」

「ではなんとお呼びすればよろしいのでしょうか?」

「普通にソラって呼び捨てでいいよ」

「それは命令ですか?」

「命令ではないけど」

「そうですか……」


 会話が途切れる。

 表情が見えないので、声音からしか判断できないが、なにか考え込んでいるようだ。

 そんなにおかしなことは言ってないはずだけど。


「いいたいことがあれば、はっきり言ってくれてかまわないよ」

「では失礼ながら申し上げます。ご主人様は奴隷を使わない異邦の出身だと伺いましたが、この国では奴隷という身分で自由民の方と対等に接するのは、場合によっては厳しく罰せられる行いです。ですので命令でないのであれば、そう呼ぶわけにはまいりません」


 キーラがきっぱりと言った。


 対等に接するだけで罰せられる可能性があるのか……。

 不敬罪みたいなものとかもあるのかな。

 僕がどう思われるかは、気にしないつもりだが、それでキーラが白い目で見られたり、処罰されるような事態は避けないと駄目だろう。


 しかし身分制社会って面倒だなあ。

 だけどこればかりは、無視できないか。

 郷に入っては郷に従えということだ。


「理解した。そういう事情なら呼び方はそのままでいいよ」

「ありがとうございます」


 キーラが頭を下げる。

 感謝されるようなことでもないのだが。

 まあこんなことを本心から感謝しているわけでもないか。


 それにしてもやっぱり表情が見えないとやりにくいな。

 外してもらおうか?

 でも護衛としては必要だろうし、さっさと宿に戻って、そっちでゆっくり話をしよう。


 と、そのまえに――

〈森羅万象〉で誰かに尾行されたりしていないか確認した。

 一応だけど。

 これ以上面倒事に巻き込まれるのはごめんだ。


 よし、大丈夫。

 不審者はいない。

 むしろ〈森羅万象〉を発動するために、突然立ち止まり、目を瞑ってじっと動かなかった僕のほうが不審な気もしたが、大丈夫だろう。

 キーラは首を傾げていたが、特になにも言ってこなかったので問題ない。

 おかしいと思えば、どんどん言ってくれるはずだろうし。


 だけど、もし――

 聞かれたなら、どう答えよう。

 キーラが裏切る心配がない奴隷の身とはいっても、それは現在の話であって、いずれ解放する予定なら、〈森羅万象〉を含む諸々について正直に話すわけにはいかないだろうな。

 考えるべきことは多い。

 寄り道せずに、まっすぐ帰ろう。



〈止まり木〉亭に着くと、キーラがじっと僕を見てきた。

 いや、たぶん見ている。

 鉄兜のせいで確信は出来ないけど。

 なにか言いたいことがあるのかもしれないが、それはなかで聞こう。

 鉄兜越しじゃ、会話も弾まない。


 木の扉を押し開けると、中は相変わらず閑散としている。

 留守中に宿泊客が増えたりは、してはいないようだった。


「いらっしゃいませ――ってあら? ソラくん、おかえりなさい」


 アイリさんが僕を見るなり、そう言って出迎えてくれた。

 おかえりなさい……か。

 挨拶を返そうとしたが、そのまえにパタパタと足音が近づいてくるのに気がついた。


「ソラ帰ってきたの!?」


 エイラがおたまを片手に奥の厨房から顔を出す。

 夕食の仕込をしていたらしく、おいしそうな匂いが漂ってきた。

 外で無意識の内に張っていた気が、弛まるのを感じる。

 いつのまにかここが僕の帰る場所になっていたようだ。


「――ただいま帰りました」

「無事でよかったわ」

「そうだよ。心配したんだからね」


 ほっとした笑みを浮かべるアイリさんと、頬を膨らませながらも気遣いの視線を向けるエイラ。

 なんか申し訳ない。

 だけどちょっとうれしくもある。


「ご心配おかけしました。あと無事といえば無事なんですが、ちょっとばかり面倒なことになりまして」

「まあ、なにがあったの?」

「なにかやらかしたのよ、きっと」


 やらかしたとは、どういう意味だ。

 エイラからは僕がどんな風に見えてるんだろうか。

 元の世界では基本的に善良で、温厚だといわれていたんだけどなあ。


「詳しく説明する前に、紹介しときます。キーラ、入ってきて」


 入り口のところで立ち止まっていたキーラに声をかけると、すこし遠慮するようにおずおずと僕の側へとやってきた。

 遠慮じゃなくて初めての場所に緊張しているのかもしれない。

 それとも、もしかすると奴隷は宿の利用にも制限があるのだろうか。

 宿の前でもなにか言いたそうだったし。

 事前に確認しておけばよかったな。

 まあなんとかなるだろう


「彼女はキーラ。えーと、僕の護衛かな」

「護衛?」


 アイリさんが首を傾げた。

 まあそれだけ言われても意味不明だよね。

 簡潔に要約しつつ、今に至る一連の出来事を説明する。

 キーラにもまだ詳しくは話していなかったのでちょうどいい。


 事情を説明している最中はエイラがいちいち驚きの声をあげ、質問をしてきたのでなかなか話が進まなかったが、それでも最後まで話し終えると、アイリさんとエイラの二人は信じられないような面持ちで沈黙した。

