第5話 灰崎夢夜、と久遠廻音さん


 目を開くと、冬の日差しを眩しく感じる。

 凍えそうな日の、やさしい日差しが、わたしは好きだ。

 でも、それはわたしには少しだけ眩しい。


 もうすぐ、わたしは裁かれる。

 それは、どうしてか怖くない。

 むしろずっと、わたしはそれを望んでいたから。

 まどろみの中で、痛む体を立ち上げる。

 思い返すのは昨日のこと。

 あれでよかったのかな、とか思う。

 だって割と無理があったような気がする。

 でもきっと、涼子なら。

 あの子は優しいから、信じてくれるんじゃないかな?

 

 不意に呼び出しがかかる。

 面会したい人がいるという。

 誰だろう? また、涼子ちゃん?


 わたしは面会室に連れられる。

 きい、となる扉を開いて、中に這入った。

 意外な人がいた。

 涼子と、それから。

「こんにちは。久遠廻音ですわ。憶えていてくださいましたか?」

 ピンクの髪、金色の瞳、フリルの多い服装。

 憶えている。あの時、涼子ちゃんと一緒にいた、怪しい女だ。

 わたしは椅子に座る。

 目の前にいる二人に問いかける。

「どのような、ご用件でしょうか?」

「真実を聞き出しに来ましたわ」

 久遠廻音とかいう怪しい女は間髪入れずに答えた。

「真実……?」

「ええ、貴女が昨日、白鷺さんに語った内容は、確かにその多くが真実ですわ。ですが、確かに通したい小さな嘘を、多くの真実で覆い隠すのはよくあることです。ですが、所詮、それは即興で着いたであろう嘘。嘘は歪を作り、矛盾と化します」

「矛盾ですか?」

 わたしは自分を落ち着ける。

 大丈夫、平常心で入れば、きっと。

「わたくしと白鷺さんは、実はこの事件に関して事前に独自の調査を行っていたのですわ。ええ、調査というよりはピースの収集といったほうが的確でしょう」

「へぇ……」

「事件の概要や事実関係だけなら、おおよそ貴女の言うことが正しいでしょう。ですが、白鷺さんがご所望の真実は、もう一つ先の小さな嘘にありますわ」

「涼子ちゃんが?」

「はい。私が望んだものです」

 涼子は見たことがないような鋭い視線をわたしに向けた。

 それだけで、心がこんなにも苦しい。

「ではまず、矛盾一つ。貴女に接触を図った、黒鵜さなさんに関するあれこれですわ。彼女は三原万葉との協力関係の下であなたに接触を図ったのです。貴女が彼女にあわよくば捜査の矛先が向けば、と考えたのは貴女の証言通りでしょうが、彼女が貴女に接触を図ったのは貴女のことを知り、調査をするためだけではありませんでした。彼女は三原万葉さんから貴女の毛髪を採取してくるように言われていたのですわ」

 息を飲む。

 あの時、黒鵜がわたしの頭に触れたのは挑発するだけではなく……。

「なぜそんなことをしなくてはならないのか。貴女の説明ではそこが説明できません。貴女のDNAを調べても、同時に白鷺さんのDNAがなければ仕方がありませんから」

 久遠廻音はなおも続ける。

「矛盾2つ。貴女は、財産が三原万葉に強奪されることがないように、記憶喪失だった白鷺さんに嘘を吐いたと申しましたが、その時点では灰崎夢夜と三原万葉、旧姓白鷺万葉さんには接点がないのです。ですが貴女は、まるで彼女の人となりを知っているかのような対応をしたことですわ」

 動悸が激しい。

 冷や汗が出る。

 このひとは、気づいている。

「さらに疑問はありますわ。三原万葉はどうして、白鷺さんの素性を知ることが出来たのでしょう? 黒鵜さんから聞き出したかといわれるかもしれませんが。それはありませんわ。あれでも彼女は秘密が得意ですから。それに、白鷺さんが好きですから」

 久遠廻音は、その微笑を崩さない。

「もう一つ、疑問があるとすれば、やけどで入院していたときの流出したデータは一体どこに消えたのでしょう? これはまあ、ネットの闇の中といえば早いのですが……そうではないと、わたくしは思うのです。ええ、だっていくら深く潜っても全然見つかりませんでしたから。なお、ほかの方の流出したカルテは凡て見つけてありますわ」

 さらりと、意味不明なことを言ったような気がするが、それすら気づかないほどにわたしは焦っていた。

 じりじりと、心臓が焼け焦げているかのよう。

「これらの話から導き出される答えが一つあります」

 わたしは立ち上がった。

 何かを言おうとするのに、口がパクパクと言葉を発しない。

 その間に、久遠廻音はその言葉を口にした。

「貴女は、灰崎夢夜ではありません(・・・・・・・・・・・)」

 そして

「白鷺華麗。行方不明になっていた三原万葉と白鷺浩平の娘、それがあなたの正体です」


   2


 あら、何も言い返してこないのですね。

 では、わたくしから色々と解説させていただきますわ。

 ことは5年前にさかのぼります。

 白鷺浩平の娘である貴女はきっと、火災の日にお屋敷にいたのでしょう。

 そこで本当の灰崎夢夜は両親、そして白鷺浩平とともに焼死。大人の死体すら残らない火事の中で子供の体が残るとは思えませんから、彼女の死体は残らない。

 火災後の灰崎夢夜は全身にやけどを負って、顔まで包帯でぐるぐる巻きだったと聞いております。

 あなたは医師にこういったのではありませんか? 

