第13話 捕縛と奴隷

 迷宮都市の別名を持つこの帝都は、地元住民でさえ地理地形を完璧に把握しているわけではない。

 迷い、遭難した人間の笑い話が数多く語られているのが、その証拠だ。

 なにが言いたいかっていうと、僕が選んだ場所は、過去においてまさに遭難した人が実在した迷路のような路地ということだ。

 つまり〈森羅万象〉のある僕にとっては、いくらでも逃げ隠れできるうえ、近くには見回りをしている衛兵が存在するので、いざというときに助けを呼ぶこともできる。

 これ以上ないくらい適した場だ。


 戦闘準備は万端。

 回復手段も用意した。

 逃走経路に救援人物も確保完了。


 よし。

 いつでもこい。

 薄暗い路地裏に入り、相手を待ち伏せる。


 僕の姿を見失わないように、一定の距離を保って尾行していた男は、いまこそ好奇と考えたのか、一気に距離を詰めてきた。

 それでも足音を立てないように移動しているのは、さすがに中級冒険者といったところか。

 もちろん僕は〈森羅万象〉によって完璧に捕捉してるんだけどね。


 相手がついに路地裏に足を踏み入れた。

 男は黒染めした革鎧に、黒い脚衣と目立たないような格好で、全体的に特徴が薄い面をしているが、目だけは暗く、据わっている。

 一瞬、僕と真正面から相対したことに動揺した素振りを見せたが、周囲に人影がないことを確認すると、酷薄な笑みを浮かべた。

 わかっちゃいたけど、僕と友好的な話がしたいってわけじゃなさそうだ。


「やあ、なにか用?」


 一応礼儀として、相手の用件くらい聞いておく。

 愛想笑いを添えて。


「おまえが金を持っているのはわかってる。大人しく差し出せ」


 男は腰元の長剣に手を伸ばしながら一歩近づいた。

 まったく愛想の欠片も礼儀もないな。


「それは恐喝?」


 近くで身を隠しながら様子を窺っているグランのおっさんにも聞こえるように言ってやった。


「授業料さ。先輩冒険者から受ける教練のな。ありがたいだろ?」

「いや全然。断らせてもらうよ」

「生意気なガキだな。黙って寄越せばいいものを」


 男がさらに一歩近づいてくるが、グランはまだ出て来ない。

 なにをしてんだ?

 さっさと出て来いよ。

 あれか?

 まだ剣を抜いてないから。

 それとも授業料だとか微妙な物言いだから、しょっぴくには決定打が足りないのか。

 しょうがない。


「止まれ。それ以上近づけば衛兵を呼ぶ」

「呼んでどうする。まだ・・なにも起きちゃいないのに」


 ほんと厄介だな。

 明らかに手馴れてる。

 いま衛兵を呼んでも逮捕には至らないかもしれない。

 で、あとあと逆恨みで狙われ続けることになるのは勘弁だ。

 一枚手札を切るか。


「過去の犯罪が暴かれると都合が悪いんじゃないの?」

「なんのこったよ」


 男が馬鹿にするように言った。

 適当にかまをかけてるとでも思っているのだろう。


「冒険者の情報網を舐めないほうがいい。強盗、殺人、恐喝。これまでやりすぎたんだ。組合からも目を付けられてるのに気がついてる?」

「なに?」


 男の目が一気に細まった。

 はったりか事実か。

 疑ってる、疑ってる。

 そんな君には、さらに追加情報をプレゼントだ。


「盗品を売買するのは、もっと気をつけたほうがいいんじゃないかな。貧民街の人間は盗品と知りながら取引してくれるし、利益があるうちは秘密にしてくれるけど、場合によっては情報を売買したりもするんだよ」


 この男は強盗殺人で奪ったものを足がつかないように、貧民街の闇市で売り払ったことがあるのだ。

 もちろんそれは〈森羅万象〉で知ったことだが。

 ともかく、貧民街へ売りに行った事実を、知るはずのない人間が知っていれば、この話の信憑性は高くなる。

 実際はひとりひとりの顔なんて覚えちゃいないし、情報も売買してなんかいないだろうけど。


「おまえ何者だ? どうしてそんなことを知ってる? 答えによっては生きて帰れると思うなよ」


 男の雰囲気が一気に緊迫した。

 そんな風に言われて、正直に話すと思ってるのか?


