第67話 領主 ズィルバ
『赤』だ。
『赤』が視界に広がっている。
なぜそうなったのか、自分でもよく分からない。
ただ、『赤』くて、『熱』くて、燃える『炎』のような……『苛烈』が、体の奥底から沸いてきて、どうしようもなくなっている。
微かに、『白』がいるような気もするが、『赤』に消えてしまっている。
(アツイ……あつい……熱い……アツイ……)
かきむしりたい。
体ではない。
自分以外を。
大きな爪で、つまり、今この手で握っている『剣』で。
なんでもいいからと、ヒナヒコは『剣』で毟ろうとした。
『苛烈』をどうにかするために。
そのとき、『熱』を感じた。
頭の上にある『熱』。
それは、決して『熱く』はなく、むしろ『暖かい』モノで、ヒナヒコの『苛烈』が和らいでいく。
「落ち着け、ヒナヒコ」
『暖かい』モノの声は、とても『穏やか』で『優しい』声をしていた。
「『それ』は、お前が使いたい力か?」
(ちがう)
声が上手く出せないが、その声の疑問をヒナヒコは否定する。
(でも使わないと……俺が『苛烈』にならないと……)
「『力』を抜け。あとは俺がやる」
その声は、とても力強く、優しい声だった。
ヒナヒコの体から『熱』が、『苛烈』が抜けていく。
抜いてもいいのだと、安心出来る声だった。
「……ズィルバ、さん」
視界から『赤』が消え、ヒナヒコはようやく声の主を視認した。
着物のような服を着たズィルバが、にやりと笑っている。
「妙な胸騒ぎがしていたから、連絡を受けて急いでやってきたが……遅くなったな」
ズィルバはヒナヒコの頭を軽く撫でる。
「……ホーメルさんが、ネットさんも、皆が」
「……ああ。まぁ、心配するな。俺が来たんだ。お前さんはゆっくりそこで寝ていろ」
ズィルバはヒナヒコから手を離すと、コウジの方に向き直る。
「お前は、あの港町の領主様か。何しに来たんだ? ただの町の雑魚領主がよぉ」
キチキチと、コウジが笑う。
「……どこかであったのか? お前のような『虫けら』に見覚えがないのだが……踏んでしまったとか?」
「『蟲王』様に対してなんだその口の聞き方は!! たかが領主が、生意気な!!」
コウジが吠える。
「……まぁ、いい。お前がここにいるということは、あの美人騎士もいるんだろ? お前を殺して、あの騎士も手に入れてやる」
「んーよくわからんが、とりあえずお前が手……脚?どっちでもいいが、持っているそいつらを渡してくれないか?いくら『蜂』でも、そろそろ治療しないとヤバそうだ」
ズィルバは、コウジが抱えているネット達を指さす。
「お前、状況が分かっていないだろ? この騎士も、美人騎士も、綺麗な女は俺のモノだ。お前はただ惨めに死ね。いけ、『炎熊』! アイツを殺せ!」
コウジは、さきほど呼び出した大きなクマムシのような蟲に、ズィルバを殺すように命令する。
しかし、『炎熊』と名付けられた虫は、動く気配がない。
「やめとけやめとけ、いくら蟲でも『死骸』は動かねーぞ?」
ズィルバがそう言うと同時に、『炎熊』の体が、サイコロのようにバラバラに崩れていく。
「……は? なんで、おい。どうなっているんだ? おい『炎熊』!!」
「見たまんま、切っただけだ」
着崩した着物の背中に、ズィルバは長い太刀を背負っている。
「切った、だと? ふざけるな、そんなわけ……」
「お前は、自分の心配をしたほうがいい」
コウジは、急に体が軽くなった気がした。
「腕……脚か。すでに切っている」
「え?」
ネットたちを捕らえていたコウジの腕が、ズルリと滑るように地面に落ちていく。
「なぁあああ!?」
「うるせーよ、『虫けら』」
「ぶっ!?」
困惑しているコウジの顔面を、ズィルバは蹴飛ばす。
コウジは、その大きくなっていた体を何度も回転させながら、飛んでいった。
「……ビーナ! 今のうちにこいつらを治療しろ。『蜜』も使え!」
「言われなくても、してますよ」
いつの間にか声が聞こえ、ヒナヒコはそちらに視線を移す。
喉を刺され、倒れているホーメルに、ビーナが何やら、どろりとした液体をかけている。
ネットたちの元にも、ズィルバの直属の騎士、彼女たちも『蜂』なのだろう、女性騎士たちが液体をかけながら、ネットたちを担いでいく。
「失礼します、ヒナヒコ様」
ビーナが、ヒナヒコの元に駆け寄り、どろりとした液体、『蜜』をかけていく。
負傷していた腕に『蜜』をかけられると、じわじわと温かくなってきた。
「あの、俺はいいんで、ホーメルさんたちを……」
『蜜』をかけられたまま放置されているホーメルの方を見やり、ヒナヒコは言う。
「ご心配なく。私たち『蜂』は頑丈なので、あれくらいでは死にませんよ」
「あれくらい……って、首を刺されてましたけど」
「大丈夫です」
ヒナヒコを安心させるように、ビーナは微笑みながらポンポンと頭をなでる。
ズィルバといい、人の頭を撫でるのが趣味なのか。
それとも、頭を撫でたくなるような顔を、今、ヒナヒコがしているのか。
「あれぇ……あの時の美人騎士もいる。今度はちゃんと捕まえないと、俺自身の……『蟲王』の手でなぁ!」
コウジの声が聞こえ、そちらを見ると、おぞましいモノがそこにいた。
ズィルバに切り落とされた手から、さらに無数の脚が生えている。
目も増え、皮膚は禍々しいまでに光り、尖っていた。
文字通り、百足のようなコウジの様相は、もはやただの化け物であった。
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