とある日の銭湯にて。
だいたいにおいて安い冒険者宿には風呂はないのが一般的だ。せいぜい共同シャワーである。
別段シャワーでも構わないのだが、というかむしろ入浴中に襲撃が起きるのではないかという懸念から、今までの折衝地帯の仕事でのんびり銭湯へ行ったことなどないのだが、しかしあることに気づいて以来、ガーウェイ・エグザグラムは近所の銭湯へよく行くようになった。
それがなにかというと、某勇者こと
しかも、湯船につかっている間のヤツは、比較的ガードが緩い。それに気づいたのはたまたまで、決してストーキングとかしたわけではないのだが、でも確かに気のせいではないだろう。
宿屋でも一人でいることを好み、声でもかけようものならそれはもう鬱陶しそうに邪険に追い払われる。なのにある日の銭湯ではどっかのじーさんとのんびり楽しそうに話していたし、また別の日には他の冒険者となにかふざけていた。そしてあまつさえ今日はなんか向こうから声をかけてきた。
面と向かって「なんか存在が気にくわない」などと言われていたガーウェイにとっては驚天動地である。ちょっと野性動物を手懐けた気分だ。
冗談はさておき、シエルに興味のあるガーウェイとしては、この機を逃す手はない。
というわけで、のんきに鼻唄歌う某勇者と湯船で肩を並べることになった。
これいわゆるサービス回。
機嫌の良さそうなシエルに話題を振ってみる。
「銭湯って人気なんだな。意外だった」
さて、どういう風にどこへ話題を持っていくべきだろうか。慎重に考えたわりになんとも当たり障りなく思ったことをそのまま言うガーウェイ。
「意外? なんで?」
不思議そうに首をかしげられた。
「え、いや。なんていうか。入浴中に襲撃があったら、とか思わないか?」
「そりゃまぁでもパンツ穿く時間ぐらいあるだろ」
「それは、そうかもしれないが」
そういう問題ではない。
「最悪パンツなくても大丈夫だろ、非常時だし」
なにがどう大丈夫なのか。だめだ、この話題は分かり合えそうもない。
「てか、なんでお前一人なの? パーティーメンバーは?」
辺りを見回しながらシエルが言う。
なぜかと言えば、まずデルは公共浴場とかあり得ない派で絶対来ない。リュウは広い風呂は好むのだが気分の波が激しくて来たり来なかったり。ソトアは……なんだかこっちへ来て銭湯巡りにはまったらしく、新規開拓しにどこかへ行った。
そう説明すると、自分で聞いてきたわりには興味無さそうに「ふーん」という返事だった。
「お前らもけっこう自由気ままなのな」
「まぁ。特にオフは個々それぞれだな」
付き合いもそこそこ長いし仲はいいけれど、だからこそ必要な距離は保っている。
シエルが首をぐるぐる回す。なんだかあがって行ってしまいそうな雰囲気だ。せっかくのチャンスなのにこれはまずい。
「か、賭けをしないか?」
「……はぁ?」
慌てて投げた言葉にやはり面倒そうな声が返ってくる。
「ちょっとした余興。ひまつぶしにでも。簡単なやつで」
うろんな顔。でも出てはいかない。これはいける。
「交互に問題を出して、答えられなかったほうが、負け」
ちょっと考える顔になった。
「……問題って?」
「なんでもいい。クイズとかなぞなぞとか、なんでも。ただし正解がちゃんと確認できるヤツ」
「賭けるものは?」
そこまで大きなものにはできない。それこそ夕飯を奢るとかでいい。……いや、ここでお金の絡むものは挙げないほうが無難か。
先にシエルが言った。
「じゃ、負けた方は一個言うことを聞くってのは?」
それだと賭けというよりゲームだ。というか、どんな要求を夢想してるのだか知らないが、無制限だとえげつないことになるだろうが。
「なんでも、は無理だ」
そりゃそうだ、と頷くシエル。
「良識の範囲内で。あるいは、二人の間で完結する願いに限る、とか」
良識。こいつの良識とか、信じていいんだろうか。しかし、ガーウェイにはそこそこ勝算があった。
「それならいいだろう」
交渉成立。じゃんけんで先攻後攻を決める。先手をとったのはシエルだ。
