第2話、何故この僕が今更学校なんかに……

 


 これはとある日、僕が学園に通うことになった歴史的瞬間の記憶である。


 ――ドンドンと、自室の扉が叩かれる。


『出て来い! れい! 部屋に篭ってばかりいないで、たまには父と剣の稽古でもしようではないか!』


 で、またドンドン。和太鼓気分か。


 …………。


 ……五月蝿うるさい。そして、声からして暑苦しい……。


「……はぁ〜。今日はイベントの追い込みがあるというのに、全く」


 ヘッドホンを慣れた手つきで片手で外しながら、溜め息と共に軽い愚痴ぐちこぼす。扉の向こうの我が父“山田サム”に聴こえないように細心の注意を払い、小声でだ。


 パソコンのスクリーンにチラリと目をやり、放置しておいても進行中のゲームに差し障りない事を確認する。


「……父上! 剣だなどとまだ仰られているのですか! 僕には魔法があります! それに、僕がかすり傷でもしようものなら、母上達にまたお説教されてしまいますよっ?」

『ぐっ!?』


 扉の向こうから息をむ気配が感じ取れる。毎度毎度、よくもりないものだ。同じようなやり取りを、これで何度目であろうか。


 それにだ。


 今年は猛暑らしい。先程、ゲームのフレンドの方々がチャットで口々にボヤいていた。扇風機だけだと汗が止まらない訳だ。心なしかせみも例年よりも高々と悲鳴を上げているように思う。


 開放されていた窓から外を眺めてみる。


 するとどうだ。遠くのビル群が、あまりの熱気にゆがんで見えるではないか。この父は僕に炭になれとでも言うつもりなのか。もしくはアホなのだろうか。知能の低さが心配される。


「……お前の魔法は見事だ! それは認める! だがな! 男児たる者、身体を鍛えなければ女子おなごの心を射止める事は到底出来んぞ!」

『むむっ!? ……か、構いません! いざとなったら僕には詩音しおんがいます! 詩音は僕と結婚すると断言しているではありませんか!』


 女性に興味はある……。が、僕には詩音がいる。詩音は、ある事情から引き取られて、我が家に来てからずっとここで家族として暮らしている。義理の妹として。しかし、最初から今に至るまでずっと、僕と結婚すると言い頑なに譲らないのだ。……僕がカッコ可愛い以外に理由は不明だが。


 なので、詩音の気が変わらなければ僕ももう養ってもらう事にした。あれこれ世話を焼いてくれるし丁度いい。


 ……何より、この男のように口喧くちやかましく言ってこない。


『馬鹿者! 詩音に他に好きな男が出来たらどうするつもりなのだ! お前達はまだ若いのだぞ! その時お前は――』

「つまりこう言う事ですか? 詩音に男が出来るかもしれないから、詩音を信じずに他の女に粉をかけておけと! ……詩音っ! 父上が僕に、他の女を口説く様に強要して来てるよぉ!」


 大音量で、母上と楽しく昼食のパスタの用意をしているであろう詩音に告げ口をする。


『何言ってんの!? おまっ!? 何て事を――』

『お父様』

『ひっ!? ち、違うぞ? 私は2人の幸せを』

『信じ難い事です。この家にこんな愚か者が湧いていたなんて』

『父にそんな冷たい目をしないで! お、落ちつグピャっ!?』


 ……薄い扉の向こうから、ムエタイ選手のローキックのような破裂音や打撃音、さらに父上らしき生物の断末魔がくぐもって聴こえる……。


 ……終わった様だ。耳を澄ましていたのだが、スリッパが床を叩く小さな足音が遠ざかって行った。これは詩音のものだ。長年一緒に暮らしていると不思議と分かるようなる。それよりも、この薄い扉の向こうでは、どんな凄惨な争い……制裁が下されたのだろうか。気にはなるが、僕には確かめる度胸はない。


 しかし、これで流石の父も諦めてくれただろう。さぁ、ゲームの続きをしようではないか。昼食までもう一頑張りだ。


『ぐ、ぐぉ……』


 外から愚かな脳筋の呻き声が聞こえるが、扇風機の向きをパソコンへ向ける作業で忙しくて構ってられない。


『や、やってくれたなぁ、零……。しかしだ! それもここまでだ! お前には“魔法学院”へ通ってもらう! 入学手続きももう済ませた!』


 …………………は?


