第18話

 コーヒーを飲み干して『AKIRA』を読み終えると七時半になっていて、(少し早いけれど)風呂の用意をするために立ち上がり、廊下を通って風呂場に行き、蛇口をひねった。湯船の底に直接当たる水はうるさくて、扉を閉めても部屋の中まで音が聞こえるのだけれど、水がたまり始めれば少し静かになって、廊下の椅子に座って煙草を吸いながら今日の個展を思い出した。

 僕が中尾さんの絵を好きなのは、知り合いだから好きなのか絵自体を好きなのか判断がつかないし、もっと沢山絵を観ている人や、専門家が観てどう評価するのかというのはわからないことで、だから友達に「良い画家がいる」とはなかなか言い難い。たしかアニメーション作家だったと思うけれど「映画は観客を待つことができる」と言った人がいて、映像にしても絵にしても小説や音楽にしても、発表した当時は受け入れられなくても後から評価の上がるものがあって、中尾さんの絵がこれから評価の上がるものなのか、陽の目を見ずに埋もれてしまうものなのかはわからないけれど、主流だとかお金だとかにとらわれずに描き続けて欲しいし、映画『ホワイト・オランダー』で主人公が恋人の絵を絶賛するような感覚に近いのかもしれないけれど、もしそうであっても、僕自身は良い絵だと思っているのだし、今度個展があったら友達を連れて観に行ければ良い。

 湯船にたまった水を沸かすには三〇分ほど時間がかかって、そのあいだにメールチェックをし、携帯電話の着信を確認しようと思ったら携帯電話が見当たらなくて、散々探したあげくにコートのポケットに入ったままになっていて、時間をかけて見付け出しても新しい着信はなく、本棚の上の充電器に差し込んだ。携帯電話を持ち始めたのは上司に持てと言われたからだけれど、それまでは携帯電話もポケットベルも(高校時代でさえ)持っていなくて、高校時代がちょうどポケットベルから携帯電話に(一般市民が)移行する時期で、駅のホームやコンビニエンスストアの駐車場にある公衆電話で女子高生が恐ろしいスピードでボタンを押している光景もいつのまにか消えていた。携帯電話を持っていなくても着信メロディが単旋律から複旋律に変わったりだとか、液晶画面がモノクロからカラーに変わったり、多種多様な絵文字が使われていたりすることは知っていたのだけれど、携帯電話を持ち始めて、飛行機の予約ができたり、ゲームができるということを知った。自分でやってみないとわからないことや理解できないことは沢山あって、高校時代に恋人がアルバイトを始めて、始めてすぐの頃はいつも、これだけ残業すればこれだけ稼いで、だとかいったことを聞かされて、僕は恋人とする話がお金の話なんて嫌だったのだけれど、実際に自分がアルバイトを始めるとお金の計算をしていたりして、あのとき口に出して恋人を批難しなくて良かったと思う。僕の通っていた高校はアルバイトを禁止していたのだけれど、学校から家は遠く離れていて、家の近くのコンビニエンスストアでアルバイトをしていた。接客業などいつ学校の先生がお客として入って来るかもわからないし、危険といえば危険だったのだけれど、なぜかその点に関してはバレない自信があった。何を根拠に大丈夫だと思っていたのかはわからなくて、友達でもアルバイトをしているのが学校に知られて謹慎処分になっていたのに、僕はそのコンビニエンスストアのアルバイトを一〇ヶ月続けた。もう少し続ける予定だったのだけれど、自動車学校に通い始めたのでアルバイトに行く時間がなくなってしまい、けれどアルバイトを辞めたからといって堂々と学校に行けるわけではなくて、(バイクも含めて)免許を取ることも禁止されていたから、どちらにしても一年以上のあいだ校則に違反し続けていたということになる。高速教程のときには三限目を終えると保健室に行って、体調が悪いと訴えて家に帰った後、私服に着替えて自動車学校に行き、まだ友達が授業を受けている時間に高速道路上を八〇キロのスピードで走っていた。

 自動車学校に通っていて、自動車の免許を取得する以外にも行って良かったと思えるものがあって、それは自分に合った勉強法が見つけられたということで、それまではとにかく頭に詰め込むだけの勉強だったのだけれど、それぞれの事柄の関係性を見つけて、パズルのように組み合わせて行けばもっと容易く記憶できることに気が付いた。(高校三年で気が付くのも遅いけれど、気が付かずに過ぎるよりは良い)試験に落ちればお金も余計に必要になるので、高校受験のときよりも真剣に取り組んだのだけれど、おかげで大学にも受かったのだと思う。

