第8話 講習
視界の揺らぎが治まったとき、目の前には草原が広がっていた。
唯ひたすらにどこまでも広がる緑の大地と青い空の世界。
ここが地下にあるとは到底信じられない光景だ。
「あの空は?」
「魔術で再現された幻だ。太陽も、月も星もな」
これが魔術――
本物ではないはずなのに温かな陽射しは感じられるし、肌を撫でる風のすがすがしさも幻覚ではない。
こんなことまで可能なのか。
現在地は、古代遺跡の列柱だけが残った広場のような場所で、足下の石板には地上の転移門と同じような魔法陣が刻印されている。
周辺にはいくつもの天幕が張られており、冒険者たちが屯している。
なんだか地上の中央広場みたいな感じだな。
ただ広場の外側には神殿や立派な建物はなく、草原が広がるばかりなのだが。
文明が滅びた後、いろんなものが崩れ去り、土へと還ったのかもしれない。
「ここはウルクスの大迷宮・地下一階層と地上を繋ぐ出入り口――通称境界広場だ」
境界――
つまり地上へ帰るには、ここに戻ってこなければならないってことか。
ふむ。
そう考えるとあの天幕はなんの意味があるんだろ。
休むのなら安全な地上へはすぐに戻れるのに。
「あの人たちはどうしてこんなところにいるんですか?」
「彼らは運び屋や、情報屋だ。荷物がいっぱいになるたび地上と迷宮を行き来するのは大変なので、彼らのような存在は常に一定の需要がある」
なるほど。
そういう仕事もあるのか。
「それはともかくだ。ここから約半日ほど歩いたところに地下二階層へ通じる転移門があるのだが、教練はそこへ行って、帰って来るまでとなっている」
「半日?」
「魔物との戦闘や天然迷宮などに迷い込めば、当然予定はずれていくが、浅層では心配するほどではない。万が一、道に迷ったとしても、だいたい一日あれば端から端まで辿り着ける程度の広さだ」
それは大丈夫なのか?
一日歩くって相当な広さがあるんじゃ……。
まあいざとなれば〈森羅万象〉があるけどさ。
そういえば、地上から迷宮内を探ることはできなかったけど、中で使うとどうなるんだろう。
ためしに内部の調査をしてみるか。
荷物を背負いなおしながら、魔力を流すとすぐに反応があった。
――成功だ。
魔物は思ったよりも少ないし、地形的にも危険は少ないようだ。
ただし相当広かったせいで魔力をごっそりと消費した。
しかも頭が痛い。
次からはもうすこし範囲を限定したほうがいいな。
「それじゃあ行くか」
イリス教官が出発を告げると、返事を待たず歩き出した。
ちょっと休みたかったが、来ていきなりそんなことは言い出せない。
しかたがない、置いてかれないようについていくか。
目的地までの道は一応整備されているみたいで、所々草に侵食されてはいたが歩くのに支障はない。
たまに分岐していたりするが、基本的に石で舗装されている古代の街道を進めば迷うことはなさそうだ。
道の外側は草原が広がっているが、昔は農場や牧場だったようで、よく見るとその名残をとどめている。
半分野生化した麦や、崩れかけた石垣など。
「ここはかつて村があった場所だな。冒険者組合はこういう場所にいくつか目印をつけているから、順路を外れて迷ってしまった場合は、それを見つければ現在地もわかるようになっている」
そういってイリス教官が地図を取り出し、石垣に残された記号の読み取り方を説明した。
僕はすでに〈森羅万象〉で地理を把握しているのだが、魔力不足で使えない状況になる可能性も考えると、知っておいて損はないか。
地図はお世辞にも精確とは言いがたいが、一階層についてはほぼ完璧に網羅しているようで、これさえあれば確かに迷うことはなさそうだ。
「地下二階層の転移門がある遺跡までの道中で、冒険者の基本を教える」
イリス教官は地図の見方を簡単に説明した後、一階層の転移門へ向かいながら話しはじめた。
「まずはじめに冒険者に必要とされる四つの力について知っているか?」
「いえ」
僕がそう答えると、イリス教官は胸元から認識票を取り出して見せた。
「組合の紋章はその四つの力を意匠化したものなので憶えておくといい。十字型に配置されたこの四つの菱形は武力を象徴する剣であり、知力を象徴する羅針盤でもあり、また財力を象徴する宝石をも表している。そして紋章の対称性は協力を象徴する調和の意味がある」
