第13話

(いま観ていた)映画は後半から格段にテンポが良くなって、観終わったときに「映画を観た」という気分にさせてくれて嬉しかった。ヨーロッパの映画が好きなのだけれど、フランスもイタリアもイギリスも(ポーランドもドイツもオランダもロシアも)静かな映画が多くて、しかもハッピーエンディングなど稀で、観終わって暗くなるものも多く、そんな映画ばかりを観ていると気分が滅入ってしまい、たまにハリウッドの大作を見ると気分が晴れる。映画はエンターテイメントだということを思い出させてくれるし、ハリウッドがあるからヨーロッパの暗い雰囲気の映画も存在できるのだと感じるし、アジアや中東諸国の映画も成り立つのだと思い、時計を見るともうすぐ二時になろうとしていた。

 そろそろ出掛ける準備をし始めようと思い、その前にもう一度メールチェックのためにパソコンを点け、CDを『スミス』(ミート・イズ・マーダー)に変えた。歯を磨きながらシネマスコープサイズの窓の外を見ると雨が止んでいて、鳥の飛んでいるのが見えて、窓に近づくとマイクロソフト社の(全面鏡張りのような)ビルに映っている空を流れる雲が見えた。以前会社の先輩(青木さん)に「男は傘なんて持ってちゃだめよ」と言われてから、僕は極力傘を持たなくなって、青木さんが言うには折り畳み傘を男が持つのは許せないらしく、小降りだったら傘をささずに出掛ける男が理想らしい。青木さんに(嫌われるよりはよっぽど良いけれど)好かれようとも思っていないのだけれど、雨が降りそうでも傘を最初から持っていないと気分が違うのも確かで、買い物の帰りに雨が降っていても、傘を持っていると、自分も濡れたくないし、荷物も濡らしたくないと思い、少しでも雨に濡れると不快になってしまうけれど、最初から傘などなければ濡れるのが当然で、(諦めともいえるけれど)どれだけ濡れようと構わなくなる。(いや、やっぱり青木さんに好かれたいのかもしれない)

 風呂場にシャワーがないので濡れた身体を温めるのに時間がかかるけれど、雨に濡れたあとの風呂が心地良いのもちょっとした喜びになって、雨が降っていると誰か風呂を用意してくれないだろうかと思うのだけれど、一緒に住んでいる人がいたら雨に濡れる前に「傘を持って行け」と言われてしまいそうで、ひとりだから雨に降られることができるのだとも思うし、だからといって雨に降られたいわけではなくて、出掛けるときには晴れていて欲しいし、いま雨が止んだのを知って僕は「よし」と言った。

 メールチェックを済ませてパソコンの電源を落とし、靴下を履いて、着ていた上着を脱いで別の上着を羽織り、ハンカチを持ち、コートを手に取った。黒いロングコートは高校時代から着ているもので気に入っている。前にクリーニングへ出したとき「襟首が傷み始めている」と言われたけれど、言われただけで「直せ」とは言われなかったのでそのままにしていて、着るときには見えない場所だし、正装してどこかに出掛けるということもないので、これからも修繕に出す予定はない。服でもなんでも物持ちの良いほうで、中学から履き続けているジーパンもあって、捨てることのできない性分ではなくて、本当に使える状態で残っていて、流行に敏感ではないし、あえて流行とは関係ないものを選んでいることもあって(ジーパンとTシャツが流行遅れだなんて時代が来るとは到底思えない)、写真を撮ることなどほとんどないのだけれど、もし毎年の姿が写真に残っていてもそれが何年前の写真なのかよくわからないだろうと思いながら暖房を消し、マフラーを首に巻いてからコートを羽織り、腕時計をはめて煙草を持って携帯電話を持って鍵を持ち、部屋を出る前にテレビやコンポの電源が落ちているか確かめて、玄関を出、階段を下り終えると振り返り、階段に足をかけて片方ずつブーツのベルトを締めた。このブーツも四年か五年履き続けているけれどまだ壊れそうにもないし、いま壊れてしまっても代わりなどないからこの頑丈さはありがたい。

 関東地方の桜の開花予想は今月の半ばらしいけれど、桜はいつでも気が付くと咲いていて、家の近くの桜もまだ咲くような気配は見せていないのだけれど、これもいつのまにか咲いているのだろう。桜の開花予想は天気予報の合間に聞くけれど、梅の開花予想はあまり聞いたことがなくて(咲いたときに教えてくれることが多く)、だから梅は毎年咲くまで気が付かなくて、二月頃に咲き始めるのだろうけれど、真冬に花のことには意識が行かないし、咲いているときでも寒さで身を屈めて歩いていたりするから花に目が行かなかったりする。

 昔は桜よりも梅のほうが日本の国花のようで、絵に描かれる花も梅のほうが多かったらしいし、歌に詠んだ歌人も多かったらしくて、冬に花を咲かせるのが魅惑的だったのかもしれない。澁澤龍彦の『フローラ逍遥』という本の梅にまつわる文章にあった「テキレキ」という言葉を思い出したけれど、漢字も思い出せないし、日常で使ってもわかってくれる相手もいなさそうだし、通り過ぎた産婦人科の建物の壁がいくら白くても、そこに「テキレキ」と使って良いのかも判断がつかなくて、気が付くと「テ・キ・レ・キ」と足を踏み出すごとに呟いている。「テキレキ」の「レ」で足を止めて車を一台やり過ごし、「キ」の右足から歩き始めて、甲州街道を越える歩道橋も「テキレキ」と呟きながら渡った。