 まあ僕自身想像もしていなかった展開だからな。

 キーラはどう思っているのだろう――ってそういえばまだきっちりと装備を身に付けたままだった。


「キーラ、宿の中は危険がないだろうし、もう鎧を外していいよ」


 そう言ってやると、キーラは室内を隅々まで見渡し、納得がいったのかひとつ頷くと、ようやく鉄兜を脱いだ。

 職務に忠実というか、生真面目な性格なんだろうか。

 細く柔らかそうな金の髪がさらりと背中を流れ、戸惑うような表情が現れる。

 そんな顔もしていても、やっぱり綺麗だ。

 いや、そうではなく、なにか気になるのだろうか。

 宿に泊まれるか心配しているのかもしれない。

 アイリさんたちに訊ねてみようと振り向くと、二人そろってぽかんと口を開いたままキーラを見ていた。

 こういう表情はほんとそっくりの親子だな。


「あの、聞きたいことがあるんですが、大丈夫ですか?」

「え? ええ、もちろんよ。それにしてもこんなに可愛い子だったのね」


 はっとしたように口を閉じると、アイリさんはキーラをまじまじと見た。


「彼女の泊まれる部屋はありますか?」

「もう一部屋とりたいってこと?」

「そうです」

「うーん……それはいいけど、わざわざ別に部屋を取らなくてもいいんじゃないかしら」

「え?」

「彼女、護衛の奴隷なのよね? それならあなたの部屋で寝かせればいいわ。追加料金もいらないし」


 そういうことか。

 一瞬駄目なのかと思ったが、利用制限があるわけじゃないようだ。

 よかった――といいたいところだけど、それって同室じゃん。

 女の子と同じ部屋で一夜過ごす。

 しかも寝床は一つ。

 いやいやいや、それはいろんな意味でまずいだろう。


「お金の心配はいりませんよ。むしろまだまだ有り余ってるくらいなんで」

「……だけど、そのお金のせいで強盗に襲われたのでしょう? そのための護衛なら一番無防備な寝ているときに、側にいないと危ないんじゃない?」


 ものすごく心配するようにアイリさんが言った。

 たしかに間違ってはないんだけど……。


「でもさすがに宿の中は大丈夫でしょ?」


 帰ってくるときに誰にもつけられていないことを確認したし、寝込みを襲われる心配はそこまで考えなくてもいいだろう。

 そう思って軽く言ってみたんだけど、アイリさんは沈黙してしまった。

 あれ?

 エイラに視線を向けると、心なしか沈んだ表情に見える。

 え、なに、もしかして安全じゃないのか?

 というかなにか地雷を踏んだっぽい。

 えっと……。

 気まずい空気に黙していると、アイリさんが沈痛な面持ちで口を開いた。


「お客様には話しておくべきですね」


 お客様。

 その通りではあるのだが、なんとなく距離を感じる。

 この話を聞いたら僕がこの宿から移る可能性があると――そう考えているのかもしれない。

 正直聞きたくないが、知らなければ正しい判断を下せない。

 黙ったまま、話を促すと、ぽつりぽつりとアイリさんが語り始めた。



 宿屋通りは歓楽街や貧民街が存在する南地区と接する場所に位置している。

 つまりお世辞にも治安がいいとはいいがたいのだが、なかでも〈止まり木〉亭は、その外れの人気がすくない区画にある。

 そのうえ十年ほど前まで、この辺りはいまほど治安が良くはなかったらしい。

 ここまで語られれば予想できるとおり、かつてはガラの悪い連中もよくやって来ていたのだという。

 そして事件が起こった。

 当時、十年以上前の話だが、アイリさんの夫であり、エイラの父親である人が、短剣で刺されたそうだ。

 おそらく強盗目的だったようだが、彼が身を挺して守り通したため、それ以上の被害はなかった。

 しかし、それが致命傷となりそのまま帰らぬ人となった。


「それ以来、強盗などの被害はありませんが、やっぱり嫌ですよね」


 語り終えると、アイリさんはぎこちない笑みを浮かべた。

 痛々しい笑みだった。


「話は分かりましたけど、嫌になったりはしませんよ。アイリさんたちはなにも悪くないんだし」

「そう……ありがとう、ソラくん。でも宿を移りたくなったら遠慮しないでね」

「ほかの宿になんて行きませんよ。ここ気に入ってますし」


 あえて軽く口調で言ってみると、アイリさんもさっきより自然な笑みになった。

 ふう、よかった。

 気まずい雰囲気がすこし和らいだ。


「でも部屋割りはどうしますか?」


 うむ。

 そうだった。防犯上の問題が残されているのだったな。

 いまは昔より治安がマシになったようだが、だからといって気を抜くのは間抜けすぎるか。

 宝箱を開錠できるグランほどの技能はなくとも、ほかの冒険者も似たようなことができるはずだ。

 というよりもこの宿の鍵を見たとき、僕でも開けることができそうだと思ったことがあったっけ。

 さてどうするか。


「キーラはどう思う? 実際に護衛を任せるのは君なんだから、意見を聞きたい」

「私の意見ですか? そうですね……これまでの話を聞いた限りでは同部屋がよろしいかと。しかしご主人様はよろしいのですか? 奴隷を寝室に入れることへ抵抗はないのですか?」

