However,he overlooks the soop.

乃木希

However, he overlooks the soup.

七月も半ば終わりになろうかという今日このごろ。真っ青に晴れ渡る空に輝く太陽が憎らしい。


屋内にいるにもかかわらず、あまりの暑さに参ってしまった俺をよそに、放課後のグラウンドからは元気な部活動のかけ声が聞こえてくる。


いったい何が彼らをああさせるのか。


夏の魔物に魅入られでもしたかのように一心不乱に駆け回る彼らをこそ、青春を謳歌していると言うべきなのだろうな。


もっとも、俺にその良さは分からないが。


「いやぁ、いよいよ夏本番って感じになってきたねぇ。来栖君」


 などと、のんきに言っているのは我が先輩にして、この天ヶ崎高校のアイドル、白咲千有梨嬢である。


 誰にでも好かれる天真爛漫な性格の彼女は、あるときは友人として、またあるときは頼れる先輩として皆に接し、校内での人望も厚い。


さらに言うなら、学業から運動までなんでもこなす。まさに文武両道、人間のいいところを詰め合わせにしたような人である。


なぜ、そんな彼女とこんな俺が一緒に放課後を過ごしているのか、疑問に思う方も多いだろう。




実際、先輩と比べて俺、来栖亮はといえば、影のように、ひっそりと日々を生きることをモットーにしているような男だ。当然、友達どころか俺の名前をはっきり覚えている生徒さえほとんどいない。


そのうえ、さらに言うなら成績も運動も中の下くらいで、空気に形がついたような地味な男である。


そんな俺が半端に学校のアイドルと親しくなってしまったがために、最近では一部から存在を疎まれ始めている。実に理不尽だ。




入学当初は、誰かに好かれないまでも、せめて、誰にも嫌われない、平穏無事な高校生活を送ろう、と心に決めていた。 


それがまさか、こんなことになるなど誰に予想できるだろう。


そういうわけで、この部に入ってから一年以上がたつにも関わらず、俺は未だに自分がこの先輩と一緒にいるという事態を受け止めきれずにいる。




まあ、だからといってこの状況にそれほど不満があるわけではない。


実際、俺はこういう卑屈な性格をしているため、先輩に出会っていなければ居場所もないままに何となく高校生活を過ごしていただろう。それも悪くないとは思うが、居場所というのはあるに越したことはない。


それに先輩みたいな輝いている人のそばというのは案外居心地がいい。木を隠すなら森の中というが、影を隠すのは光の中がベストなのかもしれない。


以前、そんな話をしたときに先輩は笑顔で


「そんなことないよ。私、来栖君には何度も助けてもらったもん」


と言っていた。とにかく優しい人なのである。


 ……とはいえ、その優しさゆえに必要以上に苦労を背負ってしまうのが先輩の困った癖でもあるのだが。




 紹介が遅くなったが、ここは特別教室棟二階社会科準備室。俺と先輩の所属するクイズ部の部室だ。俺と先輩の唯一の接点であるこの部は、実質的な部員が我々二人で、残りは全員幽霊部員という愉快な部活だ。


 なぜそんなことになっているか。その原因は、この天ヶ崎高校の校則の、本校生徒はなんらかの部活動への入部を必須とする、という一文によるところが大きい。


 もともとはさまざまな部活動を通じて、勉強をしているだけでは得られない経験をしてほしいだとか、他学年との交流を深めることでより豊かな学校生活を目指していきたいといった狙いで定められた校則らしい。


 だが、当然全員が全員真面目に部活に勤しむわけではない。


 仕方なく入った部活に本気で打ち込めず、さぼりがちになるものもいたらしい。また、うちが仮にも進学校でもあることから、受験勉強に早くから集中したいというものも多く、強制的に部活動をさせるというのが厳しくなっていったらしい。


 しかし、この部活動必須という伝統は、俺には何がいいのかさっぱりわからないが、我が校のウリの一つであるらしいのだ。


 よって、校則を改定するという案は認められなかった。


 そこでなるべく部活動はしてほしいけど、どうしても嫌なら入部の手続きだけでもしてもらうことで部活動必須の体裁を整えるという折衷案が採用された。


そうして、当時クイズ好きな生徒数人が集まってほそぼそ活動していたクイズ同好会に白羽の矢が立った、ということらしい。


そうはいうものの、その時の部員は全員卒業を控えた三年生たちだけで、そんなことがなければクイズ同好会は部に昇格するどころか、廃部まっしぐらという状態だったらしく、部としてはある意味幸運な出来事だったと言えなくもないのではなかろうか。