なるほど。
「教練内容もその四つが基本なのだが、最初は協力についてだ」
協力かあ。
なんとなく戦闘訓練からと思っていたけど……。
「意外か? まあ、はっきりいえば組合の重要性を理解させるために、協力の大切さから教えろと言われていてね」
イリス教官が軽い口調で秘密を暴露した。
それをいってもいいのか……。
「それに武力、知力、財力は一日二日の教練でどうにかなるものじゃないが、協力――つまり組合をうまく活用すればどうとでもなる」
「というと?」
「組合は数多くの冒険者、情報、富が集まる場所だ。そこで仲間を集めれば戦力は補えるし、知識や情報は館内の掲示板や資料室がある。金を稼ぎたいなら組合の取引所を利用すればいい」
組合には必要なものが一通り揃っているというわけか。
「各施設については登録したときに説明は受けたな?」
「はい、大丈夫です」
「ならいい。さて話を戻すが、協力の形は大きく分けて三種類ある」
「三種類ですか?」
「
なかでも一番重要なのが組合と考えられていると前置きしたうえで、イリス教官は冒険者たちが歩んできた活動の歴史について簡潔に語った。
組合ができるまえは、小規模な徒党を組む冒険者たちばかりだったそうだ。
転移門で一緒に転移できる人数の制限や、統率や連携の問題、稼ぎの分配など、理由はさまざまだが、一般的な徒党は四~五人程度。
彼らの多くは無知で情報も不足していたので、発掘品を商人たちに買い叩かれたり、高値がつく品を皆がこぞって採取しに出かけた結果、供給過多で値崩れしたりといったありさまだったらしい。
そんな状況だったので稼ぎは少なく、縄張りをめぐって冒険者同士で争い、迷宮からの帰還率も低かった。
そうしてこのままでは共倒れすると考えた者たちが協力の大切さを説いて冒険者組合を結成したようだ。
「組合ができてから冒険者の質は大幅に向上したといわれている」
これでもな……とイリス教官は小さく付け足した。
昔はどれだけ酷かったのか。
「いまでは組合の存在は冒険者だけでなく、商人や職人たちにとっても必要不可欠になっている」
「冒険者以外にもですか?」
「かつては採取物や発掘品はそれぞれ特定の店へ持ち込まなければならなかったのだ。薬草は薬屋、鉱物は鍛冶屋、樹木は材木商、魔物素材は毛皮商や骨細工師、肉屋といった具合にな」
「それは面倒ですね」
「ああ、だが組合館の取引所ができてからは、そこで全部まとめて売却できるようになった。冒険者は一軒一軒店を回って、値段交渉をする必要が無く、逆に商人たちも粗野な冒険者たちから小口で少しずつ取引する面倒がなくなり、組合から大口で一括取引できるようになった」
商人にとっては買い叩くことができなくなったかわりに、安定供給されるようになったという意味合いもあるのだろう。
「組合も慈善事業じゃないから、売却金額の一部が組合の利益として引かれることにになっているが、高くても一割程度だ」
一割か……面倒な交渉事を組合に代行してもらう手数料と考えれば納得できるかな。
「それに相場より若干安くなる代わりに組合への貢献と評価され、ある一定以上の評価点を貯めると階級が上がる制度になっている」
イリス教官が白銀の認識票を指で軽くはじいて見せた。
逆に言えば組合の取引所を通さなければ評価されず昇級できないわけだ。
階級が上がれば、信用も高まるし、組合の職員や幹部になったり、怪我や病気、老後の援助や、死亡時に遺族へ送られる見舞金など保障が手厚くなっていくらしいので、普通なら喜んで利用するのだろう。
飴と鞭というほどではないが、よくできている。
「評価基準や点数に具体的な決まりはあるんですか?」
「組合の利益一レオルにつき一点。下級へは十点、中級へは百点、それ以上は経歴や実力、知識なども考慮される」
組合の利益は取引金額の約一割。
つまり下級へ上がるためには実質百レオル相当の取引をしなくてはならないのか。
「貢献評価には組合での取引以外にも有能な新人の勧誘や育成、依頼の達成、寄付などもある」
「新人の育成――ってもしかしてこの教練も評価に関係してるんですか?」
