殺人鬼ハ絶対殺セナイ■■ヲ想イ慟哭セリ

鮎太郎

全編

 あるところに小さな集落があった。

 主な農作物は小麦。

 小麦を挽いて粉にして、町に売りに行くのが、この農村の主な収入源であった。

 町では質の良い小麦粉が手に入る為、小麦には結構な高値がついた。

 その小麦粉は主にパンに使われ、町で売りに出せば、半刻と経たず完売する。


 集落は町から遠い。

 野原と山岳、小川に囲まれる自然が作り出す陸の孤島。

 こちらから町へ行かない限り、人の出入りはほとんどない。

 その為、閉鎖的な社会を形成していた。

 それでも、綺麗な水に恵まれ、大きな災害もなく、特に困ることもなく住民は平和に農業を営みながら暮らしていけた。

 そんな集落にとある青年が住んでいた。


 青年は真面目で素直、人当たりのよさから住民の印象も良かった。

 青年は早くに両親を失っており、身寄りがなく一人で暮らしていた。

 集落から少し外れた場所にある小屋と畑を両親より受け継ぎ、小麦を育て生計を立てていた。

 近くには小高い丘があり、そこから集落を一望することができた。


 いつしか、近所に住む少女が、畑仕事を手伝うようになっていた。

 気立てがよく、慈愛に満ちたよくできた少女だった。

 少女の両親も青年の事情を知っており、彼女が青年の手伝いをすることを快く思っていた。


 二人が一緒に畑仕事をする様子は、とても仲睦まじく幸せに見えた。

 住民は青年と少女がいずれ結婚すると思っていた。

 事実、青年は手伝ってくれる少女に対して恋心に近い感情を抱いていたし、少女も一人で立派に生活している青年を好いていた。

 既に二人は夫婦のようで、少女が家事を、青年は畑仕事を分担しお互いが支えあっていた。

 特に刺激的な事もなく、平穏な時間がずっと流れていくはずだった。

 だが、ある激しい雨の日、その二人の、いや、集落の運命は大きく捻じ曲がってしまった。



 季節は秋。

 畑が広く収穫すべき小麦が多い為、この時期が最も忙しい。

 当然、集落の住民も収穫しているので、手を借りることが難しい。

 青年は少女の手を借りることで、大雨の前に収穫を終えることができた。

 だが、ぎりぎりまで収穫したため、少女が家に帰る前に本格的に降り出してしまう。

 激しい降雨、強い風、とどろく雷鳴、まさに台風と呼ぶにふさわしい大雨。

 少女は帰ることをあきらめ、青年の小屋で一夜過ごすことに決めた。

 嵐は続き人が出歩けるような状態でもないのにかかわらず、小屋の扉を叩く音が聞こえてきた。


 青年は少女を庇うように扉の前に立ち、扉を開ける。

 そこには、黒いコートを羽織って、先のとがった帽子をかぶった、詩人のような青年がびしょ濡れで立っていた。

 困った人を見捨てられるほど悪人ではない青年は、詩人風の青年を小屋に招きいれる。

 彼は雨に打たれて、体温が下がりきっている。

 すぐにコートと服を脱がし、青年の服を着せ、一つしかないベッドに寝かせた。


 詳しい話を聞くことを後にして、彼の看病を優先させる。

 少女は夕飯の残りのスープを暖めて、彼に飲ませた。

 体が温まったのか、彼の顔に赤みがさして来くる。

 その顔は端麗な顔をしており、金の髪、青い瞳、まるで絵本出でてくる王子のようであった。

 青年と少女は休むこともなく彼の看病していた。


 次の日、雨は上がり雲も晴れ、太陽の光が差し込んできた。

 看病の甲斐もなく、彼は体調を崩し、発熱するにまで至ってしまう。

 青年は収穫した小麦のせわがったので小屋を出て行ったが、少女は風邪を引いた彼の看病を続けていた。


 彼が集落に迷い込んでから、少女は付きっきりで看病していた。

 そのうち、風邪も治り、詳しい話を聞くことができた。


 彼は見た目どおりの詩人で、ここから近い町を目指して旅をしていた。

 だが、嵐に見舞われてしまい、さ迷っているうちにこの集落へたどり着いたらしい。


 彼が詠う詩はすばらしく、心が洗われるようだった。

 その声は澄んだ水のように透明で、どんな人の心をも惹きつけてしまう魅力があった。

 詩を詠いながら、各地を回ってきたという実力は本物で、その歌声は少女の心を捕らえていた。

 少女はそれ以来、青年の手伝いにあまり顔を出さなくなった。


 集落では詩人自体が珍しく、聞き惚れる人も多くいた。

