第2話ふくつうのせいしん

 たった今、時計の針が午前10時を回った。

 なぜ自分は駅の前のベンチで2時間近く待っているのだろうか。

 兄と姉にひっぱたかれた後、「とりあえずデートしてこい」と最低限の準備だけ整えて家からつまみ出された事は覚えている。

 蓮花川さんが「私達の準備ができるまで駅の前にいてね」と言っていて、若月さんが「居なかったらぶっ殺す」とか言っていたので仕方なく待っているが、それにしたって待たせすぎじゃないだろうか。

 そういえば姉から、女の支度は時間がかかるものだという話を聞いたことがあるような気がする。

 つまり、女性が二人支度をしているのなら通常の倍の時間がかかるのかもしれない。

 ……そんな事ある訳ないな。 もういいや、帰ろう。

「お、ちゃんと待ってやがったな!」

 ベンチから立ち上がろうとした瞬間、完全にノーマークだった駅のホームから若月さんに声をかけられ少しビビった。

「……なんでホームから出てくるんすか」

「駅から出てきて『待ったー?』『今ついたところだよー』ってするのがデートの始まりみたいですよねー」

 蓮花川さんはハチミツ作ってるとこの娘さんだけあって、頭の中が花畑にでもなっているんだろうか。

「流石に2時間待たせられて『今ついた所』とは言えないっす」

「小せえ事は置いといてまずは飯行こうぜ。 お姉さん達が奢ってやっからよ!」

 小学生くらいの身長で、お姉さんとか言われるとすごい違和感がある。

 そういえば兄が、若月さんを「お前好みのだと思った」とか言っていたような気がするけど、自分は兄に小さい子が好きなやばいヤツだと思われているんだろうか。

 ………

 ……

 …

 奢ってやるからと連れてこられたのが、まさかステーキ屋だとは思わなかった。

 いや、自分だって一応だけど運動部に所属しているし、焼き肉が食べ放題っていう単語を見るだけでテンションが上がるくらい健全な男子学生なのだ。

 焼き肉はもちろんのこと、ステーキ、トンカツ、鳥の唐揚げだって好きだ。

 でも、目の前にあるこの肉の塊は、美味しそうとかそいうの以前に圧倒的な威圧感を感じてしまう。

「あの……、これは……?」

「見ての通りステーキだ。 およそ1kgほどあるけどな」

「男の子だからこれくらい食べるよねー」

 2人の前には大体の人が「これがステーキ」って言うくらいのステーキが置いてある。

「俺らのステーキは300g程度だから、お前から見たら少なく感じるかもしれねーな」

「私達に気にせず食べちゃってねー」

 2人が食べ始めたので、改めて自分の前にある肉の塊に目をやる。

 その肉の塊はまるで「儂を喰おうだなんて百年早いわッ!」とでも言っているような気がする。

「……いただきます」

 少し切り分けて食べてみる。 ……旨い。

 そりゃ、お店で出すちゃんとしたステーキだから旨いに決まっている。

 問題は自分が食べ切れるかどうかただ一点だ。

 幼少の頃から両親や兄姉に食べ物は残さず食べるように躾けられてきたおかげで、大抵のものは好き嫌いなく食べれるし、食べ残しをすることは悪いことだと思っている。

 とりあえず食えるだけ食うことにした。

 肉を切って、口へ運び、噛んで、食べるのプロセスを繰り返す。

 序盤は肉の味を楽しむ余裕があったが、半分くらい減ったあたりで肉がどんどん冷めてくるせいで噛む回数が増えてしまい顎が疲れてくる。

「まだ半分くらい残ってるじゃん。 大丈夫か?」

「スポーツやってるって聞いたから、これくらい食べると思ったんだけどー」

 2人から『ちょっと失敗したかな』的な雰囲気が漂い始めた。

 人間の胃袋の許容範囲を考えてみれば1kgって相当なものだと思うのだが、彼女らの周りではこれくらい食べるのが普通なのだろうか。

 だが、草壁信之も男の子である。 それもスポーツをしている男の子である。

 ガチでやっているわけではないが、簡単に負けを認めては男が廃る。

 それでなくともステーキを作ってくれたお店の人にも、食材の牛にも申し訳が立たない。

「いや、このくらい余裕っすよ」

