capriccio

嵐の前の賑やかさ

01, 世界はゆるやかな微睡みのなか



【日常】つねひごろ。ふだん。いつもの。


 とりたててこれといったこともない、昨日までの続き、明日のまえふり。


 不満以上満足未満という、無自覚な幸せ。


 だから。


 後輩に舐められようが。上司に雑に扱われようが。敵に泣いて逃げられようが。街中で笑いのネタにされようが。高スペックイケメン勇者に鼻で笑われようが。臨時相棒に飯たかられようが。森の中駆けずり回るハメになろうが。先輩に子供扱いされようが。大規模襲撃引きおこされようが。



 そんなもの日常の範疇内なんで大丈夫。



***



 ぱーぷーぱーぷーなにかがうるさく鳴っている。

 なにかというか。携帯だろう。


 かなり気持ちよく寝ていたのに。でも緊急かもしれない。布団の中からスマホへ手を伸ばす。

 ごろりと寝返りを打ちながら見ないで画面をふりっく。目覚ましアラームを止めるのと同じ要領だ。最近変えたスマホだけど無意識でできる。


「――あぃ?」


 我ながら寝起き丸出しの声が出た。


 電話の向こうのぬしは、コホンと小さく咳払いした。


「おはようございます。もっとも、すでに早くとも何ともありませんが、」


 きりっと冷えた金属みたいな女性の声だ。


 一度スマホを耳から離して画面を確認してみる。表示された送信者名は「アプロンシェ・シュヴェーレン」。賢いスマホ君はすぐに横スクロールして「市長美人秘書」という情報を流してくれた。これはこれは。


 よっこいしょとベッドの上に起き上がる。意識して腹に力を入れてみた。


「はい、おはようございます。こちらあなたの勇者さま、市長美人秘書さん」


 名乗ろうとしていたらしい美人秘書が、うっと言い詰まる。

 ごほんと今度は盛大な咳払いが聞こえた。


「……妙なジョークを開口一番飛ばすのはやめてください」


 鉄どころか絶対零度みたいな冷え切った声で言われた。


「は、それはどうもすんません」


 しかし冷静に考えて、先のセリフの中身はほぼおおむね事実であって、冗談扱いされるいわれはない。せいぜい「勇者」を「勇者候補」にしなければならないぐらいではないか。


「それで? なにか用ですか?」

『用事があったから連絡したんです。用事がなければ電話なんてしません』


 間髪入れず冷たい声。なんか少し怒っているらしい。妙なところに突っかかられる。


『本日、市より重要な案件に関しまして要請があります。午後の自首を求めます』

「自首!?」

『ああ、いえ、出頭です。――出頭命令ですので、確実においでください』


 今の言い違えは絶対わざとだ。それに出頭とか、めんどくさい。


「えーと。午後は仕事が入ってまして」


『事前にスケジュールを調べさせていただきましたが、今現在公式に受けていらっしゃる公務はありませんよね? 私的な依頼による未登録の仕事、ですか?』


 これだから情報管理社会はいやだ。


「……。えーと。実はその、デートの約束がありまして」


『私個人の認識としましては、交際中の女性はいらっしゃらないものと記憶しておりますが?』


 確かに。前にお茶に誘おうとして彼女はいないって教えたな。……美女とはいえ市長秘書。プライベートを洩らしたこちらが馬鹿だった。


「……えーと、あー、んーと。ほら、今マルコマデパートでセールやってるでしょ。今日の午後のタイムセールの目玉商品狙ってて。絶対買わないといけないんですよ」


『それは本日の目玉商品が女性物の下着と知った上での発言ですか?』


「知りませんでした、すいません」


 間が悪すぎる。


『嘘をつくにしても、もう少し下調べと計画性を持つべきかと存じます』


 そんな助言はいらない。


「あーヤだー行きたくないー」

『では十三時にお待ちしております』


 駄々をこねたが完全に無視され通話が切れた。


「……うわ。くそ」


 悪態をついてみてもスマホは黙ったままだった。


 どうせまたぞろ妙な仕事か小言に決まってんのに!