 自分は灰崎夢夜であると。

 そしてあなたは自分ではなく灰崎夢夜の特徴を医師に伝えた。

 哀しいかな、ご本人様は屋敷とともにその全貌が焼けてしまいましたから、意外とばれなかったのでしょう。

 入院していた病院の管理がずさんだったのも幸いしていましたわ。

 貴女の身体データを記録していたカルテを盗むことも可能だったのでしょう。

 貴女は無事、灰崎夢夜の特徴そのままの容姿になりました。

 そして、灰崎夢夜として灰崎家の遺産を相続いたしました。

 それからは白鷺さんのおっしゃったとおりに、貴女は灰崎夢夜として、白鷺涼子に親身になりましたわ。

 あなたの手元には莫大な財、血のつながらない母親のネグレクトに苦しむ白鷺さんを支援することは容易だったのでしょう。

 それでも、同居することを拒んだのは、自身の偽装がふとした瞬間にばれることをお恐れていたからかもしれませんわね。

 白鷺さんの記憶が失われていたのをそのままにしていた理由は先ほど語っていただきましたから。

 そのうえで、貴女がまるで三原万葉の人となりを知っていたかのように対応していた理由もわかるというものです。

 だって、実の娘なのですから。

 さらに、これで貴女が三原さんに脅迫を受けていた理由も理解できるというもの。

 自分の娘です、何らかの癖や特徴から貴女の正体について、疑念を抱いたとしても不思議ではありません。

 三原万葉は黒鵜さんを利用し、貴女のDNAを摂取、それを自身のDNAと照合したのでしょう。

 今は親子鑑定なら頼めばやってくれることもありますから。

 そして三原万葉は掴みました。貴女が自身の娘であるという確固たる証拠と確信を。

 それは貴女にとって不都合なことだったのでしょう。

 もし、この事実が明るみに出たら、貴女は当然、灰崎家に残された遺産の相続権を失いますわ。

 そのうえ、この事実から、白鷺さんの素性につながってしまうかもしれない。

 貴女が今までついてきた嘘がすべて水泡に帰してしまう。

 そこで、貴女は三原万葉の殺害を決行いたしました。

 貴女にとって一番、回避しなければならなかったのは、貴女のついてきた嘘が明るみに出てしまうこと。

 と、ここまで考えましたが、いかがでしょう?


   3


 わたしは、深く息を吐いてパイプ椅子に体重をかけた。

 おんぼろのそれは軋みをあげて、今にも崩れてしまいそうだった。

 久遠廻音の顔は変わらない。

 それはどこまでも公平で、だからか他人事。

 舞台で踊る下手な役者をただ観ているだけのよう。

 きっと、残酷だ。

 ふと、涼子のほうを見る。

 見たくないのに、見てしまう。

 ああ、傷ついてる。苦しそうに顔を滲ませて。

 きっと、いきなり地面が砕け散ってしまったかのような衝撃を受けているのだろう。

 傷つけたのは、わたし。

 きずついたのは、あなた。

 ボンヤリと、天井を見上げた。

 灰色の壁がある。

 きっと、硬くて厚くて、壊せない。手を伸ばしても届かない。

 吐いた息が止まる。

「そうよ」

 わたしは答える。

 その言葉は決定的。ガラスが割れるとき、きっと破片はこんなに痛い。

「全部、嘘なの」

 ガラスが割れる。

 ガラスが割れる。

 綺麗に見えたステンドグラスは、つぎはぎだらけのプラスティック。

「わたしの名前も嘘、涼子が行ってくれる名前は、全部、嘘だったの」

 あの子の声。

 あの子の言葉。

 全部、向けられてたのはわたしじゃない。

「わたしの顔も嘘。わたしの見た目は全部嘘」

 あの子が綺麗と言ってくれたのは、わたしじゃない。

「わたしの経歴も嘘。わたしの立場も嘘。わたしの血筋も戸籍も嘘なのよ」

 ああ、もう、嘘を吐く必要もなくなってしまった。

 だって、もう、何もいらないもの。

「でも、人殺しなのは、ほんとう」

 もっと早くにこうしておけばよかったのね。なんてことを、うそぶいた。

 だからきっと、この涙も嘘なのだ。

 だから、わたしはあなたに言うの。

「わたしとあなたは赤の他人よ。だからもう、会う必要なんてないんだから」


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