第10話、代償

 



 僕と前川さんを隔てるように紅色の炎の柱が立ち昇り、それが収まった時には……炎で形成されたシルクハットと紳士服を着ているような人型となっていた。


「やぁ、どうも伯爵」


 僕が呼びかけると、炎の伯爵がこちらを振り返り、シルクハットを取って大仰に礼をする。


 僕もすかさず返礼をし、もはや定番と化したやり取りを成立させる。


「何、この魔法……」

「嘘でしょ……人型の、オリジナル……?」


クレアさんも、前川さんも、伯爵の造形美を感嘆する。


「おいマジかよ……」


 流石にこれには驚いてくれたか。


 大魔法使いでも、オリジナルを持っていたとしても一つか二つ。しかも、何かを形作る魔法は難易度が高く、オリジナルではほとんどお目にかかれない。


「むふ――っ」


 しかもこの〈勤勉きんべんなるもの〉。通称・伯爵は、仮面舞踏会で付けるような仮面まで再現しているオシャレな魔法だ。宙に浮く本には特殊な能力もあり、使用率も高い。


 ヤンキー君程の中々の高身長で、仮面を取ることは出来ないが、イケメンのナイスミドルをイメージして作ってある。


「……生意気なのよ。あんた如きがっ……。やれ! 鎌鼬っ!」

『キュ〜ッ』


 僕がまさかこんなにも高難度の魔法を発動させるとは思っていなかった前川さんは、少しの間怯んでいたが突如激昂して鎌鼬をけしかけて来た。


「伯爵、お願いします」


 風を纏い、その身を刃と化し襲いかかる鎌鼬を、僕の伯爵は悠然として眺めている。


 そして、


『……——――』


 ……伯爵の肩口が切られ、伯爵が物悲しげにそっと手で傷口を押さえた。


「……よし」

「よしじゃないわよ! どう見ても負けちゃってるじゃない! 早過ぎるって! ど、どうするつもり……?」


 お腹辺りまで切り裂かれ、炎の身でありながらあからさまに痛がる伯爵……。悶絶中と言っても過言では無い。


 完全に鎌鼬のスピードに付いていけていない。


 クレアさんも苦悶する伯爵に、すっかり言葉を失っている。


「……は、はははっ! やっぱり口だけじゃない! 見かけだけじゃダメなのよ? 魔法って。知らなかったんでちゅかー?」


 こ、これでもかと馬鹿にしてくるではないか。こんなに煽り上手な人を見た事が無い。ぐぬぬ。


「……たくっ、もういい。俺が時間稼ぐからよ。お前らは何とかして逃げろや」


 そう言って前に出るサイモン君だが、武器も何も無く、蛮勇ここに極まれり、である。


「クレアさん、見てみなさい。あの蛮勇ヤンキーを。能力が無いくせに、無謀な事に挑めばカッコいいと思っている典型的な愚か者です」

「テメェが言うなやっ!」


 戦いとは勇ましくもだが、優雅に美しくないと。


「……でも、確かにサイモン君一人は残せないわね。みんなで一か八か――」

「あぁ、その必要はありませんよ? もう僕の勝利です」


 その一言に、この場の全員が「は? 何言ってんだ、こいつ。頭おかしいのか? それとも常識無いのかよ。幼稚園からやり直せ」と言わんばかりの訝しげな顔で僕を見てくる。


 特に前川さんが。


「――さぁ、もう学びましたね? 伯爵」


 伯爵が何事も無かったかのように立ち上がり、炎の本へと何かを記述し始める。


 僕の〈勤勉なる者〉は、ここからが本領を発揮するのだ。


「さて、諦めて投降してはもらえませんか? あなたの魔法は、……今あなたが考えているよりも、遥かに悪質で悲惨なものです」

「……狂ってんの? ……はぁ〜、もういいわ。面倒だから――鎌鼬、殺して?」


 再び風に乗って、目にも留まらぬ速さで襲い掛かる鎌鼬。


 ――が、


『キュ〜〜〜っ!?』

「えっ!?」


 伯爵がそっと横合いから掴み止めてしまう。


「つ、捕まえちゃった……」

「……どんな魔法だよ。イメージが関係してるってのが分かるが、処理能力とかどうなってんだ……?」


 目にも止まらぬ風となり、刃となってこちらに駆けてきた鎌鼬を、伯爵はいとも簡単に捕まえてしまった。


「無駄です。伯爵は、既に鎌鼬の攻撃を覚えてしまいました」

「お、覚えた?」

「そう。この魔法、〈勤勉なる者〉は、一度受けた攻撃を学習して克服する。“学ぶ炎”なのです」


 魔法を解除すればリセットされるが、それまではどんな攻撃でも一度受けて克服さえすれば、全く通用しなくなるのだ。


「す、凄い……。やるじゃない! 零!」


 ……むふ―――――っ!


