第65話 蜂と蜂

 もっとも繁栄している生き物は何か。


 ヒナヒコたちが住んでいた世界でも、ここ『アスト』でも、その答えは『人』なのだろうか。

 繁栄を、仮に『もっとも数の多い生き物』と定義するならば、答えは違う。


 その答えは……


「ははははは! コレが『蟲王』だ! コレが、『この世でもっとも繁栄した生き物の覇者の姿』だ! 見ろ! この艶やかな甲殻! 人間のような柔な肌じゃない! ドラゴンのような汚らしい鱗じゃない! 脚も6本! 羽もある! 空も飛べる今のオレは……」


 突然、コウジの声が途切れて聞こえなくなる。


 ヒナヒコが、唯一動かせる左手をコウジに向けていた。


 コウジは、不思議そうに口を数回開閉したあと、にやりと笑う。


「くっ!?」


 コウジが腕を振るうと同時に放たれた黒い虫の弾丸をホーメルがなんとか反応する。


 重い金属音が鳴り、黒い虫が地面に落ちる。


「……ダメか」


 ヒナヒコが、何かをあきらめたように力を抜く。


「……あー。あー。消えたな。ったく、『二酸化炭素』の生成だけじゃなくて、『真空状態』にも出来るのか? 以外と厄介じゃないか。『風の力』まぁ、出来たところで、だけどなぁ!」


 ケタケタと、カチカチと音を立ててコウジは笑う。


「『二酸化炭素』が効かなかったんだ。『真空』も効くわけないだろうが。この『蟲王』にはよぉ!バーカ!」


「『真空』とは、ヒナヒコ様は何かしていたんですか?」


「ええ……アイツの周りの空気を『風の力』で飛ばしたんですが……効果はなかったです」


「そんなことをしていたのか。それで、なんだアイツは。『蟲王』とはなんだ? ヒナヒコ」


 ホーメルが険しい顔のままコウジを睨む。


「……知りませんよ。ただ、兄さんが言っていたんです。『蟲王』が『虫』の力を使えるなら、とても強力な『力』だって」


「それは……ヒナヒコ様の『風の力』よりも、ですか?」


 ネットの問いに、ヒナヒコは答える事が出来ないでいた。


 カグチは、厄介そうな力については言及していたが、それぞれの力のランク付けなどはしていない。

 さすがに、そこまでの時間はなかったのだ。


「あれ……?」


 突然、ヒナヒコが地面に倒れる。


「ヒナヒコ様!」


 ネットが慌ててヒナヒコを支えるが、ヒナヒコの体に力が入っていない。


「ん? どうした? ああ、もしかしてお前『真空』を使ったのははじめてなのか? そうだよなぁ、『真空』なんて、普通は大魔法だ。チート能力だ。そんだけボロボロのゴミクズみたいな状態で、ぶっつけ本番で使えば倒れるよな」


「……そうなのか、ヒナヒコ?」


「そうですね」


 当たり前ではあるが、存在している二酸化炭素を集めるよりも、その場から空気を無くす方が力を使う。


 カグチから、『風の力』で『真空状態』が出来ることは聞いてはいたが、試したのは今回がはじめてだった。


 そのことを、コウジのような男に言い当てられたのは、正直不快であるが……コウジも、カグチと同程度の知識はあるようだ。


「さてさてさて。ムカついたからこの手で殺そうと思ったが……なにもしなくても死ぬか? ソイツ。まぁ、『蟲王』に逆らったんだ。死んで当然、自然の摂理。ただ……」


 キチキチと音を立てて、コウジが腕を組み悩みだす。


「何か引っかかっているな……『悩み』。これがある時は必ず意味がある。それをオレは知っている。何かあるのか? コイツを生かす意味……生かす……活かす?」


 コウジの意識がヒナヒコたちから逸れていることを確認しながら、ホーメルが小さく言う。


「……逃げるぞ」


「そうですね」


 支えていたヒナヒコをホーメルに渡しながら、ネットが立つ。


「私たちが抑えます。ホーメルは、ヒナヒコ様と共に」


 他の部下たちも、ネットと同様にヒナヒコの前に出た。


「……わかった」


 一瞬、何かを言いかけたホーメルは口をつぐむと、ヒナヒコを支えながら立ち上がる。


「ネット、さん。ダメだ……アイツは……」


 ヒナヒコの言葉に、ネットは嬉しそうに顔をほころばせる。


「ふふ……心配してくれているんですね。でも、大丈夫です。これが、私たちの、騎士の仕事ですから」


「……ん? なにお姉さんたち。ソイツを守るために戦う気? オレと? この『蟲王』と? アハハハ! やめた方がいい! だって、お前たちじゃ『コイツら』にも勝てないでしょ!」