そんなわけでこの部の部員は現在もほとんど幽霊部員ばかりになっているというわけだ。


俺はというと、入学当時部活が必須だということを知らず、担任に言われるがままここに来てしまったわけであるが。


思えば、あの時誰もいないなら、と記念に部室を覗いてみたりしていなければ、先輩と親しくなることもなかったのだ。


まあ、それはそれとして。




「よくそんな元気でいられますね、先輩。今日の最高気温30度超えるとか聞きましたよ」


 先ほども言ったように、この部活で実際に活動しているのは二人。当然その部室にエアコンなどない。エアコンのあるような高級な教室では我が校の誇る実績も部員も豊富な文化部たちが様々な活動に打ち込んでいることだろう。


 せいぜいここにあるのは先輩が家で使っていないから、と言って持ってきた扇風機だけだ。幸い日当たりもよくないとはいえ、やっぱり暑い。さらに言わせてもらうと冬は寒い。


「ひえ~、暑い暑いと思ってたけど、そんなに暑かったんだねぇ」


 机に突っ伏しながら先輩が言う。


「そういうわけですから、俺もその扇風機の恩恵に与らせてもらえませんかねぇ」


 扇風機があるとは言ったが、あくまであれは先輩の物だ。今、彼は先輩を少しでも涼ませるために集中しており、俺のことなど眼中にないといった様子だ。


「やだよぅ。どうしても涼みたいなら来栖君がこっちに来てよぅ」


 ぐでっと机の上で溶けている先輩がそういうので、俺は先輩の近くに移動する。


「ああ、でも私の後ろじゃないとダメだよ。風が来なくなっちゃう」


 言われずともそのつもりであった俺は、はいはいと適当な返事をしながら先輩の斜め後ろに椅子を運び、座る。


 風量を強に設定された扇風機が唸るような音をたててこちらに風を送ってくれる。空気までもが熱くなってしまっているので、その風も涼しいとは言い難いがないよりマシだ。


「来栖く~ん」


 あくびまじりに先輩が俺の名前を呼ぶ。


「なんです~?」


 俺は俺で、気の抜けた返事を返す。暑さは人を怠惰にするなぁ、とぼんやり思う。


「明日から夏休みだよぉ」


「そうですねぇ」


「宿題たくさんあるのぉ?」


「ありますよぉ」


「だよねぇ~。……部活、どうしようか?」


「やることあるんですか?」


「ないけど」


「そうですかぁ」


 俺がそう適当な返事をしたとき、急に扇風機のほうを見ていた先輩がこちらに振り向いた。


「……夏といえばさ、やっぱり怖い話だよね」


「そうですかねぇ」


 また、頭を使っていない雑な返事をする。脳が暑さでやられてないといいが。


「そうだよ~。……そんなわけでさ、来栖君。ウミガメのスープ問題って知ってる?」


「……名前を聞いたことはあります」


 まずい、と直感し、ボケた頭を叩き起こし、先輩のほうに向き直る。


 すると案の定、先輩はにやっと笑って言った。


「じゃあ、やってみようか」


 まいったな、と心の中でぼやく。俺からしてみればウミガメのスープよりもこちらの、つまりはこの先に待っているであろう俺の未来のほうが問題だ。


 こんな風に突然先輩がゲームやクイズを提案してくるときはそれ自体を楽しむ目的のほかに、大抵何らかの目的がある。


要するに俺が負けたり答えられなかったりすれば罰ゲームとして要求を飲まされる、というわけだ。


 喉が渇いたから飲み物を買ってきてほしい、と言われるのは可愛いもので、運の悪いときは先輩の抱え込んだ「厄介事」に巻き込まれることもある。


 さっきも言ったように先輩には困った癖がある。


 先輩はなぜかわからないが人助けをするのが大好きらしく、先生の手伝いから、生徒間のトラブルまでまんべんなく首を突っ込む。少々やりすぎだと感じるくらいに。


 「悪い癖」ではなく、「困った癖」と言ったのは、(俺を除けば)人に迷惑をかけているわけではなく、むしろ皆に感謝されているくらいだからである。


こういうところも先輩の人気の一因ではあるのだが、俺からしてみればあくまで「面倒事」なのでなるべく巻き込まれたくはないのだ。


こんなことになるなら最初に会った頃に軽い気持ちで「手伝いましょうか」なんて言うべきではなかったか……。まあ、後悔というのはすべからく先にたたないものなので仕方のない話ではあるが。


