第4話  灰崎夢夜と白鷺涼子


「さて、一通り、お話を聞くことが出来ましたわ」

 センパイと別れて、私と久遠さんは近所の公園のベンチで二人きりになる。

 空に、白い雪が舞い始めた。

「私、何も知らない……」

 太川刑事と、黒鵜センパイ。あとそれ以外のいろいろな人たちから、過去の話を聞き続けた。

 夢夜の過去を探るために、かつて夢夜が入院していた病院にも行ってカルテを紛失したことなんかも確認してきた。

 ほとんどの道筋を、久遠さんがつけてくれて、私はそれにくっついていっただけだったけど。

 結局、私は一番大切だと思っていた人のことを本当に何も知ってこなかったんだと、そう痛感するようで。

「ここで話を整理いたしましょう」

 久遠さんが立ち上がり、数歩歩いてから私のほうに振り返る。

 それだけの所作があまりにも流麗で、一人だけ、この人は私たちのいる舞台とは違う舞台で踊っているかのような、そんな変な錯覚を覚える。

 降り積もる雪が、彼女だけを避けるように。

「今回、わたくしが求めるのは死の収集。まあこちらは皆さまに直接なかかわりがありませんので割愛させていただきます。では、白鷺さんが求めるものはなにか。三原万葉と灰崎夢夜との関係、しいては殺害に至る経緯ですわね」

「はい」

「本人は、個人的なトラブルということで、どのような関係があったのかを頑なに黙秘しております。黙秘するということは、知られたくない事柄であるということかと思われますが、それでも貴女は知りたいのですね」

 私はこくんとうなずいた。自分でもなんてエゴイスティックなんだろうとは思う。

 それでも、私は。

「あの二人は本来、本当に赤の他人のはずだったんです。でもそこに接点が生まれるとするならば」

「何かしらの形で白鷺涼子が絡んでいる、実に自然な考えですわ」

 久遠さんは深く大仰に頷く。

「調べれば調べるほどに、灰崎夢夜は謎となる部分の大きい人物ですわね。彼女も学生ですから、学校に通った形跡はあれど、まるで目立つ存在ではなく、むしろ陰に隠れて知るものも少なく。そもそも人との交流が本当に少ない。そんな彼女が三原万葉に接点を持つにはあなたの存在を介するしかありませんわね。その上で殺害に至るだけの理由がなんなのか。ですが、三原万葉の人物評を聞くと、いつ誰に殺されても、あんまり不思議な人物でもないように感じますが」

「そうですけど、でも、私、夢夜が、その……人を殺すのは、やっぱりそれだけの理由があるって思うんです……っ」

 そう、思いたいだけではないのかといわれてしまえば、きっと私は反論することが出来ないだろう。

 勝手に理想の夢夜を作り出していないと、私はもう言えなくなってしまっていたから。

「そうですか。いえ、今のはただの確認ですわ。わたくしもそのことを前提に人に当たっていましたので」

「……ありがとう、ございます」

「あら、お礼を言われるようなことなど言っておりませんわ。ふふ、ではとにかく、話を戻しましょう。

 三原万葉さんは灰崎夢夜に何らかの脅迫をしていたというのが、おおよそ皆さんの見解でしょう。では、何をネタに脅していたのか? ただの暴力という可能性も、まあ否定はできませんが、そうであるならば、わざわざ黒鵜さなを利用して灰崎夢夜の情報を仕入れようとする必要がありません」

 やっぱセンパイ、いいように使われていたんだ。

「脅すに足るほどの大きな秘密、それを灰崎夢夜は抱えていたと考えられますわね。灰崎さんは意図的に過去や自分自身の素性を隠していたと、わたくしは考えております」

「秘密……」

 私も、知らないようような大きな秘密。

「灰崎夢夜は灰崎家に生まれた一人娘であり、その後、屋敷の火事から両親を喪う。なぜかその場にともにいた白鷺さんとともに奇跡の生存を果たし、大やけどを負いながらもどうにか治療、したらしいですわね。カルテが失われてしまったので詳しいことはわかりませんでしたが。その後、白鷺さんと接触を果たします。屋敷の焼け跡から見つかった莫大な金銭を相続した彼女は、三原万葉からネグレクトを受けていた貴女に対し、支援を行いました。それも随分と親身になって。なかなか、できることではありませんわ」

