第3話

 メールは来ていなかった。携帯電話も持っているけれど、パソコンに来るメールは相手もパソコンの場合が多く、携帯電話よりも文章が長くて読み甲斐がある。一目で文章全体を把握できるから読み易いし、相手はすぐの返答を求めていないから自分が書きたいと思ったときに返事が書けて苦にならない。携帯電話は文章が短いし、早く返せと急かされているようで、しかもどこで何をしていようと圏内なら否応無しに知らされるから「そんな気分じゃないのに」と思う。まるでテレビCMのようだ。(また「ようだ」だ)

 それまで見ていたニュース番組で「悲報」が流れ気分が落ち込んでいても、突然笑顔の女性が唐揚を作っていて「簡単にできる」だとか「子供のお弁当もこれでオーケー」なんてことを伝えて来る。いま僕が言ったのは架空のCMだけれど、遠くはないものが流れているはずで、僕はそんなCMが嫌になりテレビを見なくなった。ここ一年ほど家でテレビを見ていないのだけれど、ふとした切掛けで(大抵それは職場の休憩室だけれど)テレビを見ると、出ているタレントが誰なのかわからないし、何のCMをしているのかもさっぱりわからない。おかしなことに、CMというのは新商品などを説明し宣伝したりするはずであるのに意図の掴めないCMは意外と多い。

 だからといってCMすべてが嫌いなのではなく、車のCMは好きだ。車のことは詳しくないけれど、車のCMは伝えたいものがはっきりしていて、広大な自然の中を駆け抜けて行く姿や、都会の中を颯爽とすり抜けて行く姿から、スピードやフォルムの美しさがストレートに理解できる。車のCMが好きと言ったけれど、すべての車のCMが好きなわけではなくて、昼間に多く流れているような(主婦を狙ったものだと思うけれど)、小回りが利くとか沢山荷物を詰められるだとか、うるさいのは嫌いで、シンプルであればあるほど良くて、車の姿と音楽だけが流れているようなのが、単純にカッコイイと思う。しかも最近は(といってもテレビを見なくなって一年も経つから最近ではないのだけれど)流れている音楽も『イエス』の「ロンリーハート」や『キング・クリムゾン』の「21世紀の精神異常者」など、好きなプログレッシブロックで、それも車のCMを好きになる理由だと思う。TOYOTAの一連のシリーズには車が出てこないけれど『デレク・アンド・ザ・ドミノス』の「愛しのレイラ」がCMで聴けるなんて嬉しい限りだと思う。

 近頃よく思うのだけれど、六〇年代や七〇年代のロックがテレビCMや映画でも使われることが多くなったのは、その頃のロックを青春時代に聴いていた人たちが製作者の立場になって、青春時代に聴いた音楽はやっぱりその人にとって特別な音楽だから使いたくなるのだと思う。いくら八〇年代が「ロックの暗黒の時代」と(渋谷陽一か誰かが)言っていても、その時代を青春として生きてきた人たちには特別な音楽が溢れているのだし(『スミス』や『REM』がいて『ボン・ジョヴィ』『レッド・ホット・チリ・ペッパーズ』も八〇年代に結成されたバンドだ)、ロックに限らなければ、八〇年代はポップミュージックの(MTVと言えばわかり易いと思う)全盛だったわけだから、やっぱり『シンディ・ローパー』や『マドンナ』や『カルチャー・クラブ』を青春の音楽として受け取った人たちは多い。『a‐ha』の「テイク・オン・ミー」なんて極上のポップミュージックで、PVが斬新だと絶賛されて当時流行ったとしても、PVをリアルタイムで見ていない僕が聴いても良い楽曲だと思うのだから、楽曲自体が良いのだと思う。

「暗黒の時代」と言われたのは生まれてきたバンドよりも解散したバンドのほうが強烈だったからで、『レッド・ツェッペリン』や『ジャム』『ザ・フー』(『ザ・フー』は八九年に再結成されたけれど)『ジャパン』『シン・リジィ』などが解散した。それに、死んだ人たちも多くて、『ジョン・レノン』が死んだのは一九八〇年の十二月八日、自宅のダコタ・アパートの前でマーク・デヴィッド・チャップマンの銃弾に倒れた。もちろん、その頃の僕はその悲報に嘆くどころか、『ビートルズ』さえ知らなくて、死んだ日付を知ったのは高校に入ってからだけれど、このあいだ仕事場の上司や別の課の人たちと飲んでいて、みんな年上で(親よりも年上の人たちも多くいて)、話題が僕の年齢になったときに「一九八〇年生まれ」と言うと誰もしっくり把握できなくて「産まれた年に『ジョン・レノン』が死んだ」と言うと全員が「あぁ」と納得した。(そうするとすぐにそれぞれが当時何をして過ごしていたのかを思い出した)「若いねぇ」と言われて、ある人が「年上かと思ってた」と言って、その人の年齢を訊くと二六歳と返って来て、僕より三つ年上だったから、その人も『ジョン・レノン』が死んだときのことなど覚えていないはずだ。

