第196話 「…………ただいま」


少しだけ時が遡り──優馬が帰ってくる数時間前。


「──久しぶり、だね。」


そう呟いた1人の金髪で長髪の少女。そよ風でその長い髪をたなびかせながら、少女はゆっくりと目の前の家を見据える。


少女が立つのは……初めて“大切な場所”だと思えた彼の家。


でも、ここには少女の居場所はない。いや……そもそもそんな場所なんてこの世界には存在すらしなかった。


そんな家に少女は戻って来た。

自分自身の都合と判断で飛び出し、存在すら抹消したのにも関わらずにだ。


……本当は戻って来るつもりなんてなかった。

なぜなら心残りをこれ以上増やしたくなかったから。 どうしようも無い現実を見たくなかったから。


そんなわがままで自分勝手……当然、皆には合わせる顔が無い。だから……皆が居ない平日の昼頃を狙った。


「…………ただいま。」


少女は自然に家に入った。皆は確実に居ないと分かりきっているからである。当然鍵は掛かっていたが、少女はこの家の合鍵を持っているので問題は無い。


家に入ってすぐに、懐かしい匂いと雰囲気で心が支配される。心の喪失感と虚無感を少し落ち着かせ、ほっこりした後。


──家に鍵を掛ける。

ついつい重要な事を忘れてしまいそうだったが、自分がこの家に居ると絶対にバレないように……細心の注意を払う。


今日の目的は、この返し忘れた合鍵をしれっと返しに来た事と、お世話になった場所の掃除をしに来たこと。更に些細な事で生まれた矛盾を少しでも解消して行きたいと思ったこと……ぐらいかな?


……まぁ、そんな理由はただの後付けに過ぎない。


単純に“寂しい”という気持ちが抑えられず、来てしまった────が、少女の本音である。


「うわぁ……酷い有様だね。」


久しぶりに来た家は……少女が冷や汗を垂らしてしまう程に物が散らかっていて、掃除が行き届いて居ない事が分かった。


散らかす犯人は鶴乃ちゃんなんだろうけど、まだまだ遊び盛りの子にマンツーマンで相手が出来ていないというのが大きな問題だ。


全ての原因は少女という事は明白であろう。今まではこの少女が掃除などの家事業の全般を担っていたからこそ、清潔が保たれていたのだから。


「うっ……」


本来なら家全体を大掃除して行きたかったが……流石にそれでは不審がられる。矛盾が生まれてしまう。時間もあまり掛けられないし……

なのでそれはぐっと、我慢だ。


少女はその気持ちを抑えつつ、前まで使っていた自室へ向かった。


少女の自室は物置部屋だった場所で、荷物は沢山あったけど充分過ごしやすくて……すごく気に入っていた。


だからここだけは例外で、今までありがとうの感謝を込めて掃除をすると決めていた。


まぁ、この部屋にはほとんど人が来ないから、別に掃除されていても気付く人は居ないだろうという、甘い考えでもある。


「よーし、やるよー!」


少女は長髪をゴムで纏め、気合を入れる。


──それから数時間。誠心誠意を込めて丁寧に、そして完璧にこの部屋を掃除した。







──その掃除の途中、


「…………ッ」


少女は左手の雑巾を握る手が僅かに透けている事に気が付いた。


「とうとう、かぁ……」


それを見て驚きもせず、淡々と少女はボヤく。何処と無く……自分のタイムリミットを察したのである。


例えあの砂時計指輪が無くても自分の体の反応で、おおよそのタイムリミットは分かる。


──寂しい──悲しい──悔しい──虚しい……


様々な感情が無数に重なり合い、ついつい涙も溢れてきてしまう。


だけど少女は掃除をする手を止めない。だって……中途半端はもうしたくなかったから。


声を押し殺しながら泣く音と少女の鼻をすする音だけが物置部屋に響いた。


☆☆☆


──ピカピカになった物置部屋。ふかふかになった予備のベット。綺麗に整頓された予備の家電や食器類などなど。


少女は充分過ぎる程の掃除をこの部屋に施した。そのため、かなりの時間を使ってしまったようだが満足の行く出来だ。


後は……どうしよう。帰る……?

