第21話

 仕事のある日は、目覚めても時計を見ることと仕度に集中するばかりで、それら以外のことを考えるのは難しく、気が付けばスーツに着替え終わっていて、出勤の準備が整い、煙草を吸うために廊下の椅子に座り、床に置いてある鞄(白いトートバック)を覗き込みながら「制服」「書類」「(電車内で読む)本」「携帯電話」などと口に出したり出さなかったりしながら確認し、左手でズボンのポケットを順番に押さえ「ハンカチ」「鍵」「財布」(ワイシャツの胸ポケットを押さえて)「煙草」などと(これも口に出したり出さなかったりしながら)確認する。

 一通りのチェックを終えると目の前の窓を眺めながらゆっくりと煙草を吸うのだけれど、目の前の(すり硝子の)窓は日の光りを直接受けているわけでもないのに青色と白色とが混ざったように(けれど水色になるわけではなく)輝いていて、誰かが『ザ・バンド』の音楽を「日曜の朝の音楽」と表現したのを思い出したのだけれど、僕は『ザ・バンド』のCDは持っていないので、煙草を吸ったまま立ち上がり、CDラックから『デヴィッド・サンボーン』(バック・ストリート)を取り出し、コンポにセットして、椅子に座りなおし煙草をもう一本吸い始めた。ここはニューヨークとは程遠い日本の巨大な田舎で、路面から湯気も立ち昇っていないし、スニーカーで出勤するキャリアウーマンも見かけることは少ないし、手で持つには大き過ぎると思える紙のパックに入った中華料理を売っているお店もないし、大体、杉並区の住宅街の中でも小さいほうに分類できる木造アパートの一室は日本以外のどこにもないだろうと思うけれど、『デヴィッド・サンボーン』の音楽はニューヨークに行ったことのない僕にもニューヨークにいるような気分にさせてくれて、映画『アメリカンサイコ』の映像などが思い浮かぶ。映画の中で主人公「パトリック・ベイトマン」は『ヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニュース』(スポーツ)を絶賛していて、時間があればCDを替えて聴きたかったのだけれど、煙草を揉み消して立ち上がり、CDを止めて、コンポやパソコンの電源が落ちているかを確認し、玄関で革靴を履いて外に出た。鍵を閉め階段を下り歩き始めると首が寒く、マフラーを忘れたことに気が付いたのだけれど、駅までは一〇分もかからないし、寒いのは朝だけだと言い聞かせそのまま歩き続けた。

 さっきここを巨大な田舎と言ったのは、職場の同僚でも東京出身者はわずかで、関東圏でも埼玉や千葉出身の人が多く、青春時代を関東以外で過ごした人たちも同じくらいいて、都会というのは田舎者が集まって成り立っているような気がする。

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