 そうだろう? 威力もあまり無く応用性もかなり低いが、これ程壁役に適した魔法は無い。


「おいおい。……そんなのもう無敵じゃねぇか……」


 ……残念ながら、無敵では無いのだが。


 この場では問題は無いし、みすみす弱点を晒す必要も無いので黙っておく。


「ふ、ふふっ、あーヒャハハハハハ!」


 な、何だ? 壊れてしまったのか?


 突然、狂気を感じる奇声じみた高笑いを、ビルの上から大都会に轟かせる。


 近所迷惑も考えてほしいものだ。伯爵のおかげでこの屋上は明るいが、もう日は落ち、中々の暗闇なのだから。


「ひゃひゃひゃあ、アヒィアーハハーっ! ……なら、その魔法を潜り抜けてアンタらを殺せばいいだけでしょ?」

「…………」


 予想していた対処法なだけに、反応が淡白になってしまう。


 しかしそんな僕を見た前川さんは、我が意を得たりとばかりに唇の端を吊り上げ、その中々に整った顔立ちを歪めて言い放つ。


「図星みたいねっ!! いい事教えてあげるわ! アタシが喚び出せる鎌鼬は一体じゃないの。何体だと思う〜? あと……………8体なんだよ!? どうするぅ〜〜!? あひひひははひひひっ!」


 強大な力を内に飼い、猛烈な優越感に溺れていた。


「そ、そんな……」

「……お、おい、その魔法を盾にしてとっとと撤退した方がいいんじゃねぇか?」


 ……そんな事より、どこまで自信を持てばこれだけのドヤ顔が出来るのだ。


 自信満々なところ申し訳無いが、それも想定済みだ。


 そして、それを喚ばれる訳にはいかない。


「止めておいた方がいいでしょう」

「何々? どうした? 怖いんでちゅかぁ〜〜?」

「その憎たらしい顔も止めなさい!」


 何て人ですか! 僕が親切心から救いの手を差し伸べていると言うのに!


「……召喚する前に、いくつか質問に答えては頂けませんか?」

「ん〜? まぁいいか。ほれ、何でも訊きな。でも、早く殺して帰ってお風呂入りたいから、長々と時間稼ぎすんのは無しだかんね」

「えぇ、すぐに終わります。では、まず……これまでに何度鎌鼬を喚び出しましたか?」


 これは、少なければ少ない方がいい。最良は、今ここでの1回だけだ。


「今のを合わせて2回だね。出来るだけ痕跡残したく無いからさぁ。練習に1回、この本番に1回だよぉ?」


 2回か……。まだ間に合う可能性はあるか。


「では、次です。その魔法が、邪法である事を理解していますか?」

「邪法!?」


 真っ先に反応したのはクレアさん。最新の拳銃を所持しているようなものだから当たり前だろう。


「マジかよ!? 嘘だろっ!」


 一般人の2人がこれだけ驚くのも無理は無い。


 邪法は、一昔前に滅せられたとされる禁忌の魔法だからだ。


 大戦時代に猛威を振るった非人道的かつ強力な邪法は、二度と蘇ってはいけない邪悪で危険な魔法と、学院でも教えられている。


「はぁ? 何言ってんの? 邪法な訳無いじゃん。だってアタシ、何ともなって無いし」


 良かった……。邪法だと知らないのなら、話し合いでの解決が望めるかもしれない。


 しかし、何ともなって無い、か……。


「それが、問題なのです」

「……え?」


 僕は魔法陣の構造を見て、前川さんの魔法が邪法であると確信している。


 しかし、仮に勘違いであったとしても無視出来ない問題が発生しているのだ。


「仰る通り、あなたが召喚の代償を支払っていないのが問題なのです」

「……そんなの普通に召喚してるから」

「いえ、ご存知無いようですが、通常の召喚では魔力を支払っています。しかし、貴女には一切何かを代償にしている様子が見られない。さらにご自覚があるのかは分かりませんが、精神汚染も進んでいるように見受けられます」