 ため息をつきながらついで深呼吸。

 スマホと一緒に枕元へ置いてあった冒険者証タグの鎖を首にかける。


 さて。起きるか。



***



 住み着いている宿の一室から階下の食堂へ降りる。


 そのままいつものカウンター席に陣取り、目の前でヒマそうにしていた宿屋の親父にコーヒーを頼んだ。

 ヒマそうな親父は、インスタントをカップに放り込みお湯を注いだだけのコーヒーを無愛想に出してきた。


 カウンターの中にはちゃんとドリップする機械もあるというのに。

 しかもどちらも取る料金は変わらない。親父の気分一つでどちらかが出てくる。


 インスタントの今日はハズレだ。こんな日は飯もどうせ手抜きだろうから頼まないに限る。


 コーヒーを飲みながらスマホのブラウザを立ち上げた。


 ブックマークしてある市の公共サイトへ飛ぶ。冒険者ギルドのページを表示、入室タブをクリックすると、IDとパスワード確認画面になった。


 パスワードは本人の指定だが、IDの方は冒険者証タグについている十五桁の数字だ。十五桁など、とても覚えておけない。鎖をひっぱって確認、寄り目で数字をぽちぽち押す。


 それにしてもスマホはちっちゃくて打ちにくい。


「親父、パソコン貸してよ」


 隅に宿屋の親父のノートパソコンがある。どうせ使ってないんだし貸してくれてもよかりそうだが、いつも通り無視された。


 パスワードはbaka08jiばかおやじ。推奨パスワード桁数の十にはちょっと足りないが、ちゃんとアルファベットと数字は混ぜている。忘れないし。


 ……でもこういうログイン情報って、スマホは覚えてくれるんじゃなかっただろうか。いつになったら覚えてくれるのだろう。よく分からない。


 無事ログインし、仕事一覧を眺める。全くロクな募集がない。

 適当に流していると、宿屋の親父が近寄ってきた。


「あんま選り好みしてるなよ」

「してない。レベルに見合う仕事がないんだ」


 町村単位で出される防衛や清掃、排除の仕事は数も多いが、要求レベルも低くて報酬も低い。

 企業の出す仕事はおいしいが、滅多に公務員の冒険者へはまわってこない。よっぽどやばい仕事の時だけだ。


「多少は低レベルでも、ワガママ言うな」


 こういった宿屋の親父は、ただ宿屋を経営しているだけではない。冒険者の管理業マネージングもやっている。というか、そちらがメインの業務だ。

 その腕が良ければちょっと宿屋が汚かったりサービスが悪かったりしても、人は集まり十分稼いでいける。


 この親父も、すでに勇者レベルの冒険者を育てた経験を持つ凄腕だ。インスタントコーヒーを出すような適当さのクセに料金は割高。そして口うるさい。


「報酬が割に合わない」


 ぶっすとして返すと、「ノルマは?」とまた返された。

 冒険者には三ヶ月を一期として、レベル毎にノルマがある。仕事もせずに冒険者を名乗るペーパー化を防止することが目的で、ノルマの数字は全く厳しくない。


 今のレベルなら仕事を受けてちまちまとポイント稼ぎしなくても、フリーで森へ行けば別段問題なく間に合う。ノルマ達成にあくせくしているような低級の冒険者と一緒にしないで欲しい。


「そんなもの、とっくに足りてる。今欲しいのは、金」


 親父の「バイトでもしろ」というその言葉は聞かなかったことにする。


 割のいい仕事を探すのは諦めた。ギルドサイトのインフォメーションページへ飛ぶ。


 インフォメーションページトップには、でかでかと大きく数字が表示されている。

 赤い数字は敵側が稼いだポイントで2万7045p。対する緑の数字はこちら側が稼いだポイントで6098p。


 立派な赤字だ。また賠償身代金がかさむだろう。赤くなった市長の顔が一瞬脳裏を掠めた。


 このあたりの市は折衝地帯指定であるため、市長は中央から派遣された人物が務めている。中央の人事からすれば折衝地帯の市長など左遷みたいなもので、しかもそこでの成績が悪いとなればキャリアに甚大な被害をもたらす。らしい。哀れなことだ。