 自動車学校での授業中に父方の祖父が死んだのだけれど(昨日も同じようなことを考えた)、年に一回くらいしか会わなかったし、訃報を聞かされても辿れるような記憶の少ないことに気が付いた。あまり人には言わないのだけれど、祖父が死んだときよりも飼っていた犬(ブチ)が死んだときのほうが悲しくて、ブチが死んだときは学校に行きたくなかった。ブチは死ぬ数日前から、夜になると小屋から出て来て応接間から漏れる光をずっと見ていて、死ぬ前の晩には(なぜかもう死ぬということがわかっていて)一晩中父親が見守っていた。朝起きるともうブチは死んでいて、抱き上げると思っていた以上に軽く、首輪を外し(夜のあいだに父親が掘っておいた)穴に入れて、土をかぶせ、首輪を墓石代わりに置いたあと、上からブチの好きだった牛乳を沢山かけてやり、かけてやっているあいだ泣きそうになった。ブチが死ぬ数週間前に(いつもは行かない昼間に)散歩に行ったのだけれど、いつもは走りまわるのにその日はゆっくりと歩いていて、思い出せばその頃には大分体力もなくなっていたのかもしれなくて、最後に楽しく散歩ができて良かったと思う。

 廊下の椅子に座っていたのだけれど、部屋に戻ってタオルとトランクスを持ち、コンポと部屋の明りを消して風呂に入った。

 風呂に入ればまず髭を剃って、頭を洗い、リンスをつけたまま身体を洗って、顔も洗い、すべてを洗い落としてから湯船に浸かる。

 あまり涙を出して泣かないほうで、ブチが死んだときも涙は出なかったし、だから(もちろん)祖父が死んだときにも涙は出なくて、高校時代に泣いたのは多分恋人にふられたときだけで、その他に映画を観ても本を読んでも泣いた記憶はない。映画館で鼻をすする音が至る所から聞こえてくるような状況でも涙は出ないのだけれど、泣かないといっても目頭の熱くなることはあって、目頭の熱くなった映画を友達に教えるときには(泣いていないのに)「泣けるよ」と言うことがある。

 湯船の中で体操座りをしていると、膝だけが水の上に出て、左の膝頭に青痣を見つけ、触っても痛くはないし、半ズボンを履くこともないので構わないのだけれど、問題はそういうことではなく、いつどこでぶつけたのかを覚えていないことで、青痣になるほどだから勢い良くぶつけたのだろうけれど、膝を抱えて痛がった記憶はない。

 さっき高校時代に泣いたのは恋人にふられたときだけと言ったけれど、もうひとつ泣いた記憶があって、歯科医で歯茎に注射をされたときは涙が出た。痛みによる涙だから映画や本で流す涙とは種類が違うのだけれど、でもあれは本当に痛くて、その日の治療が終わって「次も隣の歯に同じことをするから」とお医者さんに言われたときは、(治療室を出る所だったのだけれど)立ち止まって振り返り「次もですか」と言ってしまった。するとお医者さんが「本当に痛かったんだね」と言って「今度は表面麻酔するよ」と言ったのだけれど、表面麻酔をしていなかったとは思っていなくて、それくらいのお金は払うから痛みを和らげて欲しいと思った。

 去年職場での身体検査のときに血液検査をしたのだけれど、注射をするときに看護婦さんが「ごめんね」と言いながら針を刺し込んで、「ごめんね」といわれるまでは針を刺されるのは当然のことだと思って気にならなかったのだけれど、「ごめんね」と言われた途端にとても残酷な行為をしているような気になって、いつもより痛いような気がした。「ごめんね」と言われても返す言葉が見当たらないし、謝られても検査を拒否することなどできないし、痛いからって看護婦さんを憎もうとは思っていないし、不思議なことを言う人だと思った。

 風呂から出ると全身から湯気が出ていて、秋田の大学に行った神谷が手紙で「~寒過ぎる。風呂から出て全身から立ち上る湯気を見て俺もついに『スーパーサイヤ人』になったと思った~」だとか何とか書いてあったのを思い出したのだけれど、バスタオルで身体を拭うと湯気もおさまって、(昨日よりも寒く)すぐにパジャマを着た。

 年を重ねると涙もろくなるというけれど、(一般的に)子供のほうが感受性は強いというし、年齢に関係なく涙もろい人はいて、中学時代にもアニメの『北斗の拳』で「レイ」の死ぬシーンを観て涙を流して泣いたと言っていた友達がいたし、実際に年齢を重ねてみないことには本当に涙もろくなるのかはわからないけれど、感情移入し易いことを(どこかで)恥じていて、年齢のせいにしているのではないかとも疑ってしまう。

