第22話

 代田橋駅は各駅停車しか停まらないので、時間によっては何本も通過電車を見送らなければならないのだけれど、今日は運良く一本目の電車が駅に停まってくれた。

 急行や通勤快速のことは知らないけれど、(京王線の上りの)各駅停車に関して言えば、車両を選べば満員というわけではないし、八時前後の一番混む時間帯を避ければ車内で本を読むことは難しいことではなくて、鞄から『魔の山(下巻)』(トーマス・マン)を取り出して読み始めた。

 代田橋駅から新宿駅までは(京王新線だと初台駅と幡ヶ谷駅に停車するけれど)笹塚駅しかあいだに停まる駅はなく一〇分もかからずに電車は新宿駅に着いてしまい、本を読むには短過ぎるのだけれど、本に集中することさえできれば「ハンス・カストルプ」や「セテムブリーニ」の言っていることは理解できるし、「ヨーアヒム」の行動や「ナフタ」の生い立ちを読み進めることにも問題はなくて、集中力を失わせるイヤホンから漏れる音や、突然鳴り出す軽快な携帯電話の着信音や、香のきつい香水を感じることのない今日も、五頁ほどを一気に読んだ。

 イヤホンから漏れる音はメロディまでは聴き取れないのでそれほど邪魔にはならないし、突然鳴り出す携帯電話もずっと鳴り続けるわけではないので本がまったく読めなくなるということはないのだけれど、香水などの「匂い」は本を読むことを許してくれないほど神経に障る。きつ過ぎる香水も勘弁して欲しいけれど、一番厄介なのは記憶に結びつく「匂い」で、高校時代の恋人から香った(シャンプーだったのか香水だったのかの)香と同じだったりすると、本を読むことが一切できなくなる。年に一回か二回ほど、その「匂い」を感じることがあって、見知らぬ人とのすれ違い様に(その香が)香るとついつい振り返ってしまうし、その恋人に姿が似ていたりすると追いかけて顔を確認したい欲求に駆られてしまうことがあって、別れた恋人に未練があるわけではないと思いたいのだけれど、忌み嫌って別れたわけではないし、過去にすがっているような自分にも腹が立って集中できなくなる。

 以前京都へ旅行に出掛けたとき、『智積院』の近く(その領内だったか)のレストランに(オムライスが美味しいからと連れられて)入ると、香辛料なのか建物の木材なのか(さっきと同じ)高校時代の恋人の家の「匂い」と同じ匂いがして、複雑な気分でオムライスを食べたことがある。「草いきれ」だとか「ガソリン」だとか「お線香」だとかの匂いが(その匂い自体が)記憶に残るのは異臭だからというのと、匂いを発するものの(目に見える)存在感も記憶し易い(いわゆる異物)からだと思うし、昔の恋人の匂いも、他の人とは違うという存在感のせいだと思う。自分の家の匂いがよくわからないのは、家は自分にとって異物ではないからだと思うし、「慣れ」もあるのだろう。

 京王線新宿駅の改札を出ると、少し遠くに『四谷学院』の広告が出ていて「骨太な学力を。」とコピーが打ってあり、僕の好みのタイプの女の子が制服姿(緑色のブレザー)で、積上げられた教科書を(瓦割りの要領で)打ち破いているのだけれど、この写真を見たときには注意を引かれて見惚れてしまったのだけれど、今では慣れてしまい(それでも好みのタイプなので)歩いている途中に一度視線を移すだけでやり過ごすのだけれど、例えば、電車の中吊りのように(毎週なのか)ころころと変わる広告に対しては「変わる」ことに慣れてしまって、電車に乗ってもあまり見ることはなく、「慣れる」といっても(その慣れ方には)色々あるのだと思う。(こんな考え方をしてしまうのは『魔の山』のせいだと思う)

