第14話
F&Fビル七階の『武蔵野市立吉祥寺美術館』は、館というよりも階であって、エレベーターから降りると(ロビーらしく)壁際に椅子などの置かれた広い空間があり、カウンターには受付の人が座っていて、目的の場所がわからず声を掛け尋ねると「この先のすぐ右手側」と言われ、そのまま歩いて行くと簡易な壁で仕切られた空間があり、そこには椅子に座って本を読んでいる中尾さんがいた。
「どうも」と僕が声を掛けると中尾さんは立ち上がって(本を閉じ)「お久しぶりです」と言った。
中尾さんは以前職場にアルバイトとして来ていた人で、個展の資金を貯めるために(絵を描く費用のために)一年間ほど働いていた。アルバイトに来ているときにも一度個展をひらいていて、これが二度目で、アルバイトを辞めてから一年ほど経つはずだから、会うのも随分と久しぶりだ。中尾さんは僕より年上なのだけれど、職場では僕のほうが先輩だったから、話すときはお互いが敬語になってしまい、まだ会話は始まっていないけれど、今日も時々敬語を交えながら話すのだろう。
いくら知り合いでも、個展に来たのだからまずは絵を観ることに集中したくて、中尾さんも絵を観てもらうためにメールで場所と開催期間を知らせたのだから、挨拶を交わした後、僕は絵を観るために進み、中尾さんは本を開いた。
中尾さんの絵は油絵なのだけれど水彩画のような感じがして、塗り重ねたというよりも溶け込ませた雰囲気がする。物を見た通りに描くのではなくて、抽象画であるから、これが何というわけではないのだけれど、間近で絵を観ると筆の跡がしっかりとわかって、何を描いているわけではなくても、ここに筆を走らせるべき場所だと中尾さんは思って描いているわけだから、僕はその筆の跡を観る。筆の跡を観るといってもそれだけを観るのではなくて、絵全体を観るのだけれど、「全体」を観るということは、そこに含まれるすべての筆の動きがこの絵を作り上げたわけだから、「全体の筆の跡を観る」ということだ。
中尾さんの絵は一枚毎に基調とする色があって、(ひとつの色で表現するのは申し訳ないと思うけれど)桃色を基調として描かれていたり、別の絵は青色を基調として描かれていたりする。同系色の絵を近くに並べ三面の(簡易な)壁を飾っていて、小さな部屋だから観賞する順番などはあってないようなものだけれど、絵だけではなく並べ方にも気を使っているのは当然のことで、だから僕は一枚一枚絵を観て行くのと平行して、時々後ろに退き、同系色の何枚かを一度に眺める。色彩検定などの勉強はしたことがないので、それらの絵に使われている色のバランスや効果などを探ることはできないけれど、中尾さんは技術よりも感覚を重視しているはずなので(技術がないというわけではもちろんなくて)、観る側も感覚で受けとめようと意識する。抽象画であるし、(語彙とは関係なく)言葉ですべて表現できてしまうような絵は、絵にする意味がなくなってしまうし、観賞することは論じることとは違っていて、中尾さんの絵を嫌いな人もいるだろうけれど、僕はずっと観続けることができる。「飽きない」というのはとても重要なことだと思うし、「落ち着く」だとか「楽しい」といった言葉ばかりが思い浮かんできたとしても、飽きてしまっては楽しくも何ともなくなってしまうし、だから「楽しい」だとか「のんびりする」だとかの言葉を述べる前に、(すべてを一通り観終わり)中尾さんのほうを向いて「飽きない」と言った。
部屋の中央に四脚の椅子が並べてあって、端のひとつに腰を下ろすと中尾さんも反対の端に腰を下ろし「中尾さんの絵で初めて横の流れを観た気がする」と言うと、中尾さんは「横?」と首を傾げ、僕は目の前にある二枚の絵を指差して「横」と言った。僕の指差した大きな二枚の絵は桃色を基調とした絵で、横に流れるように筆が走っている。「今までこんな感じの絵は?」と僕が訊いたのは、前に観に行った個展では横ではなく縦の流れを感じさせるものが多くて、横は初めての試みなのか気になったからだけれど、中尾さんは「小さいものなら何枚か」と答えた。「中尾さんみたいな絵を描く人って他にいるんですか?誰か目標にしてるような人とか」と訊くと「いないと思う」と言い、それを聞いて素敵なことだと思った。