 私は頷く、そうやって私は生きてくることが出来た。

「その後、彼女は三原万葉に出会い、何らかの形で難癖を吹っ掛けられたのでしょう。それから、黒鵜さなと接触。毛髪を取られ、三原万葉がそれをゲットしたわけですが、その後、殺害に至ります」

 久遠さんはそれから一息つき、なにか質問は? と私に問いかける。

 私は少し考えて。

「毛髪って、なんのために使うのでしょう」

「普通に考えたらDNA鑑定をするために使用されるためかと、今は専門の機関に行けば鑑定は可能ですから。もちろん、DNAは究極の個人情報ともいわれますから、詳細は教えてもらえないでしょうけれども」

「それって、夢夜は父である灰崎良平の娘ではないことを調べるため、ってことなんでしょうか? でもそれに何の意味が?」

 それが、脅迫材料になりえるのだろうか?

「さあ、それはまだ何とも。ピースがもうちょっと必要ですわね」

「もうちょっと? でも、これ以上、調べられることなんて……」

「ありますわ」

 久遠さんは即答した。

 土の上を音を立てずに、私に向かい歩き出し、指をさす。

「貴女ですわ。白鷺さん、貴女の喪われた記憶が最後のピースになりえるですわ」


  2


「でも、私が夢夜と出会ったのは記憶をなくしてから、あとのことですよ」

 久遠さんの後ろをついてきながら、私は投げかけた。

 私には記憶の欠落がある。

 5年前の火事より過去の記憶が虫食いだらけなのだ。

 火事のショックからだと、言われたことがある。

「それに、私、記憶がないですし」

「人間の記憶は完全に失われるということはないのです。何かの拍子にふと思い出したり、追体験したりすることで、失くしたと思っていた穴ぼこの記憶がひょっこり顔を出すなんて、よくあることですわ」

 そう、かもしれないけど。でも……

「……久遠さん、本当は、事件の真相、わかっているんじゃないですか?」

 恐る恐る、私は聞く。じゃなきゃ、普通もう少し迷ったり考えたりするような気がしたから。

 久遠さんは微笑を崩さない。

「ええ、すでに大方の推論はついております。ですのでこれは収集。なんでしたら確認作業のそれに近いかもしれませんわね……さあ、着きますわ」

「一体、どこに……」

 私はその場所を見た。

 更地だった。

 薄く黒い更地に微かな雪が降り積もる。

「五年前の屋敷の焼け跡でございます」

 久遠さんの声は、どこか遠かった。


     3


 自分の足元がぐらつく感覚、それから、頭に鈍痛が走る。

 呼吸が、浅い。

 幻視している。炎を。

 焼けていく。灼けていく。

 おとな。おとな。おとな。

 喉が、乾く。渇く。

「白鷺さん」

 ふ、と現実に引き戻される。久遠さんの深く冷たく沁みるような声で。

「なにか、思い出せましたでしょうか?」

「……いえ、燃えている、だけです」

 記憶が燃えていた。

 期待はずれだっただろうかと久遠さんを見ると、彼女はさほど気にしていないという風な様子だった。いや、というかずっとそうだった。

「そうですか。しかし見事な焼け跡ですわね。草の根一つ残らない。これではこの火災現場で死亡しても、きっとほとんど残らないでしょう。お二人とも、よくぞ生き残ってくださいましたわ」

