第55話 ズィルバへの報告
「『暴走(カタストロフィ)』寸前の『シュザリア』の群を倒したのか」
ヒナヒコが異世界に来てから三日目の夜、ズィルバは自室でビーナから報告を受けていた。
「はい。ホーメルが指揮を取り時間を稼ごうとしたところ、ヒナヒコ様が手をかざしただけで群の『シュザリア』を全滅させたそうです」
「『風の力』でか」
「ええ。しかし不思議なことに、『シュザリア』には傷一つ付いていなかったそうです」
「ほう?」
「なんでも、『ニサンカタンソ』というモノを使用したそうです」
「毒か」
「ええ、私たちが吐く息にも含まれているそうですが……」
不思議そうにビーナは首を傾げる。
自分たちが吐く息に『毒』が含まれるなど、理解出来ないのだ。
しかしズィルバは愉快とばかりに笑う。
「息の毒か……ふはは。人は醜く、生み出すモノのほとんどは厄介ごとだが、吐く息に毒まで含まれるのか。いやいや。この世はやはり面白い」
「ズィルバ様もご存じではないのですか」
「とんと聞かぬな。『シャフラー』のジイさんなら……どうだろうな。モノが燃えたときの煙の毒の話は聞いたことがあるが……あのジイさんが毒物の研究はしないだろう。助けるための研究ならまだしもな。『中央』なら好き好んでしているかもしれないが」
まだ愉快なのだろう。
ズィルバは上機嫌に顔をゆるめたままだ。
「それで、どうするのです? 偶然とはいえ『暴走(カタストロフィ)』をくい止めたのです。王に謁見し、船を貸していただく理由としては十分かと存じますが」
「ん……? そうだな。確かに功績としては十分だ。ただ、まだ日が浅いか? ふむ……」
しばし思案したあと、ズィルバが口を開く。
「このまま討伐を続けさせよう。明日は……そうだな。せっかくだし海の魔物の討伐でもさせてやれ」
「かしこまりました……そういえば追加の報告なのですが」
「なんだ?」
「本日、ヒナヒコ様が買い食いをされたそうですよ。『ウイーナ』の町で」
「買い食いって、アイツ、金なんて持っていたのか?」
ズィルバの疑問に、ビーナはうなづく。
「ええ。それもかなりの金額をお持ちのようです。支払いに金貨を出して、店の者を困らせたようですから」
10000ロナの価値のある金貨は、通常市場に出回らない。
大金が発生するのが当たり前の長距離の馬車での移動や、商人でのやりとりで使用するものだ。
ちなみに、他の硬貨は1000ロナの銀貨や、100ロナの銅貨、1ロナの小銅貨などが存在する。
「……そうか。しかし、金貨なんて持っていたのか」
どこか力が抜けたような表情をズィルバが浮かべる。
「それで、どうしますか?」
「どうするとは、なにが?」
「ヒナヒコ様に魔物の討伐。させますか? 資金を援助するための理由付けでもあったのでしょう? 『ゾマードン』に到着したあとにも、お兄さんを捜すためにお金が必要でしょうから」
ビーナの指摘に、ズィルバは恥ずかしそうに頬をかく。
「まぁ……な」
「ただであげては、外聞が悪いですからね。国の船まで動かすのですから」
見知らぬ旅人に船を動かし、資金を援助するなど、ズィルバの立場では出来ないのだ。
そのため、ヒナヒコには魔物を討伐させ、箔をつけさせる必要がある。
「どうしますか?」
「明日も魔物の討伐だ。王の謁見があるまで、ヒナヒコには色々させておくべきだろう。『暴走(カタストロフィ)』のことも知らなかったのだろう?」
「はい。かしこまりました」
ズィルバはヒナヒコに経験を積ませることにしたようだ。
確かに、ホーメルからの報告では、ヒナヒコはあまり常識がないようである。
あれだけの力を持ちながら、『デッドワズ』をグチャグチャの肉の塊に変えてしまったのだ。
その割に、『ニサンカタンソ』など、妙な知識まで持っているようである。
(まるで、本当に別の世界の人のような……)
そこまで考えて、ビーナは思考を切り替える。
まだ、ズィルバへの報告事項は終わっていないのだ。
「次に、『ウイーナ』で目撃されていたヒナヒコ様のお仲間と見られる人物達ですが」