「ウミガメのスープ問題っていうのはね、まあ、簡単に言えば推理ゲームみたいなものだよ。最初に私が問題を出して、来栖君はその答えを考えるの。でも、問題だけじゃ答えには辿り着けないから、来栖君は私に質問することができるの」


 いまいち、ピンとこない。


「よくわかってないみたいだね。まあ、やってみればわかるよ」


 暑いので正直そろそろ帰りたいが、先輩を無視して帰るのは少々心苦しい。


「仕方ないですね、一回だけですよ」


先輩がとても嬉しそうな笑みを浮かべる。この笑顔のためなら多少の面倒くらいなんて思ってしまうのは、まぎれもなく暑さのせいだろう。猛暑恐るべし、と言ったところか。


「よし、それじゃ問題をだすね。あ、でもちょっと待って、その前にルールを説明しとかないと。このゲームは答えを見つけるのが目的だから、本来質問側は無制限に質問できるんだけど、それじゃ面白くないでしょ? だから、三十分間で答えられれば来栖君の勝ち、ダメだったら私の勝ちってことにしない? 」


 いや、そういわれても妥当な時間設定なのかわかりませんし…


「あ、あとこれはウミガメのスープ問題の基本ルールなんだけど、質問は何度でも大丈夫だよ。ただし、YESかNOで答えられる形のものだけだから気をつけてね」


 なるほど。当然と言えば当然だが、直接答えは聞けないわけか。


「それじゃ、始めるね。今だいたい四時半だから、制限時間は五時くらいだね」


 そういいながら先輩は鞄からキッチンタイマーを取り出し、三十分きっかりにセットした。実に用意がいい。


「ある男が、レストランでウミガメのスープを食べた後に亡くなった。なぜだろう? 」


 いきなり人が死んでしまった。なかなかダークなゲームらしい。いや、それよりも……


「えっ、それだけですか? 」


「うん。そうだよ」


 なるほど。ここから質問を繰り返して手がかりにしていくのか。ひょっとして時間、足りないんじゃないか……?


 そうとわかれば、回数に制限がないとはいえ、適当に質問し続けるわけにはいかないな。とはいえ今できる質問なんて……


「その男の死因は他殺? 」


 こんな所だろうか。


「NOだよ。さすがだね」


「それなら、自殺? 」


「そう。男はウミガメのスープを飲んで、自殺したの」


 そうなると、なぜ彼が自殺したか・・・・・・・・、が問われているわけか。


 しかし、スープ飲んで自殺と言われてもな。とにかく質問で手がかりを集めるしかなさそうだ。


「男はウミガメのスープを飲んだことが原因で死んだんでしょうか? 」


 先輩はここで少し考えたあと、「そう、ともいえるかな」と曖昧な返事をした。察するに、ウミガメのスープを飲んだこと自体はあくまで間接的な要因にすぎないのだろう。で、あるならば。


「男はウミガメのスープを飲みにレストランに? 」


「そうだね」


「男はウミガメのスープが好きでしたか? 」


「うーん、それはどちらともいえないかな」


「では、男は初めてウミガメのスープ、いやウミガメを食べたんです? 」


「そうだね」


 なるほど。つまり、ウミガメのスープを食べるためにレストランに来たが、ウミガメは初めて食べたと。


 まあ、珍しいものが食べたかっただけというのが一般的だろうが、この男はこれから自分で命を絶つ人間だ。それに直接ではないにしろ、ウミガメのスープを飲んだことによって。


 そんな人間が物見遊山の感覚でウミガメなんか食べるものだろうか? なら、なぜウミガメを食べたかったのか。


 そこで、だ。


言うまでもないが、ウミガメは海に生息する亀だ。世間では出産が感動的などと言った理由で取沙汰されることも多い存在であるが、実は海での遭難時の非常食・・・・・・・として非常に重宝される生き物でもある。