 京都の話に戻るけれど、さっきのレストランから見えた風景で実家とも東京とも違うカルチャーショックを受けたことがあって、地図で見ると『智積院』の先には小学校から(短大を含め)大学まで『京都女子』と冠の付けられた学校があるらしく、レストランの面している道が学校から駅までの唯一の道で、オムライスを食べているあいだ、食べ終わってからも学生の行き来が絶えることはなくて、最初は何の気なしに見ていたのだけれど、気が付けば(小学生から大学生まで)大半が日傘を差しながら歩いていて、数え切れないほどの寺院だけが京都の特徴ではなくて、こういった生活習慣を含めたものが京都なのだと感じたのを覚えている。新宿で日傘を差そうと思っても、人が多くて歩きづらくなるだけだろうし、地下通路を歩いていれば日傘なんて必要がなくて、もし地上を歩いていたとしても、今の時間であれば陽射しはビルに遮られて届いて来ないだろうし、日中になればそれこそ、今よりも人の数が増えて歩きづらさが増すだけだと思う。

 地下通路を進んで行き、営団地下鉄を利用する人たちの間をすり抜けて、新宿通りの真下を通る地下通路に入る。

 地下通路の空気は生暖かく、(朝はまだ良いのだけれど)近くのお店が開店すると色々な匂いが混ざって、あまり良い空気とは思えなくなる。新宿の地下を地下街ではなく地下通路と言ってしまうのは、実際に通路だからで、通路の両側にお店が並んでいるということはなく、天井を支える円柱の柱が二列で並んでいるのだけれど、それに(公開目前の映画だったり、新創刊の雑誌だったり、女性の下着だったりの)広告が巻かれているくらいで、殺風景な地下通路だと思う。

 さっき近くのお店と言っておきながら、なにもない地下通路と言うと矛盾しているように聞こえてしまうかもしれないけれど、近くのお店というのは、地下通路(新宿通り)に面している『ビルの地下』のことで、ビルの地下に並ぶお店はビルの中であり、地下通路からはそれらのお店が見えるだけで、地下通路にお店はない。で、新宿の地下になにもないかというとそうではなくて、僕の歩いている新宿通りの地下にはなにもないのだけれど、『サブナード』と名前の付けられた地下街には、(「地下街」というだけあって)お店が沢山並んでいる。西武新宿駅から靖国通りの真下にあるのが『サブナード』で、そこは街らしく「一番街」「二番街」だとか区切られていて、あまり利用しない僕は何番街がレストラン街なのかよくわからないのだけれど、「ウェルカム・トゥ・サブナード。こんにちは、サブナードへようこそ」と女の人の元気なアナウンスが左側から聞こえて来て、そこを左に曲がれば今歩いている地下通路から『サブナード』に行けることは知っている。けれど『サブナード』に行くことが目的ではないので、地下通路と『サブナード』の境目にある地上への階段を上がって外に出た。階段を上がる途中から冷気が感じられて、鼻で息を吸うとツンと痛みが走る。この痛みは麻薬みたいに(もちろん麻薬を吸ったことはなくて)習慣性が(少なくとも僕には)あって、高校時代に片道四〇分の高校までの道を自転車で走っているときも、鼻で息を思いっきり吸って、その(心地良い)痛みで目を覚ましていた。外に出たそこは新宿通りではなくて、新宿通りを左に折れた柳通りで、南北に走る柳通りには(右側のビルのおかげで)陽射しは届いていないのだけれど、その道を右に曲がっても(東を向いても)、(すぐ先のビルで)太陽を見ることなどできない。ビルの沢山建ち並ぶ場所は『ビル風』という風が発生するらしく、ビルの隙間を縫って来る風は勢いを増して吹いて来て、正面からの風を前屈みになって受けとめた。「寒い」と呟くと右側を追い抜いて行く人がいて、背筋の伸びた後ろ姿を見送りながら「寒くないの?」と、また呟いた。

 シャッターの下りた『さくらや』の角を左に曲がって、朝食を食べるためにロッテリアへ入ったのだけれど、ロッテリアが目的であれば、地下通路をあんなに早く出ずに、もう少し歩いていればロッテリアの面している道にすぐ出られるのだけれど、これから職場で一日中太陽の光に当たらずに仕事をすると思うと、(いくら周囲をビルに囲まれているとはいえ)なるべく外の空気に触れたほうが健康的に思えるし、けれど、改札を出てからすぐに外に出ようと思えるほどには寒さは和らいではいなくて、あの出口から外に出るのが距離も気分もちょうど良いように思える。

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