第10話 心配事


「はぁ〜、もうびっくりしたよ。大丈夫?」


 アリスがロザリアを引きずるようにして連れてきたのは、旧校舎だった。

 中に入ると、真白がいる部屋までもくもくと二人は歩き、きゅうううんと真白のお出迎えを受けたところで、ようやく力を抜いた。


「あの、アレイズ先生が呼んでるっていうのは……」


「そんなの嘘に決まってるよ!」


「え?」


「だってどうみても一触即発な雰囲気だったもん! つい割って入っちゃったよ〜」


 アリスは腰を抜かしたように、教室の地面に座り込んだ。

 真白がきゅぅううとアリスに駆け寄ってくる。

 その姿をみているうちに、ロザリアの瞳がじわりと熱くなった。


 アリスはロザリアのために、あの場所に割って入ってくれたのだ。

 そう考えると、嬉しいような、恥ずかしいような、情けないような、不思議な気分になってしまう。

 ロザリアは涙をこぼさないように、そっと上を向いてごまかした。

 それから目元を拭って、アリスにお礼を言う。


「……本当にありがとう。あなたが来てくれなかったら、私……」


 どうなっていたのかは想像もしたくない。

 いろんなことで胸がいっぱいになってしまって、ロザリアはそれ以上言葉が出なかった。


 二人はしばらく、空き教室の床に座って、ぼんやりとしていた。

 真白だけが元気いっぱい、きゅうううんと鳴いている。

 アリスはもふもふの塊を抱いているうちに落ち着いてきたのか、ふう、と大きな息を吐いて、ロザリアを見た。


「それにしても、上級生がよってたかって、ひどいよね」


 アリスは憤っていた。


「下級生にあんな、威圧するような態度!」


「……私が悪かったの。ぼうっとしていたから」


 ロザリアがうつむいていう。


「でも、人の家庭の事情に首をつっこむなんて、絶対よくないよ」


 アリスは眉を寄せてそう呟いた。


「ロザリアちゃんには、ロザリアちゃんの事情があって、それはきっと、他の人が首をつっこむようなことじゃないんだよ」


「アリスちゃん……」


 ロザリアは驚いたようにアリスを見た。

 この学園で、ロザリアが兄を殺して公爵位を得ようとしているだとか、そういった類の噂が流れていることは、自分でもよく知っている。

 それを否定しなかったり、自分の態度だったりが、余計に加速させてしまっていることも。

 けれどアリスは、それでもロザリアを突き放すようなことはしなかった。


「私、お兄様たちを殺したりなんか、してない」


 ロザリアは、せめてアリスだけにはわかってほしいと、思わず言ってしまった。アリスはびっくりしたような顔をしたあと、笑った。


「そんなこと、わかってるよ」


「!」


 ロザリアは驚いた。


「だって、話せばわかるよ。ロザリアちゃんは、絶対そんなことしないって。だってロザリアちゃん、優しすぎるんだもん」


「あ、アリスちゃん……」


 ロザリアはまた涙ぐんでしまった。


「それにばかばかしいよ。私たち、まだ十三歳なんだよ? そんなことできるわけないよ」


 アリスはそういって苦笑した。


「きっと、みんな面白がってそういってるだけ」


「そう、かな……」


「そうだと思う」


 でも、とアリスは続けた。


「グレン殿下はきっと、アリスちゃんのお兄さんが大好きだったんだね」


 噂に聞いた話だけど、とアリスはいった。


「グレン殿下は一年生のとき、ロザリアちゃんのお兄さんに随分お世話になっていたんだって。いつもべったりだったって、赤寮の子から聞いたよ」


「……そうだったの」


「それにあの女の先輩。ユーイン先輩と付き合ってたって噂」


「!」


 ロザリアはなんとなく、上級生たちがロザリアに対して当たりが強い理由が見当がついた。

 アリスの腹違いの兄たちは、人当たりもよく、誰からも好かれていたからだ。おまけに成績優秀だったし、もちろん強い武具も持っていた。

 グレンだけじゃなくて、あの周りにいた女子生徒たちも、みんなユーインとルイスが好きだったのだろう。

 特にユーインと付き合っていたというあの女子生徒は、誰よりもユーインの死を悲しんだに違いない。


 それなのに、そんな彼らが亡くなって、代わりに学園に入学したのは、自分のような悪女の女。

 そりゃあ、余計に嫌われる気もする。


「私……べつに公爵位を継ぎたいわけでもない。魔導士になりたいわけでも……ただ、呼ばれたから……一応、お父様の子だから……。あの家にいるのが嫌で、私は、逃げて……」


 ロザリアはそういっているうちに、悲しくなってきた。


 ──私はどうしてここにいるんだろう?


 それは、お父様から、あの辛かった環境から逃げるため。

 でもこの学園にも、ロザリアの居場所はありそうもない。

 ここでも辛いのなら、一体どこへ逃げればいいの?

