【完結】悪役令嬢と七つの大罪
美雨音ハル
プロローグ
「オルガレム公爵令嬢ロザリア=リンド、今日この時この場を持って、お前には学園を退学してもらおう!」
真夜中。
とある魔導学校の戦闘訓練場に響く、威風堂々とした少年の声。
少年は訓練場の中央に立ち、一人の少女に向かって指を突きつけていた。
一方、指を突きつけられた少女──オルガレム公爵令嬢ロザリア=リンドは、無表情で少年を見つめていた。
腰まで届く白の髪に灰色の瞳をした血の気のないその少女は、漆黒のバトルドレスのせいもあってか、人形のように不気味に見えた。
ロザリアの背後には、怪我をした一匹の大きな白い狼がいる。
狼はくぅん、と不安げな声をあげて、ロザリアを見上げていた。
ロザリアはその白い狼を守るように、ただ静かにそこに立つ。
少年のそばには、おどおどとした金色の髪の少女が立っていて、不安そうな様子で二人を交互に見ていた。
訓練場に立つ三人の少年少女たちと、一匹の白い狼。
訓練場の観客席から、大勢の生徒たちが好奇の眼差しを向けていた。
「平民が邪魔だからといって、このアリスに危害を加えようとしたそうだな」
アリスと呼ばれた少女はびく、と肩を震わせて、少年の影に隠れた。
「アリス、そうなんだよな?」
「っわ、わたし……」
アリスの澄んだ青い瞳には、涙がたまっている。
否定も肯定もしなかったが、ふるふると震えるその姿は、それを肯定しているかのようにも見て取れた。
観客席にいた生徒の中には、アリスに哀れみの視線を向けるものもいた。
反対に、怒りを込めてロザリアを睨みつける生徒もいる。
「いつも一人でいるお前を気にかけて面倒を見ようとしたアリスに、お前は平民だからという理由で数々のいじめをし、さらにはその狼の魔獣でアリスを襲おうとした!」
「……」
「この仕打ちのなんたることか! お前という女には、道徳心のかけらもないのか!?」
「……」
ロザリアは無表情にその話を聞いていた。
石のように動かぬ彼女にしびれを切らしたのか、少年は眉をひそめて言う。
「なんの申し開きもないということは、アリスいじめを認めるのだな?」
ロザリアはアリスに視線を向けた。
アリスはびく、とふるえ、うつむく。
「……もういい。アリスがかわいそうだ。アリス、下がってろ」
少年はアリスと呼ばれた少女にそう声をかけると、アリスの背をぐい、と押して、訓練場から出した。階段を降りたアリスは、不安げに訓練場を見上げた。
「お前がかばう魔獣が何よりの証拠だ。学園にそのようなものを侵入させるなど、正気の沙汰ではない。観念してそいつを引き渡せ。そして学園から去るがいい」
それから少年は暗い笑みを浮かべた。
「兄二人を殺してまで、公爵家当主になりたかったようだが、残念だったな。蓋を開けてみれば、お前は『武具』の召喚もできない、ただの無能だった。神はよく人を見ておられるよ」
初めてロザリアは眉を動かした。
血のように赤い唇が、小さく開きかけた時。
ロザリアの反論を封じるかのように、訓練場の外から何かが飛んできた。
それはロザリアはこめかみに勢いよくぶつかる。
「ッ」
ロザリアはよろめいた。
ひどい痛みを感じてこめかみに手を当てれば、ぬるりとした感触。
みれば、血が出ていた。
地面にごろりと転がり落ちたそれは、手のひらサイズの石だった。
「この人殺し!」
甲高い罵倒の声。
こめかみを押さえたまま、ロザリアは石が飛んできた方向を見る。
そこには幾人かの女性たちが固まっていて、ロザリアに憎悪の眼差しを向けていた。
「ユーイン様は、ユーイン様はあんたのせいで……!」
中でも、ロザリアをきつく睨んでいたのは、茶色の髪の女生徒だった。
きっと彼女が石を投げたのだろう。
「あんたなんか、死んじゃえばいいんだ!」