 同じ言葉をずっと繰り返していると意味がわからなくなることがあって、小学生のとき児童会の副会長になり、毎週月曜日の朝に校門に立って「おはようございます」と声掛けをしていたときも、最後のほうは「おはようございます」の意味もイントネーションもあやふやになってしまって、「テキレキ」の感覚もおかしくなって、言葉に合わせて行進していたら歩みが速くなっていて(それに気が付いたのはローソンの硝子に映った影のおかげで)、呟くのを止めてゆっくりと歩き始めた。

 代田橋駅の入口はすぐ階段になっていて、改札は地下にありホームは地上にあるので改札を抜けると右手の階段を上がりホームに出る。昔から気になっていることだけれど「白線の内側(代田橋駅では「黄色い線の内側」)でお待ちください」と放送でかかるけれど、線のどちらが「内側」なのか判断が難しくて、駅は線路を挟んでいるから「内側」というと線路に近い側だと思うし、電車に乗り込むことを考えても「内に乗り込む」という意識が働くからやっぱり「内側」といわれると線路に近い側だと思うこともあるし、ホームで待っている自分を中心として考えると、屋根に覆われているホームも「内側」のように思えてくるから「内側でお待ちください」というのも間違いではないと思うし、代田橋駅が線路を挟んでいるから余計にややこしくなるのであって、線路に挟まれている駅もあるわけだから、線路に挟まれている駅は「内側」と言われれば「ホーム」側が「内」だとスムーズに考えることができるのかもしれなくて、とにかく、どちらが正しいというものではなくて、電車に轢かれる恐れがあるので安全な所にいなさいということであって、「外側」か「内側」かなんて、みんなで議論するほどのことでもない。

 暗黙の了解のようなものは道路でもあって、自動車などを運転していてA号線とB号線の交差点を右折しようとすると、今まで走って来た道(A号線)の信号は青なのに、右折すると見えてくる(B号線の)信号は赤で、(自動車学校の先生が言っていたが)戸惑って止まってしまう人がいるらしくて、言われてみれば「そんな馬鹿な」とは言い難い話で、自分が進もうとする道に対して出されている信号に従うことはルールなのだから、止まった人を一概に責めることなどできなくて、B号線の信号はB号線を走り続けて来た車両に対しての信号であって、A号線から入って来た車両は無視して構わないですよ、ということなのだけれど、そんなことはいちいち説明しなくてもわかってください、という少し投げ遣りなルールで、誰も信号を改正するように言い出さないのも不思議なことだ。それが社会のルールになってしまい、言い出せば反対に「それぐらいわかれよ」と言われかねないだろうから、やっぱり誰も言い出さない。自動車の運転は学校で習うものだし、ルールに違反すれば道路交通法という法律に罰せられるけれど、個人に任せられていながらも暗黙の了解ができ上がっているものもあって、電車の乗り方も厳密なルールがあるわけではないのだけれど、不謹慎な乗り方を見ると「わかっていない」と思ってしまう。足を組んで座り邪魔だったり、背負っている鞄が周りの迷惑になったりすることは構内のポスターや車内の放送で注意されるし、優先席近くでのマナーも広告がうってある。けれど、それ以外の細かなルール(というよりもマナー)もあり、イヤホンから音は漏れていないのだけれど、リズムを取っている足の床への振動は(意外に響き)うるさいし、扉近くに立っている人はできるだけ外を向いていて欲しくて、扉に背を凭れて内側を向かれると顔を向き合わせることになり、「お前の顔など見たくない」と思う。それが傾国の美女であろうとなんであろうと不快になる。休日には電車に乗り慣れていない人たちも多く乗るので、ルール(やマナー)に気が付かないこともあると思うのだけれど、郷に入ればの諺がある通り、少し周りを見渡して最低限のルール(やマナー)を見極めて欲しいと思う。これは毎日のように電車に乗っているから言えることかもしれないのだけれど、マナーというのは、周りの人に迷惑がかからないように、という基本概念があるはずで、そう考えれば安易に辿り着けるものだと思う。と言っておきながら僕も気が付かないうちに迷惑をかけているかもしれなくて、そう考えるから迷惑な同乗者にも注意することができないのだと思うし、他の誰かが注意したとしても場合によっては「注意すること」も迷惑になりかねないし、暗黙の了解だから「知らなかった」と言われればそれまでで、こういったマナーは自分で学んで行くしかないのだと思う。明大前駅で井の頭線に乗り換え吉祥寺駅に着くまででも、ある家族が保育園くらいの姉弟を連れていたのだけれど、その姉弟が騒いでいたのも僕には迷惑ではなくて、でも子供が嫌いな人だっているだろうし、苛立っている人もいるだろうから、そういう人たちにとっては迷惑だったのだろうと思うし、マナーの基準もその時々の気分に左右されるものなのだと思いながら改札を抜けて、北口のロータリーにある地図で『伊勢丹』の場所を確認し、サンロードから『三浦屋』の角を曲がり、元町通りに入った。

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