第19話 変わるべきは

 暗転。

 再びロザリアは、あの暗闇の中にいた。


『一つだけ、教えてやろう』


 玉座に座った男が言った。


『人はどんな絶望の中にあっても、自らの力で光を生み出すことができる』


「……」


『それが人間の素晴らしいところだ』


 その声を聞き届けると同時に、ロザリアの脳裏に、この学園に来てからのことが蘇った。


 入学式の日。

 あの家から逃げたくて、必死で勉強し、入学したこの学園は、ロザリアが思っていたよりも素敵な場所だった。

 明るくて、子どもたちで賑わうキャンパス。

 博識な先生たち。

 ここでなら、素敵な生活が送れるかもしれないと思った。

 けれど入学してすぐ、ロザリアは心ない噂に晒された。

 みんなはひそひそとロザリアのことを悪く言う。

 顔つきが怖いせいで、ロザリアがあまり笑わないせいで、たくさんの勘違いをされた。


 けれどそれは、ロザリアが何も言わなかったからだ。


 全てを諦めて、人付き合いをすることを恐れて、何もしなかったからだ。

 どうしよう、と迷っているうちに、ロザリアはいつの間にかひとりぼっちになっていた。

 けれどそんなロザリアに声をかけてくれた人がいた。

 アリスだった。

 みんなが悪く言うロザリアにも優しくしてくれた。

 ロザリアが不器用なことを理解してくれて、仲良くしてくれた。

 ロザリアは旧校舎で話したあのときのことを思い出す。


「知ってるかもしれないけど……あのね、私って孤児院出身なんだ。お父さんとお母さんの、顔も知らないの」

「他の子供たちも、シスターも一緒だったし、そんなにさみしくなかった。でもね、やっぱりすんごい貧乏だったんだよね、うちの孤児院」

「どんな子どもも引き取るの。だからいつも孤児院は人でいっぱい。でもお金は全然ないの」

「だから私ね、将来魔導士になって、いっぱいお金を稼ぐんだ! それでお金持ちになるのが夢なの! 魔導士って、女性でも活躍できる職業だからさ!」

「お金を稼げるなら、ちょっとくらい辛いことがあったって、頑張れる。お金のため! って思ったら、力も湧いてくるわけ!」

「えっと、それでね、私が何を言いたいかっていうと……別に目的がなんだろうが、それは個人のかってというか、好きにすればいいんじゃないかなって」

「幸いなことに、この学園に逃げ込んだら、六年はでられないからさ。時間なんていくらでもあるし。悩む時間だけなら、いっぱいあるよ」


 アリスはすごい。

 自分で自分の道を切り開いてきた。

 孤児という自らの境遇を不幸に思わず、できることをやってきた。

 それに比べて、ロザリアはどうだっただろう。

 ただ幼い頃から自分の境遇に不満をもてど、それを変えようとする努力をしてきただろうか。


 臆病で、内気で、不満だけを糧に、ずっとずっと生きてきた。

 だからロザリアは、アリスに強く惹かれたのかもしれない。

 強くて、まっすぐで、輝くような彼女の魂に。


『いつかやりたいことができたら、私にも教えてね』


「私、は……」


 私がこの学園へ来た目的は、一体なに?


 ロザリアの人生は厳しい。

 「公爵の妾の子」というフィルターを通して、周りの人々はロザリアのことを見るだろう。

 それはきっとこれからも、簡単には変わることがない。


 人は自分が生まれてくる親を選ぶことはできない。

 また、大人の庇護下に置かれる子どもたちは、自分の周りの環境を変えることは、そう簡単にはできない。

 変えることができるのは、大人たちなのだ。

 だからもしも自分ではどうしても解決できないような苦しいことがあれば、大人に助けを求めるべきなのだ。

 

 けれど世の中には、助けを求める子どもの声を無視する大人たちがいる。

 ロザリアのように、誰に助けを求めていいかわからない子どももいる。


 では一体どうすればいいのか。

 今、たった一つだけ、ロザリアにも変えられるものがある。


『お前は、どうしたいんだ』


 玉座に座る男が、ロザリアに問いかける。

 ロザリアはようやく気づいた。


 変わらなければいけないのは、周りではない。

 変えられないと嘆くよりも先に、やらなければいけないことがある。

 

 本当に変わらなければいけないのは、ロザリア自身なのだ。

 

「わたし、は……」


 ロザリアは拳を握りしめて、玉座に座る男を見た。


 ──違うことは違うと言える勇気が欲しい。


 ──今よりもっと、強い自分になりたい。


 ──お母様の願い通り、幸せに、なりたい。



 わたしは、わたしは……。




「変わりたいッッ!!!!」

 