「さあ、どうしてだと思う?」

「ちっ、吐いてもらうぞ。そのあとで嬲り殺してやる」


 男が長剣を抜き放った。

 やばい――

 煽りすぎた。

 目潰し用の小麦粉を取り出し、ぶちまけようとしたとき――男の後ろから野太い声が響いた。


「動くな!」


 男が驚きの表情で振り向いた先に、グランは仁王立ちをしていた。

 ようやく来たか。

 ふう、ひやひやした。


「グランてめえ、なんでこんなところに!?」

偶然・・通りがかっただけさ。それよりいま殺してやるとか聞こえたんだが、自分がなにをしてるのかわかってんのか?」


 偶然、ねぇ。

 下手な芝居だ。

 しかし男は逡巡するように、視線を彷徨わせ、僕を見るなり、ぎりっと歯軋りした。


「――――そうか、そういうことかよ。このガキは罠だったわけか」

「なんのことだ?」


 グランはとぼけるように言ったが、それはむしろ僕に対して言ったように聞こえた。

 肯定すれば、僕を囮にしたと認めるようなものだしな。

 だけど男はそんな事情は知らないし、煽られたようにしか聞こえなかったようだ。


「前からてめえのことは気に食わなかったんだ。いいぜ相手してやるよ。そんでファナっつたか。てめえの後にあの娘の相手もしてやるよ」


 男はそういって下種げすな笑みを浮かべた。

 拙いな。

 まさかファナさんまで巻き込んでしまうなんて。

 それに考えてみれば、上級冒険者とはいえ第一線から退いて組合職員として働いてるグランが勝てる保障はあるのか?

 イリス教官も冒険者は役割ごとに技能も違うと言っていたし、相性が悪い可能性もある。


 最悪、僕が――


 覚悟を決めたとき、なにかがブチッと切れる音がした。


「いまなんつった? ファナに指一本触れてみろ、ぶっ殺すぞ、あ?」


 憤怒の表情をしたグランが目にも留まらぬ速さで踏み込むと、強盗の男を一瞬で叩き伏せた。

 え……。

 なにいまの。

 顔面を素手で鷲掴みして、そのまま地面に叩きつけただけ、といってしまえばそれだけなのだが、イリス教官に勝るとも劣らない速度だった。


 第一線から退いて、これなのか。


 さすがは上級冒険者。

 ファナさんに関しては迂闊なことはいえなさそうだ。

 もともと言うつもりもないけど。


 ま、まあこれにて一件落着か。

 グランが悪態をつきながら、ピクリともしない男を片手で持ち上げると、そのまま肩に担いだ。


「こいつは殺人未遂と恐喝、武器の違法使用で連れて行く。それとさっき話していたことは、どこまでが事実だ?」


 うむ、どうやらまだ終わりとはいかないようだ。

 グランがなかなか動かなかったせいで、いろいろお喋りしすぎたんだが、あれらの情報をどうやって入手したのか気になるのだろう。

 まあ素直に教えるつもりはないが。


「話ってなんのこと?」

「貧民街で盗品を売った話や、殺人や強盗についてだ」

「ずいぶんまえから話を聞いてたんですね」

「……偶然聞こえてな」


 言い訳も下手なようだ。


「へえ、それじゃあ組合からずっとつけてたのも偶然なんですか?」

「気づいてたのか」


 グランが驚きの表情を浮かべた。


「組合で情報を公開したのも、僕を囮にするためですね?」

「…………」


 グランは否定も肯定も口にしなかったが、その沈黙が答えだ。

 やっぱりこのおっさんは油断ならないな。まったく。


「あー、悪かった。このとおり謝罪する」

「認めるの?」

「……ああ、たしかに。おまえがお宝を発掘したと知ったとき、利用できると思った。以前から目を付けてはいたが尻尾を掴めていないやつらを捕まえる絶好の機会だとな。だがそれも組合のためであり、ソラ――おまえのためでもある」