「あなたのお兄様は、あんなに心根が美しかった人たちだったのに!」
「グレン様、もっとこの女に罰を!」
その罵倒を聞いて、ロザリアの後ろにいた狼が、グルル、と牙をむいた。ロザリアはそれをそっとなだめる。
少年──グレンは、頷いて、ロザリアを見つめた。
「王子であるこの僕、グレン・バルハザードの前で、悪事は許さん。お前には学園を退去してもらうと同時に、王宮での取り調べを受けてもらおう」
一言も発さないロザリアを見て、グレンは鼻で笑った。
「それとも何か。お前が無実だというのなら、ここで僕と戦うか? そうだな、お前が勝ったら、無実を認めてやってもいいが」
失笑が起こった。
その場にいる誰もが、ロザリアの負けを信じて疑わないようだった。
それは、蔑むという言葉が一番ピッタリな笑い声だろう。
「『武具』の召喚もできない君には、ここに立つ資格もない。さあ、マリア、ディーナ! その化け物ともども、ロザリアを捕らえろ!」
グレンがそう告げた瞬間、先ほどロザリアを罵倒してきた女生徒のうち、二人がふわりと観客席から飛び降りて、こちらへとやってきた。
そして女生徒たちはロザリアの腕をそれぞれひねり上げると、華奢なその体を地面にねじ伏せる。
ロザリアは強く顔を地面に押さえつけられたまま、唇を噛んだ。
地面に押さえつけられるロザリアの前で、グレンが言った。
「やはり、公爵の血が入っているとはいえ、所詮は妾腹の子か」
押さえつけられながら、ロザリアは思わず顔を上げた。
「一体どんな恥知らずな母親だったのか……」
マリアと呼ばれた女生徒が吐き捨てるように言った。
「汚らわしい、売女の子どもが、ユーイン様の代わりになんてなれるわけないじゃない」
「ッ」
その言葉は、ひどくロザリアを傷つけた。
今ここに、心ない噂によって悪役にされた一人の少女がいる。
少女の名はロザリア・リンド=オルガレム。
オルガレム公爵家の跡取り候補である。
その見た目の怖さや口数の少なさから、彼女は悪役にされ、このように無実の罪で断罪されかけている。
しかし実際のロザリアは、別に悪役でもなんでもない。
ただ話すのが苦手な、普通の女の子だったのだ。
だからもう、ロザリアにとって今の状況は限界だった。
──どうしてみんな、私を妾の子としか見てくれないの。
──どうして私が公爵家を継ぎたいなどと思うというの。
──どうしてお母様を、いつも悪者にするの。
どうして、どうして。
頭の中でグルグルと回る疑問。
ロザリアは、赤く染まる視界の中で、ちら、とアリスを見た。
視界が霞んで、その表情を伺うことはできなかったが。
『このままでいいのか?』
ふと、ロザリアの脳内に、聞きなれた男の声が響いた。
それはロザリア以外には誰にも聞こえない声。
ロザリアは気がつくと、暗闇の中に立っていた。
視線の先には、うっすらと輝く玉座。
そこには退屈そうな男が一人、足を組んで座っていた。
その表情は、暗闇に飲まれてよく見えない。
──だって、私じゃ何もできない。それならいっそ、このままここを去ったほうが……。
ロザリアは拳を強く握った。
この学園に入ってから見るようになった、おかしな夢。
こんな状況で、見てしまうとは。
あまりにもストレスが強すぎたせいかもしれない。
もしかして白昼夢、のようなものだろうか。
『お前は本当にそれでいいのか?』
男はなおも問いかける。
ロザリアはぎり、と歯を食いしばった。
──どうして、こんなことになっちゃったんだろ。
思えば、あの時からすでに始まっていたのだ。
あの日、この男と出会った時から。
朦朧とする意識の中、なぜこんな状況に至ったのかが、ロザリアの脳内で再生され始めた。
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