「男は海で遭難したことはありましたか? 」


「え、すごい。なんでそう思ったの? 」


「それは経験アリってことでいいんですよね? 」


「むぅ、私の質問は無視なの? 」


「時間がないので」


「しょうがないな、うん。あるよ。バリバリにある」


 先輩の反応を見るに「遭難」は重要な手がかりであるらしい。しかし、この男はウミガメをレストランで初めて食べた、という。これはどういうことだろうか。


 遭難したときウミガメの話題が出るとすれば、それは十中八九食料としてだろう。流石に遭難しているというのにウミガメを可愛がる余裕なんかないだろう。あるやつがいたら多分そいつはもう諦めている。


 この男は少なくとも助かっているのだから、諦めはしなかったのだろう。


「…男は一人で遭難したんです? 」


「ううん。違うよ」


「では、二人? 」


 先輩が首を横に振る。


「もっとたくさん? 」


「そうだね」


「…その人たちは全員救出されたんですか? 男と同じように」


 なるほど。つまり、助からなかった人間もいるわけか。


「その人たちは、…そうですね。他殺でしたか? 」


「違うよ。…たぶん」


「なら、餓死? 」


「そうだね。きっと、そういう人が多かったんじゃないかな」


 仲間内での争いはなかったのだろう。そして、仮に餓死が死因であるとするなら、彼らの手もとには食料はなかったのだろう。もともとなかったか、底を尽きたのかはわからないが、この際そこは問題ではない。


 問題は、そう。男をふくめた生存者達はどうやって飢えをしのいだのか・・・・・・・・・・・・・・、だ。


まあ、男がウミガメをレストランで初体験している以上、すくなくともウミガメではないらしいが、「ウミガメのスープ」がでてくるのなら、ここしか、ないよなあ。それにこの後男が自殺するとなると……


「…男は、人間を食べたことがあったんですね? 」


 俺は、確信を持って聞いた。




「そうだよ。答えに辿り着いたみたいだね? 来栖君」


 …つまり、男は遭難した際に人間を食べたのだ。ウミガメのスープとして。


 男たちは食料がないなか、緊急時の食料として先に力尽きた者に目を付けたのだろう。しかし、男はそれに抵抗があった。非常時とはいえ人間を食べるなんて、といったところか。


 そうはいっても、食べなければ当然飢える。男の仲間はそれを見過ごせなかった。それは共食いに手を出したとはいえ、彼らにまだ助け合う心が残っていたということだろうか。


まあ、それがどうかは定かではないにしろ、そこで男は人肉スープを「ウミガメのスープ」としてだされたわけだ。


 きっとウミガメが獲れたから食べるんだ、とかなんとか言われて。


 そうして、男は一命を取り留めたものの、ずっと引っかかっていたことだろう。


あれは、本当にウミガメだったのか、と。




 それを確かめるために、男はウミガメのスープを食べにレストランに行き、そして…


「ピピピピピピピ…」


 俺の解答の盛り上がりが最高潮に達したところで、電子音が鳴った。


 キッチンタイマーを停止させた先輩が言う。


「時間切れ、だね」


 しまった。説明に熱を入れすぎて忘れていた。


「私の勝ち、だね。負けちゃいそうで、ヒヤヒヤしたよ」


 く、勝てる戦いに敗北するというのは、基本的にプライドなどない俺からしても屈辱的だ。しかも自分のミスが原因ならなおのこと。


「それじゃ、おなじみの罰ゲームと行こうか」


 ニッコニコである。腹立たしいほどニッコニコ。喜びを隠そうともせずに先輩が鞄からなにか取り出した。


「これ、来栖君ももらったでしょ」


 それはもうすぐ近所で行われる夏祭りのチラシだった。この学校を運営する天ヶ崎グループがスポンサーであるために全校生徒に配られたものだ。


 たくさんの屋台が並ぶほか、名のある芸人や、ミュージシャンも来る。さらに花火もあがる。この花火がまたすごいらしく、毎年それ目当てで県外からも人が集まるほどだそうだ。大層金のかかった、もとい、盛り上がる祭りである。


