第15話

 次の急行を待っても良かったのだけれど、家に帰るだけで急ぐ必要もないので、ホームに停まっていた各駅停車に乗り込んだ。七人掛けの長いシートの端に座っていると隣にも人が座り、その人が傘を持っていたので今日は雨が降っていたのだと思い出した。

 途中の駅(確か『浜田山』)で大学生くらいの男の子がふたり乗り込んで来て、扉の近くで話し始め、三輪さんが僕に言った言葉そのままに表現すると彼らは「距離感のない」話し方をして、お互いの距離が車両ひとつ離れているかのように大声で話す。この車両には他に話している人などいないし、車輪とレールのリズミカルな振動も会話の邪魔をするほど大きく響いては来ないのに、彼らの声は恐ろしく大きくて、「だから俺がそいつに『そっちじゃねぇよ』って教えてやっても聞かなくてさぁ」「聞かないんだ」「聞かねぇのそいつ、だからわざわざ俺がそっち行ってさぁ、指差して教えてもわかんねぇの、そいつ」「それでもわからないんだ」なんて大声で話している。話を聞いてくれる聴衆が他にいるのならまだしも、彼らふたりだけの会話でどうしてそんな大声を出さなければいけないのか理解できないし、それが周りの迷惑になることにも思いが及ばないらしくて、ふたりとも顔はなかなかの美男子で、身長もあるし、着ている服も似合っているというのに、話し方がすべてを台無しにしている。話す内容の全貌は掴めないのだけれど、とにかく話を進めているのはひとりで、もう片方は馬鹿のひとつ覚えのように(もうひとりの発した)言葉を繰り返しているだけだ。「カッコイイ」と言うと「カッコイイんだ」と繰り返し「超ウケる」というと「それ超ウケる」と言う。協調性を重んじているのか当たり障りのない(というか、同じ言葉を繰り返しているだけなので「当たる」も「障る」もない)言葉で話の腰を折らないで(自分の意見も述べず)いることに従事しているようだけれど、それでも声は大きく、(「自己顕示欲」というのか)周りの迷惑を考えない時点で協調性など無視しているようにも思えてしまうし、(大学生かどうかは知る由もないけれど)「大学生は大丈夫か?」と考えてしまう。広い視野でものを考えれば、彼らと僕も同じ世代といえるわけだし、そうすると同じ大学生でも違った話し方をしているわけで(僕はあんなにも大声では話さない)、大学生全員が同じ話し方をしているわけでもないのだろうと思うし、違うからこそ、彼らのような話し方が耳に付くのであって、どうしても注視してしまう。「一匹見付けたら一〇〇匹いると思え」とゴキブリと(大声で話しオウム返しの相槌を打つ)大学生とを一緒にするのは申し訳ないけれど、こんな学生が沢山いるのだろうかと思うと情けなくなるし、大学生でなくとも社会人にも同じような人たちが増えて来ているのだろうし、(いくら勉強ができて仕事ができても)一緒に仕事はしたくないと思う。

 明大前駅で降りて、京王井の頭線から京王線のホームに行き、最後尾あたりの狭くなっているホームで電車を待っていると(そこで待っていると、代田橋駅で降りたときに改札への階段が目の前にくる)、空にあった雲が無くなっていることに気付いて、吉祥寺で外へ出たときに気が付かなかったのは、僕が空を見上げなかったからだろうかと考えた。

 東京は空が狭いと言われるけれど、空が狭いからといって空を見上げていけないわけではなくて、狭い空も狭い空なりに色々な顔を持っている。空の定義がどうなっているのかは知らないけれど、自分の(地面と平行しての)視線よりも高い位置をすべて空としてしまえば、犇めき合っているビルや民家の屋根を含めた景色も空となって、そんな空を拝めるところなんてどこにでもあるようなものではない。(一般的な)空だけを見ようとするからビルの隙間の空が狭く思えてしまうのだけれど、東京で顔を上に向けても視界自体は狭まらないのだから、そこに見えるビルや電線や看板のネオン灯なども含めてしまえば、思ったほど悪い景色でもない。もちろん、大平原の大空は格別だろうし、一度だけ見たことのある雲海から昇る朝日の光景などは心を打つものがあったけれど、上京して初めて見上げた都庁の姿も忘れられない景色だ。都庁はふたつの建物(都庁と都議会議事堂)が繋がっていて、そのあいだを道路が走っている。その道路を渡り廊下がきれいな半円(半楕円)を描いて囲み、その道路に立てばすべての方向を建物に囲まれて空を見上げることができる。僕は建築家の名前なんて『安藤忠雄』くらいしか知らないのだけれど、都庁を設計した人も有名な人に違いなくて、同じように都庁の近くにある(京王プラザやセンチュリーハイアットなどの)建物を設計した人たちも有名な人のはずで、災害でも起きない限り建ち続ける巨大建造物を建てたその人たちに(雲海を見に連れて行ってくれた親に感謝したときのように)感謝したい気持ちになった。

 ピラミッドや万里の長城は、機械のない時代に人が作り上げたことに対する畏敬の念が人を惹きつけるのだろうけれど、いくら機械の力を借りて作り上げられた建物でも「機能し続ける」建物であるということに注目するべきであって、都庁がピラミッドよりも魅力的でないなどとは思わない。ピラミッドは「王の墓」という名目と、民衆への仕事の供給という面を持っていたらしいけれど、それも建ててしまえば「王の墓」という機能は維持し続けるけれど、王以外の人たちには(観光地となるまで)「建てればそれまで」で、万里の長城にしても、敵の侵攻を防ぐためであって、敵を征圧してしまえばそこで役目を終える。現代の建物は一過性の目的ではなくて、機能し続けることを目的としているから、都庁だってこれから何年ものあいだ人が働き続けるだろうし、国を超え歴史を辿れば、ベルリンの壁だって崩壊するまで機能し続けていて、建造物としては優秀だと思う。

 ニューヨーク同時多発テロで崩壊した国際貿易センタービルも、それまで機能し続けていたものが停止してしまったという衝撃も強くて、跡地を公園にするだとか記念碑を建てるだとか、どのように利用するのかを僕は知らないけれど、同じようなビルを建て、同じ機能を再開させても良いのではないかと思う。

 そんなことを考えているあいだに、明大前駅を出た電車はすぐ代田橋駅に着いて、寒そうにミニスカートを履いている女の人に続いてホームに降り、カツンカツンとつっかけの音を聞きながら階段を下りて、改札を抜けると地上への階段が左右にあり、ミニスカートの女性は僕を先導するように右側の階段を上り始めて、スカートを隠すように後ろ手で鞄を持ち、やっぱりカツンカツンと音をさせていて、鞄からはヘアスプレーらしきものが頭を覗かせている。階段を上り終えると目の前の女性は鞄から携帯電話を取り出して、左手でボタンを押し始めたので歩みが遅くなり、僕は右側から追い越して狭い路地に入った。

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