第32話
時計を見ると(パッと見は九時、正確には)八時五七分で、シフト表と本を鞄にしまい、最後の一本を吸おうと煙草を持った。外では風が強く吹いているし、目の前のジーンズはずっと下着を見せたままで、僕が来る前からいたお客さんも数人残っていて、もしかすると誰かが去っても、別の人が同じ席に座り、去って行った人と混同しているのかもしれないけれど、どちらにしても僕にはあまり関係がない。今吸っている煙草が最後の一本だと思うと、出社しようという気持ちがあるから早く吸い終わらないだろうかと焦る気持ちが出て来て、でも、これが最後なのだからゆっくりと味わいたいとも思うのだけれど、焦りのほうが勝ってしまい、煙草を口に持って行く間隔が狭まって、もう半分ほど吸い終わってしまった。そうなると目の前のジーンズとスーツの会話も(耳に入って来ても)理解することなどできなくて、多分シャンプーかリンスの話をしているのだろうけれど、僕の家には『植物物語』か『ビオレ』かがあって、どちらかがこのあいだまで使っていたものなのだけれど、それもどうでもよくて、どうでもいいと思えてしまうのは、これから僕が出社するからで、今の僕にとって必要なものは、取引先の会社の電話番号だったり、今日入荷予定の商品の処理であったりということで、だんだんと仕事に向かう気持ちになって行って、煙草を消し、トレイと灰皿を片付けた後、席に戻ってコートを羽織り、鞄を肩にかけて(一度忘れ物がないか振り返り)階段を下り始めた。
階段の途中で携帯電話に着信がないかを確かめ、「ありがとうございました。お気を付けて行ってらっしゃいませ」というロッテリアの店員の声を聞き、自動ドアが開いて、冷気と入れ代わりに外に出ると思っていたほど外は寒くなくて、歩きながら両手を合わせて口許に持って行き、鼻と口を包むようにして、息を「ふぅっ」と吐いた。こうやって手を口許に持って行くのは僕の癖で、「冷静にならなきゃ」なんて思うときによくするのだけれど、冷静になれないで焦ってしまうときにも癖があって、左手人差し指の爪を親指で(押さえるように)弾いてしまい、同時に貧乏揺すりをすることがあって、人差し指を真正面から(自分を指差すように向けて)見ると、爪の親指側が下がっていて、中指にもその癖が飛び火しているらしく、中指の爪も僅かに形が変わっている。
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