「僕は奴隷だからといって抵抗感を持ったりはしないし、キーラがいいというのであれば、そうしよう」


 考えてみれば、同室といっても寝るだけだ。

 不埒な妄想のような出来事が、入り込む余地はない。

 それでもドキドキしてしまうのは男の性なのか。


「では同室ということでよろしいですね」

「うん、よろしく」


 アイリさんに頷いてみせる。


「それなら宿泊費は結構ですが、食事代金は別途必要になります。どうしますか?」


 材料費もかかってるし、それは当然だな。


「前払いしておくので、これからは二人前お願します」

「かしこまりました」


 アイリさんに前回の分に追加で十レオル支払っておいた。

 これで当面は十分だろう。


 ちなみにキーラの身分証明は商館で貰った、青銅の認識票を使った。

 冒険者の持つ認識票に似ているが、形や紋章などが異なっている。


 あとは――

 そうだ、風呂に入りたかったんだ。


「お風呂に入りたいんだけど、お湯を頼めますか? 無理なら公衆浴場にでも行って来ますが」

「もちろん、用意できますよ。ただ、夕方の食事時を過ぎてからでないと時間がとれないので、夜間になってしまいますがそれでもよろしいですか?」


 二人だけで宿を回そうとなるとしかたないか。

 迷惑になりそうなら、公衆浴場にでも行くんだけど、この宿にお金を落とすつもりなら、利用すべきだよな。

 それに考えてみれば、風呂に入った後、ここまでまた歩いて帰らなきゃならないし、なにより外はまだ警戒が必要なので、せっかく汗を流した後に、また装備を身に付けるはめになりかねないので公衆浴場は諦めるか。


「わかりました。時間はゆっくりでいいので、それでお願します」

「かしこまりました。入浴料金の五ドールは先ほどのお代から引いておきますね。それじゃあエイラ、手伝ってくれる?」


 アイリさんがエイラに言葉をかけたが、どうも反応が悪い。

 さっきから静かだったけど、昔の話で気分が落ち込んでしまったのだろう。


 僕も家族を亡くしたときのことを思うと、やるせない気持ちになる。

 だけど、立ち止まってはいられない。

 くよくよしても状況がよくなることはないのだから。


 どうにか元気付けたいが……。

 そうだ。


「エイラ、これあげるよ」


 エイラは水仕事などで手が荒れ、あかぎれなどができていたのを気にしていたので、回復薬をひとつ手渡した。

 強盗対策で買ったひとつだ。


「これって、まさか回復薬? こんな高価なもの貰えないよ」

「いいから。お金のことは気にしなくてもたくさんあるっていっただろ。まあだからといって誰彼構わず贈り物なんてしないけどね。頑張ってるエイラだからこそ受け取って欲しいんだよ」

「…………もう、そんな言い方卑怯だよ。でも……ありがとう」


 頬を染めたエイラがはにかむと、パッと花が開いたような雰囲気になった。

 これはこれで可愛らしいんだよな。

 キーラとは違う種類の美少女という感じだ。


「よかったわね、エイラ」

「そうそう、アイリさんもお一つどうぞ」


 低級回復薬なら十個もあるから一つや二つ配っても予備は十分だ。

 ついでに使うことがなかった、目潰し用の小麦粉や胡椒なんかもプレゼントする。


「もう、ソラくん。この流れでこんな風に渡しちゃ駄目よ。……でもたしかにうれしいわ。ありがとう」

「………………」


 なぜかアイリさんに窘めと感謝の言葉を貰い、無言のエイラからはジトっとした目で見つめられた。

 あれ?

 なにかやらかした?

 誰彼構わずといった直後にアイリさんに贈ったのが駄目だったのだろうか。

 だけどアイリさんにもお世話になってるし、宿屋の経営を頑張っているんだから、誰彼というほどでもないつもりだったんだけど。

 女心というものの機微を理解するのは難しい。


 まあ、それでもエイラはちょっと元気になってくれたようだ。

 その証拠に軽やかな足取りで食事の支度しに厨房へ戻ると、小さな鼻歌が聞こえてきた。


 夕食まで時間はもうすこしかかりそうだな。


 それまではキーラと話をしようか。

 まだ僕らはお互いのことをなんにも分かっていないのだから。

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