 ネットたちの動きに気づいたコウジが、手を広げる。


 空間がゆがみ、現れたのは人の頭ほどの大きさはある黒くて赤い線が走っている『蜂』


「お姉さんたち、『蜂』って言うんだって? さて、オレの『蜂』とどっちが強い……かな!」


「バアー! ランガ! 『槍』!!」


 ネットの号令に合わせるように、大斧を背負う体格の良い騎士バアーと長い槍を構える長身の騎士ランガが、ネットの前に立つ。


「シュパル! ベイン! 『盾』!」


 二本の剣を抜いた小柄の騎士シュパルと長い剣を握りしめる細身の騎士ベインがネットの横に移動する。


「ホニン! 『攻撃準備』」


「『活性(アクティ)』」


 ホニンと呼ばれた騎士が、杖を掲げる。

 すると、ネットたちに淡い光が降り注いだ。


「行くぞ!!」


 ネットの号令と共に、ホーメル隊、今はネット隊の女騎士たちが、コウジ率いる虫の群に突撃していく。


 その様子を、ホーメルの肩に背負われながら、ヒナヒコは見ていた。


(バアーさんとランガさんは、騎士の中でも力が強い。バアーさんの大斧は一撃で大木を切り倒すし、ランガさんの槍は岩に穴を開ける)


「『炎弾(フラアバル)』」


 ネットが繰り出したバスケットボールほどの大きさの炎の魔法は、蜂の魔物を焼きながらコウジへの道を切り開く。


「『剛断(シュタイフィ)』!」


「『尖突(シャーフ)』!」


 バアーの豪腕から振り下ろされる大斧がコウジの肩に。

 ランガの鋭い突きがコウジのお腹に当たる。


 しかし、響いたのは金属が擦れるような高音だった。


「うんうん。強い強い。効かないけどさ。『蟲の王』は堅いって、学ばなかったのか……な!」


 コウジの4本の腕が、高速で動きバアーとランガに襲いかかる。


「くっ!」


「ちっ!」


 バアーとランガは後方に飛んで、コウジの腕を避けた。


「……なっ!?」


 かに見えた。


 地面に着地した瞬間、バアーとランガの鎧が縦に切れ、壊れていく。


「おー鎧じゃ分からなかったけど、お姉さんたち、おっぱいもデカいんだ」


 キチキチと嬉しそうにコウジの腕が音を立てる。


「やっぱいいよなぁ、女騎士。気を付けないと……殺さないように、切り裂かないとなぁ」


 ニヤリと笑うコウジの顔は、嫌悪感を持つには十分すぎるほど気持ちが悪かった。


「く……おおお!」


 しかし、バアーもランガも騎士だ。


 怯むことなくコウジに向かっていく。


 コウジの振るう腕を彼女たちが避けているのか、それともコウジがわざと掠めているのか。


 バアーとランガの攻撃はコウジを傷つけることはなく、大きなケガは負わないが確実にコウジの攻撃は彼女たちの鎧を壊し、衣服を剥いでいく。


「あははは! いいね! いいね! ブルンブルンに揺れているよ!」


(……やっぱり……ダメだ。『風の力』でも無理だったんだ。あの二人じゃ……でも!)


 ヒナヒコは、視線を横に向ける。


 そこでは、双剣を持ったシュパルと長剣の騎士ベインが、群がる蜂と戦っていた。

 戦いは、どう見ても劣勢であった。


「『双刃(ズクリンゲ)』」


 シュパルが二本の剣を巧みに操り、蜂を一匹切り裂く間に、2匹の蜂が彼女の背後に回り、針を突き刺していく。


「あっ! っっく!」


 鎧で防ぐことで、深くは刺さっていないのだろうが、そのダメージは積み重なっていく。


 すでに、10本以上の針が、彼女の背中に刺さっていた。


 ベインも同様であった。

 彼女の長い足にはまるでそのような飾りであるように、蜂の針が刺さっている。


「『蛇舞(シュランゲ)』」


 2匹切り裂く間に、3匹がベインの体に針を突き刺していく。


「『炎弾(フラアバル)』」


 ホニンが、ネットよりも小さめの炎の玉を蜂の群に放つ。

 しかし、数匹を燃やした程度だ。


 蜂は、まだ何十匹といる。


 そしてコウジの周りの空間からまだまだわき出ているのだ。


 ヒナヒコは、痛みさえ感じない左腕を蜂の群に向ける。


(二酸化炭素なら……)