「ああ、もっとも私は教官という柄じゃないから普段はやらないんだが……上級冒険者にもなると面倒事が舞い込んでくるようになる」
気が乗らないという態度を隠そうともせずイリス教官はぼやいた。
「新人の勧誘や育成は組合への貢献になるだけでなく、派閥を大きくする意味もある」
「派閥?」
「そう組合は協力しあうために結成されたとはいえ、内部には血盟団と呼ばれる冒険者集団がいくつも存在し、派閥争いをしているのが実情だ」
どの世界でも人間は似たようなことをしているんだな。
「ちなみに血盟団ってどんなものなんですか?」
「儀式によって擬似的な血族や盟友となった者たちのことだ。強固な結束があり、団ごとに独自の情報や技術、資金、拠点などを有しているから、手っ取り早く一人前の冒険者になりたければどこかに加入するといい。すくなくとも組合の教習よりは親身になってくれるだろう」
イリス教官はやや投げやりにいって肩を竦めた。
「まあ、そういうわけで新人が知っておくべき主な血盟団についていくつか紹介しておく」
そういってイリス教官は指を三本立てる。
「〈塔の祭壇〉、〈黄金の楯〉、〈踏破する巨人〉。これらの血盟団が組合の三大派閥を形成している」
三大派閥か……。
加入するかはともかく、面倒事に巻き込まれないためにも憶えておいたほうがよさそうだ。
「〈塔の祭壇〉は最も古くから存在する血盟団で、迷宮を探索し古代の魔導技術を研究することを主目的としている。代表者はアポル。導師と敬われている男だ。この血盟団は組合ができる前から存在した魔術結社でもあり、所属するのは魔導士などの上流階級の人間が多く、ほかの冒険者たちとほとんど交流も無い特殊な団だ」
「魔導技術っていうのは、例えば転移門とか?」
「ああ、それも含めて失われたさまざまな技術を復元しようとしているらしい」
ふむ、なかなか興味深い。
もしかしたら元の世界へ転移する方法を見つける手助けになるかもしれない。
問題は一般の冒険者と交流がないってところだ。
まあ接触方法はあとでゆっくり考えるとしよう。
「〈黄金の楯〉はさまざまな功績や伝説がある血盟団で、初代団長が騎士に叙勲された経歴がある。そのため多くの冒険者が憧れ、入団を希望しているが、試験に合格したものだけを受け入れているので、騎士団のように規律正しい精鋭揃いだ。率いるのはイアル。団長と呼ばれている」
こっちは普通というか王道って感じか。
「〈踏破する巨人〉は三つの中では一番新しくできた血盟団だが、現在は最も人数が多い派閥だ。首領はアウルス。盟主と称している。躍進の主な理由は後ろ盾として貴族の
この団はあまり評判が良くないんだろうか?
イリス教官が最後の言葉を濁したのが気になる。
「その他にも血盟団は存在するが、すべて紹介するのは面倒だし、あとは組合で聞けばいいだろう」
「イリス教官はどの血盟団に所属しているんですか?」
「いや、私はどこにも属していない。一度加入すると抜けるのが難しいし、団ごとの規則や方針など面倒事もあるからな」
なるほど、利点があれば当然欠点もあるか。
僕の場合も、加入する利点より欠点のほうが気になる。
なんといっても秘密が多いからな。
「まあ血盟団に入らなくても一人前の冒険者になれるが、仲間を集めて徒党を組むのは基本だ。迷宮ではなにが起きるか予測困難だから、常に最悪を想定しつつ行動するのが生き延びる秘訣だ」
「最悪って――」
「ああそうだ、遺体を発見した場合についても話さなきゃいけないんだった」
イリス教官は思い出したように呟くと、遺体の回収が難しそうな場合は、認識票だけでも持ち帰って報告しなくてはならないことなどを説明した。
魔物に食い荒らされて、身元の特定が難しいこともあるとか……。
「顔色が悪いが大丈夫か? 心配しなくともそう頻繁にあることじゃない」
「それならいいんだけど……」
やっぱり信頼できる仲間を早急に探すべきか。
問題はどうやって秘密を保持するかだが。
「さてそろそろ話は終わりにして実習を始めようか。死にたくなければ基本をしっかり身に付けることだ」
イリス教官は意地悪げな笑みを浮かべて言った。
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