第64話 『蟲王』
黒い虫たちが、ヒナヒコたちの周りを覆っていく。
それは、『ウイーナ』の町を襲った魔物と、同種であった。
「ふふふ……さて、と。俺も一応『主人公』だ。だから聞いておくけど、謝るつもりはある? 謝るんだったら、命だけは助けてあげるけど」
コウジの言葉、ホーメルはヒナヒコを一瞥する。
「謝るって……おまえ、何かしたのか、アイツに」
ホーメルの質問に、ヒナヒコは不思議そうに首を傾げる。
「いや……別に何も」
ヒナヒコの返答を聞いて、コウジは軽く笑う。
「は……これだからイケメンは……順風満帆のリア充は! 自分たちがどれだけ他人に迷惑をかけているのか! 考えてもいない! もういい! おまえは、死ね!!」
コウジが手を向けると、周囲を飛んでいた黒い虫が一斉にヒナヒコたちに向けて……飛んでくることはなかった。
バタバタと、黒い虫が落ちていく。
「……ごめんなさい。あなたのことはよく知らないけど……ただ、ちょっと聞きたいんだけどさ」
ヒナヒコが、ふっと微笑む。
「おまえがやった……ってことでいいんだよな?」
「わっぷ!?」
風が、ヒナヒコを中心に吹いていく。
「おまえがやったんだよな? 町に、黒い虫を放った。そうなんだよな?」
表情とは違い、ヒナヒコの語気はかなり強い。
「ヒナヒコ! 落ち着け! 殺すな! あれだけの事をしたんだ。単独犯なわけがない。裏に何があるのか、聞き出さないと……」
強風で、声を聞き取れているのかホーメルには判断が出来ない。
一方、コウジはニタニタと笑ったままだ。
自分の虫を殺されたばかりだというのに、ゆったりと歩きながら近づいてくる。
「町って……ああ、あそこのことか。はは。これだから中学生は……考えなしのリア充は。聞かなくても分かるだろ? 同じ虫を出していたんだ。だったら、分かるだろ? あの町に虫を放ったのは俺だ。考えろバーーーーーーカ!」
ケタケタケタとコウジが笑う。
「……わかった」
ヒナヒコから微笑みが消える。
「おい! ヒナヒコ!」
「死ね」
ホーメルの制止も聞かず、ヒナヒコは告げる。
コウジに向けて、死の宣告を。
「ガッ!?」
瞬間、先ほどまで聞こえていた耳障りなコウジの声が消える。
コウジは、驚愕したように目を見開き、そしてのどを押さえる。
「おい! 殺すなって言ったよな! あれは何をした!」
「……前に見せたでしょ? 『二酸化炭素』です。まぁ、体の小さい虫や鳥と違って即死する濃度じゃないと思いますよ。このあと人工呼吸でもすれば、生き返る可能性もあるんじゃないですか? 知らないけど」
「知らないとはなんだ? あと、人工呼吸とはなんだ?」
「人工呼吸は、口を……っ!?」
突如、ヒナヒコが衝撃を受けたように吹き飛ぶ。
「ヒナヒコ!?」
ホーメルたちが慌てて駆け寄ると、ヒナヒコの腕から血が出ていた。
そして、大きさは親指の先くらいだろうか。
傷口には光沢のある黒い虫が入り込んでいて、足が数本、キチキチと動いている。
「やっぱりバカだな。なんでそんなにバカなんだ? 中学生だからか? それとも、顔面に栄養が行き過ぎて、脳味噌がバカなのか? ははは」
笑っているのは、ヒナヒコに倒されたはずのコウジだ。
「お前……何をした?」
ヒナヒコをかばうように、ホーメルたちが前に立つ。
「はぁ。ったく、お姉さんたちもそんなバカなんて放っておいて、こっちに来ない? 俺は優しいよ?『主人公』だし」
「わけのわからないことを言うな! お前は『二酸化炭素』とやらで、死んだのではないのか!」
「いやいや、生きていたら話しているわけないじゃん。何? お姉さんもバカなの? 脳筋? まぁ、女騎士が脳筋は嫌いじゃないよ。むしろポイント高い。いいね。ははは。くっ殺って言わせたくなる」