 僕の血の半分は母親から受け継いだものだけれど、その母親は涙もろくて、今度実家に帰る機会があったら涙もろいのは昔からなのか、それとも年齢を重ねる毎にもろくなって行ったのか訊いてみたいと思う。父親が泣いているのを今まで見たことがなくて、僕自身が映画を観て目頭が熱くなると「母親の血が」と思うし、周りの人たちが泣いていて僕ひとりだけが泣いていないと「父親の血が」と思い、どちらにしてもあのふたりの子なのだと思う。ただ、父親は悲しい映画を観ない主義で、ハッピーエンディングでないと文句を言う。涙を誘うような映画だとわかると最初から観ないので、本当は涙もろいのをそうして隠しているのではないかとも思うのだけれど、そうすると母親も父親も涙もろい人になってしまって、悲しい映画を観ても泣かない僕の立場がなくなってしまうから、なるべく父親には冷徹でいて欲しいのだけれど、もし涙もろかったとしても僕が実の息子ではないなどということはなくて、日に日に似て行くこの顔はあの父親からしか受け継がれないものだ。

 娘は父親似のほうが、息子は母親似のほうが幸せになるといつか聞いたことがあって、それが本当だとすると僕は不幸にしかなれないのではないかと思えるほど父親に似ている。

 数日前母親が「このあいだ お父さんの小さい頃の写真見てたらあんたにそっくりなのよ。白黒じゃなくてカラーだったら、本当に見分けがつかないわよ」と言い「DNA鑑定する必要ないから楽で良いじゃん」と返したのだけれど、迷信に惑わされて気分が落ち込んでいる自分がいるのも確かで、父親のことを嫌っているわけではないから顔が似ていても構わないのだけれど、(結婚が幸せの象徴なのかどうかはここでは置いておいて)結婚できないままだったら、父親に顔が似ているからと言い訳でもしようかと思ってしまう。

 さっきから爪を切っているのだけれど、爪を切る順番は意識しないでもいつも同じ順番に切っているもので、僕は左の親指から切り始めていて、靴を履く順番だとか、風呂に入るときにどちらの足から入るかだとか、鞄を持つ手はどちらなのかだとか、女の人なら髪を三つ編みにするときに左端か右端のどちらから編み込み始めるのかだとか、服を脱ぐときにボタンを上から外すのか下から外すのかだとか、そういったことは意識する前に身体が癖として覚えていたりする。右手の小指まで爪を切り終えると、爪切りの背にあるやすりで左手の親指からきれいにして行き、それから足の爪に移るのだけれど、夜に爪を切ると親の死に目に会えないと教わった覚えがあって、正直なところ親の死に目に会えないことが親不孝だとは(昔から)思えなくて、「親の死に目に会えない」という言葉は、「~~をするな」ということと同じで、「親の死に目」でなくとも「火遊びをするとおねしょするよ」だとか「夜口笛を吹くと蛇が出るよ」と言うのだって、子供に火の恐ろしさをこと細かく説明してもどこまで理解できるのかはわからないから「おねしょ」というわかり易い戒めを与えて火事の予防としているのだと思うし、口笛は行儀の悪いこととして、蛇という戒めを与えているのだと思う。このあいだ坂下さんと喫茶店に入り、ライターで遊んでいた坂下さんに「おねしょするよ」と言ったのだけれど、坂下さんは「何それ」と眉間にしわを寄せて問い返してきて、「昔言われなかった?」と訊くと「全然知らない」と言い、最近の親はどうやって火遊びをさせないように躾をしているのだろうと考えてしまった。

 綿棒で耳の掃除をしていると、右耳は痛くもないのに左耳は痛くて、人の身体は左右対象のようだけれど細かな違いがあって、鼻でも左の皮膚が弱いらしく、時々鼻血を出す。去年の夏、眠っているあいだに鼻血を出したことがあって、鼻が詰まっていたのか血が溢れ出て来た。暗闇の中違和感を覚えて鼻をこするとぬるっと手が滑り、直感で鼻水ではないと思って電気を点けると枕が血だらけで、鏡を見ると顔も血だらけだった。この姿を他の人が見ていたら発狂するのではないかと思えるほどでも当事者は冷静で、枕の洗濯が面倒だと考えながら顔と手を洗い、鼻にティッシュを詰めながら枕を取り上げるとシーツにも血が付いていて、シーツを剥がすとその下にまで血が染み込んでいて、今でもその血痕の上で眠っている。

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