『友達の1人でも作ってこい! いつも家で遊んでばかりではないか。外でコミュニケーション能力を培うのだ!』


 この腐れゴリラは、友達作りのために魔法学院に通わせようとしているのか?


 ……何を世迷言を。度し難い。


「お断りします。僕にはネットに友がわんさか溢れています。ご心配無く」

『きちんと卒業できた暁には……、お前の部屋にクーラーを付けてやろう』


 何っ!? 僕の部屋にクーラーだとっ!? あのケチな父上が!?


 未だ我が家には、母と妹の部屋にしかクーラーは無かったのだ。“男児たる者、暑さや寒さに負けない身体を作るのだ”、等と訳の分からない家訓を設け、扇風機1つでの生活を強いられてきた。


「……僕は騙されませんよ」

『こんな事で嘘吐くとか思われてんの!?』


………


……




 カチャカチャと食器の鳴る食卓で、真偽を確かめてみようと思う。


「……母上」

「なぁに? 零ちゃん」


 昼食のトマトソースパスタの食欲を誘う香りが過剰なまでに漂う中で、ニコニコと優しげな表情で家族の食事風景を見守っていた我が母“山田ナナミ”に話しかける。


 自室で火照った身体をリビングの空調が冷やし、適度な体温での食事を助けてくれる。この幸せを噛み締めながら食事を続けたかったが、先程に聞き捨てならない言葉を聞いてしまったばかりに。


「そこの男らしさと野蛮を履き違えた愚物が、僕を家から追い出そうとしているのですが、ご存知ですか?」

「……サム?」

「ゴフっ! ゴホっ! ゴホっ!」


 僕が目線で父上を指しながら言うと、先程までのフワフワとした雰囲気から一変、フワフワなのは髪の毛のウエーブばかり、恐ろしい目付きで蛮族を問いただしている。


 そのあまりの迫力に、掻き込むように食べて口の回りをソースで真っ赤にしていた蛮族は、焦りに焦って咽せてしまっている。何故この男が、こんな美人と結婚出来たのだろうか。


 そして、咳き込む度に対面に座っていた詩音のコメカミに青筋が……。


「ぐふっ。か、母さんには昨日話しておいただろ!? 零の悪意にまみれた言葉のマジックに踊らされてはいかん!」

「あら、もしかして学院のお話? ……ごめんなさい。私ったら勘違いでサムにパンチしまうところだったのね。うっかりだわ」

「パンチ!?」


 ……ちっ。どうやら、母上が賛成したと言うのは事実であるらしい。


 氷でキンキンに冷やされた麦茶で、口に残ったトマトパスタの風味を流し込む。清涼感のある喉越しで、頭をスッキリさせないと感情に流されてしまいそうだ。


「……母上は賛成なのですか?」

「えぇ。零ちゃんなら安全に通学出来るでしょうし、お友達とお外で遊ぶのもきっと楽しいわよ? ママはそういった事も経験して欲しいなって。零ちゃんは昔から賢かったからまともに学校に通った事も無かったでしょう? だから……どうかしら?」


 非常に厄介だ。この家の実権を握っている母上が賛成という事は、決定したも同然だ。こちらに、はっきりと断れるだけの理由が無いので説得も難しい。


「私も同学年に編入させてもらえる事になりました。学院では恥ずかしい言動は控えて下さいね、兄さん」

「…………」


 長年にわたり共に生活してきたのだ。今、詩音がかなり舞い上がっているのが手に取るように分かってしまう。


 この黒髪の美少女の美貌は、今度は魔法学院を騒がす事になりそうだ。




 …………。




 (はぁ〜〜……。本当に魔法学院に通う事になってしまった……)











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