「えっと、」
問題を出そうとし、しかしなにも考えていなかったらしい。そしてとっさに出ないらしい。うーんとうなり出した。
対するガーウェイはすでに数パターンでシュミレート済みである。これは勝負にならないかもしれない。
「一問目なんて小手調べみたいなものなんだから、そんな悩まず早く出せよ」
「そっか。そんじゃ」
助け船の振りして煽ったら、それはもう軽く乗ってきた。なんともチョロい。
「今日の俺のパンツは何色でしょう?」
小学生並みの問題だった。恐らくさっきパンツの話をしたから頭がパンツから離れなかったのだろうが。本当に難しい問題を考えるのを放棄したらしい。大丈夫か、こいつ。
「深いブルー。無地。ボクサータイプ。ゴムのとこは黒で白の文字入り。案外ローライズ」
「ふわぁ! なんで知ってる!?」
気持ち悪そうにこっちを見てくるが、むしろガーウェイとしては銭湯でその問題を出すかと言いたい。さっき遠目に見たし。あとだいたい洗濯隣に干してるし。
知らないわけがない。いや別にいちいちチェックしたわけではないし、ガーウェイは変態ではない! が!
「むぅ。まぁ正解。……お前の番だ」
さて、どうするか。どうやら相手のレベルは非常に低い。まずは正解されるような問題でも全く問題ないだろう。ここは、ちょっと気になっていた疑問の解決に使っておこう。
なんでも来いみたいな気合いの入っている勇者様に、ガーウェイはポンと問題を投げかけた。
「俺のフルネームを答えろ」
「……は?」
「俺のフルネーム」
「ん、」
「俺の、名前」
「……あー」
ひきつった笑みで宙をにらみ必死に思い出そうとしているらしいが、……そもそも覚えてないことは思い出せなかろう。
「…………」
「……えっと、ガ、……ガッちゃん……?」
てへ、とか笑ってくるが、すでに能面みたいになったガーウェイの表情は小揺るぎもしない。
やっぱりこいつ未だに名前すら覚えてくれてなかった。虚しい勝利と共にそう思うばかりだ。
「ま、まぁあれだ。俺の負けだ、……なんでも言えよ」
一応気まずく思っているのか、ガーウェイの反応に内心おののいているのか、殊勝なことを言う。
「…………」
正直こいつには言いたいこともやらせたいことも山のようにあるが。
「ちなみに、もし二回戦へ入ってたら、どんな問題出してた?」
先にちょっと聞いてみると、シエルは虚を突かれた顔で考え出した。
「えーとえーと。……あ、今日の俺の替えのパンツは何色でしょう?」
「赤。他は今日と同じ」
「っから! なんで知ってる!?」
お前のパンツなんて色違い三枚組のローテーションだろが。せめて五枚組のローテーションにしてくれなければそんなもの、知るまでもなく分かる。
「俺はお前のパンツなんてひとっつも知らないぞ!」
パンツ以前に名前を覚えろ。
なんというか、こいつに関していろいろ拘っている自分が馬鹿なんだろうなという自覚がガーウェイにもある。というか、いま芽生えた。
「よし、決めた。今後はお前、俺のことはガッちゃん呼べよ。俺はてっちゃん呼ぶから」
すでにガーウェイも捨て鉢である。ぞんざいに言い捨てた。
「なぁ!? なんじゃそりゃ!」
周りが振り向くほどの声をあげ、しかし即座に黙る。おおむね二人の間のことであり、かつまぁ良識から外れているとも言い難い。というか、相変わらず能面顔でそんなこと言い放つガーウェイが、恐い。
どちらにしろ、名前も覚えず呼ばずできた相手だ、お互い実際にその呼称を使うことはないだろうとの算段もたつ。
不承不承ながら
ところで。
この一件が原因となって。
男の名前はなかなか覚えず、しかし一度覚えると修正のきかなくなる性質であるこの男が。
一生ガーウェイの名前を覚えることがなくなったという事実を。
このときのガーウェイは、まだ知らない。
銭湯に馬鹿が二人いた話、おわり
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