第11話
この家にはベランダがなく、晴れだろうが雨降りだろうが洗濯物は部屋の中に干さなければならない。「洗濯って面倒だね」と、このあいだから(四年も付き合ってきた恋人と、やっと)同棲を始めた岸田さんが電話越しに言ったのだけれど、岸田さんはそれまで実家暮らしで洗濯を母親にしてもらっていた(のだろう)。洗濯が面倒だと言うと「今なんて楽になったものよ」と手洗いだった昔を思い出して口にする人もいるかもしれないけれど、それとこれとは少しだけ比べる点が違う。ご飯を残すと「貧しい国の子供たちは飢えで苦しんでいるのに」などと言い始めるのと同じで、国境を越えた思考の飛躍は褒めるべきだけれど、その国の子供に同じ生活をさせたら、同じようにご飯を残すと思うし、洗濯機だって、昔の人たちが「手洗いは面倒だ」と考えていたから開発されたのであって、だから、昔の人たちも「面倒」と考えていたはずで、僕らが「面倒」だと思うことにいちゃもんを付けられるのは納得がいかない。どんな人でも自分の生きてきた時代を一番だと思うのが常で、自分と世代の違う若者に「あの頃はなぁ」だとか「最近の若者は」だとかのありきたりの台詞で話を始めるけれど、それはどの時代の人たちも思うことで、エジプトのある遺跡から見つかった石碑か何かにも「最近の若者は~云々~」と書いてあったらしい。多分僕ももっと年をとって、思い出話を語るときに同じような台詞を言うかもしれないけれど、何千年も伝統のように引き継がれているものならそれでも構わないと思う。
何の話をしていたのか忘れる前に話を戻したいのだけれど(戻らないかもしれない)、大人は自分たちが苦労してやってきたことを若い人たちが事も無げにこなして行くのが納得できず、「もっと苦労しろ」と言うのだと思うけれど、生活やら仕事やらを楽にしたのは自分たちの世代で、洗濯で(昔よりも)楽をしている若者が気に食わないのであれば洗濯機を開発しなければ良かったのに、それを開発したのも自分たちで(もしくはその前の世代の人たちで)、国境を越えて考える力があるなら、時間も超えて考えて欲しいと思うし、それができれば「昔のほうが」などと言う前に「そう思うならもっと楽にできる方法を考えなさい」だとか言っても良いはずで、(なんだか大人を敵に回しかねないけれど)さっき僕は「最近の若者は」と僕も言い始めるのだろうと思ったけれど、もし僕が僕よりも若い世代の人と話していて、「洗濯って面倒」だとその人が言ったら「次の世代の人たちが「洗濯って面倒」などと言わないようなものを作れ」なんて言うことができたら良いなと思う。もちろん、これは想像の話だし、僕は洗濯機を開発するつもりなんてないし、今ふと思ったことだから明日には覚えていないだろうけれど、それでもやっぱり洗濯は面倒だ。誰か洗わないで済む服を作ってくれないだろうか。そうすれば浮浪者だって少しはきれいな格好になるはずだ。
洗濯が面倒なのは干すことと畳むことで、比べる点が違うと言ったのはその点のことで、昔から干すのも畳むのも人がやっている。スーツのズボンに折り目を付けるために布団の下に敷いて眠るだとかはもうしなくていいのだけれど、干したものは畳まなければならないし、畳まないで放っておくと床の上でしわくちゃになり、洗濯されたものなのか、しなければいけないものなのかわからなくなる。乾燥機があれば干さなくて済むのだろうけれど、乾燥機を置ける余裕もこの廊下にはないし、今すぐ欲しいと思うほどには干すのを面倒だとは思っていなくて、乾燥機を買う前に買わなければいけないものが他にある(はずだ)。
部屋の中に物干し竿なんて置いていないから、ハンガーに掛けたシャツは(東を向いているシネマスコープサイズの)窓のカーテンレールに引っ掛けるのだけれど、洗濯物が多いとそれぞれが重なり合って、冬のあいだは重なった部分だけが乾燥せず、知らないで着ると右半分が濡れたままで驚く。
洗う前は洗濯物がタンクに一杯でも、水を含むとタンクの壁面にピッタリと張りついていて底が覗けるし、洗濯機自体が小さいからもともとの洗える量が少ない。だから干すのにも時間はかからなくて、また僕は椅子に座って煙草を吸っている。
煙草を吸う癖がついてしまうと、掃除をするにも何をするにもひとつが終わる度に煙草を吸うから時間がかかるようになり、部屋の模様替えをしようと思うと大変で(僕はやかんに新しく水を入れて火にかけている)、本棚をひとつ動かすと煙草を吸い、テレビを動かすともう一本吸う。思っていた場所に本棚が収まらないとごちゃごちゃになった部屋の片隅でどこに置こうか考えながら、また煙草に火を点ける。本棚が重くて動かせないと中身を取り出し、取り出し終わったところでまた吸う。(棚の中にストックしてあったカップラーメンを取り出して蓋を開けた)模様替えは掃除も兼ねているから、テレビや本棚を雑巾掛けした後にまた煙草を吸い(コーヒーカップに新しくコーヒーとクリープと砂糖を入れた)、絨毯を『コロコロ』で掃除し終わるとまた一本。煙草がなければもっと早く模様替えを終えることができるのだけれど、吸う癖がついてしまってどうしようもない。
カップラーメンとコーヒーカップにお湯を注いで、部屋のテーブルに運んだ。(昨日の夜に今日観ようと決めていた)DVDを一枚棚から取り出してデッキにセットする。
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