第1話 オルガレム公爵令嬢ロザリア=リンド

『なあ、知ってる? オルガレム公爵令嬢の噂』


『知ってるも何も、有名すぎて知らない人なんかいないだろ』


『妾の子のくせして、本妻の子ども二人を殺して、当主に成り代わろうとしてるって話』


『それなのに、本人は勉強ができるってだけで、魔術の才能は一切ないんだよな』


『それじゃあ魔導士にはなれないよ』


『所詮妾の子なんだろ』


『意地の悪い女。まるで物語の悪役みたいな顔だもんな』


『あんな澄まし顔してるくせに、魔術の腕はからっきしなのが笑えるよ』


『げ、噂をすれば、だ……』


 午前の授業を終えた生徒たちが、思い思いに羽を伸ばす昼休み。

 ざわつく魔導学園の廊下を、カツカツと高いヒールの音を鳴らして歩く少女がいた。


 真っ白な長い髪が、風を受けて揺らめく。

 灰色の瞳は、ただまっすぐに前を見つめていた。

 自身が所属する寮を表した黒色の制服に身を包むその少女は、カラフルな世界に一滴落とされたインクのように、異質だ。

 なぜなら整いすぎたその顔には、一切なんの表情も浮かばず、人形のようだったからだ。


 少女は人気のない裏庭へ出ると、木陰に置いてあるベンチにすとんと腰を下ろした。


 ──そして、盛大なため息を一つ。


「ううう……」





 私、また悪口言われてるじゃないかーーー!!!

 




 頭を抱えて、空を見上げる。

 絵の具を塗り広げたように、綺麗な水色の空。

 太陽の光はあたたかく、風は心地よい。

 憎らしいほどに、今日はいい天気だった。


「なんでこんなことになっちゃったの……」


 見た目にはほぼ感情の出ない彼女だが、心の中は非常に騒がしかった。


 オルガレム公爵令嬢ロザリア=リンド。


 人は彼女をそう呼ぶ。

 バルハザード国屈指の有力貴族の娘であり、今現在オルガレム公爵家唯一の直径の子ども。


 ……ただし、つい先日までは「オルガレム公爵令嬢」などとは呼ばれていなかった。

 なぜなら先ほど噂されていた通り、ロザリアは妾の子で、実の父とはずっと離れて暮らしていたからだ。


「まさか、お兄様たちが亡くなってしまうなんて……」


 ロザリアは深いため息をついた。

 先ほどから噂されていた通り、ロザリアは公爵の妾の子どもだった。

 ロザリアの母ローズは身分の低い市井の女性で、ロザリアを生んですぐに亡くなってしまったため、ロザリアは公爵が所有する別邸でずっと暮らしていた。

 それが半年前、あることがきっかけで、本邸に呼ばれることになった。


 本妻の子ども、ユーイン・オルガレムとルイス・オルガレムが、馬車の転落事故で亡くなってしまったのだ。

 二人はロザリアの腹違いの兄にあたる。

 二人とも魔導の才に秀でていて、特にユーインはオルガレム公爵家を継ぐにふさわしい立派な魔導士になるだろうと言われていた。


 このバルハザード国において、オルガレム公爵家は王を守護する四大公爵家の一つであり、「王の盾」と呼ばれる最強の魔導士を輩出する家系でもあった。

 したがって、公爵家当主は代々魔導士が務めることになっているのだ。

 

 公爵にはユーインとルイスのほかに、もう一人エレナという娘がいた。

 しかしエレナには魔術の才がなかったため、ロザリアに公爵家の跡継ぎというお鉢がまわってきたというわけなのだった。

 ロザリアは幼いころ魔術の適正検査を受けたことがあり、一応魔導士にはなれると診断されていたので、急遽公爵家の跡取り候補として本邸へ呼ばれたのだ。


「殺した、なんてありえない話なのに……」


 ロザリアはため息を吐いた。

 兄二人がなくなったのが半年前。

 すぐにロザリアは公爵家の本邸へ呼ばれ、魔導学園に入学するよう公爵から命を下された。

 ロザリアは別に、公爵家を継ぎたいわけでも、魔導士になりたいわけでもない。


「こうするしかなかったんだもの」


 ロザリアはぐ、と膝で手を握った。

 

 ──あの公爵あくまから逃れるには、全寮制のこの学園で暮らすしか、今の私には逃げ道がないのよ。


 ロザリアは再びため息を吐く。


 国立ランバルシア魔導学園。

 国内でも最高レベルの学術機関であり、数々の優秀な魔導士を輩出している名門校だ。王族から平民まで、どんな身分の人でも厳しい試験を突破すれば入学することができる。

 ロザリアは公爵家で鬼のような試験勉強をさせられ、なんとかこの学園に入学することを許可されたのだった。

 

「ここに来れば、少しは変わると思ったのになぁ」

 

 入学して一月ほど経つが、友達はゼロ。それどころか兄二人に成り代わって公爵家を乗っ取ろうとする悪い女、という噂が広がり、ロザリアに近づこうとする人なんて誰一人としていなかった。


 兄二人が優秀で善良なだけあって、当たりはさらにきつかった。

 妾腹の子。

 人々はロザリアのことを、影でそう言ってバカにしているのだった。


 ロザリアはため息を吐いて、手に持っていた包みを開いた。

 中にはランチボックスが入っている。

 これからひとりぼっちでお昼ごはんなのだ。

 食堂もあるが、できるだけ一目を避けたかった。

 どこにいてもひそひそと後ろ指をさされるのだから。

 ロザリアはもそもそとサンドイッチを頬張りながら、呟いた。


「私だって、別に後継になりたかったわけじゃないし、特別魔導師になりたいわけでもないし……」


 できれば普通に、穏やかに暮らしたかった。


「好きでこんな顔に生まれたわけじゃない」


 蝋人形のように青白い顔と、つり上がった光のない瞳。

 白い髪と灰色の瞳は母から、このきつい顔立ちは公爵から受け継いだものだった。


 ロザリアは自分の顔が好きじゃない。

 確かに物語の中に出てくる悪役のような顔だからだ。

 それに、感情をうまく表情に出すことができない。

 ロザリアは自分の気持ちを表現するのが苦手だった。

 

「私も、友達がほしいなぁ」


 サンドイッチを頬張りながら、ロザリアは遠い目をした。

 思っていた以上に、自分の学園での立場はひどい。

 新入生の黒寮生もロザリア以外は全員男子だし(そもそも女子が在籍する割合が低い)、放課後に勉強の教えあいっこ、とか、やってみたかったが、無理そうだ。



「ううう、お昼は実技訓練かぁ……」


 ロザリアの苦手な実技。

 理論は公爵家にいるときに叩き込まれていたのでなんとかついていけるのだが、ロザリアは魔術の腕はからっきしだった。何度やってみても、何もできないのである。

 ロザリアはできるだけお昼休みが長く続くようにと、ぼんやりと空を見上げていたのだった。

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