第12話
映画が始まって十五分でカップラーメンを食べ終え、煙草を一本吸った後、コーヒーを飲みながら残っていたドーナツを食べる。座ったままで動かないと身体が冷えてきて、暖房を点けて上着を一枚羽織り、一時間ほどのところでトイレに立ち、ついでにカップラーメンを片付けて、もう一杯コーヒーを入れた。部屋に戻ると止めていた映像は消えていて、デッキメーカーのパイオニアのロゴが映っているのは、同じ映像で止めておくと画面に色が残ってしまうからで、電機店などのモニターで映画のプロモーションビデオなどが流れていると、何週間も同じ映像なので(プロモだからずっと同じ位置に映画のタイトルが表示され)、よく見ると画面の端に別の映画のタイトルが影になって残っていることがある。日焼けがシミになって残るのと同じみたいだ、と思ったのだけれど、あまり巧い例えとは思えなくて、もしこの話を他の人にするときは「日焼け」などという例えは言わないでおこうと思う。
映画を観始めたのはここ二、三年のことで、それまではテレビの『金曜ロードショー』や『日曜洋画劇場』くらいだった。仕事の関係で観始めたのだけれど、勉強のつもりがいつのまにか趣味に変わっていて、今では(仕事には必要無いものでも)週に三本以上観ていて、どれもレンタルだったり仕事場から借りてくるものだったりするから最新の映画を知っているわけではないのだけれど、公開終了から半年も経たないうちにレンタルされ始める映画もあって、一八〇〇円出して映画館へ行くよりも、数ヶ月待って借りようと思う。もちろん劇場で観たい映画もあって『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』も劇場で観た一本で、あの感動は忘れられない。音も映像も迫力があって、劇場で観られて良かったと思う。劇場で観るとその音と大画面の迫力で、(家のテレビで観るとつまらないものでも)圧倒されてしまうし、不思議なもので、一緒に観に行った相手でも気分が違い、(リモコンの再生ボタンを押す)音楽も同じで、好きな人の家に行き、その人の好きな音楽を一緒に聴くととても良いものに感じて、けれどそれを家に帰ってひとりで聴くとなぜか同じ感動を味わうことができなくて、環境が違うだけでこんなにも変わってしまうのかと思ったことがある。映画でも(友達だろうと恋人だろうと)好きな人と観た映画は格別で、だからそう思った映画はもうひとりでは観たくない。
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