 ロザリアがじっと黙っていると、アリスは頬をかいて、言った。


「知ってるかもしれないけど……あのね、私って孤児院出身なんだ。お父さんとお母さんの、顔も知らないの」


 アリスはべつにそれを悲しむでもなく、言った。


「他の子供たちも、シスターも一緒だったし、そんなにさみしくなかった。でもね、やっぱりすんごい貧乏だったんだよね、うちの孤児院」


 院長先生がいい人でさ、とアリスは続けた。


「どんな子どもも引き取るの。だからいつも孤児院は人でいっぱい。でもお金は全然ないの」


 ロザリアは自分とは全く違う境遇の、それでもどこか自分と似ている部分を持つ少女の話に耳を傾けた。


「だから私ね、将来魔導士になって、いっぱいお金を稼ぐんだ! それでお金持ちになるのが夢なの! 魔導士って、女性でも活躍できる職業だからさ!」


 そしたら、孤児院の人たちにももっといい環境を用意してあげられるし! と意気込んでいう。


「お金を稼げるなら、ちょっとくらい辛いことがあったって、頑張れる。お金のため! って思ったら、力も湧いてくるわけ!」


 意外なアリスの告白に、ロザリアは目を丸くした。


「……なんて、やっぱり不純すぎるよね」


 えへへ、とアリスは頬をかいて笑った。


「……ううん、そんなことない」


 ロザリアは首を振った。


「私なんかより、ずっと立派だわ。アリスは……アリスはすごいわ」


 ロザリアは心から思った。

 この子は、なんて強い子なのだろう、と。

 アリスは照れたように笑った。


「えっと、それでね、私が何を言いたいかっていうと……別に目的がなんだろうが、それは個人のかってというか、好きにすればいいんじゃないかなって」


 アリスはそういって笑った。


「幸いなことに、この学園に逃げ込んだら、六年はでられないからさ。時間なんていくらでもあるし。悩む時間だけなら、いっぱいあるよ」


「きゅん!」


「ほら、真白も言ってる」


 子犬は何も知らずに、しっぽを振り回して、ロザリアの頬をなめた。


「っくすぐったい……」


 ロザリアはアリスの話を聞いて、少しだけ元気が出た。


「それに、あんなひどい人たちのことで悩むなんて、時間の無駄! もっと楽しいこと考えよう」


 そういってアリスは笑った。

 ロザリアも、こくんと頷いた。


「ありがとう、アリスちゃん。ちょっと元気でたよ」


「……そっか。ならよかったよ」


 ほっぺを舐めてくるもふもふ犬を引き離して、ふとつぶやく。


「それにしても……この犬、なんだか変じゃない?」


 ロザリアがそうつぶやくと、アリスはぎく、と身を強張らせた。


「手足が大きいし、前よりかなり大きくなってるような……?」


 そうなのだ。

 前回みたときよりも、明らかに真白の体が大きくなっている。

 子犬の成長は早いといえども、なんだかこの成長スピードはおかしい。

 だって、もう子犬とは思えないほどに大きくなっているのだ。

 しかも足が大きくて、爪も鋭いような……。

 顔も狼みたいに鋭くなってきたし……。

 

「それに、なんだか背中がおかし……」


 ロザリアはぎょっとしてしまった。

 真白の背中がなんだかぼこっとしているな、と思っていたら、その部分に翼のようなものが生えていたからだ。


「え!? なんか生えてる!?」


 ロザリアが驚いていうと、アリスがきまづそうに指と指を突き合わせた。


「それが……なんだかこの子、成長スピード異常だし、背中に翼があるしで、なんか普通の犬じゃないっぽいんだよね……」


 確かに、犬に翼は生えない。

 ロザリアは重くなった真白を抱きながら、なんとも言えない気持ちになった。


「もしかしてこの子って……」


 この先は言いたくない。

 アリスも同じようだった。


「まあ、もうちょっと大きくなってから考えようかな、なんて……」


 はは、と乾いた笑みをこぼす。


「魔獣、なんじゃ」


「言わないで〜!」


 アリスは耳を塞いでぶんぶん頭を振る。


「でも魔獣だったら、早く先生に言わないと」


「だって、そんなことしたら処分されちゃうかもだよ……」


「確かに」


 魔獣というのは、普通の獣よりも知能や攻撃力が高い獣のことだ。人々が魔力を持つように、動物たちの中にも生れながらにして魔力が高いものがいる。そういう動物は、大抵はずる賢くなり、人を襲って食べ物などを奪おうとする。

 調教次第では、人の良きパートナーになることもあるので、魔獣が出たらまずは魔獣管理局に報告しなければならないのだ。

 そこから処分するかどうか決まるらしい。


「なんとか隠して、休みの日にどこか遠くへ逃がしにいく……?」


「そ、そうだよね」


 アリスは真白と離れるのがよほど辛いらしく涙目になっている。


「きゅぅううん?」


 真白はしっぽを振って、首を傾げていた。


「ま、まあ、また今度考えよう」


 ロザリアは慰めるようにアリスにそういった。


「そだね……」


 ロザリアに、また心配事が増えてしまったのだった。 

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