 こんな自分にも可能性があるのなら。

 ロザリアはその可能性に賭けてみようと思った。

 男がふ、と笑った気がした。


 再び、暗闇は消え、現実世界へ。

 ロザリアは力のかぎり叫び、魂装強化の施された肉体を動かした。


「離して!」


「!?」


 ロザリアはそう叫ぶと、自らを押さえつける少女らを撥ね退けた。ロザリアの魂装強化は強烈だ。


「きゃあ……!」


「な、なに!?」


 二人の少女は地面に転がった。

 ロザリアは荒い息を吐きながら、立ち上がる。

 そして真白にたかる生徒たちを一喝した。


「そ、その子を、傷つけないでッッ!!」


 真白の前に立ちはだかると、腕を広げて真白をかばう。


「はっ、ついに本性を現したか!?」


 グレンは手を前にかざすと、武具を召喚した。

 それは一振りの剣だった。

 それをロザリアに突きつける。

 マリアとディーナも同じように、それぞれ召喚した武具をロザリアに向けた。


 けれどロザリアは頑としてその場を動かなかった。


「……私は、お兄様を殺してなんかいないわ」


 緊張感の走る訓練場に、ロザリアの声が響いた。

 ロザリアはぎゅ、と目をつぶって、叫ぶ。


「公爵位を継ぐ気もない!」


「嘘をつくな!」


「グレン様、この女、もう許せないわ!」


 マリアがぎり、と唇を噛む。


「嘘をつくのはやめなさいよ! ユーイン様たちが馬車の事故で死ぬなんて、あまりにもおかしいのよ!」


 ユーインとルイスは、領地へ遊びに行く途中に、馬車が横転して二人ともなくなったのだという。それはあまりにも不自然すぎる事故だった。

 けれどロザリアがそれが不自然な事故だとしても、本当になにも関係していないのだ。


「私はなにもやってない」


「ふ、ふん、アリスが、言っ……」


「違う!」


 そう叫んだのは、アリスだった。


「違う、違うの! 」


 その瞳からは涙がぼたぼたとこぼれ落ちている。

 泣いて、呼吸がうまくできていないようだった。


「わ、わ、わたし、が……ッ」


「アリスちゃん、いいよ」


 ロザリアは泣くアリスを止めた。


「この人たちに、何か言われたんでしょう?」


「!」


 ロザリアはグレンを見つめながら、言った。


「はっ、なにをいってるんだ? どこにそんな証拠がある?」


 グレンは笑う。


「僕は王子だぞ?」


「……」


 この学園は、身分平等を謳っている。

 それなのに、この王子ときたら、自分の身分を笠に着て、異常高に振舞っているのである。


「魔術の才もない君のような者たちがこの学園にいることすら、不愉快なんだ。遅かれ早かれこうなる運命だったんだ」


 高慢そうなその少年は、ロザリアを見てほくそ笑んだ。


「さあ、選べよ。降参するか、ここで戦うか」


「……」


 ロザリアが口を開きかけたとき。


「ロザリアちゃん、ダメ!!!」


「!」


 アリスが叫んだ。


「そんな理不尽な誘いにのっちゃだめ! 私が、本当のこというから! 退学になるべきは、私とグレン殿下なの!」


 だから、とアリスが続けようとしたところで、ロザリアは首を振った。


「もしも周りの大人たちが信じてくれなかったら、困る。グレン殿下は自らおっしゃったわ、この戦いに勝てば、無実を信じると」


 ここにいる生徒の大半がその言葉を聞いている。

 グレンも後には引けないだろう。


「なんで……わたしのために、そんな……」


 アリスは呆然としたようにそういった。


「だって……」


 ロザリアの足は、ガクガクしていた。

 体はふるえ、頬には涙が伝っている。


 でも、言わなきゃいけないことがある。

 声をかけてくれたアリスに。

 助けてくれたアリスに。



「友達だと、思うから……ッ!」



 ──今度は私が、アリスちゃんを助けるんだ。


 アリスの表情に、じわじわと驚愕が広がっていく。


「はっ、生意気なことを」


 グレンがいらだたしげにそう言うと、剣を振るった。

 マリアとディーナもロザリアにおそいかかる。

 ロザリアには抵抗する手段がない。


 けれどこれでよかったのだ。

 何も抵抗しないより、ずっと。


 ロザリアは、自分の心の弱さに打ち勝ったのだから。


 ロザリアがぎゅ、と目をつぶったとき。


「っ!?」


 ロザリアを中心にして、まばゆい光が溢れた。


「なんだこれは!?」


 周りの人たちもざわついている。


 まばゆい光は立っていられないほどの突風を巻き起こし、ロザリアは吹き飛ばされないように歯を食いしばった。


『……よく言った、ロザリア=リンド・オルガレム』


「!」


 光の先で、男が玉座から立ち上がった。

 そしてこちらに近づいてくる。


『どうしようもない女だと思っていたが、なかなかどうして、根性があるようだ』



 暗がりで見えなかった顔に、光が差した。


『その姿勢、気に入ったぞ』


 それは、真っ黒な髪に赤い瞳の、若い青年だった。

 堂々とした立ち居振る舞い。

 顔の半分には魔導紋が刻まれている。


「かわってやるよ」


 ニッと男が笑う。


「あなたは、一体……」


 あたりが一層強い光に包まれた。


『我が名は──』





〝破壊〟の罪

 




オレイカルコスの槍

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