「…………」


 改めて考え直しているのか、無言でうつむき動きを止める。


 そもそも僕の見立てでは、前川さんの魔力では1体の《鎌鼬》を喚び出せるかも微妙なところなのだ。


「……次の質問です。もしかして、……貴女では無い誰かの何かを、契約時に使用しませんでしたか? 例えば……血液などです」

「っ……!?」

「当たりですか……。なんと唆されたのかは分かりませんが、上手く口車に乗せられましたね」


 だが実は通常の召喚契約でも、他者の魔力を捧げて召喚する方法が無い訳ではない。


 勝手に他人によって魔力を消費するので、滅多に無い話だが。もしも、前川さんに大魔法使いの知り合いがいる場合であれば、鎌鼬9匹分の魔力を……。


 ……いや、気休めは止めよう。


「……一度目の召喚の後、その方に異変は起こりませんでしたか?」

「……熱が出てた。……せきも……」


 決まりだな。


 不安が頂点に達したのか、素直に答え始める前川さん。動悸が激しいのか胸に手を当て、異常に発汗している。


「もう分かるでしょう? あなたの邪法の代償は、その方が肩代わりして支払っています。おそらく、幸いな事に体力でしょう。ですが、――8匹も《鎌鼬》を喚び出せば、間違い無く死に至ります」

「っ……!!」


 その人を殺してしまう寸前であった事に思い至ったようで、とうとう膝が折れて尻餅をつき涙を流しだす。口元を震える手で押さえつけて嗚咽おえつを押し殺している。


「あなたに邪法を教えたのが誰なのかを問い質したい気持ちもありますが……。まずは、邪法による契約の解除が最優先のようです」

「うぁ、ぐずっ、うあぁ……、でもぉ……」


 先程までの狂気は鳴りを潜め、みっともなく泣きじゃくる。その様は、その方への心からの心配や申し訳無さを感じさせる。


「……今の貴女には酷かも知れません。ですが邪法の精神汚染があったとしても僕やクレアさんを殺そうとする程でしたので、あえて言います。……その邪法は、例の『邪龍事件』で邪龍を喚び出したものである可能性があります」

「っ……!?」


 この前川さんは、邪竜事件で何かあってクレアさんを恨んでいる節があったが、自分が邪竜召喚と同じものを使ったかも知れないと聞かされて、頭から全ての思考が吹き飛んだかのように絶句、茫然自失としている。


「……ふむ、自分の罪は理解しましたか?」

「……ぅ……ぁ……」


 たずねる僕を、色を失った眼差しで見つめる。理解はしているが、認められないのかもしれない。


 これ以上は、あの人に任せるとしよう。


「では、そろそろ問題を解決しましょうか」

「ぇ……ぅぇ」


 縋る眼差しで見上げる前川さんをじっと見下ろす。


「そ、そんなの出来るの? 邪法って厄介って習ったけど……」

「おい。迂闊に何かしたら、逆に危ねぇんじゃねぇか?」


 いや、この娘の契約を消す手段はある。しかも、今すぐにでも行使可能だ。


 しかしながら、契約紋を解析してこれ以上の被害防止に努めてもらいたい。


「……一旦、僕の知人に保護してもらいます。悪いようにはならないでしょう。――前川さん」

「……ぁぃ……」


 虚ろな瞳をしているが、辛うじてだが反応があった。


 ゆっくりと近寄り、彼女の傍らに寄り添い、ハンカチで涙を拭う。


「ご自分の仕出かした過ちと向き合う時間は、僕が用意します。しかし、最悪の事態は免れたようです。もう十分に痛い目を見たようですし、心から悔い改め、罪を償い、これを次に活かせられるのであれば、何も問題はありませんよ」

