第7話 イリス教官

 受付に戻ると、先程はいなかった女性がファナさんと並んで待っていた。

 というか、なんか見たことあるような?


「あら、もう来たの? それならせっかくだし紹介くらいは済ませましょうか」


 ファナさんが笑顔でいった。

 すこし早過ぎたかもしれないが、ダメというわけではなさそうで良かった。


「イリス様、この子が今回あなたに指導してもらう初級冒険者のソラくん」

「ソラです。よろしくお願いします」


 ウルクス流のお辞儀で挨拶をする。

 イリス様と呼ばれた女性は眉を片方上げたが、何も言わなかった。

 なにか変だったかな?


「ソラくん、この方があなたの担当をしてくださる上級冒険者のイリス様です」

「イリスだ、よろしく。あと様はやめろと、いつもいってるだろうファナ」

「それはできません」


 ファナさんはきっぱりと断る。


「もういい。おまえも様だなんていうなよ?」

「それではなんとお呼びすれば――」

「その堅苦しい言葉遣いもやめろ。普通にイリスと呼べばいい」

「えっと……」


 悩んだ末、ファナさんのほうを見ると顔を横に振っている。

 つまり呼び捨てはしないほうがいいと。


「それではイリス教官と呼ばせてもらいます」

「…………まあいい。それよりも、おまえどこかで会ったか?」


 あ、やっぱり。

 イリス教官も気がついたようだ。

 僕も一目見て気がついたのだが、昨日の転移門前で出会っている。

 この世界で初めて会話したあの黒髪の女剣士だ。その証拠というほどでもないが、今日も腰元に剣を佩いている。

 服装は黒い上着と脚衣に革の長靴という冒険者らしい格好だが、凛とした雰囲気と、女性としてはすこし高めの身長を持つイリス教官は、立っているだけでも人目を引く存在感があり、僕の記憶にははっきりと刻まれていた。

 イリス教官にとっては、僕の存在は広場にいたその他大勢の中の一人という認識だろうし、明確に憶えていないなら、そのほうが僕にとっては都合がいい。

 あのときの服装とか、なにをしていたのか聞かれると困るし。


「同じ街にいれば、すれ違ったりしているかもしれませんね」

「……そうだな。まあ、お互いの紹介も終わったことだし、もう始めるか?」

「はい」


 無事、追求されることもなく教練に移れた。


「まずは受付に探索計画を提出するところからだな」

「探索計画?」

「義務ではないが、迷宮探索に向かう前に期間や階層、人数などの具体的な計画を伝えておき、いざというときの保険金を預けておけば、未帰還時に救助隊が送られることになっている」


 保険か。


「予定よりもすこし遅れただけという場合は?」

「一日でも遅れると金は戻ってこないが、それはすぐに救助隊を編成するのに使われるからだ。それを嫌って期間を数日ほど余分に伝える者もいるが、本当に一刻を争うような緊急事態に見舞われた場合、それだけ救助が遅れることになるので、金より命を優先するなら正確な探索計画を提出することだな」

「なるほど」

「なにより予定通りに戻って、帰還報告すれば預託金は返ってくる。手数料に一シリルは取られるが、安いものだろう」


 たしかに。

 悪くはない。


「というわけで、どういうものか手本を見せてやろう」


 イリス教官が説明しながら、受付のファナさんに話を振る。


「今回の探索計画は迷宮一階層、期間は一泊二日、冒険者は上級冒険者イリスと初級冒険者ソラの二人。目的は実地教習だ」

「かしこまりました。保険金は一レオル、手数料一シリルになります」


 ファナさんが書字板に記録しながら告げた。

 ――って、え?

 いま一泊二日っていったよな。

 僕が疑問を口にする前に、イリスさんがお金を支払った。

 これって決定事項なのか?


「まあ、こんな感じだ。階層ごとの預託金など詳しく知りたければ受付で聞けばいい。さて次は――」

「あの、今日これから一泊するんですか?」

「そうだが、知らなかったのか?」

「はい……」

「ソラくんは一通り知っていると言っていたので、そのあたりもわかっているのかと思って説明をしませんでしたね。すみません」


 ファナさんが申し訳なさそうに謝った。

〈森羅万象〉を使いすぎると頭が痛くなるし、聞けば教えてもらえるだろうと事前に詳細までは調べなかったのが裏目に出たか。


「で、どうする?」

「すでに組合から教官依頼としての費用も支払われていますし、どうしましょうか」

「そういうことならこのまま続行してください。ただなんの準備もしていないので、着替えを取ってきてもいいですか? ついでに宿へ連絡もしてきますし」

「着替え? 一泊程度で必要ないだろう。迷宮内では服や装備は外さないのが基本だ。よほど汚れたり長期であれば話は別だがな。それと冒険者なら泊りがけになることはよくあるから、宿へわざわざ連絡しなくても問題はないだろう。それとも長期契約じゃないのか?」

「十日分くらい支払ってあるので、そこは大丈夫ですが……」


 というか、着替えないのか。

 いや考えてみれば危険地帯で無防備にならないよう、気をつけるのは当たり前か。

 予想以上に大変なのかもしれない。

 想定が甘かっただけかもしれないが。

 あとアイリさんには冒険者組合に行くと伝えたし、一日帰らなかったくらい大丈夫なのかな?