「本当に、何を言っているんだ? お前は……」
ホーメルは、堅く槍を握りしめる。
「あー良い表情。良い表情……ん? もしかして、また何かしている? そこのバカ」
何かに気づいたのか、コウジがヒナヒコに手を向ける。
「くっ!?」
それに反応したのはホーメルだ。
ホーメルは持っていた槍で、ヒナヒコに向けて放たれた虫を受け止める。
「なんだ……この虫? 堅すぎる!」
受け止めたが、コウジが放った虫の硬度。
そして速度からくる衝撃に、ホーメルは困惑する。
飛来してくる矢を槍で落としたことはあるが、それ以上の威力だった。
おそらく、ホーメルたちが今着ている鎧も、この虫ならば貫くだろう。
衝撃でしびれた手を、ホーメルは強く握りしめる。
「おおっ! 防いだ! やるねお姉さん。いいなぁ。有能脳筋女騎士」
関心したように、そして、若干バカにしたように、コウジはニヤニヤしている。
「……『二酸化炭素』が効かない」
腕に潜り込んでいる虫を引き抜きながらヒナヒコは言う。
「なに?」
「ずっと、アイツの口に『二酸化炭素』を送り込んでいるのに、倒れない」
「ようやく気づいた? バカだねー遅すぎる。ははは。種あかししてほしいか? なんで俺にお前の攻撃が効かないのか」
ヒナヒコは立ち上がりながら、コウジの答えを待つ。
「……まぁ、教えないけどな。バーカ!」
コウジはヒナヒコに手を向ける。
同時に放たれるのは、無数の虫の弾丸。
その数は、ホーメルたちが防げる数を軽く越えている。
ヒナヒコは怪我をしていない右腕を振るった。
強風が吹き荒れ、虫たちを全て地面に叩き落とす。
「……教える気がないなら、それでいい。だったら、直接つぶすだけだ。『風の力』で!」
ヒナヒコは、右の手のひらに風の固まりを作り出す。
それは、例えるなら小さな台風。
暴れる空気のエネルギー。
その威力は、ドラゴンの牙さえ破壊した。
ヒナヒコは、『風の力』を身にまとい、飛び出す。
たどり着いたのは、コウジの眼前。
「……飛べ」
ヒナヒコは、『風の力』と共に、拳をコウジの顔面に叩き込む。
凄まじい衝撃音を出しながら、コウジは飛んでいく。
破壊の音が、確かに聞こえた。
「……めちゃくちゃだな」
ヒナヒコの『風の力』による攻撃の衝撃波をこらえたあと、ホーメルがぽつりとこぼす。
「まぁ、しょうがないですよ。おそらく、彼の力は無数の虫を生み出す『力』。生け捕りにして情報を聞き出すには、リスクが高すぎます」
「それもそうだな」
ネットを軽く会話を交わしたあと、ホーメルはヒナヒコに目を向ける。
さきほどの攻撃は、ヒナヒコにとっても最大の攻撃だったのだろう。
ヒナヒコは力なく膝をついていた。
「大丈夫か? ヒナヒコ……ヒナヒコ!?」
「う……ぐううう」
ヒナヒコが、苦しそうに声をあげている。
それはそうだろう。
ヒナヒコの右腕は、ぐちゃぐちゃにつぶれ、血に染まっている。
打たれた左腕の傷さえ、痛みを感じないのだろう。
左手を、ヒナヒコは自分の右手に添えている。
「……あーあ。本当にバカだね。人の顔を思い切り殴ったら、殴った方がケガをするに決まっているじゃん」
遠くから、何かが歩いてきている。
ガサガサと。
そして、キチキチと。
コウジが吹き飛ばされたはずの方向から、歩いてきている。
「もっとも、今の俺は『人』じゃなくて『蟲』。『蟲王』だけどな」
腕を4本……いや、脚を6本に増やしたコウジがそこにいた。
体表はつやつやとした光沢が覆っている。
その姿は、まさに大きな『蟲』だった。
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