「そ、う、ですね」

 大丈夫。落ち着くから。すぐ。

 私は、生き残れたから。

「しかし、随分と顔色が悪いですわよ、白鷺さん。貴女は生き残り、そして火傷も大きくなかったのです。どうか、落ち着いてくださいまし」

「……は、はい」

 そうだ。私は決して、大きな不幸に見回ったほうではない。なんだったら、絶対に夢夜のほうが火傷は大きかった。顔まで包帯で包まれていたのだし。

「久遠さん……、私、どうして、こんなに怯えてるんでしょう。もうずっと、昔のことなのに」

 私は自分の体を抱きしめる。寒空の下で吐息が白く染まる。カチカチと歯の根が鳴る。

「ここでかつて、大きな精神的ショックを負ったからでは。例えば、死にかけたと――とてもショッキングなもの見たとか知ったとか」

 久遠さんは私のすぐそばによる。

 それが、すごく、冷える。

「私、一体……何を見たのでしょう」

 言葉は無意識のうちに出た。

 見た? どうして何かを見たのだと思ったのだろう。

「知りたいですか?」

 久遠さんはささやく。

悪魔がささやくときは、きっとこんな声なのだろうと思うほどに、甘いささやきだった。

 私は、頷いた。

「そうですか。では、ちょっとした荒療治を行いますわね」

 そういって、久遠さんは指先をぴたりと私の額につけた。

「目を瞑ってくださいまし」

 目を瞑る。

「貴女は、お屋敷の中におりますわ。綺麗だけどあせたカーペット。木目の天井。広い、そして奥にずぅっと広がる廊下」

 額が痛む。

 虫食いになった記憶の地図が血を流し始める。

「炎が灯りますわ。炎は、どんどん大きくなって、家の中を広がります」

 熱い、熱い、炎が迫る。

 ああ、額がずきずきと痛む。

 血が、血が目の前に零れていく。

「炎が蛇のように、人を飲みます。生きたまま、人は燃えます。大きな、悲鳴が反響しますわ」

 鼓膜が震える。脳が震える。

 じいぃぃいん。と、頭の中に染み付いた悲鳴が……。

「誰が燃えておりますか……」

「……大人が……ッ」

 渇く。喉が張り付くような渇きにあえぐ。

 大人が三人、燃えている(・・・・・・・・・・・)。

 それだけじゃない、それだけじゃない。

 目の前に女の子。

 炎に飲まれようとして、手を伸ばして、だれかが手を掴んで、……だれ? あなたは一体……。

 夢夜、夢夜は……、夢夜は……! 

 目の前で、燃えて、燃やして、顔が……! 

 いや!



 喉と肺が張り裂けそうな悲鳴を上げて、私は薄く積もる雪に倒れた。

 急速に暗転していく意識の中で、久遠さんが「少し、やりすぎましたわね」と指先を見つめていた。


    4


 血が滲んで、赤く染まった記憶の断片を見る。

 私は、一人、お屋敷の中。

 お姉ちゃんを見ている。

 おねえちゃんは、綺麗な人だ。

 白い髪、少し垂れた眼差し。暖かで優しい微笑み。

 私はお姉ちゃんが大好き。大好きのはず。きっと大好きだと思う。

 家族は幸せ、だったはず。

 パパとママの顔にはざらついた砂のカバー。思い出せない。思い出しちゃいけない。

 男の人が来る。

 お父さんだ。

 パパとお父さんは、喧嘩ばっかり。

 ママが私を抱きしめる。ごめんねごめんね泣いている。

 お父さんと歩く。冷たい雪が降る。

 手が真っ赤。

 あのおばさんは誰ですか。あのおねえさんはだれですか。

 どうしておばさんは私をぶつの?

