第6話  白鷺涼子、と

私は面会室を出る。

 自分の意識が千切れて、雲とともに流れてしまうような感覚を覚えた。

「お顔の色がわるいですわ」

 久遠さんの声が、千切れた私に残響する。

「少しお休みになることをお勧めします」

 そういって、久遠さんは私の手を取る。

 忘我の心地のまま、私はいつしか自分の家についていた。

 久遠さんはかけたはずのカギを平然と開けて、私を家の中に誘い、ベットに寝かせる。

 ぼう、として天井のシミを見つめる。

 風邪をひいたかのように、体が重い。

 寒いのに、毛布をかぶる気にはならなかった。

「紅茶を淹れました。ぜひ、いただいてくださいまし」

 気が付けば久遠さんが横にいて、紅茶を淹れていた。

 真っ白な陶器に薄い色の水が入っている。

「水が沸騰した音がしなかったんですが」

「いやですわ。沸騰したお湯なんか使ったら、風味が飛んでしまいます」

 沸騰しない温度をどうやって確認したんだろう。

 なんだったら、この陶器のコップも温度計も家にはないのに。

「ささ、どうぞ冷めないうちに」

 思ったよりぐいぐい来たので。私はカップを受け取り紅茶を息を吹きかけて、すする。

 ほのかな香ばしい香り、柔らかい口当たりと、火傷しない温度の紅茶が口の中に広がる。

 一口飲んで、ほう、とため息がこぼれた。

「……美味しいです」

「それはよかったですわ」

 ほのかな熱が体を温める。

 自分の体は思ったよりも冷えていたのかもしれない。

 窓辺に、雪が降っている。

 アパートとビルの隙間に降る雪は、誰かに見つかることなく積もるだろう。

「……久遠さんは、なんでもできますね」

「ええ、まあ」

 わたしは、何もないな。

 ずっと、夢夜にすがってばっかりだったから。

「久遠さん」

 手で包み込むようにカップを持つ、あたたかさを感じられるように。

「全部、嘘だったでしょうか?」

 ぽつりとつぶやいた。

「さあ、わたくしには、そういう観念的なことはわかりかねますわ」

「……そですか」

「そですわ」

 また、紅茶をすする。

 いつのまにか久遠さんはいない。

 くいと、紅茶を飲み干した。

 吐息は白く消える。

 少し、眠くなってきた。

『赤の他人』

 夢夜……、違う、彼女は夢夜じゃなかった。

 彼女は、ずっと、嘘を吐いてきた。

 私と出会ってから、ずっと。

 そして、あんなことを言った。

『全部、嘘なの』

 そう、なのかもしれない。

 彼女は嘘つきで、そんな嘘つきに私はずっと甘えてきた、

 嘘を、暴こうとしたのは、私。

 でも、じゃあ、どうして彼女はそんなウソをついていたのだろう。

 どうして、私を甘やかしてきたのだろう。

 お金が欲しかっただけなら、私のことなんて放っておいてくれればいいのに。

 目を瞑ると、いつだって、あの暖かい日々が瞼の裏に写る。

 それは、ほんとうに些細な日々で。

 それから嘘を引いたなら、何が残るのだろう。

 どんな思いで、彼女はいたのだろう。

 何のために、全部を嘘にしたのだろう。

 私は目を開く。

 雪が降るのが見える。

 この雪が、いずれすべてを覆いつくす前に、私は知らないといけない。

 もう一度、今度は本当で、向き合わなくちゃいけないのかもしれない。

 そんなことを思いながら、私は再び、目を閉じた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る