 少女もまた詩人の詩に心を奪われていた。


 青年は一人で畑仕事をすることに、少し寂しさを感じていた。

 それでも少女が幸せならそれでも良いと思い畑仕事に打ち込んだ。

 そのうち、少女は青年の小屋に訪れることもなくなってしまった。


 住民も詩人の詩を評価しており、村で一番の人気者になっていた。

 少女は常に詩人の傍らにいて、その姿はまるで恋人同士であると噂になるほどだ。

 唯一の酒場で二人の姿はよく目撃された。



 詩人が農村に迷い込んでから季節は移ろい雪が積もるようになった。

 その頃には、詩人と少女は本当に恋人となっていた。

 詩人はこの集落から抜け出したかったが、雪が積もり旅が困難なためここで過ごす事を余儀なくされてしまう。

 それでも、詩を詠えば食べ物に困る事はなく、詩を詠って過ごしていた。


 一方、青年は冬になり畑仕事が減り、食事は蓄えた小麦のみである。

 腹は膨れずとも、暖をとるため新しい薪が必要になっていた。

 その日はあまり雪が降っていなかったので、青年は薪集めに出かけた。

 小屋を出て森に向かう途中、小高い丘から崖の麓に人だかりができている事に気付く。

 青年は不吉な予感がして、麓へ向かった。


 集まってる住人の話し声から、血を流して倒れている人が少女であることを知る。

 青年はすぐに少女の下に駆け寄った。

 崖から落ちたのであろう彼女の頭は割れて、綺麗なピンク色の脳みそが飛び出している。

 硬い岩の上に落ちたのか、辺りには血が飛び散っていた、

 手足もありえない方向に曲がり白い骨が真っ赤な肉を突き破り飛び出している。

 顔もつぶれており、誰だか判別できる状態ではなかった。

 だが、衣類や体の形から彼女であることに間違いはなかった。


 最初は何が起こったか理解できなかった青年だったが、時間と共に彼女が死んだことを理解できるようになった。

 瞳から溢れる涙が、止まらなくなった。

 昂った感情は抑えることはできず、声を上げて泣き崩れた。

 周囲の人々は気の毒そうな表情で、青年を見つめている。

 青年は崩れた少女の死体の傍らで、大声を上げながら泣くことしかできなかった。


 その後、簡素な葬式が執り行われた。

 青年の願いで彼女の墓は小高い丘に建てられた。

 青年の小屋の近くにある村を一望できる小高い丘。

 彼女の両親も、仲の良かった青年の意見を快く受け入れてくれた。

 木を十字に組んだだけの質素な墓標。

 この農村では墓標といえばこの形が一般的だった。


 その墓は彼女が好きだった丘で、青年と共に村を眺めることがよくあった。

 その頃の事を思い出して、青年は墓の前で泣くことが多かった。


 結局、彼女が崖から落ちた理由は分からなかった。

 事故で落ちたにしては、頭から落ちており、不自然な所があった。

 別段、崖崩れが起こったわけでもない。

 この村の住人である彼女が、崖の上から落ちるような事は考えにくかった。

 もしも、足を滑らせたとしても、足から落ちるはずである。


 彼女が死んでから、青年は酒を頻繁に飲むようになった。

 彼女が死んだ悲しみを紛らわすように、酒に溺れた。

 冬を越すために必要な、小麦を売って得たお金を使ってまで、酒場に赴き酒を浴びるように飲んだ。

 その事情を知る人は、青年の変わり様に憐憫の視線を向けることしかできなかった。




 その日、青年は酒場でいつものように酒を仰いでいた。

 そこへ詩人と女性が酒場に入ってくる。

 青年に気付かない詩人は女性と上機嫌に会話をしていた。

 そして青年は聞いてしまった。

 詩人は笑いながら平然と彼女の話をしていることを。


 青年は知っている。

 彼女は詩人を好いていた。

 そんな彼女を詩人は嘲笑い貶めている。


 青年は確信する。

 この詩人のせいで彼女は死んだのだ。

 死因はわからない。

 真実はわからない。

 だが、青年はそうだと決めた。


 詩人と女性が酒場を出ると、それを追うように青年も酒場を後にした。

 その際、カウンターに置いてあった果物ナイフをポケットに入れる。


 青年は二人の後をつける。

 女性は家に帰り、詩人一人きりになった。

 詩人が人気のない道に入ってすぐに青年は動いた。


 詩人の後ろから左手で口を塞ぎ、先ほど盗んだ果物ナイフで喉元を掻っ切る。