アニメーションや漫画からインスピレーションを受けているようなものを今の現代美術の主流のように感じていたのだけれど、それらの多くは街頭の広告と変わりがないように思ってしまうし、文字などを取り込んだとしても、情報の発信方法が多少変化しただけであって、すべてを読み終えればそれまでで「それから」がない。抽象画というのは前からある表現方法だけれど、その中にも色々な描き方があって、同じ抽象画でも嫌いなものもあるだろうし、アニメーションや漫画のようなものでも好きなものが出てくるのかもしれなくて(時折、広告でも見惚れるようなものがある)、たまたま、中尾さんの描く抽象画が僕に合っていて、たまたま好きなイラストレーターをまだ見付けられずにいるだけなのだろう。
「これを描くのにどれくらいかかったんですか?」と訊くと、答えるのが難しいという顔をして中尾さんは「一年 くらいかなぁ」と言った。その後に「途中描けなかった時期もあるし」と続けて「何日か死んでた」と笑った。
「これとこれとこれ」と僕は順番に三つの絵を指差して「この三つが良い」と言ったのだけれど、その指差した順番と好きな順番は一致していて、最初に指差した絵は目を凝らさないとわからないような灰色の背景に、女性の腰の辺りを描いたようなくびれのある縦に流れている絵で、中尾さんは「女の人みたいでしょ」と言い、すぐに「ごめんなさい、イメージを固定しちゃうこと言って」と謝ったのだけれど、「そう、女の人みたい」と僕は答えた。
二番目と三番目に指差したものは同じような絵で、青色とも緑色ともつかないような色で構成されていて、前の個展のときにも同じような絵に惹かれた。「何かをイメージしてるんですか」と訊くと「心象風景」と返って来て、この質問は前の個展のときにもしたかもしれなくて、中尾さんのほうを向いて「暗いねぇ」と冗談めかして言うと「でしょ」と笑って返してくれて、「この絵のこの部分をもっと深く突いた絵が観たい」と言うと「前もそう言ってましたね」と中尾さんは言った。「この絵のこの部分」というのは、その絵の中でも特に暗い色で描かれた場所で、青色と緑色の境がなく黒色に近いのだけれど、それでも観ていれば色の違いがわかって、別々の色が重なっていて「深淵」だとか「濃密」だとかの言葉が似合うような場所で、「暗いねぇ」と中尾さんは僕を見ながら笑った。
前の個展では音楽がかけられるようになっていて、絵を観に行ったときに『シガー・ロス』が似合うとすぐに思ったから「今度CD渡します」と言ったのだけれど、そのときは個展に間に合わず、音楽と併せて絵を観ることができなくて、今回の個展でも『シガー・ロス』が似合うだろうと思いながら観ていて、『シガー・ロス』の音楽は何かを表現するというよりも聴いている環境を助長させるようなものだから、中尾さんの抽象画を侵蝕しないで、絵の良さを際立たせるだろうと思いながら「やっぱり 中尾さんの絵は好きです」と言うと、中尾さんは(椅子に座りながら)深く頭を下げて「ありがとうございます」と言った。
それから絵のことを離れ、知り合いとしての会話が進んで行って「毎日家と会社の往復だけ」だとか「休日になれば映画ばっか観てる」だとか僕は言い、「今は描いてない」だとか「今度岸田さんと食事に行こうよ」だとか中尾さんは言った。他にも「やっぱり続けることだよね」だとか「あの頃勉強しとけばなぁ」だとかを口にして「今、岸田さんってどうしてるの?」だとか「まだ鈴木さん働いてるんだ」だとかの仕事の話をして、腕時計を覗くと一時間以上も話していて、立ち上がってもう一度絵を眺めている途中に「そのキャンバスのサイズを『Mサイズ』って言って、海を描く用に作られてて、マリーンの「M」で『Mサイズ』」と中尾さんは説明してくれたのだけれど、絵を観ながら聞いていたので、『マリーン』の「M」だったか『マーレ』の「M」だったか、はっきりとは覚えていない。
最後になってテーブルの上に置いてあったノートに名前と住所を書き「それじゃあ」と言い「また個展やるときは教えてくださいね」と言い「じゃあ、また」と手を振ってロビーを抜け、エレベーターに乗り、一階で降りて外に出ると空は暗く、行こうと思っていたタワーレコードを諦めて、来るときと同じ道を反対に辿り駅に着いた。
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