 しかし別に市長に義理はない。


 そもそもこんな状況になるような条約を締結した政治家が悪いのだ。


 たぶん百年……か、もう少し前。魔族と人間との間で政治的な取引が行われた。

 ちょうどその頃、人類側はもう圧されっぱなしで滅亡の一歩手前をうろうろしていたという。


 人類は困った。

 が、魔族も困った。


 搾取相手が滅びると、魔族も一緒に滅びてしまう。というほど魔族は人間に依存していた。


 そこで魔族は、魔族なりの共存を意図した不殺条約というものを提示してきた。

 条文をちゃんと読んだことはないが、とりあえず滑稽な条約だったらしい。


 例えば。魔族という呼称は差別的だから使うなとか(この条文の影響で公的に魔族という言葉は使えなくなった)。魔族の襲撃行為を経済活動として認めるとか(魔族は生産活動が全くできないから資源獲得の唯一の方法であるらしい)。魔族に基本的人権を認めるとか(今はお互い財産権以外はおおむね認め合っている)。その他諸々。

 危機的状況にあった人類に突っぱねるだけの気力はなく、魔族(という呼称は使えないので、「敵」とか「エイリアン」とか「向こうの人」とか適当に)を社会の一員として迎え入れた。いやいや。


 生産力のない集団を人間経済は完全に背負い込むはめになったわけだが、敵さんは稼いだ金品でもって贅沢品を人間から購入するものだから、意外と経済はまわってしまっている。

 敵さんときたら、本当に贅沢な生活をするのに必要な収入を得るために、生産活動の代わりに襲撃をしているらしく、そもそもの感覚が違うからなんかもう考えても仕方がない。


 そこで導入されたのが、今のポイント制だ。相手を行動不能にするなり降参させるなりして、戸籍証ビル冒険者証タグのバーコードとかICチップとかを読み取ると、その情報が中央でポイントとして蓄積される。

 そのポイントに応じて互いに賠償身代金(あるいは襲撃報酬とも言う)を支払う。科学技術の発展のおかげでずいぶん便利になっている。が、それでいいのか人類。


 条約理念を考えれば当たり前だが、基本的に敵の稼ぐポイントの方が多い。だから職業冒険者の仕事は、少しでも敵の襲撃を防ぐとか敵を倒してポイントを奪い返すとかといったものになる。


 ポイント稼ぎにおいては、互いに相手を殺してしまうとポイントとして加算されないため、最後のトドメは控えられる。


 だからといって命のやりとりがない遊び、というわけではない。


 敵の「ついうっかり」とか「手がすべって」とか「人間弱すぎ」とかいう諸事情により冒険者の死亡率はなかなか高い。

 そもそも敵は相手が冒険者となると容赦がない。行動不能=息の根は残すみたいなもので、負ければ大抵病院送りだ。


 敵と冒険者の間に限っては、うっかり殺してしまっても罪にはならない。だからこちらも遠慮なくやらせてもらう。が、人間が本気になったところで容易に殺せるほどヤワな相手ではなく、存在からして不公平感が漂う。


 ただ、この条約のおかげで、敵さんは一般人に関してはほとんど殺すということをしなくなった。


 一般人が襲われて死ぬと国交問題になり、人間側から多大な賠償請求をする事ができる。

 だから時々トチ狂った政治家が「たまには誰か殺されてくれんかなぁ」などと洩らしてしまい、強烈なバッシングを喰らって辞任に追いこまれたりする。


 思っても言ってはいけない言葉はあるのだ。



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