「それが、どうしたんです? 」


 先輩が一つ深呼吸をして告げる。


「…一緒に、行かない? 」


「……へ? 」




 もうすぐ七時だというのに、日が長くなった空はまだまだ明るい。先輩に言われた待ち合わせ場所に一足先に辿り着く。先輩は用事を済ましてから来るので少し遅れるそうだ。


 ここは、祭り会場の節野川の近くにある一本松。


待ち合わせスポットとして結構な人気を誇るこの場所の空気にあてられ、俺はじわじわとHPを削られていた。


 きらきらとした人生楽しんでますよオーラとはどうにも相性が悪いのだ。俺のような人種は。




「来栖君、おまたせー! 」


 聞き覚えのある声に振り向くと、浴衣に身を包んだ先輩がこっちに駆けてきていた。


 薄桃色の生地に桜の柄があしらわれた可愛らしい浴衣だ。なんというか、そうだな、周りの人たちの反応からもわかるように…


「似合ってますね。先輩」


 一瞬きょとんとした顔をして、先輩が嬉しそうに「でしょー」という。


そんなに俺が人を褒めるのは珍しいだろうか? いや、実際そうではあるが。


 まさか、俺が人と祭りになど来る日がこようとは。これまでろくに祭りに来ることもなかった俺が、である。人は変化する生き物だなあ、としみじみ感じる。


「で、今日はどうするんです? 」


 結局、罰ゲームとして先輩と祭りに来ることになったわけだが、まさか、先輩がただ俺と祭りを楽しみたいなんてことはないだろうから、なんらか目的はあるのだろう。


「ん、まずはそうだね。たこ焼きかな? リンゴ飴かな? 」


「……お祭りらしくていいですね」




リンゴ飴というのは結構ボリュームあるんだな。おかげで俺は他にいろいろ食べる気にはなれなかったのだが、隣に座っている先輩はいか焼き、たこ焼き、フランクフルト、と順調にたいらげ、今六本目の焼き鳥に手を伸ばしているところだ。


慣れない人ごみの中をかきわけるようにして歩いたため、もともとそんなに体力のない俺はもう疲れ切っていた。


今は先輩と二人で会場の河川敷の坂にある石段に腰掛け、花火の時間を待っているところだ。


「そういえば先輩、今日はいったいどうしたんです? 」


「…まだ花火までしばらくあるね」


 俺の質問には答えないで、先輩が呟く。


「暇つぶしにまたウミガメやらない? まだ食べてない焼きそばでも賭けてさ」


「…まあ、いいですけど」


 確かに、まだ花火の時間までは結構あった。早めに場所をとらないと座れなくなってしまうだろうからだ。


「じゃあ、いくよ。孫が生まれたその日、男は死んだ。彼は最後に何を思っていただろうか? 」


 まったく人がよく死ぬ問題である。確かに時間つぶしにはなるが。


 しかし、妙だ。


 今先輩は、なぜか? ではなく、何を思っていたか? と言った。人がいつ何を考えているかなんて絶対に誰にもわからない。わかったとしてそれを証明できないからだ。


まして、既に死んだ人間ともなれば気持ちなどわかるはずもないと思うのだが。


「男は死ぬ直前に誰かと話しましたか? 」


「ううん」


 それではやっぱり正解を知ることはできないのではないだろうか。


 まあ、しかたない。クイズである以上正解は用意されているのだろう。


 答えのないクイズなんてアンフェアな問題を出してくるほど先輩は意地悪くない。少なくとも、たかが焼きそばのためにそこまではしない。多分。


 というわけで、とりあえず男がどんな状況であったのか、あたりから探っていくとしよう。


「男は自殺でしたか? 」


「ううん、ちがうよ」


「なら、他殺? 」


先輩が首を横に振る。となると。


「事故、ですか? 」


「ううん」


 俺の予想に反して先輩はまた首を振った。それならまあ、残された可能性はおおよそ一つしかあるまい。


「病死、ですか」


「そう」


 …そうきたか。病気といわれると、俺には病名がそんなにわからないので質問が限られてくるな。まあでも、それはそれとして、だ。


「男はその病気の事は事前に知っていたんですか? 病院とかで」


「うん。病院に通ってたよ」


「では、男は病院で亡くなったわけです? 」


「ううん、ちがうよ」


「じゃあ、家で? 」


「そうでもないよ」


「だったら、屋外ですか? 」


「そう」


「そう、ですか」


 今回は前回と比べてなかなか進展しないな。現状男が孫の生まれた日に屋外で病死したことはわかったが、正直だからどうしたというのかわからないという印象だ。何を思っていたかなど到底わかるはずもない。


