第9話、僕ぁ、あいつはいつかやると思ってたよ。
5階建ての廃墟と化したビル。
雑に作られた通行を禁止する為のバリケードのような柵を、先に入って行った彼を見習い右端の隙間から中へ入る。
「いいですか? “犯人はあなただ!”って言うのは僕ですからね? 取っちゃ嫌ですよ?」
「いきなり訳わかんない事言わないでよ……。それよりこの建物に本当に入って行ったの? 凄く気味が悪いわね……」
僕に続いて入って来たクレアさんが、僅かに声を震わせてビルを評する。
けれど僕はクレアさんの胸部を黙って指差す。
「何よ、ホントに男って胸が好きよね………っ」
バリケードの隙間を通る時に、その魅力的で豊満なバストがつっかえて汚れてしまっていたのだ。
女性の服が汚れたまま黙っている訳にもいかないので指摘したのだが、……頰を赤く染めて汚れを
……どうするのが正解だったのだろう。
「……見過ぎ」
「はっ!」
し、しまった! クレアさんが、汚れを落とす為に制服の胸部を叩く様に目が釘付けになってしまっていた!
いくら叩く度に魅惑的な“アレ”が跳ねていたとは言え、紳士にあるまじき行為だ!
「こ、これで勘弁して下さい……」
「そんなの要らないわよっ。……もういいから、行くよっ」
我が家は母上によるお小遣い制なので、すぐにゲームに使ってしまう僕のお財布で一番大きな貨幣を渡そうとしたのだが、お気に召さなかったようだ。
僕の腕を掴んで、押すようにして恐る恐るビルへと向かおうとする。
「おわっ!? ちょ、こ、これだけ仕舞わせて下さいっ」
口の空いた財布を持っているのに押すものだから、今にも貴重な財産が溢れてしまいそうだ。
しかしそんな僕の些細な願いも届かぬ程に、不安そうなクレアさんは僕を前にしてずんずんと先へ進もうとする。
思いの外、こういう雰囲気に弱い人のようだ。
「ね、ねぇ、零。ちゃんといる?」
「今あなたが盾にしているでしょう!」
………
……
…
とりあえず、何故か扉が消失している入り口から侵入し、ビクビクと怯えるクレアさんをお共に一階から
「……ねぇ」
「いますってば。……あんまり可愛いと僕が襲っちゃいますよ」
「ば、バカな事言わないでムグっ!?」
「しぃ〜〜〜〜っ」
声が大きい。ここまで来て彼を逃しては
慌ててクレアさんの口を塞ぎ、耳を澄まして周りの物音に集中する。野生のミーアキャットのように……。
―――――……。
どうやらバレなかったようだ。おそらくまだ上の方の階なのだろう。
聴こえてくるのは街の喧騒ばかり。セ〜〜フ。
「んむ〜〜っ」
「あ、これは失礼。しかし、彼に見つかる訳にはいかないのですから、隠密行動を心掛けて下さいよ? 分かりましたね」
「…………」
可愛いなど、クレアさんは言われ慣れているだろうに、真っ赤になって慌てるとは……純情少女め……。
手に伝わる物凄く柔らかい唇の感触が名残惜しくはあるが、何か変態っぽいのですぐに解放してあげる。
「ぷはぁ! ……いきなり変な事言わないでっ」
「すみません。……ですが、いいですか? パニックになってはいけませんよ? いざと言う時、それが命取りになるのですから」
「……分かったわよ」
不服そうに言葉を零すと、再び僕の背後にしがみつき大人しくなる。
信頼されているのがありありと分かるのでとても嬉しいし光栄なのだが、……恐ろしく突発的な行動を制限される。
つまり、……危ないし動きにくい……。
「ね、ねぇ、何で動かないのよ。何かあったの?」
しかし、こんな不安げに泣きついてくるクレアさんにそれを言うのは酷と言うものだ。
大体よく考えたら、僕、戦闘でもほとんど動かないし。何か起きても素早く動けないや。
「いえ、次の階に向かいましょうか。安心して下さい。僕がきちんと護りますので」
「ふわっ」
普段お目にかかれない弱気な姿に思わず、偶に甘えてくる詩音にするように頭をゆっくりと撫でてしまった。
「…………」
だが、頰を朱に染めて恥ずかしげにしながらも、予想外に受け入れられたようなのでこのまま撫でてみる。
……これが、甘酸っぱい青春の一時と言うものなのだろうか。
悪くない……むしろ、かなり良い!