 いたくて、さみしくて、おんぼろごやでひとりきり。

 おねえさんが、私のことを見ている。

 けど、私が近づくと、すぐに目をそらしてしまう。

 おねえさんもぶたれてる。

 いたいのいたいのとんでいけ。

 そうしてまた、雪が降る。

 おうちに帰らないと。

 私はおうちに帰る。

 雪がしんしんと、降っている。

 おうちに帰る。

 足が痛い。

 おうちであったまりたくて、

 お姉ちゃんが見つけてくれた。

大好きな夢夜お姉ちゃん。

 お姉ちゃんとかくれんぼ。

 私はクローゼットに隠れてる。

 そのうち、うとうと眠くなって――。



『――どうして、あんたが生きてるの、死ねばいいのに――』



    5


 私は目を覚ました。

 しんしんと、哀しみのように雪はふる。

「目が覚めましたか?」

 靴の底にしみこむ雨水みたいな声。

「…………久遠さん……」

「はい。久遠廻音です」

 ああ、灰色の空だ。

 すごく、濁った空だ。

「……すみません。膝を貸してもらって」

 私は重たい頭を起こした。だいぶ、頭が冷えている。

「いえいえ、これぐらい大したことではございませんわ」

「でも、地べたに直接座るのは、どうかと思います」

「ふふふ」 

 久遠さんが不敵な笑みを浮かべた。

 普通に怖い。

 気が付くと、久遠さんは立ち上がっている。どういう理屈か、フリル多めのその服装は全然汚れていなかった。

 私はコートの汚れを払う。

 はらはらと、湿った砂が落ちた。

 おもむろに天を仰ぐ。灰色にかすんだ空から湿った雪が降る。

 はあ、と零した吐息が白く染まって消えた。

「……思い出したことが、結構、あります」

「はい。なんでしょう?」

「何から話したらいいのかな……、」

 力ずくで思い出させられた記憶を整理することから始めなくちゃいけないと思う。

 そしてそれから、私は夢夜にまた会わなくちゃいけない。


   6


 リノリウムの床の上を歩いた。

 薄暗い廊下は、ひどく冷える。

 格子の窓から落ちる冬の明かりは、哀しいほどの弱く、灰色だ。

「面会だ」

 警察の人が、冷たくてかたい声で言う。

 太川刑事に無理を言って面会させてもらったのだ。

 ガラスの壁の前に座る。

 きい、と金属のこすれる音。

 向こう側の扉が開いて、灰色の服を着た夢夜が現れた。

 夢夜の様子は、全然変わっていないように見えた。

 色素の薄い髪も、垂れた穏やかな瞳も、穏やかで優しい感じも。私よりもずっと年上なのに、すこしだけ幼さを残した雰囲気も。

 いつもの、私が知っている夢夜だった。

 ガラス越しに、彼女が座る。

「こんにちは。涼子ちゃん、来てくれるだなんて、わたし、思ってなかったから」

 うれしい、って夢夜は言う。

 それが、私の心を冷たい手で触れたみたいに切なくすることを知らないから。

「うん。私も、会いたかったです」

「そう、嬉しい」

 甘い沈黙が流れる。静かで、衣擦れの音くらいしか聞こえない。

「なにか」

 静かな声で夢夜は聞いた。

「話すことがあるのね」

「分かりますか?」

「分かるわ。どれだけ涼子のことを見てきたと思ってるの?」

 そっか、そうだよね。

 私は納得した。夢夜がどれだけ、私の面倒を見てもらってきたのかわからないほど、私は恩知らずじゃないって、そう思いたいから。

「ねえ、む、……灰崎さん」

「夢夜でいいって、いつも言ってるでしょ」

「うん。……夢夜」

「なあに?」

 私は、少しためらう。だって、確証があるわけではない。

 いくら久遠さんから「ええ、おかしな点はありませんわ」なんて言われていても、語るのはいささかの恥ずかしさを伴う。

 どうしてドラマの探偵とか刑事とかはあんなに堂々としていられるんだろう。

「私って、夢夜の妹なの?」

「……どうして?」

「……思い出したから」

「思い出したの」

 夢夜が息を飲んだのを感じる。すぐそば、ガラス越しに夢夜の体が強張る。

「うん。すごく、ぼんやりとした記憶だけど」

 私は語る。ぼんやりとした夢みたいな過去の続きを。

 