 途端、血飛沫が月光に舞う。


 青年の手の中で詩人は声を上げることもできずに事切れた。

 詩人が死んだことが分かった青年は、天を仰ぎ大きな口を開けて笑う。

 気分が高揚して心の底から愉快でたまらなかった。

 生の感情が青年の中に生まれた。

 今までの生活では決して味わえない愉悦。

 それは、初めて食べた蜂蜜をたっぷりかけたパンケーキよりも甘い。

 青年はその人生の中で初めて、感情を露にて笑い声を上げる。

 その様は返り血のでせいで口が顎まで裂けたように見えた。



 翌日、集落は喧騒に包まれていた。

 小さな集落で行われた残忍な殺人。

 誰もが知る詩人の無残な死は、人々を戦慄させるに足るものであった。

 その事実はすぐに全ての住人に知れ渡った。


 青年はそんな周囲を気にすることもなく、彼女の墓の前にいる。

 しばらく来ていなかったため、十字に組まれた木が傾いていた。

 木を組みなおし、森から採ってきた小さな白い花を供える。

 そして青年は日が暮れるまで墓の隣で景色を眺めていた。


 夜になると青年はナイフを持ち出し家を後にする。

 ナイフは昨日とは違い、肉を捌くのによく使うナイフだった。

 青年はとある家の前で足を止める。

 詩人と一緒にいた女性の家だった。

 偶然にも、女性が帰ってきたところで、二人は鉢合わせることになる。

 青年はよどみない動きで、正面から左手で女性の口を塞いだ。

 一言も発声させることなく首を狩る。

 果物ナイフより鋭い刃は首に深く刺さり、派手な血飛沫があたりを赤に染めた。

 程なくして、女性は動かなくなり地面へ落ちる。

 その様子を見た青年は首をかしげた。


 青年が次にとった行動は家の扉を開けることだった。

 家の中は3人の家族がいた。

 父、母、妹。

 無言で屋内へ入ると手近な父を手にかける。

 次は妹、母親の順で殺していった。

 殺害方法はいたって簡単。

 三人の首を切るだけ。

 一言も発することも許さなかった

 青年はまた首をかしげると、小屋に帰っていった



 翌日、青年は再びナイフを持ちふらふらと小屋をでた。

 その辺を歩き、適当な家へ入る。

 その家には若い夫婦が住んでおり、とても幸せな暮らしをおくっていた。

 数分後、青年は返り血を浴びて家から出てきた。

 青年はやはり首をかしげると、再びふらふらと歩き始める。


 青年はついに目に付いた人を殺し始めた。

 素早く相手に近づくとナイフで首を掻き切る。

 もう、口を押さえることもしなければ、押さえつけることもしない。

 ただナイフを振るっただけだった。

 首をかしげると、次の人へ向かっていく。



 青年は求めていた。

 あの詩人を殺したときの高揚感を。

 あのときの愉悦を。

 あのとに出た笑いを。

 だが、誰を殺しても得られない。


 青年は人を殺すたびに、焦燥感と欲望が増していく。

 だから、次の人も殺す。

 誰でも殺す。

 あの高揚感を得たいから。

 感情を丸出しにして笑いたいから。


 青年は死者に興味を持たない。

 あれから得られるものは何もないから。

 殺す行為に愉悦を感じるわけではない。

 殺すことによって起こる感情に愉悦を感じた。

 因って殺す。


 青年は人を殺せばまた笑えると信じて疑わない。

 だが、どれだけ殺しても、高揚感を得ることはできなかった。



 数日後、集落に動く人間はいなくなっていた。

 青年はふらふらと集落中を歩き回ったが、やはり動く人間に出会うことはできなかった。


 青年の足は彼女の墓に向いていた。

 彼女の墓には先日供えた花がそのまま残っていた。

 青年は考える。

 殺したい。

 他の人間は殺しつくしてしまった。

 だが、あの高揚感を得ることはできなかった。

 あんなにも好きだった彼女を殺せば、あの時以上の高揚感を得ることができるに違いない。


 だが、青年は彼女を殺せない。

 既に死んでしまっている彼女は殺しようがない。

 もし、生きていたのなら、こんなことにはならなかった。


 殺人鬼は少女の墓の前で泣いている。

 殺人鬼はもう絶対に殺せない少女を想い慟哭せり。

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