「……い、いつまで撫でてんのよっ。十分撫でさせてあげたでしょ。早く行きましょうよっ」
「わ、分かりました……」
僕の方が撫でさせてもらってたのか……。
………
……
…
「この階でもありませんね。残るは……、5階と屋上ですか。でも、5階からも音が少しもしませんね。先に屋上から調べましょうか」
2階3階もほぼ何も無く、悪ガキが散らかしたゴミや薄汚れたデスクなどの廃棄物ばかりだ。
ホコリのせいか口の中が変な味はするわ、喉がイガイガしてくるわ、……ヤツめ、覚えておれ。
「……そう言えば、誰がここに入って行ったのか聞いてないんだけど。あたしも知ってる人?」
少しは慣れて来たのか、移動中にいつもの声音で今更な疑問を提示してきた。
未だに背中にしがみ付いているので、僕の夏服はシワだらけだ。
「サぁモン、君です」
「なんでそんなにネイティブに言うのよ……。サーモン君? 零の知り合い? 尋常じゃないくらい魚の名前だけど……」
……おいおい、マジですかよ。
「……クラスメイトでしょう?」
「えっ?」
「全く。ちゃんと名前くらいは覚えてあげないといけませんよ?」
「ご、ごめん。……確かに全員を覚えているわけじゃないけど、サーモン君なんて名前の人いたかなぁ」
憐れなり、サーモン君……。
これを機に名前を覚えて貰えると良いですね。良い印象は持たれないとは思いますが。
「しっかりして下さい。いい機会ですから、今日覚えて帰って下さいね。今から会うのですから」
「うん……。でも、そいつ悪い事してるんでしょ?」
その可能性は非常に高い。
クラスメイトとしてまだほんの少しの時間しか共に過ごしていないが、疑うには十分な言動をしていた。
「……そうですね。もしかしたら、あまり見たく無いものを見せてしまうかも知れません」
「……いいわよ。あたし、これでも“七天魔導”様の助手を目指してるんだから。このくらいなんて事無いわ」
……ほう?
「そうなのですか。危険な事もあるそうなので、僕はオススメしませんが……」
「……笑わないのね。馬鹿にされそうだから、今まで……あんまり人に言ってこなかったんだけど」
もうすぐ屋上に着いてしまう。
なので、5階と屋上の間の踊り場で一旦足を止めて説得を試みる。正直、本当に七天魔導関連は諦めて欲しい。
「――何故、七天魔導なのでしょうか? 各国のトップと同じ、もしくはそれ以上の権力が欲しいのですか? 他には、名誉ですか? 富ですか? それとも……」
「そんなんじゃないわよ……。実はあたし、前に炎の魔法――」
「むっ!? 待って下さい。何か聴こえました」
「えっ!? な、何が……? お、お、オバケとか?」
口の前に指を立てて、シーっとジェスチャーで静かにするように指示を出し、聞き耳を立てる……。
……ぁ……ぉぁ……。
「……な、何の音?」
「決定的瞬間を捉える事が出来るかも知れません。急ぎましょう」
「ま、待ってよっ」
息を呑み、慌てて僕の服を掴み直して後に続くクレアさんと共に、屋上への階段を登りきる。
そして、接合部の錆びた冷んやりとするドアノブに手をかける。
さぁ、鬼が出るか邪が出るか……。
「……何で得意げにしてんのよ」
「いえ、そんな事より――行きますよ!」
扉を大きな音が鳴る程勢いよく開け放ち、一歩踏み込むとすぐ正面で凶器を携えている犯人を見つける。
「――やはり犯人は貴方でしたか! サーモン君!」
「魚だそりゃあ!! 生で食える養殖された鮭だろうがっ!! てか、何でテメェがここにいんだコラァ!!」
やはりと言うか、何と言うか。
上半身裸で鉄パイプを振り回し、汗だくになりながら若き衝動を破壊によって発散しようとする我がクラスメイト。
……残念だ。
「……サーモンって誰よ。サイモン君じゃない。サイモン君は口調は荒いけど、授業は誰よりも真面目に受けてるし悪い事するような人じゃないわよ?」
何!? ……先生が彼だけやたらとネイティブにサーモンと呼ぶのでおかしいとは思っていた。あまり魚類の素養がないのだもの、このヤンキーは。
くすんだ金髪に乱暴な物言い、更には実技の授業で人一倍汗をかいてるものだから、てっきり内に破壊衝動を抱え込んでいるものとばかり……。
「一ノ瀬もいたのか……。何だか分かんねぇが、丁度いい」
「何よ……。やる気? あたし、やる時はやるわよ。零だっているんだから」
ヤンキー……では無くサイモン君が、何故か僕では無く背後に隠れるクレアさんに視線を向けて、眉を寄せて何かを言いづらそうに口をモゴモゴとしてモタついている。