私は、灰崎涼子って名前だった。

 パパは灰崎良平。そしてママは灰崎夏葉。お姉ちゃんが灰崎夢夜。

 そう思っていた。

 けど、そうじゃなくて、私には別に父親がいたの。

 白鷺浩平。

 それが私のお父さんの名前。

 ママは不倫をしていたんです。

 灰崎良平と白鷺浩平。二人の父親は互いに互いを罵倒しあう。

 ぼんやりと、けれど強烈なほどに激しい応酬を、憶えている。

 それは幼い私には、あまりにも強烈な恐怖だった。

 大の大人の激しい剣幕と怒号、罵声。

 できればずっと、忘れたままでいたかったくらいに。

 それから、私は白鷺浩平の娘、白鷺涼子になった。

 その日、雪が降っていたのを覚えている。

 今日みたいに冷たい日で、手が赤くかじかんでいた。

 小さな手が痛かった。

 白鷺家では、三原万葉……当時は白鷺万葉から、よくぶたれていたのを覚えている。

 何度も、機嫌を損ねるたびにぶたれていた。

 彼女は私が嫌いだった。当然だとは思う、夫がよそで作った子供なんて好きになれるわけがない。まして、私なんて。

 狭い部屋に何度も閉じ込められた。

 暗くて、寒くて、狭くて。

 逃げ出そうとして、灰崎家に帰ろうとして。

 もうそこは私の家じゃないのに。

 帰ると、お姉ちゃんがいて、私をクローゼットにかくまった。

 それから……私はうとうとしてきて……。



「私が思い出したのは、そこまで。あとは、炎の中にいる記憶です。炎の中で、3人が燃えていました。灰崎夫妻と、白鷺浩平の三人が、燃えていて……」

 その断末魔が、耳にこびりついてしまった。

 私は独白を終える。

「思い出したのは、それで全部?」

「はい」

「そう……」

 夢夜は俯いた。

 目を瞑って、しばらく、何かを考えている様子だった。

「うん。そう」

 そして、ゆっくりと、彼女は瞼をあげた。

「この、記憶は、ほんとう?」

 私は聞いた。自分でもどこか声が震えているのがわかる。

「ええ、そうよ。貴女は本当は三原万葉の子なんかじゃないの」

「……っ」

 自分の胸の中から、こみ上げるものがあるのを感じた。

 自分の苦しい過去のことだけじゃなくて。

「そっか。夢夜は、お姉ちゃんだったんだ」

「……そう、ね」

 それが、なんだかうれしかった。

「でも、どうして黙っていたの? 言ってくれてたら、私」

「言えないわ。だって、三原万葉がそのことを知ったら、どうなると思う?」

 夢夜は滔々と語った。

「あの火事で、灰崎夫妻がなくなり、遺産だけが残った。もし、それを知ったうえで、三原万葉があなたの母親のことを知ったなら、きっと、親権を主張するでしょう。貴女もわたしも未成年だったから。もしそうなっていたら。きっとあの女は金だけぶんどって、どこかへ消えてしまうわ。わたしと貴女を残してね」

「……あっ」

「そう、貴女が記憶を失っていると知った時、わたしはね、心から安堵したの。本当に。だって、そうすれば、相続したお金をあの女には持っていかれない。わたしが、貴女の……」

「そう、だったんだ……」

 私は納得した顔をする。

 ガラスの向こうで、夢夜が安堵しているように見えた。

 面会室のガラスの向こう。

 すぐ近くなのに、手を伸ばしても届かない。

 面会室はなんだか少し、寒い。

「ね、夢夜……」

「うん?」

「どうして、三原万葉を殺さくちゃいけなかったんですか」

 ぽつりと、私は尋ねた。

 面会室は、また静寂に包まれる。

 でも、私はこれを知りたくて、ここまで来たのだ。

「……あの女がわたしに会いに来たのは、貴女が高校生になって、すぐのことだったの」

 彼女の語り。

「どうして涼子の面倒を見るのに自分の面倒を見ないんだって、たかりに来たのよ。酷い話でしょう。でもね、わたしはあの女が怖かった。これっきりにしてって、一度だけ、お金を渡したの。そしたらね、当たり前だけど、それから何度もたかりに来たわ。甘かったのよ、わたし」

