第14話 白い木
「……ふぅうぅぅう」
唇を紫色に変え、歯をガチガチと鳴らしながら、カグチは、わき出ている、小川で一番綺麗な水に、『雲水の筒』を浸ける。
コポコポと空気が音を立てながら、水が筒の中に入っていく。
カグチの体は完全に冷え切っていたが、でも、熱は残っていた。
カグチは、筒が満タンになったことを確認して、筒を水から抜く。
栓をして、白い木に向かって、歩いていく。
素足に草原の葉っぱが気持ちよかった。
「……先に、服を着るか」
カグチは、木の根本に着くと、まずは服を着ることにした。
『瑞光の衣』
タオルがないのだ。それの代わりでもある。
イメージとしては、賢者や神官だろうか。
ゆったりとした、ワンピースのような白い布地に、腰に革紐をまく、それだけの服だ。
「……バスローブみたいだな、濡れた状態で着ると」
何で出来ているかわからないが、光沢があり、見た目のように、水分を吸収はしない。
でも、着ると、寒さは和らいだ。
「……けど、乾かさないと流石に気持ち悪い。が、どれも拭けるような材質じゃない、と」
外套も、体を拭けるような材質ではなかった。
説明にも、『弾く』と書かれていたので、当然といえば当然である。
「拭けないなら、暖める、か」
カグチは、ちらりと森を見る。
かなり距離がある。しかも暗い。
次に、カグチは上を見てみた。
枝が、葉っぱが、生い茂っている、白い木がある。
発光している、神秘的な木がある。
「……さすがに、コレを切るのはなぁ。てか、切りたくない。綺麗すぎるし」
カグチは、諦めて、『浄土の小刀』を手にすると、森の方へと向き直る。
「暗いけど、なんとかなるか」
『暁闇の靴』を履いてみる。
黒いサンダルみたいな靴だったが、履くと驚くほどに足になじんだ。
サイズの自動調整機能があるのだろう。
正直、今日履いていた運動靴よりも履き心地は良い。
確かめるように、その場で跳ねたカグチは、問題がないことを確認すると、一歩、森へと踏み出した。
すると、白い木が一度強く発光したかと思うと、揺れ始めた。
ガサガサと音がし、ボトボトと何か落ちてきた。
カグチは足を止める。
「……木の枝?」
落ちたモノを拾い上げて見ると、白い、若干枯れている枝だった。
「えっと……くれるのか?」
少しだけ、木が淡く点滅する。
おそらくだが、肯定の意味だろう。
「あ、ありがとう」
木に親切にされて、困惑しながらも、カグチは次に、この枝をどうするか考えた。
「『火の力』は……な」
今日、何度か『火力』の調整をしたときに分かったが、燃やそうと思わない限り、『火の力』の火は、それを燃やさない。
しかし、一度燃えるとどこまでも燃やし尽くすという、そんな代物だ。
間違えて、白い木に燃え移ったら、大惨事になる。
『火の力』の『火力』は、今日、イヤと言うほど思い知らされているのだ。
「……せっかくだし、使うか」
カグチは、『活火の打ち石』を手に取る。
この打ち石で起こした火は、自分の意志で消すことが出来るらしい。
その一点だけで、カグチは『火の力』よりも、この石を素晴らしいと思うのだ。
カグチは、白い木が落としてくれた枝の一本を手に取り、それに向かって打ち石で火をつける。
濡れ木にも火をつける、というのは本当のようだ。
数回、火花を浴びせただけで、白い木の枝から煙が出てきて、赤くなる。
「……本当に、火がついた」
しかし、問題はここからだ。
カグチはついている火に向かって、消えるように思ってみる。
するとカグチの意志を反映したのだろう。
水をかけられたように、木の枝についていた火が消え、煙と先が焦げた枝だけが残る。
「……いいね。これなら大丈夫か」
念のために、火の粉などが飛んでも大丈夫なように、白い木から少し離れた場所に木の枝を組んで、『活火の打ち石』で火をつける。
そんなに沢山の枝があったわけではないが、火は勢いよく燃え、カグチの体を暖める。
「……はぁ」
冷え切った体には、火の熱が気持ち良かった。
「……良い匂いがするな、この木」
香木、なのだろうか。
燃える木の枝から、お香のような香りがする。
良い香りと、暖かさに、心が落ち着いていく。
しかし、カグチはお腹を押さえた。
「お腹空いたな」
今日は、何も食べていない。
