第59話 ヌーダとコーフ
「うわぁ……海だよお父さん」
農業の町『ウイーナ』の食堂の娘、ヌーダは馬車の窓から見えた青い海に声をあげる。
「……おう」
海を見てはしゃぐ娘に、彼女の父親であるコーフは、腕を組んだままうなずくだけだ。
不器用で、口数が少ない自分の父親に、ヌーダは諦めたように自分の興奮を抑える。
(本当は、お父さんが一番ハシャいでいるはずなのに)
昨日、新興国『フォースン』で一番の騎士である『蜂』の騎士団がヌーダたちの食堂で食事をしてくれたのだ。
本来なら、遠くで馬を駆る彼女たちを見て憧れることしか出来ない存在であるはずが目の前で自分たちが作った料理を食べ、誉めてくれたのだ。
元々、王宮料理人を目指して修行していたコーフにとって、ズィルバの騎士にその腕を誉められたことは、彼の人生にとって大きな喜びであったことは間違いないだろう。
その証拠に、急にズィルバのお膝元である『ズィルバーフン』に行くと言いだし、朝一番の馬車に乗っているのだ。
(昨日、騎士様たちが置いていったお金があるから来られたってこともあるけど……絶対にハシャいでいるよね、お父さん)
本人は珍しい食材がないか、研究のためだと語っていたが本心はもう一度『蜂』に会えないか、あわよくばズィルバ本人にお目通り出来ないか、そんな夢みたいなことを考えているはずだ。
「……私も」
ぽつりとヌーダはこぼしてしまう。
昨日来た『蜂』の騎士団にいた唯一の男性。
麗しい『蜂』の女性騎士の中にいても、決して見劣りしない美貌をもった少年。
名前は、たしか
「……ヒナヒコ様」
「……どうした?」
ぽつりとこぼしたヌーダの独り言に、コーフが反応する。
「な、なんでもない!」
あわてて、ヌーダは首を振る。
でも、どうしても考えてしまう。
もう一度会えないだろうかと。
あの少年に、ヒナヒコに。
そんな事をしていたら、いつの間にか『ズィルバーフン』に着いていた。
「……まぁまぁだったな」
「おいしかったんでしょ」
『ズィルバーフン』に着いたヌーダたちは、噂で聞いていた、『ズィルバーフン』で有名なお店で昼食をとった。
値段は安くはないが、昨日『蜂』の騎士団が高額な料金を払ってくれたこともあり、なんとかヌーダ達でもおいしい料理を堪能することが出来たのだ。
「私はあのお魚が美味しかったなぁ。生のお魚なんて最初は気持ち悪かったけど、変な臭みもなくて……」
「そうか」
コーフは顔をしかめたまま、ヌーダの感想に相づちを打つ。
特に反論もしないことを考えると、コーフもやはり、さきほどの食事に満足しているのだろう。
もっとも、料理人として悔しいという気持ちも多少……いや、かなり持っていることは間違いないが。
「ところでお父さん。これからどうするの?」
「市場に行く」
「えー、もう?」
市場に行くということは、食材を買って帰るということだ。
つまり、『ズィルバーフン』の観光を終えるということになる。
「馬車の時間もあるからな」
「……分かった」
もっとも、ヌーダも道理の分からない子供ではない。
だが、ヌーダのような食堂の娘が『ズィルバーフン』に来られる機会なんて、次はいつか分からないのだ。
『ズィルバーフン』と『ウイーナ』は隣町ではあるが、魔物が闊歩するこの世界では、その隣がとてつもなく遠く、危険なのである。
少しだけ、いやかなり残念は気持ちを抱えながら、ヌーダ達は市場のある港へと向かう。
港へ近づくほどに人が多くなり、落ち込んでいるヒマもないほどに活気づいていく。
「……まるでお祭りみたいだね」
「ほら、はぐれるぞ」
ぎゅっと手をつなぎ、ヌーダとコーフは歩いていく。
「わっぷ! お、お父さん。行くお店は決まっているの」
「魚屋だ」
「魚って、そこら中で売っているよ? わわわ」
押し寄せる人の波に戸惑いながら、なんとかヌーダとコーフは進んでいく。
しかし、人の数は減らない。
むしろ多くなっていく。
「な、なんでこんなに多いの? 中心部っぽい所から離れたのに」
何かあったのだろうか。
よくよく観察すると、ヌーダ達が向かおうとしている方角に、他の人たちも向かっている気がする。
