第11話 ロザリアの事情

 

「はぁ、疲れた……」


 ロザリアは寮の自分の部屋に戻ると、ベッドに倒れ伏した。

 疲れてしまったのか、意識がふっと遠のく。

 そしてそのまま眠りに落ち、昔の夢を見た。


「ロザリア、ごめんね。あなたを置いていく母を許して」


 死の間際、そういって幼いロザリアの頬を撫でた手のぬくもりを、今でもまだ覚えている。

 ロザリアの母ローズは、もともともはオルガレム公爵に使える使用人だった。ローズは孤児だったようだが、その美しい見た目と器量の良さから、公爵家の使用人として雇われていた。

 けれどローズは、公爵家に仕えるべきではなかった。

 なぜならオルガレム公爵が、ローズを気に入り、嫌がる彼女を手篭めにしてしまったからだ。


 当時公爵にはすでに正妻がいて、子どもも二人設けていたが、ローズに対するその執念はものすごかった。

 逃げようとするローズを捕まえ、別邸に軟禁していたのだ。

 こうしてローズはロザリアを身籠ることになった。

 身重の体では逃げることもできず、もちろん生まれたばかりのロザリアを連れて逃げることも経済的にできず、結局ローズはその屋敷で暮らすことになる。


 そんな非人道的な暮らしを強要されていたローズだったが、ロザリアには溢れんばかりの愛情を注いで、育ててくれた。

 憎い男の血が入っているはずなのに、だ。


「ロザリア、あなたは私の宝物よ」


 幼い頃から泣き虫で、べそをかいてばかりのロザリアを抱きしめては、ローズはそう言った。


「あなたのためならば、私はなんだってできる」


 けれど、ローズはロザリアが五歳のときに儚くなってしまった。

 長年のストレスが祟ったのだろう。

 風邪が悪化し、肺炎を起こしてしまったのだ。


「ロザリア、どうか幸せになって」


 そういって、ローズはロザリアに看取られて、亡くなった。

 

 それからのロザリアの暮らしはひどかった。

 もともとオルガレム公爵は、ローズにしか興味がないようだった。

 だからローズが亡くなってからは、ほとんど別邸に訪れなくなったのだ。そうでなくても、父がロザリアに意識を向けたことなどほとんどなかった。

 公爵は、ただローズにだけ関心があったのだ。

 だからロザリアが別邸でどんなにひどい扱いを受けていようと、気にしていないようだった。


 ローズが亡くなってから、ロザリアは意地悪な召使に囲まれ、ストレスのはけ口としていじめられながら、十二歳まで育った。外にもあまり出してもらえなかったのだ。

 だからロザリアは人と話すのが苦手だし、うまく感情を表現することができない。辛い生活の中で、少しずつ心が死んでいったのだ。


 一度だけ、別邸から逃げ出そうとしたことがある。

 でも結局、世間知らずの自分がどうすることもできないことは目に見えていたから、できなかった。そして脱出計画を立てていたことがばれて、さらに激しい暴力を振るわれたこともあった。


 だからロザリアは、オルガレム公爵家が大嫌いだった。

 義兄二人が亡くなり、本邸へ呼び出された時、数年ぶりに会話をしたくらい、お互いに話したこともなかったのだ。

 もちろん後継の話をされたとき、ロザリアはそれを断った。けれど公爵は」それを聞かず、ロザリアに厳しい家庭教師をつけ、入学試験に備えさせたのだ。


 朝昼晩、勉強勉強勉強。

 さらに本妻であるリリアンナとその子どもであるエレナの嫌がらせにも耐えなければならなかった。

 本妻であるリリアンナは、子ども二人を亡くしたばかりなのにロザリアを目にして、もう発狂寸前だった。

 エレナには一度、頬をぶったたかれたこともある。


 だからロザリアは、この家には絶対にいられないと思ったのだ。

 こんな狂った家には。

 だから辛い勉強も頑張って、この学園に入学した。

 あの家から逃げなければ、気が狂ってしまう。


 だからロザリアは、あの家に帰るわけにはいかない。

 

 ◆

 

『ふぅん、それがお前の事情ってわけか』


 ふと気づくと、ロザリアはまたあの暗い空間に立っていた。

 目の前には銀の玉座があり、あの時の男が足を組んで座っている。


「また、この夢……」


 ロザリアはじり、と後ずさった。

 同じ夢の続きを見るなんて、なんだか変だ。

 それにあの男の、異様な雰囲気。

 後ずさるロザリアを見て、男はくく、と笑った。


『それで、お前はどうするんだ?』


「どう、する……?」


『こんな状態でいいのかよ』


「……」


 よくないに決まってる。

 でもロザリアには、どうすることもできないのだ。

 母が亡くなってから、意地悪な使用人たちにいじめられ、反論しても無駄なのだということを教え込まれてきた。

 ロザリアの心には、この状況を変えることはできないと、呪詛のように刻み込まれていた。


 どうして私はこんな家に生まれたの。

 どうしてあんなやつにそっくりな顔なの。

 どうして、どうして……。


 せめて、周りが変わってくれたら。

 そうしたら私も、ましになれるかもしれないのに。


『やはり、お前では無理、か……』


 男はただ、呆れたような声で、ロザリアを見ていた。


 ◆

 

 ハッとロザリアは目を覚ました。

 額に大粒の汗をかいている。


 起き上がると、外は真っ暗だった。

 ずいぶん眠っていたようだ。


「また、あの夢……」


 額の汗を拭い、ロザリアは呟いた。


「一体なんなのかしら……」


 ロザリアはドキドキする心臓を押さえて、きゅ、と握った。

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