第10話
志水さんが「最初の記憶ってある?」と訊いてきたのを思い出し、記憶を辿ってみても最初の記憶と呼べるようなものはなくて、断片的には思い出せるのだけど、それを時系列に沿って並べられず、どれが最初なのかわからない。年齢と出来事が一致する最初の記憶だと僕は既に小学校一年生で、春の遠足で動物園に行ったその日が雨だった、という記憶で、じゃあ動物園で何をしていたのかというと、それは忘れている。
難産だと、出産時に母体から記憶力を促す信号が出るらしくて、赤ちゃんは産まれて来たときのことを記憶に留め、大きくなってからでも覚えているらしいけれど、とにかく、僕にはそんな記憶もないし、母親にも帝王切開の跡はないので安産だったはずで、そのときの記憶がないのはわかるのだけれど、それから数年の記憶もすっぽりと抜け落ちている。小さい頃の写真を見ながら聞かされた話もあって、それが実体験として覚えているのか話で聞いて記憶したのかどちらとも言えない記憶もあり、やっぱり最初の記憶というものがなくて、僕に最初の記憶を尋ねた志水さんも同じように最初の記憶がどれなのかわからなくて、ふたりで「気が付くと小学生だった」と笑っていたのを思い出しながらコンロの火を止めると、やかんは静かになって、雨の音も換気扇がすぐ近くで鳴っているから聞こえて来ない。
志水さんは時折、僕が恥ずかしがるような台詞を臆面もなく言ってのけたりする子で、「人は誰も不幸にしかなれない」だとか「私がそこにいるだけで迷惑をかけている」だとか言った後「誰も傷付けたくないのに、知らないあいだに傷付けている」と言う。「生きて行くのが辛い」と言い、僕が冗談のつもりで「死ぬ気なの?」と訊くと「死にたくないから苦労してんじゃない」と本気で怒られた。鬱の気があるのだけれど、僕は今までそういった相手と知り会ったことがなくて、もしかすると知り合いにも鬱病の人がいたのかもしれないけれど、気が付かない程度だから軽かったのだと思う。知り合ったことがないからどう接すれば良いのかもわからなくて、わからなければ無理をして着飾る必要もないと思い、いつもの通り話している。いつもの通りに話していると怒られるのがオチなのだけれど、いつもの通り話していても電話がかかってきたりするから、志水さんはいつもの通りの僕を期待しているわけで、変に動揺したり見栄を張るのは止して、怒られるのを承知でいつもの通りに話す。すると「安心する」と会話の途中で感慨深く言ってくれたりするから、僕も(恥ずかしい台詞だとは思っても)うれしいことに変わりはない。
志水さんは僕のことが好きで(だって、一度告白されたのだから)、僕が他の人を好きだということも知っていて、「恋人ができるまで」などと言いながら電話をしてくる。恋人などできる予定もないのだけれど、それでもこのあいだ僕は好きな人にメールアドレスを(とても自然に)渡すことに成功していて、メールが来ることを願っていながら、電話がかかって来なくなるのも寂しい気がして、メールアドレスを渡したことを志水さんに話せないでいる。メールアドレスを渡しただけで何かが突然開花するなどということはないのだけれど、それでも期待してしまうのが正直なところで、渡したその日からメールチェックの回数が増え、渡したアドレスはパソコンのアドレスで、家に帰らないと見られないから、帰宅するときの歩幅がいつもより大きくなっていたりする自分が恥ずかしい。
洗濯機が終わりの合図を鳴らす前には必ず最後の排水があって、その音はそれまでの排水の音とは違い、炭酸飲料水の缶の蓋を開けるときのような勢いと、気の抜けた音がして、その排水が終わると電子音が鳴るのだけれど、この洗濯機は六回鳴る。実家の洗濯機も同じ六回だった。洗濯機の真似をして僕も六回「ピー」と鳴き、煙草を揉み消して椅子から立ち上がった。
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