「この先って話なんだが……済まない。道を開けてくれ」
人の群をかき分け、コーフは無理矢理先に進む。
「ちょっと! お父さん! すみませんすみません」
謝りながら、しかしハグレないようにヌーダはコーフの後をついていく。
「ううう。多い、人が! なんでこんなに……うわぁ……」
壁のようになっている人の隙間をくぐり、抜けた先で見た光景に、ヌーダは思わず歓声を漏らした。
青い海を背景に、港に停められた船の横で、大きな魚が何匹も釣られている。
海の魔物『マクレイナ』だ。
一目で数え切れないほどの『マクレイナ』が、ずらりと吊られている光景は、驚きしかない。
海の魔物『マクレイナ』は一匹あがっただけでも市場が賑わう獲物である。
それが、数え切れないほどに並んでいるのだ。
おそらく、周りの人たちも、この光景を見に来たのだろう。
ざわざわと人の興奮は収まらない。
「……あ」
どんな人たちが、この量の『マクレイナ』を狩ったのだろうと船に乗っている人に目を向けると、そこには知っている姿があった。
『蜂』の騎士団だ。
「お父さん。このお魚。『蜂』の騎士様が退治したのかな?」
「……そうだな」
「すごいね」
そんなスゴい人たちに、自分たちは料理を振る舞ったのだ。
そう考えると体の奥から高揚していき、誇らしい気分が沸いてくる。
コーフも同じなのだろう。
並べられている『マクレイナ』を、眩しいモノを見るように目を細めている。
「……ん? あれ……」
そうやって『マクレイナ』を眺めていると、聞き覚えのある声が聞こえた気がして、ヌーダは目を向ける。
「あ、やっぱり。昨日の娘さんだ」
そこには、麗しい女性騎士にも負けない美貌の少年、ヒナヒコがいた。
ヒナヒコは、親しげにヌーダの所へ歩いていく。
「なんでこんな所に? 買い物?」
「え、いや……」
(近い近い! 顔! きれい! うわっ!! 近い!!)
会えるかな、と思って『ズィルバーフン』を歩いていたが、いざ会えると困惑してしまう。混乱してしまう。
しかし、そんなことは気にしていないのか、ヒナヒコはニコリと笑うと、ヌーダの手を取った。
「ちょうど良かった。こっちに来て」
「えっ!? あの……!?」
「あ、お父さんも来ていたんですね。お願いごとがあるんですけど、いいですか?」
「あ……ああ」
騎士の関係者であるヒナヒコの行動を拒否できるわけもなく、ヌーダとコーフはヒナヒコの言うまま、あとを着いていく。
「……スゴい騒ぎになっているな」
「そりゃあ、いくら『マクレイナ』とはいっても、これだけ大量にとれることはないですからね。当然かと……」
「おーい。ホーメルさん、ネットさん」
港の騒ぎについて悩んでいるホーメルとネットに、ヌーダ達をつれてきたヒナヒコが声をかける。
「ヒナヒコ様。この騒ぎにどこへ……その二人は」
「昨日の食堂のおじさんと娘さん。ちょうど良かったから連れてきたんだ」
訳が分からないまま、ヌーダとコーフはヒナヒコの横に立つ。
「ちょうど良かったって、何をさせるつもりですか? お二人も用事があるでしょうに……」
「せっかく新鮮なままのお魚だから、調理して貰おうかと……お願いできませんか? お礼ならするので」
ヒナヒコが、ヌーダとコーフに頭を下げる。
「え!? 調理って『マクレイナ』をですか? あの、ご存じのとおり父は『ウイーナ』の料理人なので、魚はあまり……」
「……やる」
「えっ?」
「魚の調理くらいやれる。どれをどう食べたい……ですか」
「お父さん?」
やる気満々と行った様子で、コーフが腕を回す。
「ありがとうございます。じゃあ、適当に2~3匹選んでくれますか?」
「……ちょっと待て。そんな量食いきれないぞ? 一匹でも多いくらいだ」
ホーメルがヒナヒコを咎めるが、ヒナヒコは笑顔で返す。
「元々、魔物退治は僕の箔付けなんですよね?だったら、やってみようかと。炊き出し」
こうして、コーフが調理した『マクレイナ』は『ズィルバーフン』の皆に振る舞われ、ヒナヒコの名前と共に、コーフもまた、その料理の腕が認知されるのだった。
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