 しかし、考えないことには始まらない。


 まず、男は病気だった。それも命に関わるくらいの。病院に通っていたわけだから、少なくとも入院はしていなかったようだ。


 そして、孫が生まれた日に屋外で亡くなっている。「屋外」だと断言された以上はそこに何らかの意味はあるはずだ。たまたま散歩していたなんてことではなく、目的をもって外出し、そして亡くなった。


 男の外出の理由は予想がつく。というか、まず間違いなく出産に立ち会うためだろう。


 男はそのために、病院に向かう途中で不幸にもなくなったわけだ。急な発作だったとか、孫の誕生に舞い上がって薬を飲み忘れたとか何らかの理由で。


 …整理してみると意外と男の死の状況がわかってきていることに驚く。だが、今回聞かれているのは状況ではない。


 しかしこれと言って質問も思い浮かばないしな…。


「先輩、答えはちゃんとあるんですよね? 」


先輩は俺がしばらく考えている間、川のほうを眺めていた。そして、そちらに視線を向けたままで答える。


「うん。ある、よ。でも、私にはわからない」


 多分、今俺は相当間抜けな顔をしていることだろう。開いた口がふさがっていないのが自分でもわかる。


「どういうことですか… それ」


 答えがあるのはわかるが、それがなにかはわからない、と。あるというのだからあるのだろうが、出題者にもわからないものは答えと言えるのだろうか。


 それにこのウミガメのスープ問題で出題者が答えを知らないなら俺は何を頼ればいいのか。


 ……こんな問題を出した、先輩の意図は何なのか。




 先輩がこんなことを意味もなくするとは思えない、いや、先輩でも流石にこんなことはしないと思う。おそらく、なんらか意味のある行為であるのは間違いないだろうが、それは何だろうか。




 …このクイズを始める前に、俺は先輩に聞いた。


今日はどうしたのか、と。


 先輩はそれには答えなかった。だがもし、そうでないとすればどうか。


つまり、今日の先輩の目的はこのクイズなのだとしたらどうか。




さて、そうだとすればどうなるか。このクイズにおいて、登場人物は二人いる。すなわち、男とその孫だ。


これはあくまで仮定だが、問題文がこうであればどうだろうか。


「男が死んだ日に孫は生まれた。孫は男にどう思われたか」


問題は男が死んだことではない。孫がその日生まれたことだ。


 何かを思うのも、何かに思われることを気にするのも、結局は生きた人間であり、死んだ者ではない。




 突然に思うかもしれないが、俺は人生相談なんかをされるのは嫌いだ。なぜって?


 俺が自分の答えに責任を持てないからだ。他人の人生はあくまでも他人のものなのだ。そんな他人の人生を変えるかもしれないことなんてしたくない。


 だから、あくまで俺はクイズに答えるだけだ。架空の人物の、架空の思考を自分勝手に語るだけだ。




 その孫、仮にAとしよう。Aは誕生日に祖父を亡くした。遠い親戚などならいざ知らず、祖父ともなれば、毎年墓参りにくらいいくだろう。自分の誕生日に毎年墓参りがあるのだ。どう亡くなったか気にもなるだろう。


先ほどの男の死因であるが、おそらく前者というより後者、薬を忘れたみたいな原因だったのだろう。これには確信がある。


俺ならば抜けた人だったんだなあ、くらいにしか思わないが、


Aは祖父の死をこう捉えたのだ。


自分のせいだ、と。


正直言って、俺ならまずそんなことは思わない。多くの人にとってもそうだろう。だが、Aにとっては違ったというだけの話。


きっと、彼女はもともとそういう性格ではあったわけだ。誰かのために、何かをするのが好きな優しい子。


そこに、自分の誕生による祖父の死という要素が加わった。


結果として、人のために頑張るという行為が、贖罪に変わった。きっと、ある種の強迫観念みたいなものだったのだろう。




…常々、疑問に思ってはいたのだ。さして仲良しでもない誰かのために日々駆け回る先輩を見て、そこまでする必要があるだろうか、と。実際先輩の行為は喜ばれている、誰も不思議になんて思わない。だから、俺もせいぜい気にするだけだったのだが。