 ヒナヒコが高濃度の二酸化炭素を蜂の群にばらまくと、バラバラと蜂たちが地面に落ちていった。


「蜂には効くのか。よかった……ぐぅ!?」


 コウジにはなぜか効かなかった二酸化炭素が、呼び出した蜂には効果があった事に安堵したヒナヒコだったが、突然襲ってきた高熱に苦悶の声を上げる。


「お、おい! ヒナヒコ! 大丈夫か!? お、おまえ、熱いぞ!?」


 背負っているヒナヒコから突然感じた高熱に、ホーメルが困惑する。


(暑い……熱い……アツい……アツイ……)


 心臓の鼓動が早くなり、血液が沸騰するような痛みがヒナヒコの全身を巡る。


(……『苛烈』が……)


 ヒナヒコは全身に力を込め、なんとか抑える。


「まってろ。もうすぐ『馬』に……ちっ!」


 ホーメルが足を止める。


「キジジジジ……」


 空から、鮮やかな色の馬車程の大きさの巨大な虫が降りてきた。


 刃のような手足がギラギラと光っている。


 コウジが乗ってきた虫だ。


「『蜂槍(ビースパア)』」


 ホーメルは、まるで反射のように小型の槍を出すと、巨大な虫に弾丸のような小さな槍を打ち出す。


 しかし、飛んでいった槍は、傷一つ付けることなく、あっさりと巨大な虫の甲殻に弾かれた。


「ダメか……スマン、ヒナヒコ。いったん降ろすぞ」


そういって、ホーメルは近くの木の下にヒナヒコを降ろす。


「ホーメル、さん」


「心配するな。槍が刺さらない程度の虫なら……問題ない」


 ホーメルは、腰を叩くと小型の槍を4本呼び出し、それを指の間に器用に挟む。


「体が大きいからな。特別に『4』だ。くれてやる『蜂の巣(ビーバンヴ)』」


 ホーメルが、その動きが見えない早さで腕を振るう。

 すると、先ほどの槍もさらに小さい無数の針が巨大な虫に向かって飛んでいった。


「ギジジジジジ!!」


 一本一本が小さくても、その数は多い。


 当たった針の衝撃で、巨大な虫が仰け反る。


 しかし、小型の槍でキズ一つ付かなかった甲殻を持つ虫だ。


 槍よりもさらに小さい針が何本当たった所でダメージはない。


「ギジィ!!」


 巨大な虫が、何事もなかったかのようにホーメルに向けてその巨大な鎌のような前足を振り下ろそうとする。


「針は効かないだろう……でも、刺さってはいるぞ?」


 小さな針の一本が、虫の前脚の関節に刺さっている。


 ホーメルは4本の小さな槍を放り投げると、代わりに一本の豪華な装飾が付けられた槍を取り出した。


「はっ!」


 脚に刺さっている針をめがけ、ホーメルは槍を振り下ろす。


「……ギジジジジジイイ!」


 針と槍がぶつかった瞬間、針が閃光を発しながら爆発し巨大な虫の前足を吹き飛ばす。


「どんなに体が堅くても、小さな針は刺さる場所がある」


「ギジイイ!」


 前脚を飛ばされた怒りからか。

 巨大な虫は痛みに悶えることもなくホーメルに向かってくる。


「……よく見ると」


 馬車のような巨大な虫が迫ってくるが、ホーメルはゆっくりと槍を構える。


「全身に刺さっているな、虫けら」


 残った前脚、後ろ足、目、口、側頭部、頸部、羽の付け根……あらゆる場所に刺さった針を、ホーメルは一瞬で叩く。


「『爆裂(ビーロジュン)』」


 より深く体に針を埋め込まれた巨大な虫は、轟音を発しながら全身をバラバラに砕かれる。


 崩れて散った虫の死体を見ることもなく、ホーメルは振り返った。


「よし。行くぞヒナヒ……」


「後ろ!」


 ヒナヒコが言うと同時に、ホーメルは振り返る。


 そこには、一匹の大きな蜂がいた。


 爆発の音や硝煙が、背後に迫る蜂の気配を完全に消していたのだ。


「モガっ!?」


 蜂が、ホーメルの顔面にしがみつく。


 ホーメルは先ほど、堅い甲殻に覆われた虫に針を刺した。


 それは、どんなに堅いモノでも、動く以上刺さる場所が、隙間があるからだ。


 もっとも、一見人間の体にしか見えず、ヒナヒコの『風の力』を受けても無傷であったコウジの体に関してはそのような場所が見あたらず、『蜂の巣(ビーバンヴ)』が使えなかったのだが。


 そして、蜂は知っていた。


 鎧に針を刺しても、堅い鎧の上からでは大したダメージは与えられないことを。


 だから、蜂はホーメルの顎を上げる。


「ホーメルさん!!」


 上げたことで、ホーメルの鎧と兜に隙間が生じる。


 ゆえに、蜂は顔と体の間、つまり喉に向かって、深々と小型のナイフのような針を突き刺した。

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