むしろ、嘔吐を数回している。
胃の中は完全に空っぽだ。
カグチは、汲んできた小川の水を飲むことにした。
『雲水の筒』の栓をあけ、ごくり、ごくりと飲んでいく。
「…………終わりか」
あっという間に飲み干して、カグチは『雲水の筒』を揺すった。
「水浴びをしたときに小川の水は少し飲んでいたけど……味がまったく違うな。この水筒に入れていたからか。なんか……」
味を例えようとして、カグチは言葉を探す。
水道水が、ミネラルウォーターに変わった。
くらいは変化しているのだが、その表現がしっくりと来なくて、どことなく悔しい思いがした。
「ま、いいか」
早々に、味の表現をあきらめて、カグチは筒を置く。
水を飲み、渇きは完全に無くなったが、飢えは残っている。
もう数回、水を飲んで、とりあえず空腹をごまかすか。
そう考え、カグチが立ちあがろうとしたときだ。
ガサガサと、何か落ちる音が聞こえた。
カグチは、音が聞こえた方をみる。
暗くて、よく見えないが、白い木がまた何か落としてくれたようだ。
カグチは、小川ではなく、何かが落ちた方に歩みを進める。
「……果物だ」
落ちていたのは、りんごのような果物だった。
「……色々あるな」
ほかにも、みかんのようなモノや、洋なしのようなモノ、トマトのようなモノまで、色々ある。
「……食べていいのか?」
カグチの問いに、白い木は点滅して答えてくれる。
「ありがとう」
カグチは、白い木に頭を下げて、落ちていた果物を拾いたき火の前に座る。
白い木が落とした果物たちは、どれもツヤツヤと輝き、ずっしりと重い。
毒があるかも。
そんな警戒が、一瞬だけカグチの頭をよぎったが、それよりも空腹が圧倒的にまさっていた。
我慢できず、カグチは、リンゴのような果物に、そのままかぶりつく。
「……うっまっ!」
一口、かじり、はじけるような果汁が口の中に広がった瞬間。
カグチは感想を言うしかなかった。
空腹は最高のスパイス。
それは、もちろんあるのだろうが、それをさしおいても、白い木が落としてくれた果物は、カグチが食べたどんな果物よりも、美味しかった。
しゃり、しゃりと、噛んでいることそのものが幸せであるような食感を楽しみつつ、カグチはあっと言う間にリンゴのような果物を食べ終えてしまった。
「……ごく」
カグチは我慢が出来ず、白い木が落としてくれた果物を、次々と胃袋に納めていく。
どれも甘く、酸っぱく、薫り高く、カグチはしっているどの果物よりも、美味しいモノだった。
「……ふぅ」
気がつけば、夢中で、食べてしまっていた。
空腹を満たしたカグチはそのまま倒れ込む。
食べている間に、濡れていた体はすっかり乾いていた。
失っていた体温も、元に戻っている。
むしろ、ちょっと暖かいくらいだ。
パチパチと木が音を鳴らしている。
「……すん」
なぜか、少しだけこぼれた涙を、カグチは鼻をすする音で、ごまかす。
目を閉じて、ごまかす。
誰も見ていないし、誰も聞いていないのだが、ごまかしたのは、たぶん自分に対してだろう。
あこがれの異世界。
その初日が、野宿。
はじめての食事は、木から施された果物のみ。
体を拭くことも出来ず、たき火で乾かすだけ。
このまま、屋根もないところで眠ることになるのだろう。
こんな生活、想像していなかった。
(……なんでも、思い通りにはいかない。そんなこと、分かっているけど……分かっているけど……)
いくらなんでも、コレはないんじゃないのか。
もう少し、華やかではなくても、人間らしい生活から始めることが出来たのではないか。
(『火の力』じゃなければ……)
浮かんだ言葉を消すように、カグチは目を開ける。
(マイナスな事を、考えてはダメだ。どうしようもないんだから)
そう思ってはいるのだが、浮かんでくるのは、『火の力』に対する悪口ばかり。
怨嗟の声が、募るばかり。
実際、ほかの力を得ている者は、今頃村や町で宿を取り、休んでいるはずなのだ。
もしかしたら、宴会を繰り広げ、『地球』では年齢制限があって飲めなかったお酒なんかを飲んでいるかもしれない。
そして、酔いから、過ちが……
カグチの脳裏に、女子生徒を率いる形になった好青年の顔が浮かんでくる。
キツい目のポニーテール女子と、眠そうなタレ目フワフワカール女子は確実にあの好青年に好意を持っているだろう。