「……そうじゃねぇよ。あぁ、……その、今まで悪かったな」
「えっ……」
思いもよらぬ展開。
「騙されてはいけませんよ? きっと油断させて泥団子でも投げてくるつもりです」
「んな事するかっ!」
急に謝り出すサイモン君に猜疑心全力全開の僕と、意味は理解しているであろうが、耳を疑っている様子のクレアさん。
「……すげー気に入らねぇけどよ。この前のそいつの言う通りだ。……お前はなんも悪く無かったのに、今まで辛く当たってマジですまんかった」
「……サイモン君」
ヤンキーのくせに誠心誠意謝るサイモン君に、クレアさんも許してしまいそうになっている。
「……ヤツが頭を下げている今がチャンスです。いじめっ子達への復讐の狼煙代わりに小突いて逃げましょう」
「お前は見かけによらず本当姑息だなぁ!」
ちっ、頭を上げてしまったか……。勘のいいヤンキーだ。
「……もういいわ。前は確かに悲しいし辛い事も多かったけど、最近は学院が楽しいし。……それに、サイモン君は特に何かをしてきた訳じゃないもの」
「……そうか」
あっさりとヤンキーを許してしまう聖女のように懐の深いクレアさん。
そんな晴れやかな顔をしたクレアさんを見て、微かにホッとした表情を見せるサイモン君。
「甘いですねぇ。2、30発くらいなら殴ってもいいんじゃないですか?」
「てめぇ、ボコボコじゃねぇか……」
そこへ、ただならぬ雰囲気の乱入者が現れる。
「――何で? 何で謝るの? そいつが悪いのに……」
突然背後の扉が開いた音がしたかと思いきや、見覚えのある女生徒が乱入してきた。
しかし、……纏う雰囲気が普通では無い。
「女性が一人でこんな所に来るものではありませんよ。もうすぐに暗くなります。早く帰宅した方がいいでしょう。どこかのヤンキーに襲われる前に」
「てめぇ……」
この女生徒は、たしか……そう、僕の学院初日に、クレアさんに真っ先に突っかかっていた人だ。
「あんたには話しかけてない。サイモン。どうして謝ったのよ。……裏切るの?」
ドロドロとした瞳で、棒読みにも似た声の波長で問いかける様は、はっきり言って不気味だ。
「あぁ? 裏切るもなんもねぇだろうが。悪いと思ったら謝るもんだろ」
「サイモン君。下がっていて下さい」
勇ましいのか気付いていないのか、あの子の前に出ようとするサイモン君の行く手を腕で遮って止める。
「何でだよ。前川が危険とでも言いてぇのかよ。アホらしい」
「その通りです」
「あ?」
普段であれば分からなかったが、今なら分かる。
――“邪法”の魔法陣を構築している今なら。
「こいつらを殺して。――《
前川さん? の足元に紫の魔法陣が光ったと思えば、一陣の突風が僕達の間を縫うようにして通り抜けた。
「ぅっ、何っ?」
「おわっ!? ……なっ!? 鉄パイプが!」
後ろをチラリと盗み見ると、サイモン君が杖のように突いていた鉄パイプが細切れに……
……マズイな。よりにもよってこのパターンか。
「裏切るんならサイモンもいいや。殺しちゃお。何か都合の良い事に、人目に付かないとこに邪魔なのが
前川さんが撫でているのを見ている限りでは愛玩用のペットのようだが、非常に速く殺傷能力にも長けているかなり危険なモンスターだ。
「……ナメられたものですね。その程度で僕を殺そうだなどと」
「また言ってんの? あんた口だけじゃん。ダサっ」
カッチ―――――――ン。
「い、いいでしょう。面白い魔法を見せてあげますよ。それを見てもう一度言ってみなさい」
「早くしてね? この子が我慢出来ずに皆殺しにしちゃう前に」
むっかぁ〜〜!
「あ、あたしも――」
「いえいえ、ここは僕一人で十分でしょう。サイモン君も決して手を出す事の無きように。この程度造作もありませんので、えぇ」
「……挑発に面白いくらい乗っかってんじゃん」
挑発に乗っている訳ではありませんが、そこの世間知らずの小娘に本物の魔法というものを見せてあげましょう。
魔力体ながら尻尾や手足の先が緑がかった白いイタチの毛並みを撫でている前川さんの余裕の笑みに、どこからか
「……顔真っ赤じゃねぇか。歯ぁ欠けんぞ」
「れ、零。少し落ち着きなさいよ」
そんな声も聞こえるが、最近の
僕の魔法を口だけと、ダサいと、そう言われて平気でいられるだろうか、いや有り得ない。
既にこの場に相応しい魔法は選定済みだ。
さぁ、とくと見るがいい。
「出でよ。――〈
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