「……ぅぅ……ぅ、わああぁぁあああああ!!」


 胸に抱きつき盛大に涙を流す前川さんを、ゆっくりと背を撫でて慰めながら、端末から護堂さんへメッセージを飛ばす。


 ………


 ……


 …



 その後間も無く護堂さん直下の部下達が到着し、《鎌鼬》と前川さんを保護してもらった。


 《鎌鼬》の代償を支払っていた前川さんのお母さんも既に大事に至る事無く保護され、護堂さんの管理下の施設で療養するらしい。


 前川さんは、邪法の契約紋の調査や事情聴取などで、しばらく学院をお休みして匿われる事になるみたいだ。


「さて、それでは遅くなってしまった事ですし、送っていきますよ」

「そ、そう? なら途中まで来てくれる?」

「えぇ、勿論」


 前川さんを乗せた魔導車が去っていくのを、すっかり普段の静寂を取り戻した廃ビルの前の歩道から見送り、先程母上から言い付けられた通りにクレアさんを家まで送り届ける事にする。


「俺は空気かよ……」

「貴方まだいたのですか? しっし、僕達はこれからまたデートです。貴方もあんな所で珍妙なダンスなどせずに、早く帰宅しなさい」


 男が拗ねていても、目を汚すだけだ。早く帰って家事手伝いでもしなさい。


「んな事してねぇよ! 剣術の練習してただけだコラァ!」

「ふんっ! 僕の魔法を馬鹿にするくらいです。魔法の方は完璧。後は剣だけと言う訳ですか。あぁ! 羨ましい!」


 腕組みして仕返し代わりの嫌味を言う。


「ぐっ! ね、根に持ちやがって……。ったく! 一ノ瀬! 気ぃ付けて帰れや!」

「えっ? あ、ありがとう……」


 クレアさんに気遣う言葉をかけてさっさと僕達と反対方向へ向けて歩み出す。


 クレアさんの戸惑いながらの返答にも、キザったらしく振り返らず手をヒラヒラして応えている。


「……お尻、破けてますね」

「……や、破けてるわね。教えた方がいいのかな」

「止めておきましょう。今まさにカッコつけている最中なのです。赤っ恥をかかすだけですよ」


 派手な下着が見え隠れしながら去るサイモン君を尻目に、さっさと歩き出す。


「……それもそうね」


 すると、すぐにクレアさんも隣に並んで仲良く帰路につく。


 小さい事だが、サイモン君より優先されたみたいで嬉しい。


 ……しばし無言で足を動かし、何度目かの信号に差し掛かった辺りで、


「……ねぇ、もしかしてワイバーンの時助けてくれたのって」

「ふふんっ。やっと気付きましたか! そう、僕です!」

「何かノリが軽いわね……」


 気付かないなら気付かないで良かったのだが、ここの所失敗続きだったので、いいカッコ出来る時にしておかなくては。


 しかし、まだクレアさんの知りたい事では無いようで、尚もスッキリとしない顔をしている。


「……あの魔法って」

「あれですか? あれは、〈煉獄れんごく統率者とうそつしゃ〉と言う魔法です。僕は、大佐たいさと呼んでいます。カッコいいから」


 お次は魔法の事か。


 あの魔法を教えて欲しいのだろうか。でも、伯爵ならともかく大佐の方は消費魔力が馬鹿にならないので使いこなせるか微妙なとこだ。


「……そっか。巨人じゃ無いのか……」


 クレアさんが何かを呟いていたようだが、信号の青に変わった合図の音にかき消されてしまう。


「……もしかして、いま僕に愛の告白しました?」

「なんでよ!」


 もしそうなら聞き逃してはもったいないでしょうに!


 だから念の為に訊ねたのですよ。違ったみたいですが……ショボン。


「もう……ふふふっ」


 残念に思いションボリする僕を余所に、横断歩道を渡り始めるクレアさん。


 何故か急にご機嫌になって、足取りも軽く跳ねているみたいだ。


 ちょっと放って置けないと思い、慌てて駆け寄る。


「零は零だもんね。関係無いわね。ふふっ。全く、仕方ないんだから」


 ……何を言っとるのだ、クレアさんは。


 突然そんなに明るくなられると、こちらは心配になってしまうではないか。……物凄いにこやかですな。


 まぁ、喜んでいるならそれに越した事はないか。可愛いし。



 ♢♢♢



「……ギリっ」













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