 食べ方をしっかり噛むのではなく、ある程度飲み込めそうなら飲み込むスタイルに変更して食事を再開する。

 早食いは体に悪いという話は聞いたことがあるが、今はそれよりもちっぽけなプライドを優先する。

「おー早い早い。 なんだまだまだ余裕じゃんか」

「流石男の子ねー」

 若月さんと蓮花川さんはなぜか楽しそうに見ている。

 そんな感じの2人を視界からシャットアウトして一心不乱に肉を食う。

 身体中から運動したときの気持ちがいい汗ではなく、腹痛とか怪我をしたときのような嫌な感じの汗が吹き出てくるのがわかる。

 最初は旨かったステーキだったが、鉄板も触れるくらいに冷えてしまったらとてもじゃないけど、美味しいとは感じなくなってきた。

 食べ続けた結果、ついに最後の一切れとなっていた。

「あっとひっとつ! あっとひとつ!!」

「食べた瞬間の写真をSNSに上げるからいい感じの表情でお願いね!」

 なんかテンションがくっそ高くなっている。 マジでなんなんだこの人ら。

 早く食べてしまってこの拷問から抜け出したい。

 そう思ってはいるものの、なかなかフォークを口まで持っていけない。

 正直なところ胃袋が限界も限界である。

 テレビの大食いなんかで、あと一口なのになかなか食べられない人を、最後の一口なんだから根性見せろよとか思ったこともあるが、それは根性でどうにかなるようなものではなかったらしい。

 この一口を胃袋に収めると、なにかかが決壊するようなそんな悪い予感がする。

 だがしかし、ここまで見栄を張ったからには「ここでギブアップです」という訳には行かない。

 意を決して口に運ぶと、宣言通りに蓮花川さんがスマートフォンのバースト機能で撮影しまくる。

 チカチカとフラッシュが煩わしいが、今はぐっと堪えて肉を噛む。

 ここまで物は噛んだのは今まで生きてきて間違いなく最多だろう。

 お陰で顎が筋肉痛になっていそうだ。

 体を動かすために筋肉が必要なのは知っているが、顎の筋肉を意識したのは生まれてこの方初めてだ。

 しっかり噛んで、そして飲み込む。

「……ごちそう、さまでした……」

 本当にもう何も食べれる気がしない。 少なくとも今日一日は何も口にしたくない。

「こいつマジでやりやがったぜ!!」

「男の子って感じでかっこよかったです!」

 大食いの人を探せば、この倍は食べるんだろうけども、こうも手放しに称賛されると正直悪い気はしない。

 いや、やっぱ自分がこれだけ苦しい思いをしているのは彼女らのせいだから悪いわ。

「なんとか食べ切れたからいいものの、……ウッ……、なんで1kgとか頼んだんですか」

 ゲップが出そうだったが、出してしまうと中身まで出そうだったのでぐっと堪えた。 流石にこの場で撒き散らすのは非常に不味い。

「そりゃお前、結婚相手がどんなヤツかっての知るためだぜ」

「私としてはどんな料理でも食べてくれるってだけですごく好感持てますよー」

「だな、ちゃんと『いただきます』と『ごちそうさま』をしているところも、個人的にはグッドだぜ」

「それは普段の癖でやっているだけで、別に褒められる事じゃ……」

「細かい事はいーんだよ! 俺が気に入ったってだけだしな!」

 ……そういえばコレってデートって名目だったな。 肉との戦いですっかり忘れていた。

 お腹はパンパンだけど、学校での話の種にはなるだろうし良しとしよう。

「じゃあ、しっかり食べたことだし出ましょうかー」

「だな、次は食休みってってことで公園あたりでのんびりしようぜ」

「公園なら近くに野良猫が多い所がありますよ」

「「猫!」」

 なぜか2人ともハモる。

「私、猫ちゃん大好きなんですよー! 信之さん流石ですね!」

「肉球とかたまんねーよな! おっしゃ信之、案内しろや!」

 よほど好きなんだろうか2人で猫の好きな所を言い合いっている。

 今日はじめて会って、ベッドに潜り込んでいた2人だけど、こうしてみるとそこまで非常識な人物ではないのかもしれない。 ……多分。

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