 こちらの常識がよくわからないので、ここはイリス教官の言うとおりにしておくか。

 これ以上なにかいうとボロが出そうだ。


「それじゃあ、次に進むがいいな?」

「わかりました」


 余計なことを言わないように黙ってイリス教官について行くと、組合館の倉庫へ連れてかれた。


「新人はまだなんの装備や道具もないだろうから、教練で必要なものは貸し出している」

「なるほど」


 それにしても、いろんな武器や防具が並んでいるのをみると、ちょっとワクワクしてしまう。

 ただしこれを身に着けて戦うのが僕自身だと考える、浮かれてばかりはいられない。


「いままでに扱ったことのあるもの、または希望する装備はあるか?」

「戦闘経験は一切無いので、正直よくわかりません」

「……それでよく冒険者になろうと思ったな」


 呆れを含んだ眼差しを向けられた。

 でもしょうがない。

 ないものはないのだし、昨日まではこんなことになるなんて想像もしてなかったのだから。

 まあ、言い訳してみても状況は良くならないし、僕に扱えそうなものを考えてみるか。

 はっきりいって僕は力が強くない。

 典型的な現代っ子にして、本の虫。

 剣を振り回して戦うのは現実的じゃない。

 銃でもあればいいのだけれど、この世界にはないだろうし……。


 ん?


 これはクロスボウか。

 大きさや種類別にいくつかあるが、先端の金具に足をかけ、弦を両手で引くいちばん単純なものなら、僕でも使えるんじゃないかな。

 弦を引くのに巻き上げ道具を使う大型弩もあったが、それはやめておいたほうが無難だろう。


「それにするつもりか?」


 弩を手にすると、イリス教官が眉を顰めていた。


「駄目でしょうか?」

「駄目とは言わぬが、あまり使われることはないな。まあ一階層では十分通用するし、本格的な戦闘訓練までするわけではないからそれでもいいが」


 ならとりあえずこれでいってみるか。

 矢は専用の太矢ボルトと呼ばれるものを、矢筒に詰めて持ち運ぶ。

 そのほかに冒険の装備一式として、護身用の短剣、革鎧、各種探索道具の入った背嚢を借りて、いよいよ迷宮へ出発する。



 組合館を出ると、中央広場の転移門へはすぐだ。


「身分証を」


 門番の男がそれだけいうと、イリス教官はさっと白銀の認識用を提示する。

 一拍遅れて僕も見せると、ちらと見ただけで通してくれた。

 結構いいかげんだな。

 転移門から出てくる人は一瞥するだけで、身分証の提示も求められない。

 まあ入るときに確認していれば、必要ないんだろう。

 おかげで昨日の僕は何事も無かったわけか。


「転移門の使い方は魔法陣の上に立ち、目的地を古代語で唱えるだけだ」


 そういってイリス教官が僕を見たとき、首を傾げ、目を細めた。


「思い出したぞ、ソラ。おまえは昨日ここで出会ったあの少年か」


 まずい。

 いくら服装が違っても昨日と同じ状況じゃさすがに思い出すか。


「えっと……」

「まさかとは思うが、勝手に迷宮へ入ったりはしていないだろうな?」

「もちろん」

「ならいいが」


 イリス教官はまだ怪しんでいそうな顔をしていたが、それ以上は追求されなかった。

 ふう、助かった。


「話を戻すが、転移の魔法陣は古代のものなので、古代語でなければ発動しないし、管理者不在の現在、基本的に一階層から順番に進まなければならない」

「基本的にということは、なにか例外があるんですか?」

「うむ、迷宮内の遺跡で発見される転移鍵と呼ばれる通行証があれば、一度でも転移したことがある階層へ一瞬で移動できる」

「便利ですね」

「ただし使用回数は有限なので気軽には使えないし、最近は取り尽されたので滅多に見つからない」


 なるほど。

 だから、基本的に一階層から順番に、ということなのか。

 問題は全部で何階層あり、どれくらいの広さなのかということだ。

〈森羅万象〉でも迷宮内部のことはよくわからなかったが、冒険者組合ではどの程度把握しているのだろう。


「ちなみに最奥までの階層や広さはわかってるんですか?」

「古代の史料によれば五十階層目に王の居城があったそうなので、そこが最奥と考えられているが、辿り着いた者は誰一人存在しない。広さについてはこれから自分の目で確かめろ」


 そういってイリス教官は転移門の上に立ち、僕も来るよう促した。

 魔法陣の円内に入ると、まさに昨日転移してきたときと同じ視点になる。

 期待か緊張か、心臓の鼓動が早くなった。


「準備はいいな? では行くぞ――〈転移・一階層〉」


 イリス教官が古代語で鍵となる言葉キーワードを唱えた瞬間、魔法陣が輝き、視界が揺らいだ。

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