「どういう意味ですか?」

「組合で言ったとおり遅かれ早かれ、おまえが大金を所持していることは知られることになっただろう。そのとき俺が側にいなけりゃ今回みたいな対応はできないってことだ。俺だって四六時中おまえの周囲を見張ってるほど暇じゃないんだぜ」


 ……。

 一理ないこともないか。

 宝箱を持って帰ったところは、結構な数の冒険者に見られてたし、これから競売に出品される品物を確かめれば、おおよそでも僕が得た金額も推測できるだろう。

 もっともすべての物品を売ったわけじゃないし、依頼品として納品したものもあるから、半分くらいしか推測できないはずだが。

 それでも大金には変わりないし、強盗に狙われる可能性は高いか。

 そしてグランの言うとおり、そのとき側に誰もいなければ僕が相手しなくてはならなかったのだ。

 だから早期解決のためこんな手段をとったことも結果的には悪くはなかったのかもしれない。


「まあ。そのとおりだったとして。僕に話を通しておくべきだったんじゃないの?」

「おまえさんに演技が期待できるかどうかわからなかったしな。挙動不審だと相手も警戒して、しばらく様子見に徹する可能性もある。腐っても冒険者だ」


 まあ、今回の様子じゃ心配なかったようだがな、そう言ってグランは渋い顔をした。


「それで、結局あの情報はどこまで事実だ?」


 あら、話が戻っちゃったか。


「ただかまかけただけだよ」

「にしてはやけに具体的だったが」


 疑いの眼差しが向けられる。


「恐喝を平然とするようなやつだからね、以前にもしたことあるんだろうと予測しただけだよ。あとは他人から奪い取ったものを換金しようにも、まともな店じゃ盗品は扱わないし、物によっては出所を聞かれるのは常識でしょ? それなら貧民街だろうと思ってね。もちろん情報の売買なんてでまかせだけど、その男は思い当たる節でもあったのか口封じを目論んだ。それだけの話だよ」


 つい先日、指環を換金するためにいろいろ調べたので、この手のことはそれらしいことをすらすら話せる。

 あのときの経験がこんなところで生きるとは。


「なるほど。だがそれにしたって、興味深い存在だな、おまえは。自慢じゃないが俺の隠密行動に気がつけるやつはそうはいない」

「――ああ、それは組合での行動を疑問に思ってね。警戒してたんだよ」


 まさか〈森羅万象〉で知ったとは言えないし、これで納得してもらうしかない。


「まあいいだろう。そういうことにしておこうか。で、これからどうする?」

「これから? またなにか企んでるんじゃないだろうな?」

「今度は本当になにも企んじゃいないぞ。おまえには正直に話しておいたほうがいいとわかったしな」


 本当だろうか?


「で、これからってどういう意味?」

「今回こいつを現行犯で捕らえることはできたが、残念ながら怪しいやつはまだほかにもいるんだよ。だから、もうしばらくは周囲を警戒して、単独行動は控えることをおすすめする」