まぁ、特にこの世界で帰る場所とかは無いけど。


でも、これ以上ここに居たら……別れた皆と、確実に出会ってしまう。認識されなくする事は出来るが、後悔が増えてしまう。戻りたくなくなってしまう。


「…………っ!早く、早く出なきゃ。」


少女は後片付けをすぐに済ませ、戻りたくない気持ちを堪えながら部屋を出た。


一瞬の思考で、この判断は変わるかもしれない。だからこの気持ちを維持させつつ、階段まで来た。


後は、この階段を降りて……少し歩いたら……もう二度と……少女にとっての“至高の場”には戻らない。いや、戻れない・・・・と言った方が表現としては正しい、か。


「あれ、さっきまで……散々泣いたのにな……」


涙は沢山流したはずなのに。再び心が揺らぎ出す。

その揺らいだ心は“後悔”を味方に付けているのか……揺らぎの一つ一つに“思い出”が乗っかってくる。


その揺らぎは、初めはほんの僅かなものだった。

だけど……少しずつ少しずつ、大きくな揺らぎへと変化して行く。


そしてその揺らぎが大きくなる度に、少女の涙は溢れ出す。


「うっ……うぅ。」


落ちる涙を両手で一生懸命拭いながら、階段を1歩ずつ。ゆっくりと降りて行く。


そんな少女の心が限界スレスレの時───ガチャリ


玄関の方から聞こえたのは……家の鍵が開く音。

つまり……誰かが帰って来たのである。


咄嗟に頭を切り替え、2階まで静かに駆け戻った少女。そのすぐ後に誰かは分からないが、人が帰って来た。


「──ただいま。」

「っ!?」


声で誰が帰ってきたのかを判断したかったが……帰宅者の声が暗く、静かなものだった為に誰が帰ってきたかの判断は出来なかった。


取り敢えず安全に考慮して、さっきまで居た物置部屋に戻る事にした。


「はぁ、やらかしちゃったみたいだね……」


物置部屋に戻った少女は自分の失態に頭を抱える。


どうやら、掃除に時間をかけ過ぎてしまい……皆が帰ってくるこの時間まで、長居してしまったようだった。


……もう普通に帰る事は難しい。なにせ、これから続々と皆が帰宅して来て、活発に活動し出すのだから。


で、でも大丈夫。まず、この部屋に入ってくる事は無い。だからここで一旦身を潜めて、出れる好機を伺えば……行ける。


だからもう少し、この家に残る事にした。

もちろん神経を過敏にさせ、注意は怠らない。


──だが、この帰宅者は真っ直ぐにこの部屋まで赴いた。感じ的には気付かれてはいないはずだが……帰宅者はこの部屋に来た。偶然、なのか!?


冷や汗を垂らしながら、ガチャリとドアが開くのと同時に少女は姿を隠した。


「──ッ!?」


やはり……やはり。彼だった。

少女が愛していた・・彼だ。


「ぇ……」


そんな彼を久しぶりに見た少女。その彼の変わりように正直絶句した。


覇気のない顔でやる気すら感じられない。

今まで彼を見続けてきた中で、一二を争うほどの不甲斐なさを今の彼は漂わせていた。


──全部全部、自分のせいだ。少女は強い責任を感じる。


今の彼は、矛盾と虚実に悩まされているのだろう。



ごめん……ごめんね……



そんな彼は少女の落とした大切な指輪を大事そうに懐から取り出して、見つめながらため息を吐く。


「ぅっ……」


今すぐにでも飛び付きたい。抱きしめたい。慰めたい。謝りたい。だけど、それはしちゃダメだ。鈍感な彼に強く分からせるのには、このぐらいが丁度いいのだ!


自尊心を傷付けながらも、少女は少女なりの意地を張る。


正体を明かして、全部ぶちまけて……残った時間を彼と有意義に使いたい。


だけど……ダメ。

もう自分から・・・・は関わらないって決めたから。自分から関わっても無駄だって分かったから。彼自身の気持ちで動いてくれないと、振り向いてくれないって分かったから。


溢れ出そうになる気持ちに蓋をして、感情を抑え込んだ。


──それから数十分の間。彼の隣に座り、彼を見守り続けた。自分の気持ちと強く葛藤しながら。


「──ただいまーなの!」

「ん……?」


それは遠くからでも分かる鶴乃ちゃんの大きな声。

それに気付いた彼は、すぐに立ち上がる。


ぶつかりそうになるが何とか躱し、少女も立ち上がる。


一瞬だけ見えたけど、彼の顔は何故かさっきよりも明るく、いつもの本調子とは程遠いが……元気を取り戻している様だった。


「な、なんで……?バレてる訳じゃないよね?」


誰もいない物置部屋に少女の声は響く。


「…………気になる。」


もう本能には逆らえないのかな?彼の事で気になってしまうと……自分自身で新たな理由付けを加えて、何としても自分を納得させようとしてくる。






もう少しだけ、もう少しだけなら時間はあるよね。だから居ていいよね?それぐらいは、許してくれるよね……


「──和也くん。」


久しぶりに彼の名前を呼ぶと……勇気が湧く。

心から愛してるって実感させられる。


──少女。いや、姫命はそう願いながら彼……優馬の背を追うのであった。

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