 音楽の話に戻るけれど、僕の好きなプログレッシブロックも六〇年代の終わりから七〇年代の初めにかけて全盛を迎えたジャンルで、『ビートルズ』の次の世代の音楽だと言われていた(らしい)。そのジャンルに手を出したのは高校時代だけれど、音楽をちゃんと聴き始めたのは中学からで、中学時代はハードロックばかりを聴いていて、『エアロスミス』や『ガンズ・アンド・ローゼス』を一日中聴いていた。それから色々な雑誌を読んで『名盤』と謳われているものを買っては聴き、高校時代に『キング・クリムゾン』の「クリムゾンキングの宮殿」という、一度見たら忘れられないジャケットのアルバムを買って来て、そのとき初めてプログレッシブロックに触れた。

 最初に聴いたときはただロックという括りしか知らなかったし、輸入盤だったので時代やメンバーなどをライナーノートで知ることもなかった。

 それがプログレッシブロックだといつ知ったのかは忘れたけれど、その後『EL&P(エマーソン・レイク・アンド・パーマー)』の「恐怖の頭脳革命」を買い、『ムーディー・ブルース』の「童夢」や『イエス』の「こわれもの」などを買っていった。それらを買い求めるために指針としたのが、一九九六年に出版された『ロック・ザ・バイオグラフィー』という「シンコーミュージック」が出した本で、おかげで友達と音楽の話になっても取り残されることはなく、他人が聞けば雑学のような知識だったかもしれないけれど、当時の僕はそれが学ぶべきことだと思っていたし、今でもその思いは変わらない。上京するときもその本は一緒についてきた。親切に各バンドの名盤を紹介してくれていて、さっき言ったバンドと買ったアルバムはすべてこの本に載っている。九六年の出版だからそれ以降の情報はわからないのだけれど、今を生きているのだからわざわざ本にされなくとも主要なバンドは耳に入ってくる。

 なんだか僕がロックしか聴かないような言い方だけれど、別のジャンルにも手を出した。言ってみれば広く浅くの知識なので表面を掬い取ったに過ぎないけれど、棚には『エイフェックス・ツイン』もあるし、『ファット・ボーイ・スリム』だとか『クラフトワーク』だとか『アンダーワールド』だとかもある。『ファット・ボーイ・スリム』で思い出したけれど、彼らの曲も車のCMに使われていて(日産のスカイラインだったはず)、その曲を聴くと元気が出る。「ライト・ヒア、ライト・ナウ」という曲で、そのCM以外でも、アル・パチーノとキャメロン・ディアスが共演した『エニイ・ギブン・サンデー』でのアメリカン・フットボールの試合のシーンで使われていたし、『ダウンタウン』の松本人志が『日経エンタテイメント』で連載している「シネマ坊主」で「アニメ祭に出した方が良い」と酷評した(けれど、アニメ祭だったら絶賛されていたかもしれない)『ドリヴン』でもほんの少しだけ使われていて、音楽をそれなりに(あくまでも「それなり」に)聴いていて良かったと思えるのは、映画やCM、喫茶店でのBGMがわかったりするときで、一緒にいる相手との会話が途切れてもBGMがネタを用意してくれたりする。

 他にも(ロックに比べれば極端に少ないけれど)ジャズやクラシックなども聴き、持っているCDの二割ほどがジャズとクラシックで、もう二割が邦楽、五割が洋楽で、残りの一割が映画のサントラや民族音楽などだ。

 洋楽を好きと言っても、僕は歌詞がわからないから楽曲が好きだということになるけれど、だからってボーカルを聴いていないわけではなくて、初めて聴く曲でもボーカルでバンドが理解できたりもする。以前ひとりで劇場に行って『トゥーム・レイダー』を観たときにも(招待券が一枚だけだったし、その週に公開期間が終わってしまうからひとりで行くしかなかった)、エンドテロップで曲名と演奏者が出てくる前に「これは『U2』だ」とわかってひとり満足していた。

ずっと音楽の話だけれど、どうしても高校時代から音楽の話になると長くなってしまって、パソコンの時計はすでに一時を過ぎていて、外では雨が降り始めていて、僕は風呂場で歌った『天国の階段』を聴き終えた後、「愛しのレイラ」や「ライト・ヒア、ライト・ナウ」などをコンポで聴き続けている。

 まだ音楽の話が終わらないけれど、じゃあ僕が楽器でも弾けるのかというと、まったく弾けない。家にはそれらしくギターとキーボードがあるけれどどちらもコード弾きしかできないし、知っているコードも僅かで、パソコン画面(裸の女の人が映っている)を見ている姿勢から、振り返って錆びついたギターの弦を見ていると携帯電話が震えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る