最近、影を隠すのには光の中がベストなんて言ったが、そんなことはないな。本当に見つけられないぶん、性質が悪い。


先輩のような人はそういうものとは無縁なのだと、勝手に俺は思っていたのだが。でも、そんなことないんだな。




架空だ、なんて言っておきながらまったくその通りにできていないが、まあいい。あくまで俺の気持ちの問題だ。




長くなったが、俺はクイズに答える使命がある。


男が何を思ったか。それは。


「先輩」


 俺が先輩に呼びかけたその時。




すっかり日も沈んだ夜空に色とりどりの花が咲く。会場にいるすべての人を魅了する力強い輝き。


「きれいだねえ、来栖君」


 先輩が子供のように無邪気に言う。先輩にとって、おそらく初めての花火だろう。楽しめているようで、良かった。




 ついでだから言っておくと、さっきの話は不十分なのだ。つまり、補足がある。


 男が薬を忘れたりしたのだというのに確信があると言ったが、それは、今日が男の命日であろうと予想されたからだ。


 薬がなかったからと言ってそんなにすぐ亡くなるなんてことはない、だろう。


 忘れたなら取りに戻ればいい。戻れないにしても救急車を呼ぶなりできたはずだ。


なぜそうしなかったか。


そんなものできなかったからに決まっている。


できることができなくなる。たとえば普段は混まない道で渋滞が起きることなんかによって。


実はこの祭り、何年も前から毎年決まった日にあるのだ。曜日ではなく日付で開催日が決まっている。


…だから、先輩の用事というのはおそらくお墓参りだったのだろう。


そして、去年まで先輩はこの花火は見に来ていない。これは確証があるわけではないが、先輩は今高校二年生だ。もし、去年も来ているなら確実にそのメンバーがいる。学校中で大人気の先輩が、俺と来ることにはならないはずだ。


いや、そんなことよりも。




「先輩、クイズの答えなんですが。…俺は……たと思います」


花火に声がかき消されてしまう。先輩がよく聞こえないよと、耳に手をあてるジェスチャーをする。




しかたなく、俺は先輩の耳元で答える。


「俺は、先輩が生まれてきてくれてよかったと思います」


 男の気持ちはやっぱりわからない。確実なことは言えない。


 だから、せめて確実なことを、俺が責任を持てる答えを示そう。それが俺にできる最善に違いないのだから。




 花火を見ていた先輩がすごい勢いで振り向いた。首を痛めていないか心配になる。


 花火の光に照らされた先輩は耳まで真っ赤になっている。…お気に召さなかったのかもしれない。


 俺は慌てて目をそらしながら取り繕うように続ける。


「あー、でも答えとしては不適切でしたかね。焼きそばを奢ります」


 えーと、それと。花火にかき消されないようほとんど叫びながら続ける。


「他にもなにか食べますか? いや、食べ物でなくても大丈夫ですよ。…先輩、お誕生日おめでとうございます」


 先輩が驚いた顔になる。顔は、まだ赤い。


「…なんでわかったの」


「そう、なんじゃないかなって… 当たってたみたいでよかったです」


「さすが、なんでもお見通しだね。…実は私、お祭りに来るの今日が初めてなんだ」


 やっぱり、そうだったか。


「来栖君と来てよかったよ」


 …そう言って先輩が笑う。花火にも勝るとも劣らないその笑顔をきっと俺は忘れることはできないだろう。




 次が今年の花火のフィナーレを飾るプログラムです、と会場のスピーカーからアナウンスが響いた。


「来栖君、花火終わっちゃうって! あれやろうよ、あれ!」


「あれって何です? 」


「あれだよあれ、叫ぶやつ!! 」


 ああ、なるほど。


少し長くなった謎解きの終幕を祝うように、ひときわ色鮮やかな花火が打ち上がる。


 それにあわせて先輩が合図する。


「せーのっ」




「「たーまやーっ!!! 」」

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