「そういえば、そいつ等とは会わなかったのか? ヒナヒコは」
「はい。ちょうど入れ違いになったようですね。彼らですが、本日『ズィルバーフン』の組合(ギルド)にて魔物の討伐部位を納品しております」
「ふむ……魔物はなんだ?」
「『シュティア』と『デッドワズ』だったそうです」
「『シュティア』か。そこそこやるな」
『シュティア』は新興国『フォースン』の周辺の魔物中では強い部類の魔物だ。
駆け出しの狩人(ハンター)では歯が立たず、ホーメルなら一人で倒せるが、新人の騎士では複数人で討伐することになる魔物である。
「彼らは、現在『ズィルバーフン』の宿に滞在しております。お会いになられますか?」
「そうだな。一度見ておくか。予定を立てておいてくれ」
「かしこまりました」
「……面白い奴らだといいがな」
「ヒナヒコ様が見限った方達なので、あまり期待はしないほうがよろしいのでは? 組合(ギルド)からの情報でも、あまり期待は出来そうにありませんでしたが」
組合(ギルド)の職員は、様々な人たちに出会うため、観察力に優れている。
そんな彼らが、『豪華で強力な装備に身を包んでいるだけ』と、あまり興味を持たなかったのだ。
「まぁ、異世界人かもしれないってだけで、意味はあるだろう。さて、どんな面白いことがあるか……」
ズィルバは機嫌よくニヤニヤと笑っている。
そして、思い出したように手を打った。
「……ああ。そういえば、ホーメルのやつはどうだ?」
「どうだ、とは?」
「いや、面白いことで思い出したが、今日はホーメルの馬にヒナヒコを乗せるように言っておいただろう? 何か起きているんじゃないとな」
今日一番の、意地の悪い笑顔でズィルバは聞く。
そうだろうとは思っていたが、本当に上司の悪戯のような行動だったのだと、ビーナは少しだけ頭が痛くなった。
「ズィルバ様の思惑どおりですよ。ヒナヒコ様の簡単な口説き文句に、ホーメルはうぶな乙女のように慌てふためいたそうです」
実際、乙女であるし、うぶなのだが。
しかし、報告に聞いているだけでその様子が手に取るようにわかるくらい、ホーメルはヒナヒコに心を乱されているらしい。
「そうだろうな。ヒナヒコの見目はいい。それに強い。強さには『蜂』は逆らえない」
機嫌よく笑顔であるが、『蜂』と口にする一瞬だけズィルバの目が曇っていたことをビーナははっきりと確認した。
そして、すぐにズィルバの思惑に気がつく。
「もしかして……『蜂』ということは、元ホーメル隊、今はネット隊の全員をヒナヒコ様に?」
「さあな。結局はヒナヒコしだいだ。まだ、ヒナヒコは警戒しているんだろ? 俺たちのことを」
「はい。『ウイーナ』の町で食事をし、私たちが用意した夕食には手をつけていないので……」
ビーナの返事に、ズィルバはどこか寂しげに笑う。
「はは……面白いな」
「どこがですか?」
「強者と戦わずにはいられない、強者とのみ結ばれる『蜂』の習性。その習性による自身の過ちによって想い人から信用されず、警戒され攻撃を受ける。こんなくだらない悲恋。喜劇だろ」
「悲恋など……それに私たちはズィルバ様に仕えるためにここに……」
「仕えるのと人生を添い遂げる相手を見つけるのは別だ。明日はせっかくの海だ。ホーメルたちには『努力』するように伝えておけ。もっとも、まだまだ成果は出せないだろうがな」
「……かしこまりました」
このようなやりとりは、何度もズィルバと繰り返している。
結局は、ズィルバの願いを変えることなど不可能なのだ。
ビーナはズィルバへの報告を終え部屋をあとにする。
「……そういえば、『努力』するとは、何をさせればいいのでしょうか」
ズィルバとの会話の内容から、ヒナヒコを魅了するようなことをさせればいいのだろう。
しかし、その方法を思いつかない。
「……うーん」
ビーナを含め、『蜂』の部隊は恋愛に関してポンコツである。
結局、何も思いつかなくて、ただズィルバに言われたように『努力』するようにと伝えるだけになるのだった。
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