 ええ……。

 まだいるのか。

 迷惑極まりないな。


「警戒すべきなのは理解したが、単独行動を控えろといわれてもなあ」

「ふむ、帝都に家族や、友人はいないのか?」

「……」


 家族は――いない。

 帝都どころか、この世界のどこにも。

 元の世界にだって、もういない。

 友人は元の世界に居たといえば居たが、深い交友関係ではなかった。

 もともと人付き合いが苦手ということもあるが。


「いないのなら仕方ない。だったら冒険者仲間でも探すか、いっそどこかの血盟団に入るのが手っ取り早いな」

「冒険者? たったいま襲われて、これからも狙ってくる可能性がある冒険者を信じられるとでも?」


 もちろん全員が悪人とは思わない。

 イリス教官やファナさんのような人もいる。

 だが現在の状況では、冒険者の中から信頼できる仲間を見極めるのは相当大変な気がしてならない。


 例えば組合で勧誘してきた冒険者がいたが、理由はお金を持っているから、もしくはなにか情報を握っているとでも考えたからだろう。

 つまりグランと同じように利用するために近寄って来ている可能性が高い。

 こういう相手に秘密を打ち明けるつもりは微塵もないし、かといってそれ以外では僕はただの足手纏いでしかなく、利用価値がないと判断されたら切り捨てられるかもしれない。

 信頼する仲間というには程遠い関係だ。


「なら護衛用に戦闘奴隷でも購入するのはどうだ? 金は十分にあるだろう?」

「え?」

「奴隷は主人に服従するのが基本だからな、裏切られたり、利用されることを心配する必要もない。なにより一日中侍らせることができるから、護衛にはぴったりだ」


 なるほど――って納得できるわけないだろ。

 奴隷を購入だなんて。


「なんだ奴隷は嫌いか?」

「好き嫌いじゃなくて、倫理的に問題があるだろ?」

「ん? どこかが?」


 話が噛み合っていない。

 というよりも前提条件として常識が違うのか。

 人権だとか、人道的にだとかそんな言葉――もしくは概念がないのだろう。

 ここで議論したり、正論を振りかざしてもいいのだが、そのくらいで社会が変革するわけではない。

 それにそういったことは、この世界の人間がすべきことなわけで。

 部外者――文字通りこの世界の外からやってきた僕が安易に口を出していいのか、変革に伴ってどんな影響を及ぼすのか、よくよく考える必要がある。


「なんでもない。それよりイリス教官にでもに護衛の依頼は出せないの?」

「イリスか。あいつは普段迷宮深層に潜って、地上へ戻った休養期間に教官依頼を受けてるだけだから、護衛依頼なんて受けねえだろうよ」

「そうなのか……」

「ほかの上級冒険者もそんな依頼受けるやつは誰も思い当たらないし、受けるやつがいるとすれば高額を要求されるのは間違いない」


 僕が大金を所持していることを理解しているからか。


「どのくらいの期間雇う必要があるのか現状はわからないし、数ヶ月どころか半年以上にもなれば戦闘奴隷を買ったほうが安つくだろうぜ。それに奴隷なら護衛だけじゃなく、迷宮探索でも、身の回りの世話でもなんでも仕事させられるだろ? なにより奴隷の購入は、大金の使い道として周囲に納得させやすいしな」


 大金の使い道?

 そうか。

 狙われるのは、そもそも金を持ってるからなのだ。

 ならば金がなければ狙われることはない。


「――つまり危険を冒してまで強盗をするほどの価値はないと思わせられるのか?」

「そういうことだ。宝石やら高価な魔道具ならともかく、奴隷を盗んで、足がつかないように売り払うなんて一介の冒険者風情にできるわけがないしな。そうなると、おまえが標的から外れる可能性は多いにある」


 なるほどね。

 そう考えるとたしかに効果的ではあるのかもしれない。

 僕の気持ちの問題を除けば。


「うーん」

「なにをそんなに迷ってんだ? もしかして奴隷についてよく知らないのか?」


 そういえばよく知らないな。

 剣闘士の存在などは知っているが、もっと優先すべきことがあるからと避けていた。


「ソラ、おまえたしか異邦人だったな。遠い異国では奴隷を使わないところもあると聞いたことはある。だから抵抗感があるのかもしれないが、実際の扱いを知って、それでも嫌だってんならしょうがねえ。ほかの方法を考えるのはそれからでいいんじゃねえのか?」


 実際の扱いか……。


「帝都でも指折りの奴隷商館を紹介してやるから、まずは行って話を聞いてみろよ」


 そういってグランが強盗を担いだまま歩き出した。

 ほんと強引だな。

 はあ。

 気は進まない。

 だが知識は力だ。

 まずは知ることから始めよう。

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