第57話 ヒナヒコの笑顔

「……海ですか?」


「ええ。本日は海の魔物の討伐に向かいます。ふふふ安心してください。ヒナヒコ様には怪我などさせませんから」


「ありがとうございます。ネットさん。ネットさんがそう言ってくださるなら安心です。本当に、頼りになる」


「まぁ……そんな。私などは……」


「こんなに優しくて、頼りになって、本当に素敵な方ですね。ネットさんは」


「そんな……ヒナヒコ様」


 きゅっと、ネットは前に座るヒナヒコに体を寄せる。


 今は、組合(ギルド)から海に向かう途中だ。


 ヒナヒコとネットは予定どおり二人で『プラッド』に乗っている。


「……近いだろう。くそ」


 小さな声で、しかしはっきりと苛立ちが聞こえる声でホーメルはつぶやく。


 どうやら、昨日ヒナヒコを馬に乗せたときにネットはヒナヒコに口説かれ、陥落したようである。


 ホーメルたち『蜂』は強い異性に対してポンコツなまでに弱い。


 それはネットも例外ではないのだ。


 ネットはピットリとヒナヒコにくっつきながら嬉しそうに頬を赤らめている。


 そして、ヒナヒコに近づく為なのか、ネットは鎧を着ていない。

 

 かつ、ネットは先ほどホーメルの胸について触れていたが、彼女自身もなかなか立派なモノを持っている。


 つまりネットは今、ヒナヒコに当てている状態なのである。


 顔を赤らめながら、慎重にかつ大胆にネットはぎゅっと後ろからヒナヒコを抱きしめているのだ。


「……そういえば、海の魔物って何がいるんですか?」


「そっ……そうですね。今日は『マクレイラ』を討伐します」


「へー、どんな魔物なんですか?」


「っ……『マクレイラ』は、その、魚の魔物です。強くはないのですが、放置するとすぐに増えて『暴走(カタストロフィ)』が発生するのです」


「ふーん。『マクレイラ』は食べるんですか?」


「はい。そのまま塩焼にしたり、揚げた後に酢漬けにしたりします。ゴマと食べても美味しいそうです」


「ふんふん。後であの料理屋さんに持って行こうかな」



 こんな会話をしながらも、二人はピットリと、ネットリと、密着しているのである。

(……そんなに恥ずかしいのなら、とっとと離れればいいだろうが!)


 羞恥でネットの顔が真っ赤になっていることをホーメルは心の中で指摘する。


 しかし、ホーメルが気にすべきところはそこではなかった。


 ホーメルが本当に気がつかなくてはいけないのは、ヒナヒコが顔色を何も変えていないということだ。


 あれだけネットに密着されているのに、ヒナヒコはただ笑顔でネットと会話を続けているのである。

 ごく自然に、何事もないように、だ。


 つまり結局はヒナヒコはまだホーメルたちを警戒しているということであり、それに気がつかないとホーメルたちがどう努力しようが効果はないのだ。


 そのことに気がつかないまま、ホーメルたちは港についてしまう。


 そこには、停泊している船がぎゅうぎゅうと詰め込まれるように並んでいた。


「こんなに船が……」


 ごった返す人と船に、ヒナヒコは目を丸くする。


 町を通り抜けるだけでは気づかなかった人の盛況がそこにはあった。


「ズィルバ様の治世により、『ズィルバーフン』も発展しておりますから。まだこれからとズィルバ様はおっしゃっておりますが」


 そう語るネットの目は、ズィルバへの誇りに満ちている。


「ふーん……」


「……私たちが乗る船はこちらです」


 ホーメルの先導に従い、ヒナヒコたちが進むと、門に遮られた区画に入る。


「私たちが使う船は公的なモノなので、別の港なのです」


「これも混乱防止?」


「はい。王の船もここに停泊しているのですよ」


 門を抜け、しばらく馬を歩かせていると、大小さまざまな、作りのいい船が並んでいる。



「こちらが王の船です」


 そのなかでも一際大きくて豪勢な船が『王の船』だった。


 見ただけで飲み込まれそうな迫力の船には、砲台と思われる武器がいくつも積まれている。


「これは……スゴいですね」


「ええ。南の工業国『ウィンスモ』製の最新型の船です。これほどの船は、大国にもそうはないでしょう」


「この船に、乗れるんですか?」


「王の承認と、『ゾマードン』の許可があれば」


 ヒナヒコは、言葉もなく『王の船』を見つめている。


 そんなヒナヒコに、ホーメルは声をかける。


「この船に乗せるために、今ズィルバ様は動いてくださっている。しかし、いくらズィルバ様でも何の功績もない人物を『王の船』に乗せることは出来ない。だから、ヒナヒコ様も魔物の討伐に協力して……」


 くるりと振り向いたヒナヒコを見て、ホーメルは息をのんだ。


「……分かりました! 頑張りますね!」


 それは、今まで見せていた妙に優しげな笑顔ではなく、天真爛漫といった、ヒナヒコの年齢にあった少年が見せる、ハジケるような笑顔であった。


「……お、おう……」


 その笑顔の輝きに、ホーメルは思わず目を伏せる。


 どんなにネットやホーメルが尽くしてもヒナヒコが警戒していることに、ホーメルたちは気がつかないでいたが、この時を境に、ヒナヒコの警戒が徐々に薄れていく。


 『カッコいい船に乗りたい』


 結局、ヒナヒコも男の子なのである。

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