そんな女子達に囲まれ、笑顔を浮かべている、好青年。
「あー……逆だ。逆を考えよう。火の良いところを考えよう。そう、たとえば、さっき思ったじゃないか。『暖かい』って。これは火の良いところだ」
悪いところではなく、良いところを。
他人のではなく、自分のを。
己を鼓舞するように、カグチは、火の良いところ、マイナス面だけじゃなくて、プラスの面もあげていく。
「水で濡れても、乾かす事が出来るし、夜なら、灯りにもなる。あとは、たとえば、敵が、魔物が来たら……」
『戦える』と言おうとして、カグチは苦しみ、焼け死んだ魔物たちの姿を思い出す。
「……っぐぅ!?」
その瞬間、逆流しそうになった果物たちを、カグチは一生懸命に飲み込んだ。
「……はぁ、はぁ……あとは……」
そのことさえも、忘れるように、カグチは火の良いところを言おうとする。
でも、中々出てこない。
そんな時だ。
また、白い木から、ガサガサと何が落ちてきた。
カグチは、ゆっくりとそちらを向いた。
そして、白い木が落としてくれたモノを見て、白い木が何を言いたいのか察する。
白い木が落としてくれたのは、白い、トウモロコシのような果物。
焼いたら美味しそうな、トウモロコシのような果物。
「……そうだな、火は料理も出来る」
正解というように、白い木が点滅したのを見て、カグチは異世界に来てはじめて、本当の笑顔を見せた。
「……そろそろかな」
たき火の上でクルクルと、とうもろこしを回し、茶色い焦げ目がついたところでカグチは火からとうもろこしを離す。
とうもろこしから湯気が立ち、香ばしい薫りがただよう。
「……んぐっ」
その薫りに、少しだけ、焦げた魔物死体を感じ、慌ててカグチは頭を振る。
この調子だと、調理されたモノを食べることが出来なくなる。
それはダメだと、本能的に理解し、カグチは、白いとうもろこしにかじりつく。
果物ばかりだったから、暖かい食べ物は、また違ったおいしさだ。
温める。素晴らしい『火の力』だ。
カジカジと、とうもろこしを食べ終えるころには、白いとうもろこしから匂ってきた香ばしい香りも、美味しい匂いに変化し、平気になっていた。
残った芯の部分を、カグチは火の中に投げ入れる。
「ごちそうさま」
お腹が、完全にいっぱいになった。
そのまま、カグチは、横になることもなく、たき火を見つめる。
「……綺麗だよな」
ぽつりと、なんとなく、こぼれた。
燃えさかる炎は、確かに綺麗だ。
灯りが、ゆらゆらと揺れ、昇り、消えていく。
「……確か、たき火をしているだけの映像を流しているだけのテレビ番組が、高視聴率だったことがあるんだっけ? こうしてみると、それも何となく分かるよ」
パチパチはじける木の音が、心地良い。
「……綺麗だ」
そのまま、すっとカグチは自分の手を見つめてみた。
(たき火の炎は綺麗なのに、なんで、俺のは……)
火は、火だ。
変わらないはずなのに、なぜかカグチは、自分の火を『火の力』を拒否している。
汚いモノだと、思ってしまっている。
目の前のたき火は、『活火の打ち石』で起こしたものだ。
「……本当は、おまえも、綺麗だよな?」
カグチが指をふると、『火の粉』が舞い、たき火の炎を混ざっていった。
魔物に放ったときのような、爆発的な燃焼は起こらない。
カグチは、確かめるように、懺悔するように、たき火に『火の粉』を投げ入れる。
キラキラと、炎が揺らめき、命のように、空へと飛んでいく。
「……やっぱり、こうすれば、おまえも、俺も……綺麗なのに、な」
なのに、なぜ。
「……ん? なんで?」
『火の粉』が、パッと煌めく。
ちょっとした、自問自答。
その答えは、簡単に出るものではなく。
だからこそ、カグチはゆっくり沈むように、早く飛ぶように、疑問の答えを探していく。
「……ああ、そっか」
カグチは、拳を握った。
それを合図に、たき火の火が消える。
カグチが投げ入れた『火の粉』と共に。
「そっか……そうだよな」
カグチは、そのまま横になる。
「道は、一つじゃない」
カグチが広げた手のひらの先には、沢山の星が瞬いていた。
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