 自嘲するように、彼女は苦笑した。

 その顔は、哀しく歪んでいた。

「あの日、どうしてか、あの女は真相を突き止めていたの。貴女の父親が白鷺浩平でああるという事実を。恐れていたことが起きてしまったの。あの女は危惧したとおり、わたしに財産を半分渡すように言ってきたわ。独り占めするためにね。口論になったの。わたしは突き飛ばされたわ。酷い罵倒を浴びたの、口を出すのもはばかられるくらいの。そのまま、あの女は立ち去ろうとしたわ。今度は金を用意しておけだなんて、まるで借金取りみたいな言い草よね。もっとろくでもないもののくせに。だから、頭に血が上ってしまったのね。殺そうって、思った。……それで、殺したの」

 まるで、古い過去を語るように、夢夜は喋る。

 私は、何も言うことが出来ないままでいた。

 何を言っていいのか、わからないまま。

「もう、聞きたいことは聞いたかしら? だったら、時間ね」

 面会時間が終了した。

 ガラスの向こうからすら、夢夜は消えてしまった。

 ふらふらと、私は立ち上がって、ぼんやりとした意識のまま、その場を立ち去る。

 警察署から、ふらふらと、外に出る。

「面会は終わりましたか」

 久遠廻音は、入り口で待っていた。

「……はい」

 私は、面会室であったことをすべて、淡々と話した。

 自分でもおかしくなっちゃうぐらい、その言葉は淡々としすぎていた。


「なるほど、確かに説明はつきますわね。彼女が灰崎夢夜なら、貴女に対し金銭的支援を行うのは、不自然なことではありませんし、三原万葉を毛嫌いし、殺害する動機としては割合十分ですわ」

「……本当に、そう思っていますか?」

「と、言いますと?」

 私はふらふらと久遠さんに近づく。

 今の私はきっと、泣きそうな顔をしているのだろうと、思う。

 だって、こんなに視界が滲んでいるから。

「どうして……っ」

 強く、手をグーに握り、唇を噛んだ。

「どうして、夢夜はまだ嘘をついているんですか……!」

 血を吐き出すかのような痛みで、私は叫んだ。


   7


「分かりますよ! そんなの! どれだけ私が夢夜と一緒にいたんだと思いますか! なんのためにいろんな人から情報を集めたんだと思いますか! 私は確かに、夢夜が抱えていたものについて、全然わかってなかった鈍感です! でも、でも! そんなに馬鹿じゃないです!」

「そうですわね。確かに、整合性が繋がらない点は多く存在しますわ。彼女と黒鵜さんとのやり取りなど、その最たるものでしょうが」

「そんなんじゃ、……それもそうだけどっ……、それだけじゃなくてっ!」

 私は確かに、すごい鈍感だと思う。

 自分が灰崎家にいたことも、三原万葉がそこまでの人間だったことも、夢夜がずっと秘密を抱えてきたことにも、センパイと夢夜の関係にも、夢夜が三原万葉に脅されてきたことも、全然気づかなかった。気づこうともしないで、のうのうと今まですがって、寄生虫みたいに生きてきた。

 でも、それでも夢夜と一緒にいた時間は、嘘ではないからっ……。

「いくら私でも……っ、あんな苦しそうな、哀しそうな夢夜の顔を見ればッ、まだ嘘をついていることぐらいわかりますっ、話に筋が通っていないのも分かりますッ……!」

 泣いていた。

 私は泣いていた。

 寒空の下で、涙はすぐに冷えて、私の頬を冷たくする。

「久遠さん! あなた本当はわかっているんでしょう! なにが真実なのか! 教えてください! 私はっ、私は……どれだけ傷つくことになってもいい、どれだけ哀しい思いをしてもいい! このまま夢夜に全部押し付けて、ほんとうのことなんか何も知らないでっ、のうのうと生きるよりも、よっぽど!」

 私は叫んで、久遠さんを睨みつけた。

 八つ当たりみたいな構図だ。でも、もういや。

「嘘を吐くということは、真実が暴かれたとき、傷つくことがあるということでもありますわ。きっと、彼女は傷つくでしょう。今一度、問いますわ。貴女はそれでも、求めますか? 本当のことを」

「はい」

 私は肯定する。

「私、いいこなんかじゃないんですから」

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