第33話
靖国通りに出て少し歩き、二回角を曲がると会社の看板が見えて、社員用入口で警備員に挨拶をして中へ入る。ビルの入口からエレベーターまでは二〇メートルほど離れていて、前後に誰も歩いていないのを確かめてから、右手でネクタイの結び目を掴み、(どうせ制服に着替えるために脱ぐのだからと)勢いよくネクタイを首からはずすのだけれど、それがまた気持ち良くて、エレベーターの『△』ボタンを押し、エレベーターが到着すると(エレベーターガールなんていないから)電子音と女性の声の中間のような音で「一階でございます」と言うのが聞こえ、乗り込んで『9F』のボタンを押すと「上へまいります」とエレベーターが言ったので「お願いします」と応えた。
九階に着き、エレベーターから出ると目の前が更衣室で、暗唱番号を入力して中に入る。まだ誰も出勤していないし窓もないので更衣室は暗く、ドアの右横にあるスイッチを押して明りを点け、扉に「33」と紙の貼られたロッカーに家の鍵と一緒になっている一番小さな鍵を鍵穴に差し込んで扉を開け、中に鞄を入れた。コートと背広を鞄の上に置き、シャツのボタンを上からはずして、針金ハンガーに掛かっている黒いジャケットを外し、シャツを掛け、背広を掛け、コートを掛けて鞄の中から制服を取り出し、羽織って上からボタンをはめる。ベルトを一端緩めてシャツをズボンに入れ、ベルトを絞め直し、黒いジャケットを羽織る。この黒いジャケットは入社した年の秋に買ったもので、それからずっと着続けているのだけれど、毎日ダンボールを担いだりしているから、ダンボールを支えるお腹の辺りが磨り減っているし、書き仕事もするので袖がボロボロになっていて、それに、このあいだパートタイマーの杉本さんに「穴が開いてますよ」と言われて見てみると、右肩に穴が開いていて、小さな穴だったから普段立っているときには気が付かないのだけれど、屈んだりしてジャケットが引っ張られると中に着ているベージュ色の制服が見えてしまい、杉本さんには「大丈夫。見えないよ、多分」と笑って言ったのだけれど、それから気になって仕方がなくて、昨日吉祥寺に行ったついでに新しいジャケットを買って来れば良かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます